◆ブレイジングスター◆







「右目が腫れてますね。薬を作るので少し時間をいただけますか?」
「すまんな。しかし、ものもらいかのう……寝不足が祟ったか」
「眼帯でもしたほうが良さそうですね」
朝から鏡を見れば憂鬱が舞い降りて。
秋の郷愁と踊りながら紅葉一枚、窓辺にふわりと。
「眼帯か。少しは見てくれもよくなるか」
墨染めのそれを右目にして、そのままなれたはずの回廊をゆっくりと歩く。
それでも片眼が効かないというのは自由をさえぎる。
壁に手を付きながら歩く姿。
「師叔どうしたさ?あれ、眼帯?」
駆け寄って前髪を指で払う。
「目、どうしたさ?」
「起きたら腫れとった」
「歩き辛そうさ。ほい、手」
豊穣酔い良いと秋の香り。
「すまんな」
たった一つ違うだけなのに、まるで別の顔に見えてしまうこの不思議。
普段の彼女はどこか完璧主義者で、近寄りがたい時もある。
今こうして眼帯一つだけで彼女が身近に感じられた。
「秋は風神が多いな。この間も見たぞ」
「風神?俺っちそういうの全然見えねぇさ」
「風神の万華鏡と扇は見事なものらしいな。扇は厄除けじゃ」
仙人は本来は人ならざるものを見る力を持つようになる。
道士ではあるが太公望にもその眼はあった。
(風神ってなにさねぇ……師叔は風神の扇ってのが欲しいさ?)
恋敵はそれなのりの権力者が多い。
ここで一つ抜き去ってしまいたいのもまた事実。
「碌に外にも出れん。しばらくは休みを貰うことにしたよ」
閉じる扉は安息を求める意思。
この時間を有効に使わない手は無いと小さく手を振った。






「なんで俺まで駆り出されんだよ」
彼女の親友に手助けを求めればそれは彼女に知れることとなる。
自分の師にそれを求めるのは最終手段に留めたい。
「友達さ」
「つーか、俺とお前がそろうと碌なことなんねぇって」
伸びた髪を一括りにして少年は首を回した。
普賢真人の愛弟子のモクタクを引き連れて天化が目指すのは白凰の断崖。
狙うは風神の扇と定めた。
「何を狙うんだよ」
「風神の扇ってやつさ」
「悪いが帰るぜ。俺、風神連中苦手なんだよ」
立ち去ろうとするモクタクの手を掴む。
「モクタク風神見れるさ?」
「ああ。俺んち、親父も道士だろ?だからわりと見えるっていうか。あとは師匠が……
 あの人暇なときに風神捕まえて碁とか打ってんだよ」
人ならざるは彼もまた同じ。
「道行師伯の所なら風神よく見れるぜ。そっち行ってみろよ」
紅葉揚々と金庭山は美しく、主たる女もそれに見合うもの。
しかしながら尋ねれば五行業のために留守にしているという。
「風神の扇って望月でなきゃ釣れなかったような気がするんだよな」
「万華鏡でもいいさ。風神の万華鏡」
「それだったら……うちの師匠の得意分野だ」
「うーん……普賢さんの手を借りると師叔にすぐ伝わるさ……」
「また師叔の争奪戦なのかよ」
その言葉に天化は首を振った。
「目が腫れてて辛そうだったさ。師叔だって女だから、鏡見るのも多分嫌さね」
ため息をつきながら唸る姿を見れば、どうにかしてやりたくなる。
「だから、万華鏡だったら片目でも楽しめるさ」
「んじゃあ、場所だけ借りればいいよ」
目指すは白鶴洞と決まれば早いもので。
彼女が好みそうなものは大概揃っているという好条件も相まって足取りも軽い。
手土産にと携えたのは秋の香る大粒の栗。
対価報酬物々交換は世の常。
「風神の万華鏡?珍しいもの作るんだね」
栗の皮を剥きながら普賢が小さく笑った。
少女の差向いには二人の少年。
「材料はあるよ。普通の万華鏡のならね。でも……風神の万華鏡なら、ちょっと違ってくる」
小刀を愛弟子に手渡せば今度は彼が器用に皮を剥く。
紫陽洞では珍しい光景もここでは普通だった。
「風神って、烏天狗のことだけども今の季節はあんまりつかまらないんだよね」
「えー!?それじゃ、風神の万華鏡って……」
「でも、烏天狗はあくまで風神の遣い。だから……」
すい、と手が伸びて少女は少年の宝剣を取った。
浮かぶ光は薄紫の菫のよう。
季節外れの色だと笑って、少女は左手を天に掲げた。
「我、此処に念ずる。疾風迅雷風神召喚!!」
その声に呼応するように渦巻く竜巻。
舞い上がる砂と紅葉が嵐を予感させる。
目も開いていられないような黄砂の乱舞に呼吸すら儘ならない。
「モクタク、ちゃんと陣を敷いてね」
「師匠っ!!天狗を呼ぶには大げさな……」
「天狗なんて呼ばないよ。だって、風神の万華鏡が欲しいんでしょ?」
腐っても仙人、少女なれども師表が一人。
銀眼が天を射抜いて黄砂を一刀に切り裂く。
普賢真人が呼び出したのは季節神に名を連ねる風神そのものだった。
「太極符印!!風神を収束せよ!!」
黄砂は一転して矢のように降り注ぐ。
逃げ惑う烏天狗の群れの中に座する風の神の姿。
風袋から吐き出される赤い嵐を掴ませて少女はなおも宝剣を振るう。
ついでだと烏天狗の羽を斬りつけて、落ちる黒羽を愛弟子に拾わせた。
「もういいかな?太極符印、収束解除!!」
本来あるべき仙とは、かくも人間から離れること。
その外見とは裏腹に少女は恋人とはかけ離れた残酷さを持つ。
「天化、これで材料揃ったよ。これが風神の万華鏡の元」
足もとに転がる色取り取りの水晶を拾い集めて。
霊力の宿った水晶は掌で優しく呼応しあって煌めき合う。
「すげ……綺麗さ……」
「どうせなら本家本元の風神捕まえた方がいいものできるでしょ?余ったのでボクも
 道徳に万華鏡作ってもらおう」
「俺っち二個作るさ、普賢さん」
その言葉に普賢が困ったように笑った。
「天化。万華鏡は一個だけ作りなさい。望ちゃんのだけ」
「?」
「風神の万華鏡は好きな人に作ってもらうと星空も照らせるんだよ。だから、ボクは
 天化に作ってもらうことはできない」
風神は古来より病魔を操る。
その息吹を捕えて色香を与えれば魔よけとなる万華鏡。
「目の病気とかにも効くからね、風神の万華鏡」
「!!」
彼女が欲しがった理由を初めてそこで知ることとなる。
書物とは縁遠い生活をしてきたせいか、少年は顔を赤らめて下を向いた。
「さ、早く作ってあげて。ボクはちょっと青峯山まで行ってくるから。あの人ちゃんと
 作れるかな。楽しみだなー」
小さな鏡を持ち歩き、覗いてはため息をつくあの姿。
軍師は女を感じさせることが少ない稀有なもの。
「天化、俺が天狗の扇作るよ。だからお前は万華鏡作れ」
「おう」
共に修行をしてきた二人は喧嘩をしながらも成長してきた。
互いの師が恋に落ちて、そして二人も恋を知った。
「筒に貼る綺麗な紙とか……」
呪符で縛り上げた天狗の羽。
「俺の部屋にあったかもしんねぇ。持ってくる。あ、それ触んなよ!!まだ出来てねぇから!!」
呪詛は完成しなければ効力を持たない。
剣舞だけではなくモクタクはある程度の呪術も使えるようになっていた。
自分だけがここで立ち止まるわけにもいかない。
「天化!!好きなの使えよ!!」
あれこれと眺めてその中から一枚を取り出す。
満月を追う兎が刻まれた漆黒の月夜。
「兎にすんのか?」
「ああ。師叔のあれって兎の耳に見えねぇさ?」
少年の指先が黒髪からつん、と飛びだして。
「ああ、見える見える!!」
「それに、満月は師叔の名前が入ってるさ」
欠けたる望月そのもののように、手負いの少女。
「んじゃ、扇の柄にもそれ使ってやるよ」
「あんがとさ」






慣れない作業でどうにか作り上げた万華鏡を手に回廊を歩く。
烏天狗の羽を束ねれば崑崙から周までも瞬く間にたどり着けた。
宵闇迫り浮かぶは望月。
「師叔」
寝台に腰かけて、少女は綿を手に瞼を消毒していた。
はっとして眼帯に手を伸ばす彼女に、少年は手にしていたそれを差し出す。
「……これは……」
「作ったさ。目、治るさね?」
酸漿ににた赤い涙。海を模した青い欠片。眩い輝石と落葉の黄色。
筒に選んだのは彼女の名を象った十五夜望月。
「そうじゃのう……しかし、よく手にしたな……」
覗きこめば生まれて消える流れ星。
「本当に治ったさ!!」
「風神は病魔を操る。故に風神の万華鏡は目の病を治すのじゃ」
軍師といえども少女であれば、鏡に映る己の姿にため息を。
秋風に乗り蝶となり、ただ悲しくなるばかりだった。
「師叔とおんなじ名前さ、お月さま」
伸びた手が少年の頬に触れる。
少しでも彼女と対等に並びたいと願うこの身。
「わしが月ならばおぬしは空を名に持つだろう?天化」
天を照らすは望月の優しさ。
手を繋いで回廊を走り抜ける。
彼女よりも少しだけ前を進み、指先が冷えないようにきつく絡ませた。
道士装束を脱ぎ捨てて、淡い白の部屋着には紅葉の刺繍。
「師叔!!俺っち今日は空が飛べるさ!!」
「?」
「これ、作ったさ!!」
烏天狗の扇は一晩だけ効力を発揮する。
だから満月を目指して思いきり大地を蹴った。
月に踊るは二つの影。
今宵望月、君と何を語ろう?
腰に差した扇が天を二人だけの空間に変えてくれる。
「大したものだな」
「勉強不足さ……知らないことのほうがたくさんさ……」
「構わぬよ。それはわしがなんとかすればいいことだろう?」
欲しいものを欲しいだけくれるならば、どれを君に返せばいいだろう。
手を繋いでこんな夜は君と思い出話をするのも悪くはない。
まだ見ぬ明日を予想して、笑い合えればそれだえで幸せ。
「風神の万華鏡って、星空を作れるさ?」
「こうやって翳せば……」
目の前の大きな月に少女がそれを翳す。
色取り取りの水晶が影絵となって月を背景に美しく踊る。
「すげー!!」
「わしも現物は初めてみたがな。まさかおぬしがこれを持ってくるとは……」
月に住むは幻の姫。
その魅惑で皇帝をも虜にするという。
しかし望月を背にした彼女は、それ勝るとも劣らない。
「ありがとう、天化」
頬に触れる唇。
胸元を掴む指先に、彼女の背をそっと抱いた。
「どういたしましてさ」
髪に絡まる紅葉一枚、簪に見立てて少女は頬を染めた。
その柔らかさはまさにこの満月十五夜。
胸元の組紐に触れたいと思うこの手を握り締めて。
触れるだけの関係もこんな夜ならば良いのかもしれない。
物足りない月夜に飛び出してどこまでも高く高く。
この永遠にも似た一瞬の夜を君と過ごせるのならば。
「この手を離したらわしは地上にまっ逆さまじゃな」
「絶対離さねぇさ」
雨にも風にも誰にも負けず、恋は努力で維持するもの。
悪戯は故意でも無意識でも愛しいと思えるだけの心意気。
「風神の欠片はあるか?」
その言葉に布に包んだ水晶の破片を少女に手渡す。
左手でそれを勢い良く夜空に振りまけば一面に広がる幻想の雪結晶。
「すっげー……おれっちもいつかこういうのできるようになりてぇさ」
「そうか?これの本家は道徳じゃぞ?」
「あ!?コーチが!?」
「あれは普賢が喜ぶことの努力は厭わん。大方、今頃万華鏡を作らされておるだろうな」
少女の名を冠したこの満月。
できるならばこの月を彼方だけに捧げられるならば。
逆さまの満月を捕まえて二人でどこまでも抜け出して。
「この欠片を翳せば誰か来るかもしれんな」
必要なのは知力でも武力でもない。
その細い肩をしっかりと抱いて視線を重ねる。
「俺っち以外認めねぇさ」
月光は人を狂わせると言う。
その実は本能をほんの少しだけ呼び覚ましてしまうということ。
「そうか」
この星鎖で縛り付けることなどできないと知っていても、そのまやかしがやさしく誘う。
恋に病んで夢はこの望月夜を駆け巡るように。
「いい男に惚れたな、わしは」
水晶片が煌いて星屑になって宙に舞い上がる。
「すっげー……」
「………………」
風神の仁徳の異名を持つ破片を昇華させるほどの妖力はそうそうない。
仙道としても相当に名のあるものだけにできる恋の魔法。
(本当に……いい男たちに惚れられたと自惚れるかな……)
少年の鼻先に触れる指先。
「もっともっといい男になってくれ、天化」
「あったりまえさ!!」







遠くで見つめるは霊獣を駆る彼の人。
「珍しい。風神水晶ですよ」
「みたいだね。呂望と武成王のところの子だよ」
ふふ、と笑って男は宝貝の先を指で一撫でする。
狙うはあの望月を取り囲む風神の仁徳。
「何をするの?」
「送り花ですよ。綺麗でこんな月夜にぴったりですかから」
「良い雰囲気作ってあげるんだ。申公豹って暢気だね」
霊獣の鼻先に触れる手。
にぃ、と笑みを浮かべて雷公鞭を鮮やかに一振りした。
生まれる雷華は舞い散る欠片を目指して流星のように迸る。
「これができるのは私だけです。それを知らない呂望ではありませよ」
心の広さを見せるならばと一興も悪くなしと彼は己の美学を持つ。
何よりもただ彼女が幸せであれば良いと位置付けた。
(これは無駄になってしまいましたね)
眼病に効くといわれた雪実を一齧り。
舌先が痺れて広がる苦さに眉を潜めた。
(これではいくら良薬でもあの人は好みませんね……)
この苦さは今の己の気持ちそのもの。
それでも恋人の前ではせめて虚勢でも粋な男で居たい。
「帰りますよ、黒点虎」
「お月見楽しそうだな」
「そうですね。たまにはお前と月見も良いかもしれません」
枯れた菊に美しさが存在するように、感傷に浸るのも悪くはない。
永い夜には誰を想おう?
頬を撫でる秋風の冷たさは、彼女が隣にいないから。
髪を掻き揚げるそれに瞳を閉じた。
深淵たる月の光に誰かを思うのも、一つの美しさ。
薄揺れる夜にただため息は舞うばかり。

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