◆仙界大戦―――砂―――◆




「金鰲の中に入るのは…………五十年ぶりくらいかな」
かつかつと回廊を歩きながらヨウゼンは辺りを見回す。
爆発にまぎれて蒼巾力士に変化し、彼は金鰲島の内部へと侵入したのだ。
かつんかつんと靴が鳴る音。
(変だな……誰も出てこない……)
臨戦態勢の最中なのに、金鰲の道士は誰一人として彼の前の姿を見せない。
「どっちにしても、余計な被害を出すのは良くないからいいんだけれどもね」
手の中に意識を集中すれば、生まれるのはかつて見たあの忌まわしい玩具。
小さな小さな鯨の玩具。
「さ、自分の家だけども……大暴れしておくれ」
手のひらから無数の花狐貂が飛び立ち、金鰲の中を走り抜けていく。
強力な酸で、飲み込んだものは即座に消化してしまう恐るべき宝貝。
変化の応用で、ヨウゼンはそんなものまで作り出せるほどの力を身に付けていた。
花狐貂は勢いをつけて、内部を食い荒らしていく。
「さて……僕は進まなきゃね……」




「聞仲」
ふわりと降り立つのは姚天君。仮面の奥の瞳が僅かに歪む。
「姚天君か。何の用だ」
操舵室の男は、振り返らずに声だけで答えた。
「馬鹿げた戦を始めたものだ。お前にとって何を由とする?」
「女にはわからんこともあるからな」
「あちらの参謀も女子(おなご)。何を分からぬというのだ。私を追い返すためか?
 聞仲よ」
硝子を砕いたような声は、静かに男の耳に染みこんで行く。
「まぁ、いい。崑崙からの侵入者。私が行こう」
「いや、あんたはまだ動かさねぇぜ、姚天君」
握り締めた手。
「あんたの出番はもっと後だ。それに……張天君がもうあいつとやりあってる」
十天君の一人、張天君。
獣の仮面に素顔を隠し、砂を自在に操る仙女。
(先を越されたか……張天君…………)
「やっぱ、息子には会いたいもんか?姚天君」
「…………………」
すい、と伸びた手が瞬時に王天君の首を掴む。
振りほどく間もないほどに。
「余計な口は出すな。私は教主の配下。お前の手下ではない」
その下の素顔は、どんな瞳の色をしていたのだろう。
けらけらと笑う王天君を横目に、姚天君は姿を消した。





「こんにちは、ヨウゼン。ようこそ金鰲島へ」
獣の仮面の下、小さな唇が真っ赤に笑う。
覗く歯の白さ。元は動物の妖怪仙人。
「私の名前は張天君。金鰲十天君の一人。いや、貴方の母君の親友と言おうか?」
くすくすとこぼれる笑い声。
まだどこか幼さの残るそれは、やけに神経を苛立たせた。
「……母上……?」
「そう、貴方の母君。憶えては居ないのかい?薄情な息子だ」
伸びた爪がさらら、と砂をすくってヨウゼンを指す。
「三尖刀。貴方の母君が指を削って作った宝貝。あらゆる物を斬り、何にも傷を付けられる
 ことのない唯一無二の鉱石で作られたもの」
張天君の話し方から察するに、彼女の指す人物が十天君の一人であることは想像できた。
しかし、元が鉱石の仙人では漠然としすぎている。
「母上は、お元気で?」
「ああ。お前の首を持っていけば喜ぶだろうね」
舞い上がる砂がヨウゼンの周りをゆっくりと取り囲む。
「砂の中で骨におかえり。天才道士ヨウゼン」
雷震子の翼で砂を弾いて、ヨウゼンは宙を飛ぶ。
どれだけ払っても、遠ざけても砂は彼を追いかけその動きを封じようと形を変えてくる。
「……時間がないっていうのに……」
三尖刀が砂人形を砕く。それでも砂の手は伸びて彼を掴もうと蠢いて。
まるで、嫉妬に駆られた女のようにヨウゼンを捕まえようとする。
「……どうして、攻撃を止める?」
「戻っておいで、ヨウゼン。ここなら貴方を受け入れられる」
伸びてくるのは異形の手。
「自分を偽って人間(ヒト)のなかで生きていくのはつらいだろう?妖怪は人間には
 残酷かもしれないが、同胞には寛容だ。さぁ、ヨウゼン」
この手を取ってしまえれば、楽になれる。
空気に溺れるようなこの苦しさから開放されるのに。
「おいで、ヨウゼン。今ならまだ間に合う。母君も……」
愛されたいと願ってきた。
この手を引いてくれるヒトをずっと探して。
けれども、『愛されたい』と願ってばかりでは誰も抱きしめてはくれない。
自分で誰かを『愛する』ことが出来てこそ、愛されるのだから。
「……遠慮しておくよ……」
「そうか。残念だ」
くすくすと笑う唇。それと同時に起こり始める急激な風化。
「言い忘れていたけれども、ここでは私以外は急激に風化して砂になっていくよ。ほら
 …………貴方自身も乾いてきたはずさ」
ぱらら…と剥がれ落ちる皮膚。折れた爪、朽ちて行く肌。
「乾いておしまい、ヨウゼン」
笑う女の声に反応するように、ヨウゼンの周りの空気がゆっくりと渦を巻いていく。
「……ねぇ、真実を見せようか?張天君」
「…………ほう…………」
「ただし、君の命と引き換えだ」





「公主、わしの予想ではヨウゼンは金鰲の内部へと侵入しておる」
太公望は前に進み出て、画面を引き寄せる。
ぱらぱらと光の粉をまきながら、生まれた画面には金鰲島の姿。
「ヨウゼンは必ず防護壁(バリア)を解除する」
「でも、そんな保障は無いよ。太公望」
太乙真人の声を制して太公望は続けた。
「公主、金鰲島に向かって全速前進じゃ」
もし、ヨウゼンの策が失策ならば崑崙山の仙人道士は全て封神台直行の運命となる。
それでも彼女は進めというのだ。
「ヨウゼンが間に合わなかったらどうするのさ」
「間に合うよ。ヨウゼンはその程度の男ではない」
それだけの時間は重ねてきた。
裏も表も悲喜交々で分け合ってきたかけがえの無いもの。
「公主、進んでくれ」
「信用しておるのだな、ヨウゼンを」
「信頼じゃよ」
口にすれば簡単な言葉も、その本質を分け合うには重いもので。
此処にたどり着くまでに、酷く遠回りをした。
静かに絡めた指先、運命の糸を手繰り寄せて。
二人で揃えてその指を切り落とせるならば、痛みもまた良いとさえ思えたのだから。






(吐きそう…………まだ、確かでもないのに……)
口元を押さえて、誰にも気付かれないように回廊に出る。
壁に手を付いて、どうにか身体を支えながら呼吸を整えた。
「普賢真人様。どうかなさいましたか?」
「何でもないよ。それよりもここは良いから君たちは担当の場所へ……」
「いい気になりやがって。糞餓鬼が。男の力で十二仙に入ったくせに」
それは聞きなれてきたはずの言葉だった。
それでも、今の彼女にとって聞き流せない何か。
「…………欲しい?この地位が?」
振り向かずに、普賢は続ける。
「だったらあげるよ。仙号も、仙名も。ボクを人間に戻して」
残された時間はあと僅かしかない。
もしも。
もしも、自分が一道士のままであったならば。
彼が師表たるものでは無かったならば。
互いが人間であったならば。
そんなことばかりが、喉をゆっくりと締め上げてくる。
「ただ幸せになりたいだけだった。どうしてそれさえも奪うの?」
「え…………?」
「私と、あのヒトと、この子と、ただ静かに生きていたいだけなのに。どうして奪うの?」
静かに振り向く顔。
「答えて。どうしてボクたちなの?何故?何故!!」
それは、普段の彼女からは見られない感情の暴走だった。
「普賢!!落ち着け!!」
押さえこんできた気持ちは行き場所を求めて、その牙を相手に向ける。
本当は、そんなことをしている時間さえないのに。
「すまない、ちょっと体調が悪いんだ。騒がせてしまって」
道士達が去ったのを確かめてから、男は少女を抱きしめた。
腕の中の魂は、苦しいと泣き叫ぶ。
「どうしたんだ?お前らしくない」
「だって……!!」
「よしよし。普賢はいい子だな〜〜〜〜」
「道徳!!」
子供を抱きしめるように、彼は彼女を抱きしめる。
それは恋人の抱擁よりもむしろ、親子のそれに近い感じがした。
「良い子だから……これ以上悲しいことは言わないでくれ……普賢……」
何度も言い聞かせてきたはずの答えでも。
それをいざ受け入れることが、怖くなってしまう。
「媽媽(ママ)いや……その前に奥さんとかそんな感じに……」
「……………………」
「信じようぜ。太公望のことを」
そっと、腹部に下がる手。
「……あと、どれくらいしたら膨らむんだろうな……」
いつかの日。
窓から眺めた紫陽花は、洞府の名前に相応しく咲いていた。
同じように、慈しみこの気持ちを育ててきた。
耳を当てれば確かめられるほど近い場所にあるこの鼓動が。
もうすぐ消えてしまう。
「……嘘つき……っ……」
ぽたり。こぼれる涙を拭う小さな手。
「本当の言葉より、今のお前に必要なのは優しいウソだと俺は思うよ……」
「……ぅ……あ…ッ……」
殺した泣き声。
「やっと、お前が泣ける場所になれたよ……普賢……」
君がその手を伸ばして求めてくれるから。
世界中を敵に回しても、君と二人で居られることを幸せに感じた。
子供だったのは自分のほうで。
君が苦しいと叫ぶのを耳を塞いで聞かない振りをしていた。
散り行くならば、君と手を繋いで。
最後まで無駄に足掻いて大地を蹴ろう。






砂の世界の仙人は、唇を小さく噛む。
「半妖態か。その髪。その眼。貴方は母君によく似ている。いや、父君にもか」
姚天君の声をさえぎるように砕かれる砂人形たち。
「!?」
「今度は君の首を折ろうか?張天君」
不適に笑う男の唇は、血の気の失せた死色。
灰鼠の長く伸びた髪に、石榴色の瞳。
外套を纏い、三尖刀構えるのは正しくヨウゼンのはずだった。
「まさか。この空間で私に勝てると思うのか?ヨウゼン」
「今の僕なら、可能だ」
ちゃら…と首に繋がれた髑髏が悲鳴を上げた。
「十天君に勝てると思うのか?」
砂はヨウゼンを取り囲むようにざわめき始める。
「なら、この空間を壊してみせようか?姚天君」
「面白い。貴方と私の根気比べだな。ヨウゼン」
姚天君の指先と、三尖刀の示す線が交差していく。
「どちら勝てるか、始めようじゃないか」







空間に浮かぶ球体を星とするならば、さしずめこの島は宇宙となる。
「よぉ……張天君。ヨウゼンのやつはくたばったのか?」
防護壁の装置室。それを守るように座るのは王天君。
「ああ、骨と皮だけになったよ」
「やめろよ。らしくねぇぜ……ヨウゼン」
張天君の姿を解いて、ヨウゼンは前に進む。
「まぁ、やれると思ったぜ。何せあの御方の血を引いてるんだからな」
「……そうだね……父と、母の……」
以前に金鰲島に進入したときに、父と母のことを彼は知った。
母親が十天君の一人であること。
鉱物を基盤とした妖怪であり、教主の側近として佇む姿。
自分の名前は母親の仙名から一文字取ったということも。
「自分が何で崑崙に預けられたかも知ってんだろ?」
「ああ…………」
「なら、何のために俺たちと戦う?俺たちは同じだろう?ヨウゼン」
だらりと下がった腕は、人間の姿を失いつつあった。
自分の正体を認めることの恐怖。
「解除はここを押せば良い。ヨウゼン」
けらけらと笑い声が空間に響く。
「けどなぁ……よーく考えろよ?お前はこっちなら受け入れられるんだ」
どれだけ人間の姿を装っても、どれだけ誰かのために尽くしても。
人間は妖怪に対しては残酷な生き物だ。
いや、同胞ですら殺し合いの対称にする。
「崑崙でお前の正体がばれれば、どうなるだろうなぁ?」
怖いのは一人になること。
それでも、手を差し伸べてくれた人が居た。
その手の暖かさは、今までの孤独を全て消し去ってくれた。
「僕は……そんなに優しい男じゃないよ。利己的で、自分勝手だ」
小さく首を横に振る。
「構わないよ。あのヒトの側にいるって決めたんだ。そのためにならなんだって出来る」
「王子様は恋に落ちたってわけか?」
「君には、分からない感情だろうけどね」
解除装置の前に進み、静かに手を伸ばす。
「人型保てないくらいに消耗してんなら、俺にでも殺せるなぁ。ヨウゼン」
「誰かを好きになるっていうのは、理屈じゃないんだよ。きっと」
瞼の裏にはあの日の笑顔が。
鼓膜の奥には自分の名前を呼ぶ、あの優しい声。
(……望……僕は…………)
震える指先が、装置に触れる。
長く伸びた爪。妖怪の忌まわしき手が。
(貴女が僕を信じると言ったように、僕も貴女を信じてるんです)



運命の糸を断ち切って。
自分の進むべき道を、今―――――決めた。





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1:17 2004/09/05

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