◆南向きの窓◆





「太公望殿!!」
「おお、武成王ではないか。どうした?暇でももてあましたか?」
首をこきり、と鳴らして少女は男を見上げた。
「はて、その花は?」
「今日は嫁の月命日だ。せめてあいつの好きな花くらいって思ってな」
両腕に抱えられた大輪の向日葵。
「そうか、よく似合いそうな花じゃ」
「一日暇を貰った。今日も暑くなりそうだ」
男の背中を見送って、少女は天を仰ぐ。
彼の妻は、自分が殺したと言われても相応無い。
胸が痛まない日は無いが、泣いているほど時間に余裕もなく。
目の前の壁を越える事で手一杯の毎日だ。
霊穴での瞑想も、真夜中に剣を振るうことも。
来るべき戦いに備えての事。
「太公望?」
「…………発」
「こうも暑いとたまんねーよな。何か甘くて冷てえもんでも食いて……食いに行くか」
何かを思い立ったように発は一人でうんうんと頷く。
そして少女の手を取って、一気に駆け出した。
「こら!!わしには仕事が!!!!」
「超美味い甘味処。氷菓子も沢山あるぞ」
「……ちょっとだけなら……」
この方が手早いと、発は少女を肩担ぎにして城門を飛び越える。
脱走は慣れたもので追いつける者など殆どいない。
何しろ、諌める太公望本人を拉致しての強行だ。
「発!!」
「行動は迅速かつ速やかにが信条だろ?軍師さま」




なじみの店だと笑って、発は太公望を手招いた。
手早く着替えて、男は少女に包みを渡す。
「その恰好じゃ目立つだろ。着替えろよ」
「菓子を食うだけなら、道衣(これ)でも構わないだろう?」
「友達(ダチ)に紹介してぇんだよ」
ぱらり…頭布が解かれて黒髪が零れ落ちる。
櫛を通して癖を取り、手渡された包みから服を取り出す。
白と薄桃の糸で羽根と蔓模様が織り込まれた、夏向きの生地。
袖無しの上着と、短めの裙子(スカート)から覗くふわふわの花邊(レース)が視線を奪う。
「んー……飾りが足りねぇな」
裾が気になるのか、端を押さえてしまう指先。
「それは、取れねぇもんな」
左の手袋を外す事は求めてはいけないこと。
「ま、いっか。美味いもん食って、たまには仕事とか紂王とか面倒なことは忘れよーぜ」
「おぬしは、いつも忘れておるがのう」
「あらら、そういうこと言ってくれる?」
腕を組んで街を歩いて、人間のように立ち振舞える事。
自分が初めてこの地に降り立ったときよりも、随分と様変わりした。
「その分、いっつもわしが旦に叱られるのじゃ」
「あいつめ……俺にもいってお前にも言ってのかよ」
「構わぬよ。その埋め合わせも兼ねておるのだろう?」
くすくすと笑って、腕に抱きついてくる姿。
軍師殿にいるときには見せる事の無い表情に、どきりとしてしまう。
普段は隠されている魅惑的な脚。
陽の光を浴びてきらきらと輝く。
「あ、ここだ。暫く逢ってなかったからなー」
そっと指と指を絡ませる。
彼女の右手を引いて、男は中を覗いた。
「あ、発っちゃーん!!こっちこっち!!」
「発っちゃん、久しぶりーー!!」
武王として即位しても、変わらずにつきあってくれる昔からの大事な仲間。
彼の人柄と人徳がそれを成すのだ。
「あれ?あったらしい彼女?」
紫煙が揺らめいて、少女は卓の下で小さく打神鞭を振る。
掻き消されるように煙は薄くなり、男は目だけで笑った。
「おう。んで、俺の大本命。結婚式にはみんな来いよ」
「発!!」
言葉を遮るように出された品書きを受け取って、太公望はそれを開いた。
「餡蜜と、氷菓子が食いたい」
「おねーさーん!!これとこれ二人分!!」
賑やかな卓上は、昔見た光景に良く似ていて。
あのころが懐かしさと言う鎖で胸を締め付けた。
(父上、母上……みんな……)
小さな蜜団子を兄と妹と分けあって食べた事。
羊と共に流れる雲を追いかけて過ごしたあの日々。
「!」
口元に当てられた匙の冷たさ。
「俺もよくぼーっとして、あんちゃんに怒られた。お前も同じだろ?」
自分だけが悲しいのでは無いから。彼もまた、父と兄を亡くしている。
「食おうぜ、暑いしな」
「……うむ……」
この男の周りを囲むのは、温かな光。
彼を支え護ろうとするものと、彼の力になりたいと願うもの。
(……技量では無い、王としての資質……)
あなたのために、このちからを。
あなたのために、このきもちを。
「発は、幸せな王様じゃのう」
「あん?」
「こんなに仲間がおる」
氷の上で踊るとなり合わせの小さなさくらんぼ。
自分たちはこの薄い氷の上を疾走して行く。
「発っちゃんの彼女ちゃん、面白い言葉使うねー?何歳?」
無邪気に笑って、少女は答えた。
「もうじき八十になる。わしは……!!」
太公望の口元を押さえて、男が言葉を続けた。
「十七だぜ?いいだろー。時々変な事言うけど、そこがたまんねーっていうか」
「可愛いねぇ。発っちゃんにはもったいないねー」
目だけでかわした言葉。
『今は道士じゃなくて、呂望。だから、十七で良い』と。
更に盛られた果実に手を伸ばして、男達の会話に耳を傾ける。
これが、年相応の青年たちの本音なのだ。
戦争など、誰にも何も与えはしない。
大義名分を引っさげた虐殺を、自分はこれから行うのだ。
「皆は……発が殷と戦うときはどうするのじゃ?」
衛兵は、多すぎることなど無い。強大な殷に勝つにはまだまだ足りない。
人間と仙道が共同して起す大戦争。
「決まってんじゃん、俺らも戦うよ!!」
「発っちゃんのために、一肌脱ぎましょー!!」
「任せとけって!!」
人に愛されて、国に愛された。
だからこそ彼の即位に異を唱える物はなかったのだ。
「彼女ちゃんは?」
「わしは……私も、戦うよ。この国は私達を受け入れてくれた」
道士ではなく、一個人として。
彼の為に、この国のために戦いたいと願った。
「私は、羌族の出なの。先の文王様は、私達を助けてくれた。だから、私も発の為にがんばる」
あなたのために、あなたのために。
この命を賭して戦うから。
「……望……」
「大丈夫。剣は父上と兄上が教えてくれた。私にもたくさん友達がいるもの」
まっすぐに見上げて来る瞳に、迷いなどなく。
今、ここにいるのは道士ではなく羌族の娘なのだと彼に伝える。
「俺らも居て、彼女ちゃんもいて、仲間も居て、彼女ちゃんの御友達もいる。発ちゃんが
 負ける要素なんて全然なしっっ!!」
空になった杯に酒を注いで、勢い良く煽る。
「威勢の良い御兄ちゃんたちだね。気に入ったよ、あたしの奢りだ!!呑みな!!」
店主と思われる女の声に、脇上がる歓声。
「あんがと!!おねーさん!!」
「御世辞まで上手いのかい?」
国益などと硬い言葉よりも、君の為にこのこころを。
あなたが望むなら、どこまでも飛べるから。




「美味かったのう、おぬしには気の良い仲間がたくさんおる」
手土産に渡された餡饅と桃饅が袋の中でくすくすと笑う。
「着替えるか?」
「いや、もう少しこのままで居たいから」
涙色の夜明けも、地の底までも、君と行けるならそれだけで素敵な所。
「発、ちょっと屈め」
「ん?こうか?」
同じ高さの目線になったのを確かめて、少女は男に触れるだけの接吻をした。
城内では絶対に起こりえない小さな事件。
「礼じゃ。少し足りぬかもしれんがな」



ずっと、いっしょにいてくれる?
ありがとう。でも、いっしょにはいられない……。


右手に重なって来る左手の温かさ。
この暖かさを、彼女の左はもう感じることが出来ない。
それは、壊れていく心にも似ていて。
もうじき始まる戦いのようにも思えた。
「ほら、これ」
しゃん、と背を伸ばした小さな向日葵。
受け取って、その胸に飛び込む。
「発、ありがとう」



このまま君を連れて、この偽りのせかいから連れ出したいのに。
君の足はこの世界と溶け合ってしまって動けない。
僕には君の足を切り落とす勇気がなくて。
ただ、その手を握り締めるしか出来なかった。



「帰ったら、これ食いながら徹夜じゃな」
けらけらと笑って、紙袋を指で突付く。
「徹夜!?」
「新法の案件を作っておったのじゃ。明日まで仕上げねばならぬ」
愛しげに袋を抱き締めて、頬をすり寄せる。
今、この瞬間は彼女が生み出す壁などもなく。
その心に触れることが出来た。
「俺も手伝うよ」
「おぬしは、それを暗記して皆の前に立つ。そっちのほうが大事じゃ」
「うー……暗記とか、苦手なんだよなぁ……」
いつもならば出てくる諌める言葉。その代わりに出てきたのは小さな呟きだった。
「しょうがないのう……憶えるまでは、わしもおぬしの徹夜に付き合うか」



きっと、君を救い出して見せる。
君がくれたこの翼で、僕は君を引き上げられるから。
君を一人にはさせない。君をこれ以上泣かせたりはしない。
だから……少しだけ待っていて。



組紐で纏め上げた黒髪に刺さる向日葵と、少しだけ焼けた素肌。
帰ってから残りの時間を彼女は政務室で過ごした。
(花は……枯れちまうもんな……)
夜間は昼よりも城内外の警備は厳しくなる。
流石の彼でもここを抜け出すのは至難の業だ。
「四不象、ちょっと頼みあんだけどよ」
「何っすか?」
霊獣にこそこそと耳打ちして、男はにししと笑った。
「しょうがないっす。御主人のためっす」




(ん……もう、朝……)
寝室に移る余力もなく、どうやらそのまま眠ってしまっていたらしい。
薄手の肩掛けと、畳まれた書状。
(……?……)
髪に感じる違和感に、そっと指を伸ばす。
花は、向日葵の髪飾りに変わってそこに鎮座している。
彼女に気付かれないように仕掛けられた小さな悪戯。
(ふふふ……嬉しいものじゃ……)



この、心に咲いた小さな花を。
枯らさないように、水をやろう。
君と二人で、この温かな日溜りの中で。
太陽に向かって咲く花のように、手をたたこう。





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14:08 2005/08/11       

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