◆風見鶏、雲水の昼下がり◆





(何だろう……このあたりがきりきりと痛いなぁ……)
壁に手を付いて、青年は胃の辺りを押さえる。
端正な顔が痛みで歪む。
「ヨウゼン?どうかしたのか?」
いつもならば「なんでもない」と返せるはずなのに。
「…………………」
「ヨウゼン!!??」
声を出すことすら出来ずに、ただ、少女に抱き縋るしか出来なかった。
「どこか痛むのか?ああ……まず、わしの部屋へ……スープー!!」
少女の声に、霊獣と少年が駆け寄ってくる。
「武吉、スープー。ヨウゼンをわしの部屋へ」
「はい」
「御主人はどうするっすか?」
道衣を直して、少女は男の背を擦った。
「丹薬を作るよ。まぁ、わしよりもこやつの方が腕が良いのだが……そうも言ってられん」
「……師叔……」
「多少、苦くても我慢してくれ。ヨウゼン」







小さな盆に乗せたのは、薬全粥と細かく切った果実。
官女に習った氷菓子と小さな丹薬。
少しでも食べやすいようにと、太公望自ら厨房に立った。
(食べてくれるとよいのだがのう……)
耳に響かないように、静かに扉をずらす。
青白い顔をして、青年は寝台の上で寝息をたてていた。
(先程よりは、顔色も良いみたいじゃが……うむ……)
額に指先が触れて、汗で張り付いた前髪をそっと払う。
(よくよく見ずとも、綺麗な顔じゃのう……女が騒がぬはずが無い)
容姿端麗の補佐官には、常に官女達が縋りつく。
流した浮名は数知れず。仙界でも人界でも、美男子には常に女の匂いが絡み付くのだ。
力の抜けた手を取って、指先を絡ませる。
どれだけ、この手に助けられただろう。
「……師叔……?」
「目が覚めたのか?粥を作ってきた。軽いものなら食えるかと思ってのう」
ゆっくりと身体を起こそうとしても、思い通りにいかない。
それを汲み取って、少女が手を差し伸べる。
「……すいません」
「謝られるような事は、何も無いが?」
くすくすと笑う薄い唇と、春の日差し。
薬膳粥を匙で掬って、ヨウゼンの口元に近付ける。
「え…………っ?」
「口を開けよ。まだ、指先が少し震えておる。熱が下がっておらんのじゃろうて」
「えええっっ!?」
「ほれ。あーん」
おずおずと開く唇。口中に広がるほんのりとした味。
山菜と薄味の粥は、素朴な味でどこか太公望に似ているように思えた。
どんな気持ちで、これを作ったのだろう?
どんな表情(かお)でこれを作っていたのだろう?
「久々に厨房を使ったからのう……不味かったら……」
「美味しいです!!できれば、こんな身体じゃないときに食べたいくらい……」
綻ぶ少女の唇と、少しだけ照れる青年のそれ。
小さな鍋の中身は空になって、盆に乗せられた小皿も綺麗になった。
まだ引かない熱は厄介でも、太公望を独り占めできる機会などまず来ない。
(治れないなぁ……師叔が僕だけのためにこんなことしてくるんもの……)
まだ痛む胃を押さえて、ヨウゼンは小さく笑った。







夜の帳が落ちても、体調は変わらないまま。
じんわりと汗ばんだ肌と、張り付く上着。
「ヨウゼン、具合はどうじゃ?」
「ええ……昼よりは……」
浴巾と盥を持ってきて、それに注いだのは熱い湯。
立ち上る湯気が、やけに心地良い。
「着替えも準備したよ。そのままじゃ、気持ち悪かろう?」
湯に巾を浸して、ぎゅっと絞る。
手際よく道衣を脱がせて、篠籠に放り込む。
「す、師叔っ!!いいですっ!!自分でできますっ!!」
「わしもたまにはおぬしに尽くさんとのう……おぬしはいつもわしに良くしてくれる」
汗がふき取られていく感触と、女の息遣い。
肩の辺りまで伸びた黒髪が、優しく揺れた。
(あれ……部屋着だ……)
飾り紐は胸元で笑って、七部の袖から覗く細い腕。
「師叔、その…………」
「夜中まで仕事をすることもあるまい。それに、おぬしの方が大切じゃよ、ヨウゼン」
着替えを手渡して、少女は窓を閉めた。
本来ここは彼女の自室。自分が寝泊りして良い場所ではない。
「しばらくゆっくりしていくが良い。おぬしが治るまで、わしも仕事は抑えるよ」
まるで、子供でもするように頭を撫でてくる小さな手。
(ああ……きっとこの人は良い母親になるんだろうな……)
その傍らに自分がいて、その子の手を取りたい。
難関は山ほどあれど、諦める事などできはしないのだから。
(あったかくて、気持ち良いなぁ……)
汗がふき取られた爽快感と、彼女の心配り。
(たまに、こうやってお休みもらうのも悪くないなぁ……師叔と二人で……)
寝巻きに着替えて、ぼんやりと見上げる天井。
誰かに甘やかされるのは、決して嫌ではない。
甘える事を、随分と昔に放棄してしまったから。
「わしも、一緒に寝るとするかのう」
いつもは、自分が抱き締める側なのに。
今夜は、彼女がまるで母親のように寄り添ってくれる。
時折心配そうに、覗きこんでくる瞳と。
やさしく腹部を擦ってくる温かな手。
「師叔、なんだか母親のようですね……」
男の頭を抱いて、頬を寄せる。
「わしもな、子供の頃に母上によく、こうしてもらったのじゃよ」
それは、ずっと昔々の事。
懐かしむべき者は、互いにもう居ない。
同じような傷を抱えて、引き合ってしまったから、きっと…………離れられない。
消せない痛みを誰かで埋める為だったとしても。
「ヨウゼンも、思い出せぬだけできっとそうじゃよ」
母親の記憶は、朧気にしか見えては来ない。
ただ、小さな手で自分を抱いてくれた事と父が帰るまでずっと傍に居てくれた事だけは
しっかりと憶えている。
その顔さえも、はっきりとしないのに。
あの手のぬくもりだけは、忘れる事が無かった。
「父も、母も…………僕の事など忘れてるかもしれません……」
優しい腕の中では、弱気になってしまう。
「まさか、子を忘れる親などおらぬよ。ヨウゼン。おぬしは皆に愛されておる」
それは何度も何度も自分に言い聞かせてきた言葉。
自分は捨てられた子供ではない、そう叫び続けた。
「勿論、わしもな。ヨウゼン」
魔法の言葉がゆっくりと心に沈んでいく。
だからこそ、仲間というものを信じられる。
この女性(ひと)が居てくれるから、光を直視して目を逸らさずに居られるのだ。
「……はい……」
「いつぞや、わしを守ると言ってくれだろう?嬉しかったぞ」
誰もが、愛されるために生まれてくるから。
「だから、わしもおぬしを守るよ。わしにしか出来ぬであろう?」
途切れながら続く幸せでも構わないと思えるのだ。
永続的な物ではないとしても、彼女の気持ちは本物だと窺える。
「玉鼎のだっこが足りんかったから、不安になるのじゃ。今度、わしがきちんと言っておこうぞ」
「え…………?」
「今からでも遅くは無い。ヨウゼンを抱っこせよ、とな」
くすくすと笑って、少女は男の頭を掻き抱いた。
今宵、月も顔を隠す夜。
内緒話をするには絶好だ。
「こんなに大きくなってまで、だっこはいいですよ」
「幼児教育の際に、だっこは大事なのじゃ。普賢なぞ今でもモクタクを撫で繰り回すぞ」
「モクタクも、普賢様がだっこしようとすれば逃げるじゃないですか」
ちゅ、と額に小さな唇が触れた。
「ふぅむ……そうだのう……」
「師匠だって、こんなに大きくなった僕をだっこするのは嫌がりますよ。まして、男なら
 尚更に……ね」
その手を取って、青年も同じように唇を押し当てた。
月明かりも無い新月の夜、確かなのは互いの声と息遣いだけ。
「師叔がだっこしてくれるのなら、おとなしくそうされますよ」
「わしに?」
「ええ。師匠も大事ですが、もっと……もっと、大事なんです。貴女が」
明かりの無い闇夜の小道でも、君がこの手を引いてくれるから。
迷わずに、進むことができる。
もし、迷っても二人だから怖くは無い。
「おぬしも、甘えん坊じゃのう」
柔らかい胸に顔を埋めて、そっと目を閉じる。
「甘えさせてくれる人には、甘えますよ。僕だって、貴女を独り占めしたいんです」
しくしくと、胃が痛んでもその痛みを取り払ってくれる優しい掌。
「おやすみの、接吻(キス)はしてくれないんですか?」
「子供じゃのう……」
額に、頬に、甘く降る唇。
母親が子供にするように、おまじないの口付け。
そっと、手を繋いで瞳を閉じる。
「おやすみなさい」と「おはよう」を、一番最初に言うために。





「困ったのう、今度は発熱じゃ」
目を閉じたままのヨウゼンの手を取って、頬に当てる。
「ヨウゼンさんは、御主人が徹夜してるときは一緒に徹夜してるっす。御主人だけ
 仕事させるわけにはいかないって」
「無理し過ぎて、今来たか……しょうがないのう……」
困ったように笑って、少女は青年の額をそっと撫でた。
「師叔!!ヨウゼンさんぶっ倒れたって本当さっ!?」
「あん?ヨウゼンが死にそうだって聞いたから来たけど、死んでねぇな」
顔を覗かせたのは天化と発。
その後ろには周公旦の姿も見える。
「……みんな……」
口では文句を言っても、たとえ恋敵でも。
仲間だから、こうしてやってきてしまう。
「望ちゃん、ヨウゼン大丈夫?頭になにか湧いたってモクタクに聞いたんだけど……」
「気合が足りねぇからだろろ。お前、一応仙号持ってんだから」
篠籠を抱えた普賢真人と、腕組みをした道徳真君。
「ヨウゼンさん!!僕、お母さんから良く効く薬草もらってきました!!」
にぎやか過ぎて、休まらないのも事実だけれども。
「ほら……わしの言った通りじゃろ?」
この騒々しい日々を、愛しいと思えるこの心。
「……はい、師叔……」
「おぬしのことを、皆、愛しておるよ。無論、わしもな」





風見鶏はからからと、浮気にあちこちを見やってしまう。
風に乗せてひらひらと、温かな気持ちが舞い降りた。






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0:36 2005/05/08

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