◆心優しき獣の謳◆






「たまにはおぬしと二人だけでの散歩もよいのう」
黒点虎の背に乗り、太公望はからからと笑った。
空は快晴この上なく、仕事をさぼるにはもってこいの環境だ。
「申公豹、今ごろびっくりしてるかもね」
「何も言わずに来たのか?」
「うん。呂望と二人で出かけるのに、申公豹が黙って了解するとは思わなかったし」
柔らかい毛先が、手首をくすぐる。
背中にぎゅっと抱き付いて、少女は頬を寄せた。
「気持ちいいのう……このまま昼寝も出来そうじゃ……」
「申公豹も同じ事いうよ。昔からだけどね」
「…………………」
身体を起して、ぴんと伸びた耳をそっと掴む。
自分が知っている彼は、本の僅かな時間の物だけ。
「昔のあやつは、どんな男だったのだ?」
「んー、僕が知り合ったのはまだお師匠様のところにいたころだけどね」
「あやつの昔話など、終わりないものかもしれぬな」
耳元でくすくすと笑う声。
彼の住む洞府にはない音色の一つ。
不自由を感じた事もないが、満足を憶えた事もない。
「楽しかったよ。退屈な事も沢山逢ったけど、ここ数年は特に」
彼女と出会ってから、彼の喜怒哀楽がはっきりしてきた。
飄々とただ流れる時間を受け止めていた姿勢から、抜け出すかのように。
「数年?」
「呂望と会ってから。申公豹、毎日嬉しそうにあちこちを飛ぶよ」
「昔は違っておったのか?」
獣の耳は、柔らかき物。
触れているだけで、心に何か温かなものが流れ込んでくるよう。
「あんまり笑わなかった。百年に一回位ちょっと笑うくらい」
「まぁ、それほど笑う男にも思えぬが……」
「けど、呂望に逢ってからは良く笑うようになったよ。なんていうのかなー、表情が
 あるっていうの?僕、あんなに嬉しそうな申公豹みたことなかったもん」
最強の霊獣と言われる彼も、少女の前では猫に等しい。
柔らかな乳房が背に触れれば、どことなく笑みが浮かんでしまう。
「僕も、呂望が来てくれると嬉しいんだ。申公豹も笑うし」
「おぬしは、本当に申公豹の事が好きなのじゃのう」
抱き付いてくる少女を揺らさぬように、霊獣はゆっくりと東へと向かった。
「みんな、申公豹の事怖がるけど、呂望は怖がらないよね」
ふわふわと頬を擽る柔らかな毛質。
「あれを怖がるようでは、妲己など相手にはできぬよ」






巨大な菩提樹の下で、寄り添うように凭れ合う。
伸びた黒髪は胸の少しだけ上で小さく踊った。
「呂望は四不象とここに来るの?」
眠たげな目線を投げて、太公望は小さく頷く。
この場所は、彼女が現実から逃避するための秘密の場所。
そして、父母達の墓標がかすかに見える大事な場所でもあった。
「呂望は、申公豹の昔の事聞かないんだね」
物珍しそうに、霊獣は鼻先を少女に近付けた。
過去、主が関係を持った女は人間でも仙道でもあれこれと彼の過去を穿鑿するものが殆ど。
気まぐれに散歩する彼にとって、それはうんざりすることだった。
ところが、この少女は過去を聞きだそうとはしない。
「今と、そう変わらんのじゃろ?」
「うん。昔からあんな感じだもん」
持参した菓子と、竹筒に入れた甘茶を二人で平らげてぼんやりと時間を過ごす。
流れる雲を見上げて、太公望は小さく口を開いた。
「姜族もわし一人になってしまった。それ故かのう……何となくあやつの気持ちもわかるような
 気がするのじゃ。一人で生きて行きたいというのがな……」
寂しいと言う気持ちを共有できるからこそ、得られる関係もある。
この二人を結びつけるのは単なる情愛だけではない。
同じ価値観と信念という、もっと原始的で激情的なものが絡み合う。
知性派に見えて、その根底は感情型。
ただ、触れ合っているだけで安心できる。
「生まれるときと、死ぬときは一人じゃ。どんなに愛し合ってもな」
「申公豹も同じ事いってた。だから、誰も好きになれなかったって」
愛だけでは生きては行けない。けれども、この殺伐とした世界だからこそ。
きっと、人は愛が泣ければ生きては行けないのだろう。
矛盾する事柄が折り重なる事で構成されるこの世界。
出会ってしまえたこの奇跡を、愛しいと思えるのだから。
「んー……少し眠りたい……」
もふもふと頬擦りをして、少女はうっとりと目を閉じてしまう。
長毛種は、触れるだけで睡眠誘発剤となる。
幸せは途切れながらも続くと知った昼下がり。
「申公豹も、呂望も僕の事枕だと思ってるよ。絶対」
「気持ちいいからのう……」
「いいけどねー、女の子に寄りかかられるのは別に」





彼女の事を話すとき、彼はとても嬉しそうな顔をする。
主がこんなにも喜怒哀楽のはっきりした男だとは四千年以上一緒に過ごしてきたが
思ってもみなかった。
斜に構え、世界の憂いをただただ見つめる傍観者。
彼の師がそうであるように、彼もまた表舞台に立つことを好む男ではない。
帝位を蹴って道士となり、仙界最強と謳われても仙号を得る事もせずに時間を過ごす。
同じように天才と称される男は仙号を得て、道士としての生活を選んでいるのに。
彼は、飾りは要らないと呟くだけ。
流れる季節の真ん中で、取り残されたようにその断片を拾う子供。
それが、彼女に出会ってその生活が一変したのだ。
誰かを想い、手を差し伸べる。今までの彼にはない行動だった。
この世界でただ一つ、彼の予想から常に外れる少女。
それが、太公望という女なのだ。
(申公豹、何してるのかなー)
眠る少女を器用に背中に乗せて、霊獣はそっと空を駆ける。
主の笑顔のために。
(僕だけ幸せなのもずるいよね、それにブラッシングしてもらいたいし)
手入れに無頓着な主の代わりに、少女は邸宅を訪れるたびに自分の手入れをしてくれる。
初めの感情は驚きだった。そして、それは次第に安堵に変わった。
願わくば、主と添い遂げて欲しいというのが正直な気持ち。
浮気な彼女の心を射止めるだけの度量は、主にはあるのだから。






「黒点虎、これは……」
「御土産だよ」
「どこに行っていたのかは聞きませんが、随分と高尚な土産ですね」
道衣ではなく、普段着で男は腰に手を置いて笑う。
「起さないように、運んであげなさい」
「うん」
起きる気配のない彼女のために、男は鋏を手に庭へと足を向けた。
日々草を切って、花瓶に活けこむ。
「綺麗な花じゃのう」
「あなたとの日々を表すのに、これ以上の花はありませんよ」
君と過ごした沢山の日々、優しい日差しの中で輝石のように。
この大輪の花よりも、ずっとずっと美しいから。
「楽しい日々。それがこの花の意味です」
「わしにも、鋏を課してもらえるか?」
銀色のそれを持って、少女は同じように庭先に出る。
この邸宅の花畑は、申公豹の性格も相まってかなり手入れが行き届いているのだ。
「まだ、小さいのう……切るには惜しい」
背伸びする向日葵を裁つには、可哀想だと彼女は言う。
天竺葵(ゼラニウム)に鋏を入れて、一輪それを手に。
紫と薄紅の融和した色は、どことなく自分たちの関係に似ているような気がした。
「組み合わせがあれじゃが……向日葵はまだ切るには小さい」
「そうですね、貴女が好きだと言ったからたくさん植えて育ててるんです。この花の盛りに
 貴女がここに来てくれるように」
まだ孟夏までは時間がある。その間にもこの庭の花は変わっていく。
誰かの笑顔のために、何かをする事。
それを楽しいと思えるからきっと恋は不治の病となりうるのだろう。
「わしが黒点虎を借りたから、その格好なのか?」
「足がなければ、私でも動けませんよ」
思いがけない来訪者に、花も喜んで見えるから。
君のために、とっておきの甘い甘い果実酒を。
「西の方で手に入れた良いお酒がありますよ」
「ほう……それは楽しみじゃ」
もうじき、蛍火の美しい季節がやってくる。
それまでの小休止、こうして二人で時間を過ごすのもまた一興と彼は笑う。
人は強くて弱いから、誰かにより嘘ってしまいたくなる。
弱さはどうしても隠しがちになってしまう。
それが、恋人の前なら殊更に。
それでも、その弱さを知り認めてこそ、人はもっと強くなれる。
「おぬしは、わしを甘やかす天才じゃ」
「嫌ですか?」
「嫌ではないよ。ありがたい」
傍観者であるが故に、できる優しさもあるのだから。
君のためにこの手を差し出すことが、こんなにも嬉しいことだと知ってしまったから。





「飲酒運転は感心できんぞ?」
「同乗者にも、同じ責任がありますよ。呂望」
霊獣の背に乗って、酔い冷ましと洞府を飛び出す。
満月を追いかけて、風に揺られるのもまた良いと笑い合う。
「申公豹、明日は北の方に行こうよ。呂望も一緒に」
「楽しそうですね。しかし、どうして北に?」
「良い刷子(ブラシ)があるんだって。僕も夏気になるし一杯抜けるんだ。それに、今の
 刷子、かれこれ百年越えてるよ。呂望が使うからいいけど、申公豹は使わないもん」
いつでも、どこまでも、一緒に行ける誰かがいる。
それを言葉にすればきっと『幸せ』と言うのだろう。
古臭い言葉でも、在り来たりな言葉でも、消えずに残っているのは。
それ以外に表せる言葉が生まれてはこないから。
「おぬしも変わった男よのう……仙号を得ぬまま過ごす。ヨウゼンは仙号を得て、
 道士として過ごす。おかしなものじゃ」
くすくすと笑う小さな唇。
振り向きざまにそこに自分のそれをそっと当てて、静かに離した。
「一番聞きたくない男の名ですね」
「仙界最強と謳われても、天才道士は気に入らぬか?」
「ええ……強さなら、負けませんよ。それだけの力はあるのですから」
懐から雷公鞭を取り出し、申公豹は一点を見据えた。
少女の細腰を抱き寄せて、落下しないように身体を寄せる。
「西周は、あちらですね」
「な、何をする気じゃっ!!」
「牽制を」
先端から生まれた閃光は、西周上空で花開く。
「花火には、まだ早かったですね」
「何をしとるのじゃーーーーっっ!!!」
「自然界の現象との区別が付かないほど、彼も馬鹿ではないでしょう?」
「だぁほが…………」
言葉を遮って、再度唇が触れる。
君が教えてくれた『嫉妬』という感情。
「明日が楽しみです。北の方に行くのは久々ですから」
「しょーのない男じゃのう……」
「しょーのない男になるのも楽しいものですよ。呂望」





甘い香りを焚き詰めた室内で、じゃれあうように絡み合う。
「そうしてると、見かけ通りの年齢に見えますね」
「おぬしもな。わしとそう大差無いようにも見えるぞ?」
たまには脱がしあうのも悪くは無いと、互いに衣類を剥がしあう。
申公豹の上に覆い被さって、頬を寄せる。
「気楽じゃ、何も考えずとも良い……」
「私も、男ですよ。呂望」
覆い被さって、男は少女を組み敷いた。夜着の袷を解けば、上向きの乳房が露になる。
胸に走る傷を、ゆっくりと指先が確かめるように辿って行く。
「口を、開いて……」
入り込んで来る舌先に、それ以外の気持ちを感じるようになったのはいつからだろう。
取引として抱かれただけのはずだったのに。
「…ッ……ふ……」
胸板が重なって、ふにゅん…と乳房の形が変わる。
先端が擦れるだけで、もどかしい何かが身体を走ってしまうから。
ちゅぷ…口腔に先端が包まれて、吸われる度に呼吸が荒くなる。
ぬるぬると濡れた指先が、そこを押し上げた。
「ふぁ……ん!!」
左右を嬲る様に、舌先はそこをちろちろと這い回る。
「んー……ぅん!あ!!…っ……」
脇腹を擽るように手が滑り降り、細い腰をぐっと抱き寄せた。
「こんなに小さな身体で、戦うのは辛いでしょう?」
理解者はいつも優しくて、冷たい。
甘やかすだけが愛では無いと言わんばかりに。
指先が触れるだけで、火照るこの肌。
仙道にあるまじき、浅ましき身体。
「貴女は、人形のようですね……」
腰を抱かれて、ひくつく肉目と男の肌が擦れ合う。
「ああんっっ!!」
口元を押さえる手を外させて、自分の左胸に導く。
「一緒にいるだけでも、こんな風になってしまいます」
口付けは、何よりも甘いものだという事を教えてくれた男。
指先が、陰唇を開いて入り込む。そのたびに聞こえるくちゅくちゅという淫音。
「あ……ぅ……」
指が二本に増えて、抉るように蠢く。
男としては繊細な指先は、自分に触れる男では彼だけが持ち得るもの。
「やぁ……ン!!……」
向かい合わせで抱き合って、ゆっくりと腰を下ろさせる。
「ふ、あ……!!」
「焦らなくても……良いですよ……」
乳房を包みこむ指先の動きだけで、腰がずきずきと疼いて止まらない。
身体の一番奥に欲しいものは、自分で動かなければ得ることが出来ない事も知っている。
「や……ァ……」
ぐったりとして、僅かに身体だけが子兎のように震えて。
中程まで銜え込んでいたそれを、一気に奥まで埋め込む。
「!!!!」
びくんと身体が仰け反って、淫猥に乳房が揺れる。
背中を抱いて、押さえ込むような接吻を何度も何度も重ねた。
「あ!!あぅ……く……ッ!!ぅん…っ!!」
「……良い子ですね……私の……呂望……」
繋がった場所が男を逃がすまいと絡んでは収縮を繰り返す。
膣内を突き上げられる度に、少女は男の身体にしがみついた。
「やだ……ぁん!!……あ!!」
溢れだして止まらない愛液が、とめどなく男の肌を濡らして行く。
「そんなに……良いですか?呂望……」
とろとろになったこの身体を冷ましてくれる唇と指先。
でも、冷ます前には極限まで熱くならなければならない。
「…ひあ……ア!!や……っだ……!!」
濡れた指先がぴくぴくと震える突起を摘み上げる。
嬲る様に動く指先に反応して、襞はいっそう激しく男を締め上げた。
「……駄目……ぅあ!!……」
視点の定まらない瞳と、唇から零れ落ちる涎。
上等な愛玩具のように、ただ男に操られるままの肢体。
「ふぁ……ああああっっ!!!」
自分の中を満たす白濁を感じながら、意識がゆっくりと消えて行く。
耳の奥で、空蝉の声がした。





肌に感じる敷布の冷たさに、目を覚ます。
「気がつきましたか?」
「……………………」
すっかりと清められた身体に、太公望はため息をついた。
「わしの寝ている間に、勝手な……」
「気持ち悪いよりは、良いかと思いました。あなたも気持ちが良い方が好きでしょう?」
ただ、拭き取っただけにしてはやけに肌触りが良い。
さらさらとして、どこか甘い香りまでする。
「すべすべじゃ」
「ふふふ。これを使いましたからね」
両手の中にすっぽりと収まる蓋付きの陶器の器。
丁寧に描き込まれた華の文様は、東の国のものに似ていた。
「何じゃ?」
「面白いでしょう?この間、出かけたときに見つけました」
紫色の粒子の細かい煌く粉。
ふわふわの猫毛のような粉撲兒(パフ)が、ちょこんと座っている。
「おぬしも、もの好きじゃのう」
「貴女もでしょう?呂望」
にこにこと笑う男の顔に、少女は粉撲兒を押し当てた。
「!!」
「はははは。おぬしもさらさらになるが良い」
「呂望……っ……」
けほけほと咳き込む男と、少女の笑い声。
夏の暑さも、楽しんでしまえばこっちのもの。
笑い合って、過ごせるこの熱帯夜を抱きしめて眠るのも悪くは無い。
明日が呼ぶ声は、聞かない振りをして目を閉じた。





「御主人、なんか今日は綺麗っすね」
四不象と武吉を従えて、回廊を歩く少女の姿。
ほんのりと煌く肌に、すれ違う宦官たちも見惚れてしまう。
「これか?申公豹に貰った」
「へぇ〜〜、申公豹様も色んな所に行って来る人っすからねー」
「おっしょーさま、良い匂いがしますっ!!」
頬を摺り寄せてくる二人を抱き止めながら、太公望はくすくすと笑うだけ。
「あやつも暇人だからのう……愛すべき暇人じゃ」
どこにいても、どんなときでも。
君に似合う色を探してしまう。
春夏秋冬、東西南北。色づく季節を共に過ごすために。
「暑いのう、かき氷でも食いに城を抜けるか」
「賛成っす!!」
「はいっっ!!」
二人を乗せて、白き霊獣は空を舞う。
それを遠目で見ながら、男は静かに笑った。
「さて、黒点虎。今度は何で呂望の好奇心を満たしてあげましょう?」
「申公豹も暇人だね。そんな小細工しなくたって、呂望は満足してると思うよ」
「小細工ではありませんよ。人生に味付けは必要ですからね」





いつも、いっしょ。いつまでも、いっしょ。
君と二人で今日もこの空を飛ぶ。






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17:19 2005/07/28





              

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