◆牧野の戦い―黄家の血―◆






目指す場所は朝歌と定まり、戦いで疲れきった体を癒すために宿営地は賑わっていた。
捕虜という名前ではあるが兵士たちは手厚く優遇され、かつての同胞たちとの再会を
喜び合うほどだ。
道士たちも束の間の休息を甘受してそれぞれ思いをはせる。
もうじき終わるであろう、この戦い日々を。
「珍しいですね師叔、お酒が進みませんか?」
傍らに座った青年の言葉に首を振る。
黒髪麗しい少女はこの戦いを終わらせるたった一人の選ばれたもの。
それ故に背負う業も悲しみも多すぎて、運命と必死に戦ってきた。
「思い出していた……のう、ヨウゼン……普賢たちがあの時、隣におったのだ……」
懐かしむように嬉しげに唇がほころぶ。
光の中に一瞬だけ見えたあの後姿。
親友は確かに自分と一緒に戦っていたのだ。
守るべき未来と人間を信じて。
「もうじき全部終わる……わしも最後にわし自身に決着を付けるよ」
その言葉が意味するところは彼にはわかりすぎるほどだった。
失ったものへの贖罪を彼女は背負うのだ。
「普賢様はそれをお望みだとは思いません」
「ヨウゼン」
「はい」
まるで遠くでも見つめるかのように澄んだ瞳。
どこか悲しげに歪んで視線が重なった。
「おぬしも思う道を行け。捕らわれるな、決して。何者にも」
手を何度重ねあっただろう。
彼女は自分を大切にすることをいまだに知らない。
「……僕は……あなたが幸せになれる日を祈らずにはいられません……」
どれだけ夢見ても、描いた楽園は完成することはないのだ。
彼女は自分の未来と希望を引き換えにして、この封神計画を完遂するのだから。
退く事を知らないのは強さではなく、子供なのだと。
「わしもいつまでも祈るよ。皆が幸福であるように」
杯と触れ合わせて、二人同時に唇を付ける。
「皆というのは、あなたも含めてです」
「わしの役目はもうじき終わるよ」
「終わったら今度は……そうですね、もう一度修行しなおしましょう。師叔」
狂おしく咲き乱れるこの桜は、人の血を吸いすぎた。
その下で、静かに杯を空ける少女は凛として静寂を描く。
これほどまでに威厳があったのかと遠巻きに見つめる兵士たちが息を飲むその存在感。
「美しいな。悔しいほどに」
「…………………」
「わしが旅立ったのもこの花を背にした季節(とき)だったな……」
夜に舞う一羽の蝶。
それは幻と青年の肩に止まり、儚く崩れ去った。
「反魂の陣ですか?」
「必要なかろう。限りあるからこそすべて美しい」
長く続きすぎた歴史は綻び、崩壊の一途をたどる。
必要なのは新しい風なのだ。
それはかつて剣を交えた殷の忠君の言葉だった。
今のこの姿を彼が見たならばどうおもうだろう?
「亡くなった者たちは丁重に弔いますので」
「そうしてくれ。わしは……あやつに墓すら作れぬ……」
「酔いが回りすぎたかもしれませんね。軍師が二日酔いでは示しがつきませんので
 お早めにお休みになってください」
風に舞う花弁と少女の立ち姿。
宵闇の瞳に写るのは夢か現か。
「先に休ませてもらうよ」
「ええ」
この花弁は忌まわしき薄紅。
あの時、師表たちが散ったときにも謳歌していた呪われた花。
(終わらせましょう。あの方たちのためにも……)
痛みを分かち合っても、同化することなど出来るわけも無く。
残された禍根は傷口を犯していくばかり。
どれだけ時間がたてばこの痛みに慣れるのだろうか。
しかし慣れは麻痺であり根本に残るのはどうしようもない後悔ばかり。
抉るはこの桜花、忌まわしきあの月明かり。
いっそ討ち落としてしまえと唇を噛んだ。







痛む傷口はいつからか着実に命を削ってきていた。
残された時間を数えればもうわずかしかない。
迷いなどもはや必要はない。
ただ、己の信じる道を進むだけ。
「師叔」
久しぶりに横になれると少女はゆるり、と髪を解く。
少年の声に応えてゆっくりと顔を挙げた。
「天化」
「へへ……来ちまったさ」
少年の頬を包み込む少女の手も、同じように傷だらけ。
「待っていた」
軽く舐めるように触れた唇と、絡み合う指先。
向かい合ってただ確かめるように接吻を重ねた。
「朝歌にだいぶ近くなってきた。おぬしも色々と考えておるのだろう?」
濡れた唇の挑発と、意味深な瞳は夜を誘う。
重ねあった時間と思いは、誰にも理解されることのない二人だけの秘密。
「おぬしのことがわからぬほど、わしも浅い付き合いではないと思っておる」
互いの衣服を落としていって、向かい合った二つの裸体。
彼も彼女も満身創痍、傷だらけの体で戦ってきた。
むしろこの傷は忘れ得ぬ誇りであり、何よりも先立った人たちの存在証明。
だからこそ、自分の存在意義を少年は求めてしまった。
少女の唇が、まだ膿んだままの傷口に触れる。
姜族最後の血と、殷王朝最後の武成王の血。
出会ってもよかった。
けれども、決して――――――互いを知ってはいけなかった。
「その心……わしにくれぬか?」
「心?なんでさ?」
ずっと前から君のもだと唇が言いかける。
「覚悟を決めよ。迷うな」
「……………………」
浮かぶ深淵の月はいよいよ赤く染まり、その歴史が変わることを告げた。
この少年の性質を知れば知るほどに惹かれてしまう。
いっそこの手でその命を終わらせてしまいたいと思うほどに。
「!!」
静かに外された左腕の防護手袋。
彼女が今まで自らそれを取り払うことなどなかった。
あとどれくらい、何を失えばこの戦いは終わるのだろう?
「……師叔……」
その腕に刻まれた数多の呪詛。散っていた同胞たちを弔うための儀式。
誰にも見せることなく告げることなく、彼女は今までそれを守り通してきた。
「我が呪われた身体ならば、似つかわしいだろう?」
「ちが……っ!!」
塞がれる唇とねっとりと入り込んでくる赤い舌。
「おぬしが思うことは殺業じゃ。何も変わらぬ……わしの思うこととな……」
下から覗き込む瞳が歪んだ笑みを宿す。
彼女も弔い合戦を仕掛けるつもりなのだ。
そして、己の生に決着をつけると。
「共に」
「散るさ……一緒に……」
あの二人はその瞬間まで一緒に在ることができた。
ならばいっそ同じ道をたどったところできっと笑ってくれるだろう。
狂わせるは魔性の花では無く、蠱惑の宵闇。
「……ッ……」
静かに組み敷かれれば、手を伸ばして少年の首を抱く。
「抱いてくれ、明日の為に」
「誘われたら断らねぇ主義さ」
首筋を噛む唇と、肌をすべる日焼けした手。
どれだけの時間を一緒にすごしたのだろう。一緒に過ごせたのだろう?
こんなに胸が苦しくなるなんて。
できることは涙をこぼさぬようにすることだけ。
君に触れることはもうきっと叶わない。
「んぅ……」
かり、と乳首を噛まれて肩が竦む。
乳房をやんわりと揉み抱かれて左右を嬲る舌と唇。
指先が塗れた先端を摘み上げる。
「…は、ぁ……っふ……」
「胸……弱いさね……」
舌先がゆっくりと身体の線をなぞりながら降りていく。
浮いた腰骨が愛しいと歯がそれを齧った。
「……わしにも……させてくれ……」
「ん……じゃ、上んなって……」
反り勃った陽根に舌を絡ませてそのまま挟み込むようにして舐め上げる。
口中で硬さを増していくのを感じながら、浮き出た脈に接吻した。
「あ、そーいうの好きさ……っへ……」
啄ばむように動く唇が雁首を挟み込む。
闇に浮かぶ肌が艶めかしくて血の匂いを探してしまうように。
「もう……いいさ、俺っちも師叔も……」
重なった視線はきっとこの世で最後の光。
この瞳をずっと見ていてほしかった。言葉にできないこの感情を理解してほしかった。
伝えられないから体で繋ぎとめた。
もうそれすら叶わない。
「……あっちぃ……」
落ちる汗にさえ、この肌は熟れて甘いと思えるのに。
自分に覆い被さる肢体がこんなに近いのにも離れてしまう。
この手を伸ばして脚を開いて繋ぎ止められるのならば幾らでも望むように。
「……久々だと……けっこ……」
「天化」
「んー……?」
指先に彼の黒髪を絡ませてぐっと近くに引き寄せる。
「望を残してどこにも行かないでくれ」
「…………………………」
この先、彼女が彼女たる本質を誰かに見せることはないのかもしれない。
太公望ではない少女の姿。
「……わかってるさ……」
額に触れる唇に零れそうな涙を堪える。
君の胸の中で、この手を伸ばすことができたならばどんなに幸福だろうか。
その背中を抱きしめて香る煙草の匂いすらも愛しいと思えるようになれたのに。
「……ッは……あ!……」
首筋に刻まれる痣は今生の別れとなる。
彼も彼女も知っているのだ、自分の進むべき道を。
「なんで泣きそうな……顔してっさ……」
瞼の向こうに見た朧月夜の思い。
初めから触れ合ってはいけなかった。
知らずにいればこんなにも苦しむことはなかった。
それでも、知らないままの日々はきっと今よりもずっと色褪せていただろう。
留まることを許されぬ罪人として、二人で歩んできた。
この先に待ち構えるのは正真正銘の復讐劇なのだから。
「……天化……っ……」
確かめるように肩口に顔を埋める。
重なり合う心音もこれが最後の咎。
自分の上で少しだけ笑う彼の顔がゆっくりと歪んで果てていく。
この体で間に合うのならば幾らでも差し出そう。
望むのならばあの月さえも射止めて見せよう。
罪など、君を失うことに比べれば羽にもならない重さだから。





そっと抜け出した彼を眠った振りで送り出す。
伸びた髪を結びなおして、冷水で顔を洗った。
鏡に映る己の姿にでる自虐の笑み。
「スープー」
「はいっす」
細い体に刻まれた情痕と幾多もの刀傷。
晒しに包まれた胸にまで走るそれは彼女をゆっくりと作り上げてきた。
「行くぞ」
道士服に身を包み、その双眸が闇を捉える。
「天化君は……ご主人、天化君は悪くないっす!!」
「わしがただの女ならば送りだしてやれる」
重なった視線に感じた深い悲しみ。
「わしは軍師だ。ここで天化を走らせれば軍規違反として処刑する権利がある」
「………………………」
「もっと……違う道があったのだろうな……わしはいつもそうだ……」
霊獣に騎乗して静かに宿営地を離れる。
風に舞い散る桜が忌々しいほどに美しい。
「桜花に満月か……狂うには最適じゃな……」
「……ご主人……」
冷たい空気が彼と混ざった体温を奪っていく。
「いつぞや天化と桜の下でな……何もかもが懐かしい……」
「どうしてもいかなきゃダメっすか?ご主人はいつも無理ばっかりしてるっす」
「これがわしの仕事じゃ。成さねば……普賢たちにあわせる顔がない」
「………………………」
「先回りしてくれ。この先に桜の古木がある」
殺し合うならばこんなに素敵な夜もないだろう。
その花の下に死体を埋めて、夜な夜な君の頭蓋に接吻をして。
四肢が腐るのをくゆりと愛でながら見つめよう。
「御主人…………」
「すまぬ……おぬしにはいつも……」
零れる涙。
これが最後、その罪を背負う覚悟。
満開の桜の下で万全の思いで君を待つ。







「遅かったな、天化」
風に揺れる黒髪が、闇を一層沈ませる。
「待ちくたびれたぞ」
風に舞い散るのは花弁かそれともこの思いか。
「師叔、黙って通してほしいさ」
「できぬ。それはおぬしも知っておろう?」
二人を分かつこの道に乱れるは千年桜。
「このまま……ただじっと死ぬのを待ってるのは嫌さ!!」
少年の理想など彼女の前ではこの花と同じ。
掌の中で握りつぶされてしまう。
それでも彼女はその花の美しさをしっている。
「頼むさ……わかってくれ……」
その夢は風の前には塵と同じ。
今が満開に咲き誇るその命。
「望」
静かに髪をほどいて風に泳がせる。
「ここでおぬしを行かせるのは、望としてあらば」
君に初めて出会ったあの日を思い出そう。
満開の桜の下で誓った約束を。
「なら!!」
「ここでおぬしを行かせることは出来ぬ。我が名は太公望」
打神鞭が静かに風を切り裂く。
呪われた赤い月を背負い、風がその横顔を導いた。
「ここで行けばおぬしは反逆者」
「…………………」
手を伸ばせば届きそうなのに。
この心は確かに君に預けたまま。
あの日の十五夜、嘘などなく永遠の夜を分かち合った。
「なんで……気付いたさ……」
「簡単なことだ」
「?」
「わしがおぬしならば同じことをした。そんなこともわしがわからぬと思ったか?」
君と重ねた時間はこんなにも君を理解させてくれた。
だからこそ、止められない自分が歯がゆい。
その復讐は少女が背負う咎。
「それほどに浅いと思ったか?」
「いいや。読まれてたさね……」
雲は晴れ行き、覗く月夜。
さよならと彼の唇が小さく呟く。
宝剣に灯る光。
「賊は討つ。それが……我が宿命」
これがこの世で最後の夜。
「行くならば止める。おぬしのその命と宿命、貰い受ける!!」




君と出会ったあの時も桜が綺麗だった。
忘れることのできない十五夜の月。





18:50 2008/10/03







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