◆篝火◆





舞い散る雪を掌にとどめて、彼女は笑う。
これで何度目の冬なのだろう、と。
「ご主人、風邪ひくっす」
「もう少ししたら、寝るよ。スープー」
鼻先を撫でる手もひんやりとして、外気に身体を晒すには厳しい夜。
夜着から覗く肌は、雪にも引けを取らない白さ。
「天祥がまた、ぐずるであろう?わしのことは気にせずともよいぞ」
「でも、ご主人はいっつも無理するっすよ」
「今宵は冷えるからな。早めに休むよ。少し、湯あたりしたから、冷やしてからな」
四不像を見送って、欄干に腰掛ける。
ここは、かつてあの人が佇む事を込んだ場所。
月明かりはまるで篝火。
はららと落ちる雪を照らす。
「そこに居るのだろう?出てきたらどうじゃ?」
少しばかり離れたところに、浮かぶ薄白の影。
「……姫昌……」
影はゆっくりと人の形を成して、近付いてくる。
「……寒いじゃろ?こっちへ……」
雪華が見せる小さな幻影。
その手を取って、静かに扉を閉めた。




「おぬしとこうして呑むのも久しぶりじゃのう」
短く切られた少女の黒髪。
どこか少年にも思えて、目が奪われる。
「随分と若返ったのう。わしがおぬしを初めて見たときと寸分違わぬ」
花茶に湯を注ぎ、碗を差し出す。
立ち込める匂いは凛として、まるで彼女の様。
「雪でも見に来のか?」
唇が、微かに動く。
それでも、その声は太公望には聞こえない。
「そうか。わしのことが気がかりか」
その動きだけで言葉を読み取って、彼女は碗に唇を当てた。
夜着から覗く柔肌。
男ならば、触れたいと思わせる何かが彼女にはあった。
「もうじき一度、崑崙に戻るよ。すぐに帰ってくる。少しばかり用事が出来た」
男の手が頬に触れる。
冷たい手は、彼が亡人であることを彼女に伝えた。
「変わらぬ手だ。昌」
隣に並んで、見上げた地平は。
まるで自分たちのようだったと彼女は小さく笑う。
この国の母と誰かが彼女を称する。
そして彼女は父は文王姫昌に他ならないと答えるのだ。
「……しょ……う……」
その手がゆっくりと、彼女の頭を優しくなでる。
労をねぎらう様に、何度も、何度も。
愛しげに笑う唇と、細まる瞳。
胸が締め付けられて、ぎゅっと目を閉じた。
この恋はまだ、確かに息衝いていて。
触れられるだけで身体が熱くなる。
「……わしに、触れられるか?」
額に触れる唇。
冷たいはずの唇が、ほんのりと温かく感じられる。
それは、彼女の勝手な思い込みだったのかもしれない。
それでも、彼がここに居て自分を抱いていてくれるというこの事実を。
それが幻像であっても。
「夜が明ければ……消えてしまうのか?」
頷く顔に、曇る瞳。
「……そうか……仕方あるまいて……」
前よりもずっと魅惑的に笑い、彼女は一回りも二回りも成長した。
軍師として指揮を執り、王の傍らに佇みその双眼で世界を見据える。
男と同じ顔を持つ、彼の息子と共に。
「……昌……」
抱きしめあって、確かめ合えるはずの体温が、ここに無いことが。
感じられるはずの血の流れが無いことが。
自分と彼を遠ざけてしまう。
それでも、懸命に手を伸ばしてその背を抱いて。
胸に顔を埋めた。
右耳に伝わることの無い、心音。
「……一度、こうして……おぬしを抱きしめたかった……」
この恋を終わらせて、前に進むために。
きっとこれは誰かがくれた奇跡なのだろう。
「……ずっと……好きでした……西伯侯姫昌……」
言えないままの片道の心を。
あなたに届けて。
「ただ、あなたの隣に居たかった……あなたを王として、その隣に立ちたかった……」
少女の背を抱いて、強く抱きしめてくる腕。
いくつも重ねた「もしも」は。
形にならないからこそ、悲しくて美しい。
「私のこの命は……あなたが愛したこの国のために使いましょう。この心は……」
男の瞳を見つめて、言葉を繋ぐ。
「あなたと一緒に、連れて行ってくださいませ。望としての、この想いを」
さようならのかわりに。
この想いをあなたに。
『……望……』
懐かしくて、優しい声。
ぽろぽろと零れる涙を払う指先。
「……昌……」
ゆっくりと重なる唇。
ほんのりと熱くて、また、涙がこぼれてしまう。
『泣かないでくれ。お前に泣かれるのが一番辛い』
「昌は……望を置いていくから……ッ……」
『困ったな……連れて行きたくなる。そんな顔をされると』
最初で最後の口付けは、忘れないほど甘くて。
どこか、悲しい味がした。
『風は、俺の居るところにお前の声を届けてくれる。いずれ、お前が地に帰るときは……』
頬を包む大きな手。
『そのときは、逃がさないように捕まえよう。お前が俺の最後の女だ』
「……昌……」
あなた手が、声が。
わたしを引き留めて、そして前に進ませる。
「私が、天に召されるとき……捕まえてくれますか?」
『ああ。今度こそ、離さない』
「それだけで……望は戦えます。西伯侯」
誰に抱かれても。
この心だけは生涯一人へと捧げたから。
自分に口付けることも、自分を抱くことも無かったあの人に。
「お慕い申しております……羌族の田舎娘では釣り合いが取れませぬが……」
『田舎娘など、俺には見えぬが?』
「この国の未来を、見つめてくれますか?」
彼が一番に見たかったはずの未来を。
この瞼に焼き付けて。
最後にこの瞳を閉じるときに、全て思い出していこう。
「最後に、もう一度だけ……望に接吻してくださいませぬか?」
『困った子供だ……ますます手離したくなくなる』
これがきっと。
最後の接吻(キス)だから。
唇が離れるのと同時に、次第に男の姿が溶けていく。
「……昌……」
絡まりあった糸が見せた甘い甘い夢。
夢はいつか覚めてしまうからこその夢。
人がそれを望めば、儚いものに変わってしまう。
『……望……』
最後に聞いたその声を、胸に閉じ込めて。
少女は、女へと駆け上がる。
その手に携えた風と光。
胸に抱いた、甘い思いと共に。





幸せな思いは、ただただ心を満たしてくれる。
「雪見酒もいいのう……」
頬杖をついて、太公望は窓の外を見る。
ちらついていた雪は、いつも間にか当たりを真白に染めていた。
「師叔、どうかなさいましたか?」
「……のう、ヨウゼン。雪見酒でも呑まぬか?」
「雪見酒?風雅ではありますね」
「少し、わしの愚痴と昔話に付き合って欲しいのだ」
「喜んで。ゆっくりと聞かせてもらいますよ」



今宵も雪は降り積もる。
この心にも。




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1:16 2004/12/25     

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