◆閃光と静寂◆





「はじめまして、君はどこから来たの?」
顔を上げれば異国風情を漂わせる少女の姿。
白銀の髪に灰白の瞳。ほっそりとしてどこか儚げにさえ思える。
「…………………」
「ここ、寒いでしょ。私もまだそんなに日は経ってなくて……」
にこり、と笑って傍らに座りこむ。
白の道衣はまだ仙籍に入らないものの証明。
「私、敞凉鈴。君は?」
「……呂望……」
「あっちの方が暖かいよ、望ちゃん」
手を取って、日当たりの良い方に少女は導いてくれた。
それが、最初の記憶だった。
この時、敞凉鈴は十五。呂望はまだ十二歳だった。





殷后妲己により、羌族はただ一人を除いてその血は絶たれた。
統領の血を引くただ一人の少女が、この呂望である。
因縁を携え、皇后を討つ為に仙道となる事を決意し崑崙へと来た。
その運命と真実など何も知らないままに。
「望ちゃん!!」
向こうから手を振りながら近付いてくる姿。
「……………………」
「あのね、今から私たちのお師匠様と仙号が決まるんだって。行こ」
春の花のように、彼女はいつも穏やかに笑う。
何も苦労などせずに来たのだろうと少女は瞳を曇らせた。
「どきどきするね、誰の所に行くんだろ」
「………………」
自分には時間が無い。早々と力をつけなければならないのだ。
「こちらへどうぞ、御二方」
謁見の間へと通されて、二人は始祖に深々と頭を下げた。
ここで、自分の運命は決まるのだ。
「敞凉鈴、呂望。おぬしら二人はわしが面倒を見る」
その言葉に、灰白の瞳が始祖を見上げた。
通常、開祖は道士から育てる事などまず無い。仙人に師事し、仙号を得る際に能力が
高ければ幹部集団の十二仙のどこかに再び徒弟するのだ。
始祖の直弟子となるものは、余程の力を持つものでしかありえない。
「敞凉鈴、おぬしは只今から普賢と名を変える」
「はい」
「呂望、おぬしは太公望と名乗るが良い」
「……はい」
似たような年端の少女二人は、開祖を師として同室での生活を命じられた。
すべては仕組まれていたとも知らずに。
この時から二人の運命はすでに決まっていたのだ。
「望ちゃん、驚いたねー。元始さまに指示するんだって」
「…………そうだね」
崑崙の最高位につく男の指示すれば、おそらくは最短時間で仙人になることが出来る。
(父上、母上……仇は望がとります……今しばらく御待ちくださいませ)





それから半月ほど経ったある夜の事。
風呂上りの普賢の足首に、ふいに目が止まった。
「普賢、それ…………」
踝に絡みつくように彫られた花模様。
「ああ、これ。ボク、ここに来なかったらどこかに売られてたから」
「!!」
「お父様も、お母様も……みんな人狩りにあったんだ。ボクだけが生き残った」
まだ雫の残る髪を、窓から零れる月明かりが彩る。
まるで異教の人形のような肌。
「私も……一族を人狩りで亡くした。私だけが生き延びてしまった。皇后さえいなければ
 誰も死なずにすんだ!!だから。だから……私は強くなって皇后を討つ!!」
太公望の言葉に、普賢は小さく頷いた。
「ボクも、強くなって望ちゃんの力になるよ」
そっと手を伸ばしてその小さな身体を抱き締める。
「がんばったね、偉かったね……望ちゃん……」
誰かの暖かさは、凍った心を一瞬で溶かしてしまう。
この日から、生涯の親友として歩み始めた。
これが、始まりの夜だった。




始祖の指導の下、二人の少女は急速にその力をまして行く。
たった数十年で仙人同等の能力を得、仙号を得るのも時間の問題だと囁かれた。
僻みも妬みも八束水も、二人でゆらりとかわしていく。
「普賢、ちょっと下までいってみんか?」
桃を一つ齧り、もう一つを親友に手渡す。かりり…と小気味良い音がして甘い唇が妖しく濡れた。
「でも、どうやって?」
「じじいの黄巾を奪う。わしら二人ならできると思わんか?」
仙界の悪童二人と立派な字も付いた。
高嶺の花に手を出せば、うっかり墜落死も免れないほどに。
「いいね、それ。元始さま胡麻団子好きだからそれに一服もればいいんだよね」
「それだ!!行くぞ、普賢」
甲斐甲斐しく茶菓子と銘打って、二人はそれを始祖へと謙譲する。
愛弟子二人の手作りに加え、愛らしい少女二人。
始祖も枯れても男であるが故に断る所以もない。
「二人で作りました。お口に合えばよろしいのですが……」
恭しく呟く普賢に、太公望は笑いを堪えるのに必死。
「元始様の好きな、餡を作るのも苦労しました。白鶴もどうじゃ?」
そう勧められれば断れないのを良い事に太公望は白鶴童子にもそれを差し出す。
胡麻と一緒に振り塗された痺れ薬。
ここ数日薬理を真面目に教授したのはこのためだったのだ。
目論見通りに事を運び、二人は黄巾力士で西へと向かった。
「気持ち良いねーー!!ボク達もこれ、もらえるのかな?」
風に靡く髪と、二つの笑い声。
「あったら便利じゃのう。しかし、霊獣も捨てがたい……ううむ……」
「ね、望ちゃん」
「何じゃ?」
「ボク、十二仙の空席を狙おうと思うんだ。仙人になるよ」
唐突な告白に言葉を失う。自分と同じように道士として気ままに過ごして行くものだとばかり思っていたのだ。
三十年足らずで二人は仙人同様の力を得た。五行の荒行にも二人だから耐えられた。
いつの日も、どんな時も二人で乗り越えてきた。
「仙号を持てば、望ちゃんとずっと一緒に居られる。玉虚宮にも出入りが自由だし」
「……何ゆえ急に……仙人になどと……」
「踊らされるくらいなら、自分で踊ろうと思ったんだ」
「?」
小さな包みを取り出して、膝の上で広げる。
淡い桃色の麻布と、竹で編まれた小さな箱。中には胡麻団子が四つ鎮座していた。
「食べよ。これには何もはいってないよ」
「……………………」
「ね、望ちゃん……ボクね、もしかしたら少し変なのかもしれない」
ぽつりぽつりと零れる言葉と、親友の気持ち。
自分の知らないところで、少女はゆっくりと女に変わろうとしていた。
さなぎか羽化する前のように、本の少し力を入れただけでも壊れそうな心。
「どうしてなのかな……胸が苦しい」
「それは、恋じゃな。その痛みはわしにもわかるぞ」
この身体は十七でその成長を止めた。心だけが静かに成長していく。
「どうしたらいいの?」
手を伸ばして、親友の細い背中を抱き締める。
昔、自分がそうされたように。
「大丈夫じゃ。おぬしなら何とかなる。おぬしを泣かせるような奴にはわしが飛蹴りを
 御見舞いしてやるから不安がるでない」
「うん……ありがと……」
「して、相手は誰じゃ?」
「あのね…………」
「!!」
笑い声が二人分、澄み切った空に響き渡る。
飛蹴りの際には爪先に鉄板を仕込む、と付け加えて。




気が遠くなるほど長い時間だったのかもしれない。
けれども、瞬きをするよりも短い時間だったのかもしれない。
何かをなすには必ずしも犠牲は付き物となる。
ただ、それが自分だけだったということ。
けれそも、これが自分を捨てる行為だなんて微塵も思わない
自分で出した答えなのだから、同情も憐れみも要らない。
ただ、悲しんでくれればそれでいい。





「さよなら、望ちゃん!!」
「普賢!!」
手を伸ばしても、彼女の影にすら触れられない。
大規模な爆発は残っていた星を全て破壊しつくして、飲み込んでいく。
渦のような熱波と破壊音。
「いけない!!太公望師叔!!普賢さまの爆発の規模が大きすぎます!!」
力無く項垂れる少女を庇うように、霊獣が瓦礫をかわしていく。
「逃げるっすよ!!御主人!!」
「…………………」
色を失った瞳と、唇。
「御主人……?」
崩れ落ちる動力炉と、核となってい巨大なる星。
金鰲という名の器だけが、ただそこに残った。
「……ぅ……師叔……?」
瓦礫を掻き分けて、身体を起す。そして広がる光景にヨウゼンは目を瞠った。
目を覆いたくなるような惨状と、骨すら残さず散っていった師表達。
「!!四不象!!」
少女を守るように変化した霊獣。
ただ立ち尽くして、太公望は爆発で生じた穴から空を見上げていた。
「師叔…………」
「……ヨウゼン、わしはこうなるであろうことがわかっておった……」
親友の性格と、師表という重い立場。
彼らがこの決断を下すことも、どこかで予想はしていた。
「わしは、そんな心につけこんだ……なんという策であろうな……」
「でも、死なすつもりは無かったのでしょう?それに、十二仙を使わなければ聞仲を
 倒す事など出来なかった。普賢様の核融合でなければ、どうにもならなかったし……」
静かに少女は視線を青年に向けた。
「聞仲は死んではおらんよ。だからこそ、あやつらが浮かばれぬじゃ」
「そんなはずは……黒麒麟に乗ってない状態であの爆発の直撃を受けたのですから!!」
少女の指が一点を指す。
「普賢の爆発の余韻を見よ」
熱波の中から浮かぶ霊獣の影。
「そ……そんな馬鹿な!!」
『おい、太公望。聞仲の野郎の気配が消えたぜ』
四不象の声に、静かに答える。
「おそらくは崑崙へと向かったのだろう。あやつからはわしらが見えておらんであろうからの……
 位置が明白な元始天尊さまをまずは倒しにいったのじゃ」
霊獣の背を、そっと撫でる。
「わしらも行こう。スープー」
「こんなことを言いたくはありませんが……行っても無駄死にするだけですよ、師叔」
いっそ、自分も一緒に死ねたならばどれだけ楽だっただろうか。
しかし、親友が選んだのは自分を生き残らせるための死だったのだから。
「わかっておるよ。勝算など無いことも」
ただ、前だけを見つめる瞳。
「だが……もはや引き返せぬのだよ。ヨウゼン」
この戦いを終らせるために、逃げる事は許されない。
これが自分に課せられたものなのだから。
「……………」
足元に転がる小さな耳飾。
藍玉に皹は入っているものの、爆発の際に弾き飛ばされながらもその姿を留めている。
「……普賢……」
拾い上げて、懐にしまいこむ。
(おぬしの一番帰りたかった家に……今、連れて行くから……)




上昇していく四不像の背に、顔を埋める。
もう二度と、戻れない道。
「太公望師叔、蝉玉くんたちも生きてると思いますが……このまま残していっても……」
爆発の中、薄膜のような重力の壁が自分たちを守っていた。
衢留孫を始めとする先代からの四人の幹部。
文殊広法天尊と道行天尊の二人が生み出した重力の壁だった。
愛弟子と、若い命を守るために残した最後の思い。
「それは武吉に任せよう。その辺の事ではあやつほど信頼の置けるやつはおらんからのう」
身体を包み込む、温かな光。
「……ん……?」
『オメーまだ、王天君のダニに寄生されてんだろ?ついでに取ってやるよ』
「かたじけない……スープー……」
終り無き旅を、共に歩む大切な仲間。
これほどありがたい存在が、他にあろうか?
彼もまた、少女と運命を共にする覚悟を持っているのだ。
『勝ち目のない戦いだぜ?オメーも行くのか、ヨウゼン』
そして、青年もこの戦いで多くの物を失った。
それでもまだ、目を逸らさないで前を見つめようとしている。
「ここまできたら最後まで付き合いたいんだ……行きましょう、太公望師叔」






謁見の間に次々に集まる道士たちに、不安の色が漂う。
「十二仙が……全滅した」
始祖の言葉に、道士たちは声を失った。
つい数日前までには崑崙の師表として、自分たちを纏め上げていた物達が全滅したと言うのだ。
「元始様、誰一人として残ってはいないのですか!?」
「うむ」
その言葉に、公主は唇を噛んだ。十二仙には道行天尊も座しているのだ。
(母上……)
総攻撃をもってしなければ、倒す事は不可能だった男。
そして、それでもまだ聞仲はその命を失ってはいないという事実。
「では、聞仲は?」
「ここに向かっておる」
十二仙亡き今、崑崙で聞仲と同等に渡り合える仙人は皆無に等しい。
「なら、聞仲の相手は儂がでよう」
「ならぬ。おぬしはここの道士を守れ」
「しかし!!」
女の言葉を遮る、老人の声。
「聞仲には、わしが当たろうぞ。公主」
「……………………」
「白鶴。治癒室にいる太乙達にもこれを伝え、注意を喚起せよ」
この戦いが、最初で最後になるだろう。二つの仙界を巻き込んだ大きな茶番劇。
(何のための……誰のための戦いなのだ……)
死は悲劇的なほど美しく見える。けれどもそれは対岸の火だからこそ。
呻き、痛み、目を覆いたくなるようなあの惨劇を見てもまだそう言えるのだろうか。
星一つ無い夜のように、朝ははるか遠くにさえ思える。
明けない夜などありはしないと、自分に言い聞かせた。





長く伸びる回廊を、男は霊獣を従えて進み行く。
流れ落ちる血もそのままに、一人の男の元へと。
「聞仲様、御体に傷が……」
「流石は十二仙だ。忘れていた肉体の痛みを思い出させてくれたよ」
爆発間際の少女の笑み。
命を抱えてもなお、その命を武器に自分へと挑んできた。
「しかし、太公望とヨウゼンはいまだ生存しています」
「探す手間よりも、元始天尊を討ったほうが早いだろう?」
視界に入る朱塗りの扉。
ここが、崑崙で最も奥まった場所。
迎えるようにそれは静かに開いていく。
「行くぞ、黒麒麟」
始祖の前に歩み出て、聞仲は深々と頭を下げた。
「あなたが崑崙の教主、元始天尊ですね?」
二人の視線が重なる。
「いかにも」
「では……殷の為に、消えていただく!!」
「痴れ者めが!!」




灰すら残さずに砕けた命。
引き返す道はもう無い。
この手で終らせるために。
これが、終わりであって始まりになるのだから。





              BACK




15:54 2005/08/23

Gポイントポイ活 Amazon Yahoo 楽天

無料ホームページ 楽天モバイル[UNLIMITが今なら1円] 海外格安航空券 海外旅行保険が無料!