◆牧野の戦い◆






どこまでも逃げ回ろうとしているのは自分自身であるということ。
少年はその手を血に染めながら盲目のままで前進する。
人に怯え憎しみを重ねた少女。
汚れた手を繋いで二人で進むことを誓った。



「うあぁぁああああああっっ!!」
三尖刀を振りかざし青年は天子の脇腹を斬りつける。
さながら雄々しき武人たる姿。
その切先は硬化した肌を貫き、唇からこぼれ出す青い血。
「ナタク!!」
「貴様と手を組むことがくるとは思わなかったぞ」
生まれながらの戦いの申し子はまるで踊るように拳を繰り出す。
土煙を巻き上げながらただひたすらに相手を滅殺するためだけに。
「下賎の者がぁぁぁあああっっ!!」
怯む事のない視線は未来を射抜く。
「僕が下賤ならば……貴方は……」
衝撃波でぼろぼろになる肩布。その切れ端をきつく握り締める。
見守る彼女が自分のために織り上げてくれた大切なものを。
「……化け物だ!!紂王!!」
呼応するように湧き上がる闘志を刃にこめてその首を狙い済ます。
刹那に焔を描く火尖鎗と合わさりあたり一体を焦土と化していく。
「いかん!!」
軍師が防護壁を張ろうとしたその瞬間、兵士たちを淡い光が包む込む。
懐かしさすら感じるあの暖かな光。
「……師叔……これは……」
凛としたそれは遥かなる場所からの声。
「ああ……おぬしの思うとおりじゃ……」
光は糸となり紂王を縛り上げていく。
ぎりぎりと体に食い込み、今まで痛みなどないとしていた彼が初めて叫びをあげた。
「がぁぁあああっっ!!死に損ないの亡者たちがあぁああああっっ!!」
その本体を引き出すために四方八方から襲い来る光の刃。
「……普賢……」
本来ならば隣にいたであろう親友の名がこぼれる。
ただ一筋、涙が零れ落ちた。
「コーチ……普賢さん……」
ばらばらと降り注ぐ柔らかな光。少年の肩に触れてそっと消える。
「師匠……そこに居るんですか?普賢師匠っっ!!」
胸に宿る彼女の残した意思。いつだって自分のことを守ってくれた存在。
(俺……自分に恥ずかしくないように、あんたに胸張って会えるように……)
託された呉鉤剣を構えなおし大地を蹴り上げる。
「うおぁぁああああっっ!!」
手のひらで雪のように溶けて行く小さな光。
「……玉鼎真人師匠……」
もう少しだけ、あと少しだけでいいから力がほしい。
自分にとってもっとも大事なあの人の願いをかなえるために。
(見ていてください……僕は……貴方の弟子であることを誇りに思います!!)
えぐる様に大地に突き立てられた三尖刀。
「紂王!!死すべしっっ!!」







十の陣を敷き、少女が呪符を天に描く。
「みんな、もう一働き……いいよね?」
符印を中央に翳し、仙気を注入していく。
師表として、今まさに前線で戦う者に捧げる祈り。
愛弟子たちに伝え切れなかった思いを。
「あたりめぇだろ?全部吸い取られたってかまわねぇよ」
慈航道人から生まれるのは穏やかな萌黄の光。
「ああ……うちの馬鹿弟子もやっておるようじゃのう」
懼留孫の手のひらから描かれる閃光は清々しい灰銀。
「ほほ、弟子が居るやつは羨ましいな
霊宝大法師から注がれる緋色の光に込められた生命。
「まったくだ。俺も弟子を取ればよかったな」
黄竜真人からは情熱的な赤。絡まり溶け合う焔を示す。
「うちのなまくらも……やってんだろうなぁ……」
闇に溶け行く紫黒を提示したのは文殊広法天尊。
「あれが紂王か……できた息子をもったもんだな」
夕日を切り取ったような紅は赤精子。
「まったくだ。散り行く様まで王子として立派だった。父は如何か?」
朝日に混ざり合うような黄褐色は広成子。
「ヨウゼン……もはや心配はいらんな……あの子は私の誇りだ……」
包み込むような優しい深緑。生命を象徴するその色を出すのは玉鼎真人。
「天化、迷うな。お前が選んだ道を行け。それが何であれ真実だ」
空を切り取ったような鮮やかな碧が道徳真君の拳から生まれだす。
「望ちゃん、君に出会えてよかった。ボクにとって望ちゃんは……ずっと、ずっと……
 一番大事な友達だよ」
全ての光を受け取り生み出される光の玉。
太極符印が静かに発動してその光を飲み込んでいく。
生命の中和と融合、それができる唯一の宝貝がこの太極符印。
「符印よ、牧野の兵士たちを守れ!!太公望に光を!!」
少女の手が描く生命の樹。それは進むべき道を示すもの。
明日を不明確な何者かから取り戻すため。
もう二度と戻れずに、散った者たちの最後の希望。
「さぁ、望ちゃん!!君の思う道を行って!!」
各々が宝貝を手に天を仰ぐ。
「全てを切り裂け!!その運命さえも!!斬仙の光よ!!」
「うおぉぉぉおおおおっっ!!莫邪ぁああっっ!!最大放出っっ!!俺の力を全部
 持っていけぇえええっっ!!」
暴れだす太極符印を制御するために必要なのはそれを上回る生命力。
普賢真人を守るための騎士として二人の男が隣り合わせた。
「げっっ!!やべぇっっ!!」
宝剣の先端がまるで風化でもしていくかのようにばらばらと砕け始める。
「まさか……持ってくれ!!斬仙の光よっっ!!」
同じように急速な勢いで崩れ始める斬仙剣。
「紂王の封印を……人の手で歴史を変えるために……っっ!!」
ぎり、かみ締める唇。
零れ落ちる血など気にしてはいられない。
「あああああああっっ!!」
響き渡る少女の悲痛な叫び。
熱球でも抱いているかのように急速に符印の温度が上昇していく。
老君に授かった宝貝は七つしかないスーパー宝貝のひとつ。
今の太公望には援護が必要なのは明白だ。
普賢の体がまばゆい光に包まれてあたり一帯を飲み込む。
「普賢っっ!!」
一度死んだこの体をもう一度、親友のために使えるのならば。
「行けぇぇっっ!!」
螺旋を描いて光は封神台から飛び出していく。
決戦の地を目指して迷うことなく。
「きゃあああっっ!!」
衝撃に耐え切れずに弾き飛ばされる体を男の手が抱きとめる。
「普賢っ!!」
荒い息と浮き出た汗。
「ボク……ちゃんと出来た?ちゃんと……」
ほかの誰でもなく、封神台の内部を全て知るものにしか出来ない行為。
「ああ」
「莫邪……ごめんね……」
戦士にとって剣は命を繋ぐ何よりも大切なもの。何よりも彼にとっては誇りそのもだった。
ぽろぽろとこぼれる涙もそのままに、ただ唇をかみ締める。
「良いんだ。もう……十分に役目は果たした」
莫邪の宝剣だけではなく、師表たちの宝貝はひとつ残らずにその形を失っていた。
全ての役目を終えたかのように。
「……みんな……」
「お前の選んだことが間違いだなんて思わない。俺たちはお前を信じた。それだけだ」
その言葉に皆が頷く。これが師表としての最後に示せること。
「へへ……からっぽだぁな……道徳……」
へたり、と座り込んだ慈航が笑う。疲れきった、それでも満足げな笑みで。
「まったくだ……いい酒飲めそうだな……」
信じたのはほかでもない見えない不明確な『明日』とい存在。
未来を託して、眠りにつくために。






頬を撫でる風に、少年は前を見据えた。
夕焼けに溶けそうなその煙。
「師叔」
まだ癒えぬ傷を抱いて、二人で進んできた。
「おれっち、行くさ」
全てを終わらせるために、託されたこの剣を手にして。
「天化」
戸惑いがちな指先が空を掴む。
止めては行けないとわかっているのに。
「約束しろ」
「?」
「わしを残して……逝くな」
戦士の血は穏やかに休むことを許してはくれない。
戦地こそが墓標としてふさわしい場所だと体中で叫ぶ。
「わかってる。必ず……勝つ!!」
今まで一番やさしく激しい接吻。
重ねた手を離して、少年は舞い踊るように大地に降り立つ。
「行くさ紂王……師と親父の仇!!」
閃光一線、宝剣が中央の腕を切り裂く。
「があああああっっ!!余の腕が!!」
暴れまわる紂王にもはや理性など無い。
軽やかにかわしながら宝剣を首元にちらつかせた。
「あんたはもう天子なんかじゃないさ。誰もあんたのことなんか愛しちゃいない。
 あんたが誰も愛さないで飲み込まれたように」
悲しいのは誰からも愛されていた過去を持ってしまったこと。埋もれていた記憶は
足かせとなって前に進むことを出来なくさせる。
宝剣はますます光を増して、鋭利に輝く。
硬化した肌を焼いて、天子の首を狙う。
(……っち……おれっちじゃ……無理なのか……?)
異形の手が少年の体を掴み、締め上げる。
みしみしと骨の軋む音が耳を支配して、視界が真っ赤に染まる。
「ぐ……ああああアァあっっ!!……」
「天子を足蹴にするからだ!!死んでわびろ!!」
かつて見た雄々しい天子はそこにはもうなく、愛欲におぼれてしまった哀れな男の成れの果てだけが
化け物となって存在している。
幼い日、父に連れられて赴いた禁城。若き天子は自分の頭を優しく撫でてくれた。
父と同じような武人になれ、と。
その傍らに居た燐とした軍師の姿。二人並んだ大きな背中。
(ああ……そっか……望は聞大師に似てるんだ……)
こうなりたないと願っていた二人は戦いのさなかに命を落とした。
それは望まぬものであろう、志半ばだっただろう。
「余は誰からも愛されておる!!民草からもな!!」
「……馬鹿なことをいうな……李氏紂王……」
同じように脈々と流れるこの一族の血が叫ぶ。
今こそ、全ての因業を断ち切るときだと。
「その目には見えぬのか……?お前の民の姿が……」
霊獣の手を借りて辛うじて立ち上がることの出来る小さな体。
ふわり。天子の頬を撫でる懐かしい風とにおい。
「お前の足元を見よ!!お前が殺した民の姿を!!」
暴れまわる紂王に踏み殺された兵士の姿。
その血の感触さえもわからないほどに壊れてしまった王の姿。
「!!」
少年を大地にたたき付けて、その手が兵士を一人握った。
「答えろ!!余は誰からも愛されておる!!」
国のために戦うと誓ったときに見た、あの澄んだ瞳。
今の紂王の瞳は濁りきりもはあのときに感じた威厳など無かった。
そこにいるのはただの化け物。
「は……離せ化け物っっっ!!」
「嘘だぁぁああああああああっっっ!!」
崩れ落ちる天子の体。ばらばらと埃を舞い上げ、あたりを吹き飛ばしていく。
「……天子紂王……」
作られた体は崩壊し、そこに存在するのはかつての姿。
天子の衣に身を包んだ在りし日の李氏紂王その人だった。
「……余は……余は……」
戦慄き震えながら頭を抱える姿は、罪をまだ認識し切れていない。
わかるのは己が否定されていたことと何かを失ってしまったこと。
傍らに居たはずの二人の忠君の姿もはやそこに無いように。
「……な……何してるさ!!今こそ天子の首をもらうさっっ!!」
天化の言葉が空気を切り裂き、宝剣は迷わずにその首を切り落とそうとする。
「逝ねや!!紂王ぉぉおおおっっ!!」
「天化っっ!!」
がきん!!はじかれる宝剣の切先。
「何さ……邪魔だぁああああっっ!!」
「落ち着けよ、歴史の変わり目だぜ?もっといい場所を準備してやるよ」
耳に響くのはあの忌々しい声。
「……王天君……」
少女の乾いた唇がその名を刻む。
「決着は朝歌でつけようぜぇ?くくく……」
空間が歪み消えていく天子の姿。
「待つさ!!」
「待ってるぜ、黄天化」
歪んだ空間は一瞬で消え去り、あたりに静寂が宿る。
「ご主人」
「わしを天化のところに……スープー……」
感情を暴走させれば同じ結果になるだけ。
「天化!!」
「行くさ。朝歌に」
「……止めぬ。わしも行く」
触れた手をきつく握り締める。
「おれっち一人で行くさ」
「ならぬ。約束しただろう?一人では逝かぬと」
大切なものを失った二人ぼっち。この体に流れる血が互いに叫ぶ。
行き場の無いこの感情をぶつけたいとほとばしる。
「わかったさ……」
けれども彼女は見逃さなかった。その瞳に宿る光を。
彼の師が残したあの言葉が耳から離れなかったように。
(生まれながらの戦士は……死に場所を自分で決める……)
吹き抜ける風。
沈む夕日と訪れる宵闇。




二人だと思い込んでいたあの日。
本当はたった一人だった。



8:38 2008/04/25

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