◆饒舌なる密室。嘘の意味◆









鏡は元来姿を映すもの。同時に魔道を遠ざけ、真実を映すという。
目に見えるものだけが存在意義を持つのはなく、精神体をも映すといったところだろうか。
「僕は、鏡があまり好きではありません……」
鏡台の前で髪を梳く彼女にそんなことを言う。
「おぬしは顔のつくりが整っておるからのう。鏡の方が照れるのではないか?」
竹の円櫛を細工の施された箱にしまいこみ、そんな風に返してくる。
夜着を纏って、椅子に凭れる姿が扇情的で。
「いっそ割ってしまいたいくらいです」
「それは困るのう……わしにとっては大事なものじゃ」
どんなに背伸びをしても、胸の辺りまでしか届かない。
悔し紛れに伸びた髪を引くと、柔らかく抱きしめてくる。
そっと手を伸ばして、額の封印玉に触れるとその手を取られた。
「意地悪はやめてください、師叔」
「わしの性根が悪いのはおぬしは知っておったと思うがのう……ヨウゼン」
にっこりと笑う顔。腕を無くし、一族を失っても前だけを見つめるその瞳。
何もかも自分にはないもので、全て欲しくなってしまう。
生まれてしまった思いは赤黒く、まるで無様な火傷。
化膿して、肉を腐敗させるから性質が悪い。
「ええ……あなたがわがままで寂しがりなのも良く知ってますよ」
伸びた髪。傷だらけの身体。欠けた腕。
どんなに運命が過酷でも、その魂には傷一つ、付けることが出来ない。
それが選ばれし者の強さ。
「恐い夢を見ないように……今夜は一緒に居ますよ」
「わしが恐いのは夢ではないよ……」
降る唇を受けながら、同じように舌を絡ませる。
長く、甘い接吻。褥に落とされる身体。
「おぬしがわしに隠し事をしておることじゃよ」
「……僕が……師叔に隠し事を……?」
帯を解いて、夜着を剥がせば細かな傷の付いた少女の身体が一つ。
乳房の傷を舐め上げて、指を滑らせていく。
香炉の明かりがほんのりと部屋の片隅で絡まる身体を照らして。
「……ヨウゼン……」
肩口を噛まれ、びくんと竦む身体。敷布の上、まだ未成熟な裸体が小さく震えた。
遠くの雷鳴に眉を潜めて、唇を噛む。
「雷が……恐いんですか?」
「あまり……得意ではないよ……嫌なことを思い出す……」
幼い頃は雷鳴におびえる度に兄があやしてくれた。
その兄も、もう居ない。
「おぬしには恐いものなどなさそうだのう」
強くなる雨足。囁きあう声までも消してしまいそう。
「いえ……恐いものはありますよ……」
鎖骨を噛んで、乳房に赤く刻印を残して。
かりそめの身体を絡みあう。
偽者の肉体でも、肉の甘みと悦楽は感じることが出来る。
そして、その度に罪悪感と虚偽が心で歯軋りするのだ。






傍らで眠る彼女の顔を見る。
道士と言うには幼く、頼りない。父母に守られて過ごしていてもおかしくは無いのだ。
全てを失った少女は、同じ思いを誰にもさせたくないと呟く。
自分以外の誰も傷つくことを許さずに、痛みはその身に全て受け止めるのだ。
どれだけ傷だらけになっても、笑う声。
太陽の下、いつも光をあびてきらきらと。
(あなたは……何時まで僕を必要としてくれますか……?)
いつも、傍には誰かが居る。そして、同じように笑うのだ。
賑やかで、騒々しく、そして、心地良い空間。
鏡に掛けた長衣を外せば、憔悴した己の顔。
浅ましく、獣染みた顔だと自嘲気味に笑った。
(酷い顔だ……)
鏡の中、ゆっくりとその姿が歪み、異界の者を映し出す。
(やめろ!!それは……僕じゃない!!)
(どれも本当のお前だろう?肉欲も捨てきれずに……お前は立派にこっちの物だよ)
赤い唇が笑う。同じように赤黒い瞳。
骨ばった指先と、しなやかな指が鏡一枚隔てて触れ合う。
(捨てちまえ。楽になれよ)
(そんなこと……)
(攫っちまえ。欲しいんだろそいつが)
安心して眠る少女を指差し、陰は厭らしく笑う。
誰にも渡したくない。鳥篭に閉じ込めて、ずっと傍においておきたい。
閉鎖された空間で二人きり、抱き合って融合して。
そして……できるなら一つになってしまいたい。








願望、夢は暗く重い。
「っは……」
濡れた内部に指を沈めれば分かりきった反応が返ってくる。
「のう……ヨウゼン……」
「どうかしましたか……?」
「おぬし……わしがくれと言ったら何でもくれるのか?」
引き寄せられて舌と舌を絡ませては荒い息だけが灯篭に浮かぶ。
「欲しいものが……あるんですか?」
「一つ……あるといえばある……」
ぺろりと唇を舐められて、男は少し首を傾げた。
口唇が道衣の金具に触れて、軽く噛み付くとそのままゆっくりと下げていく。
ぎりりと音を立てて道衣が落ちて、少女は男の胸板に唇を落とした。
「おぬしじゃよ、ヨウゼン。わしのものにならぬか?」
見上げる瞳は蠱惑的で、吸い込まれそうになる。
「今……何と言ったのですか……?」
「わしのものになれと。そう言った」
誰にも靡かない人が、自分を所有したいという。
その真意が量りかねなくて、言葉に詰まった。
覆い被さってくる小さな身体を受けながら、目を閉じる。
「わしはおぬしの物にはなれぬからのう……いっそおぬしがわしのものになれば良いかとな」
「……師叔……」
「酷いものだ。わしを縛ることは禁じて、おぬしを縛ろうとする……」
ヨウゼンの手を取って自分の胸元に導く。
斜めに走った少し大きめの傷は左肩から乳房の上までを走り、未だ消えずに存在を誇示する。
その傷のように、刻み込むことが出来ればとその身体を抱くたびに思った。
他の男の腕の中、同じように喘ぐ姿を思えば嫉妬に身を焦がす。
その度にもう一人の自分が囁くのだ。
『喰っちまえよ。仙道の肉は上手いって知ってんだろ?』と。
左手を取って軽く咥える。
口中で舐め嬲り、絡む舌の感覚。
唇が離れて、おもむろに伸びた左手が鏡に掛けた長布を外した。
「師叔?」
「おぬしが何故に鏡を嫌がるのかわからぬが……たまには風変わりで良いとも思わぬか?」
鏡面に映るのは絡まった肢体が二つ。
立ち上がったそれに手を掛けて、舌先がなぞっていく。
「……師叔…っ……」
唇はゆっくりと上下して、指先はやんわりとそれを扱き上げる。
先端を甘く吸ってはじらすように触れるだけ。
「わしが誘った。気に病むな……」
短く切られた黒髪が、闇の中でぼんやりと浮かぶ。その様はまるで人間とは違って見えて。
どこか安心してしまう自分がいるのだ。
「……ヨウゼン……」
身体を起こして、男の上に被さる。
「わしと一つに……溶け合うか?」
それは、魅惑的な言葉で彼を支配してしまう。その細い体を喰らって、ひとつになってしまいたい。
本能の欲求と牽制するように生まれる理性。
自分に覆い被さる身体と揺れる二つの乳房。
仙界では本来、肉欲は捨て去ることを義務付けられる。
故に、仙女や女道士は『女』であることを捨て『男』と同様の生活と修行を求められるのだ。
ただ一人「竜吉公主」を除いて。
「あっ!」
ぎゅっと乳房を鷲掴みされて上がる声。
最初に抱いたころよりもずっと甘い声を上げるようになった。
けれども、それは自分だけのものではないということの証明でもある。
(どうして……この人でなければダメなんだろう……)
押さえきれない嫉妬を殺すために何人もの女を抱いた。
元々不自由する身でもない。その気になれば女など向こうから寄ってくる。
肉欲の捌け口ならば太公望だけに頼る必要など無いのだから。
(……どうして……)
決して他人になびく事の無い少女。
凛とした瞳で明日を見据える。
比べるならば普賢真人のほうが余程『女』を残しているといえよう。
それでいて他人との接触を自分の身体を使うことでしか取れない少女。
泣く事も笑うことも、本心からは出来ない子供。
明かりもともさずに一人でこの暗い道を歩く。
傍らにいるものなど気付かずに。
「ん!!あ……は…ぁんっ!」
ぬるりとした感触に包まれて繋がっていく。この身体が互いに人間であることを示すように。
(この人は……僕のことを信頼してると言ってくれた……)
腰を抱いて、より奥まで交わりたい。
この小さな身体をきつく抱いてしまうのは自分の良くない癖だ。
(多分……)
この身に隠した秘密は――――彼女には隠しきれていないだろう。
彼女の親友が一目見るなり見抜いたように。
美しきは女の情念。絡まって取れないその想い。
寂しくて切なくて、誰かに縋りたくて。
でも、それは許されないから。
「あ!!…ヨ……ゼン……ッ…!…」
揺れる腰とぎゅっと閉じられた瞳、長い睫と染まった目尻。
細い背中を抱きしめて、荒い呼吸を分け合う。
誰かと繋がっている時だけ感じられる『安定』は。
自分を簡単に支配してしまう。
薄明かりの中浮かび上がるのは生白く傷だらけの身体。
何よりも愛しくて、美しいと思えるもの。
重なる唇と入り込んでくる舌。
じゅぷ…じゅく…と混ざり合う互いの体液の音が耳を支配する。
「ああっ!!や……ぁ!!」
悴む指先で柔らかい頬に触れる。
今、生きていることを実感するために。
(……同じなんだ……この人も、僕も…………)
暗がりの中子供が二人。寂しさを埋めるために手を繋いだ。
泣きながら歩くこの道は――――――未だ先が見えぬままに。








眠る顔は年相応の少女のようで、見つめていればどこか心が痛むときもある。
まだ親元で甘えていてもおかしくは無いのだから。
「……師叔……」
そっと髪を撫でれば、くすぐったいのか身体を丸める仕草。
(あなたの望み通り……あなたの盾となり剣となりましょう……)
ただ傍に居られればいいと、言い聞かせてきたこの気持ちを。
(……好きです……例えあなたから同じ言葉はもらえなくても……)
押さえ込まなくてもいいと、君が言うのならば。
怖いものなど……何も無いのだから。
小指を絡めた約束は、成就させるためのものであって。
破棄するための約束など無い。
(こうやって、あなたを見つめていられるのならば)
震えるこの手を取ってくれたのは、彼女だけだったのだから。
全て受け入れて、空の下で笑う少女。
自分の名前を呼ぶ声。
彼女が欲する未来のために自分を必要とするのならば。
手首を鎖で繋いで離れないようにしてしまえばいいと気付いてしまった。
同じ未来を見るためなら多少のことは厭わないでいられる。
それは性質の悪い恋。それ故に捨てられない恋。
(帰る場所には……あなたがなってくれるんでしょう?)
これから起きる戦いは、二つの仙界を確実に分かつもの。
ともすれば故郷を無くす恐れもある。
(一緒に……居てくれますか?呂望……)
言えないままの想いを抱いて眠る夜。ただ降りしきる雨が二人を包んでくれた。






明け方近くに上がった雨は、青天の気配をつれてくる。
皮肉にも戦争を起こすその朝を絶好の天気にするために。
「皆、揃ったか?」
一体何人が無事に再会することが出来るだろう。
「ヨウゼン」
「はい、師叔」
太公望の傍らを守るのは自分だと、彼はその隣に立つ。
「……………………」
咥え煙草のまま、天化はその光景を表情も無く見つめていた。
彼女の剣となり、守ると誓ったはずなのに。
行くことの出来ぬこの想い。
いっそ、断ち切ってしまえれば楽なのに。
「行くぞ、崑崙へ」
まるで燃える様な紫の空は、これから始まる戦乱を写したかのようで胸が痛くなる。
それでも、この道を引くことはもう出来ないのだ。
「師叔!」
けれど、止められない想いをどうしても伝えたくて。
「天化……」
「こんな傷、すぐに治るさ。必ず……そっちに行く」
握らせたのは自分の愛煙。同じ匂いになれる魔法。
「無理はするな。おぬしにはまだまだやってもらいたことが山積じゃ」
一歩引いた所のヨウゼン、今度は近付いて。
「油断してっと……寝首かかれるさ。ヨウゼンさん」
「どうしてここに残されるか……分かってるよね?」
指先でその火を消して、天化は笑った。
「来るな。って……いわれなかったさ」
「………………………」
「終わったら、今度はあーたと戦うことになりそうさね。ヨウゼンさん」





少年は何よりも残酷な生き物。
そして少女は―――――――それよりももっと酷な生き物。




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12:55 2004/05/28

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