◆酷なるは相容れられぬ事、かくも残酷なるは乙女というもの◆







球体の海を泳ぐように、黄巾力士を進めていく。
「四不象、元気ないね。どうしたの?」
霊獣の鼻先を撫でながら、少女は小さく笑みを浮かべる。
「お腹がすいたっすよ〜〜御主人〜〜〜」
「緊張感が無いのう……スープーや」
三人仲良く並ぶ姿は、遠足にでも行くかのよう。
それでも、ここは敵陣のど真ん中なのだ。
「二日も、ここの中を飛んでると流石に飽きて来るね」
風が普賢の頬を撫でて、髪をかき上げる。
「道徳に逢えぬと、つまらぬか?」
「そんなんじゃないけど……ああ、そうなのかな……」
無意識に腹部を擦る細い指。心の中に広がる、誰かの優しさ。
「あ、そうだ。望ちゃん」
「ん?」
打神鞭をくるくると回して、太公望は隣の親友をみやった。
幾多の戦いが彼女を美しく育ててきた。
花は、その戦渦の中で咲き誇る。
「ボク、結婚したんだ。見て」
ひらり。広げられた左手。
その第四指で、控えめに光る指輪に太公望は目を丸くした。
「だ、誰と……いや、道徳以外にはおらんだろうが……」
「普賢さんもとうとう、道徳さんのお嫁さんになってしまったんすねぇ……」
左手を掴んで、まじまじと見つめる。
誰かの所有物になることを、頑なに拒んで来た親友がそれを打ち砕いたということ。
それは、この戦いがどんな結果をもたらしてもいいようにとの覚悟だった。
「あとね、子供を授かったの。これが終ったら元始様から産休もらっちゃおうかな」
「まあ……取るなとは言えんじゃろうが……おぬしにしては随分と……」
「早業で、決められちゃった」
「道徳と同じ色がでておれば、よかったのだがのう……」
普賢は静かに首を振った。
「望ちゃんと一緒が良かった。望ちゃんと。一緒だから、戦える」
この言葉は、生涯彼女の中から消える事は無くなると、このときは思いもしなかった。
ただ、親友が自分の事を思ってくれたのだと。
「必ず帰ってこようね」
「あたりまえじゃ。おぬしや……その腹の子を死なせるわけにはいかぬ」
平気で嘘が吐けるようになったのはいつからだろう?
それは、一人だけではないから悲しくて。
涙を流すこと、叫ぶ事、憤る事だけが悲しさではなく。
本当の気持ちを知りながら嘘をつける事も、また同じ。
「大丈夫。ボクたちは強い」
ゆるぎない自信を勝ち得るまで、どれだけ時間を要しただろう。
幼年期を脱ぎ捨てて、羽化するように少女は急速に大人へと変わっていく。
「そうじゃのう。わしらは、確かに強い」
「ボク達が手を組んで、勝てない相手なんて居ないよ。四不象もそう思わない?」
「そうっすね〜。ご主人と普賢さんが一緒なら怖い物なんてないっす!!」
「……あれ?望ちゃん……これ、見て」
太極符印の中に、一点の赤い影。
「この近くに核があるみたいだよ」
空間の歪を映し出し、おいでと誘うように其処が光る。
どの道掛からねばならない罠ならば、こちらから仕掛けることが出来る方が良い。
「核……皆に連絡せねばならんな」
通信宝貝を手に取り、少女は必要事項だけを簡潔に伝えていく。
僅かに零れてくる男の声。
飛び付きたい気持ちを飲み込んで、耳を欹てた。
「聞仲を見つけても、手は出すな。まずはその周りを飛ぶ煩い十天君を叩くのだ。
 命令違反には…………厳罰を持って応じる」
「ちょっと待て!!太公望っ!!」
「何じゃ?」
「普賢居るだろ?ちょっとかわっ……」
「真面目に仕事を終らせるが先じゃのう、清虚道徳真君」
途切れる声と、生まれる笑い声。
「あははははははは。望ちゃん、最高ーー」
「再会の接吻は(キス)は、聞仲を倒してからにしてくれ」
並んで見つめるいくつもの星達。
この星の中に、数え切れないほどの命が住んでいる。
人間と妖怪。種族は違えども、その生命の価値に変わりは無い。
「苛々、してるでしょ」
「…………正直、緊張しておるよ。強敵ばかりじゃ、こちらが無事でいられる保障など
 無いからのう……」
彼女の意思は変わる事など無く。
幼い頃からずっと、唯一つだけを守り続けてきた。
「望ちゃんは昔からそうだよね。。何もかもを一人で背負うことなんて無いんだよ」
時には、誰かに頼る事は逃げではない。
それ故に生まれる強さもあるのだと、後に彼女も知る事となる。
「あれ、四不象は?」
「どこに行った、こんなときに」
「あ、あそこ」
奇妙な形の果実が実る巨木が不自然に星の中庭に。
甘い匂いは食欲をそそるには十分。
「普賢」
「さっきの歪はこれだね。十中八九、罠だと思うよ」
同じ結果ならば、華麗に舞い踊って見せよう。
それがこの二人なのだから。
「スープー、道に落ちてるものと太乙、雲中子にもらった物は食うなと言っておるじゃろう」
「困ったね。でも……この罠、掛かるしかないみたい」
罠ならば、こちらから仕掛けて掛かれば良い。
仙界の悪童二人、まだまだその名は廃れてはいないのだから。
二人が降り立つと同時に、囲むように光が生まれだす。
「お迎え式なんだね」
「その様じゃのう」
果実を一つ取って、傍らの共に手渡す。
かりり…と小気味良い音が二つ鳴り響いた。
「行くぞ、普賢」
「うん。望ちゃん」






今が盛りと咲き誇るのは、色鮮やかな花々達。
「綺麗な花っすねー。御主人と普賢さんみたいっす」
一輪摘んで、四不象はにこやかに笑う。
「ありがとう、四不象」
鼻先を撫でる二人分の柔らかい指先。
穏やかな霊獣は、花を愛でる心を持つ。
「ああ!!花が枯れていくっす!!」
手の中でその命は一瞬で消えてしまう。
「花の栄華は一瞬なるもの。それ故に美しい……思いませんか?御二人とも」
獣の毛に身を包み、目玉だけがぎょとりと覗くその姿。
老人とも子供とも取れる奇妙な声音。
「あの、浪漫的で汚らわしい生き物は何じゃ?」
「十天君じゃないのかな?」
少女二人をぎろり、と睨む大きな目玉。
「我は袁天君。十天君の一人なり」
太極符印を撫でながら、普賢はくすくすと笑った。
「君の相手は僕がしようかな。望ちゃんはまだ、力を温存しておかなきゃいけないし。
 それに、妊娠中は適度な運動も必要だしね」
少女二人の軽やかな声に、いらだったのは袁天君。
「その余裕、いつまで持ちますかね」
びしびしと大地に亀裂が走り、はらはらと舞い踊る白い粉雪。
噴出すように氷が二人に降り注ぐ。
「氷っ!?」
「みたいだね。けど、僕も戦えるから平気だよ、望ちゃん」
太極符印に掛かる指が、その表面を滑らかにすべり行く。
氷の嵐を相殺して、普賢は袁天君を見据えて唇を開いた。
「死ぬまで持つよ。試してみようか?」
「私はこの空間、寒氷陣を使い全ての生命を停止させることも出来ますよ。普賢真人」
「そう。面白いね。それは、これから命を生み出すボクへの挑戦状だね?」
意味深な笑みと、腹部に当たる左手。
「母は強って言うでしょ?ここはボクに任せて」






時を戻すこと、数日前―――――――。
浮かぶ画面(モニター)をみながら、王天君は爪を噛んだ。
「おう、おめぇら……これでこっちも三人死んだな」
それは予想だにしなかった事態。文明的には金鰲の方が崑崙よりも先を走っていたからだ。
同じ幹部の崑崙十二仙は、宝貝による攻撃で自分たちのように空間を使う事は出来ない。
己の肉体一つで戦う事の出来る自分達が勝る事はあっても劣るなどありえないはずだった。
「なんでおめぇらが負けてんだ?実力はダンチであんだぞ?」
乗り込んできている崑崙の仙人には太公望が含まれている。
この少女こそが、あちら側の要となる人間。
そして、この混乱を極める仙界大戦の主軸なのだ。
「あっちには太公望がいるからな。けど、こっちには俺と聞仲がいる」
その名前を口にするだけで、背筋に何かが走る。
それが何かとはわからずとも、どこか心地よく甘美な味がするのだ。
(太公望、、普賢真人……道行天尊。まずは道行だな……)
狙いはただ一人。始祖が守ろうとした女のみ。
「気ぃ、引き締めて行けよ。おめぇら、飾りで十天君やってんじゃねぇんだろ?」
じゃらじゃらと装飾具が煩い悲鳴を上げる。
この仙界大戦の裏を、まだ知る由も無く。





「なぁ、太乙」
自信有り気に男は左手を親友の前に翳した。
「何だと思う?」
「指輪だろ?それぐらい、僕だって道行に贈ってるよ」
「あれ?でも、薬指に入ってますよ?」
武吉が目を丸くして、それをじっと見つめる。
「御先に結婚決めさせてもらいました。次の年には俺も、親父になりますんで」
幸せは、いくら噛み殺しても殺しきれない笑みとして出てしまう。
「な……なんだって!?」
「嫁ももらって、子供も出来て、俺の人生順風満帆」
「順序が逆じゃないか!!君だって一応仙人だろっっ!!」
がしがしと揺さぶられながらも、道徳真君の笑いは止まらない。
「良いだろ。うらやましいだろ」
「だ、誰がっっ!!」
図星を突かれてしまうと、声すら上がらない。
一瞬だけのこの幸せ、誰かに少しだけでもいいから自慢したいのだ。
(いいだろ?今だけ自慢させてくれよ……俺も普賢も、ここが俺らの墓だって
 わかってるからさ……)
指輪には、拘束する力など何一つない。
それ自体はただの装飾具に過ぎないのだから。
結びつけるのは、御互いに誓った心。
それに名前をつけるならば、それがきっと『愛』というものになるのだろう。
「俺は娘が欲しいんだけど、なんか男の気がすんだよな」
「女の子はお父さんに似るっていいますよ。お母さんが言ってました」
「道徳似の女の子か……あんまり、可愛くないかも」
太乙真人の言葉に、道徳真君も肩を落とす。
「恐ろしい事いうなよ。そんな筋肉質な女なんか考えるだけでもぞっとする。普賢も
 御袋さんに似てるらしいから、娘だったら普賢に似ると思ってんだけどな。そしたら
 箱入りにして絶対に変な男にはやらない」
あれこれ浮かぶ未来図は、心を暖かくしてくれる。
幸せは、君と二人でずっと築いていくものと信じていたから。
「あははは。そういったって、誰かにさらわれるんだよ。君が普賢をそうしたように」
「だろーな。今からそんな心配したって始まらないんだろうけどさ」







(氷を溶かした……ということは、相手の宝貝は炎系ですね)
目の前のたおやかな少女の裏側は、智謀渦巻く崑崙の幹部の一人と言う顔。
薄い唇でくすり、と笑って男を射止める眼差しの持ち主。
「ね、毛玉さん。ボク、本当はあまり戦いとか喧嘩とか好きじゃないんだ」
大きな瞳が、ゆっくりと伏せられる。
「まずは話し合おうよ。御互いをちゃんと知ることが出来れば、殺しあうよりも
 ずっといい考えがでると思うんだ」
静かで穏やかな声。しかし、その真意は誰にも測り知る事が出来ない。
崑崙十二仙の一人として、策士として、この少女は金鰲でも要注意人物の一人として
上げられてきたのだから。
「愚かなり、普賢真人。人と妖怪は相容れぬ。どちらかが死に絶えるまで争いは続く」
「そうかなぁ……そんなことはないと思うよ。少なくとも、ボクは御互いに理解し合えると
 信じてるし、きっと恋だって出来る。毛玉さんは誰か好きな人とかいないの?」
「……煩い娘だ。我が相手は妖怪以外在り得ぬ!!」
「そう?崑崙にも可愛い子は沢山いるよ。もったいないね。きっと、金鰲にも素敵な
 人はたくさんいると思うし」
恋を知って、彼女はここまでの強さを得ることが出来た。
何もにも代えることの出来ない愛情を知って、その結論を導いた。
「ボクは、君と話をしたいんだ。けど……三回言ってもダメだったら、それは理解が
 御互いに出来ないってことだと思ってもいい?」
三回までは許してあげる。それは彼女が恋人に悪戯に囁く言葉の一つ。
浮気も三回まではしらない顔をしてあげる。けれども、四回目は死を覚悟して?
甘い声とは裏腹に、心の中に渦巻く感情。
「普賢、何を語っておるのだ!!」
「だって、地道にこつこつと御互いの理解を深めていかなきゃ。道徳は悪いことすると
 すぐに叩いたりするんだけど、ボクはそういうの嫌なの。絶対子育てで揉めちゃうよ」
例えどこであろうとも、それが戦場の真っ只中でも。
少女が二人より沿えば、あれやこれやと話にも花が咲く。
「現段階では人間と妖怪はいがみ合ってるけど、わかり合えると思うの。ボクと道徳も
 そうだったし。ちょっとずつ知って行けば大丈夫」
「状況を見てから言え!!その段階はとっくに過ぎ取る!!それに、おぬしらとは次元が違うわ!!」」
「えー……だってね」
延々と続く二人の会話に、袁天君の怒りが爆発する。
「どうやら頭の柔らかさにおいては、普賢真人よりも太公望の方が優れているとみました」
きらきらと頭上の空間が光りだし、幾重もの氷の巨玉が浮かびだす。
まるで雨のようにそれは二人目掛けて一斉に降りかかる。
塞ぐべき傘はない。あるのは己のこの策のみ。
「あなたの寛容さは貴重なり。ただし、それは時として死を招く」
頬を掠める氷の矢に、熟れた赤い雫が一滴流れ落ちた。
指先でそれを拭って、舌先で舐め取る。
「おぬしがやると言ったのだ。見せて貰おうかのう……普賢、おぬしの真価を」
「そうだね。言っちゃったから、責任取らなきゃ。四不象、ボクの後ろに下がってて」
ぼんやりと光る太極符印の上で、華麗に指先が踊る。
「強制相転移。太極符印、発動せよ」
宝貝から光が放たれて、同時に巨玉が煙のように一瞬で消え去った。
「言ったでしょ?死ぬまで持つよって」
元素を操る太極符印は、崑崙の科学の結晶とも言える逸品。
それを与えられたのもまた、仙界の申し子たる少女なのだから。
「これは、元素を操ることが出来るんだ。氷を水蒸気にするなんて簡単なことだもん。
 ね、これで君の宝貝はボクには通じないってわかったでしょ?だから、もっと、
 ちゃんと話をしようよ。こんな喧嘩じゃなくって」
まるで、恋人とでも話すかのように普賢は言葉を綴る。
灰白の髪に踊る雫が、光を受けてきらら…と輝いた。
「今度は脅しを含んだ説得なりか……貴女は勘違いしている。私をただの氷使いと
 お思いか?」
袁天君の周囲の空気が渦巻き始め、小さな竜巻が生まれる。
互いにぶつかり合って、それは次第に強さを増していく。
「私は十天君。かのような口車には乗らぬ!!」
その言葉に、少女は首を横に振った。
「まだダメなの?」
その言葉を遮るように、ちらついていた雪は吹雪へと豹変する。
花畑は風花となり、あたりは氷点下の世界に。
「貴女は決して私には勝てない」
頬に纏わりつく氷の欠片を指先で弾いて、傍らの親友を見やる。
寒さに凍えて、血色を失った唇。
霊獣が何とか守ってはいるものの、確実に失われていく体温と体力。
「貴女は精々雪を水や水蒸気に出来る程度。受身な分だけ、貴女は自分から攻撃
 する事は出来ない」
「ボク、あんまり上に乗るのとか好きじゃないけど、たまにならいいかな……とは
 思うよ。ずっと受身なわけでもないし」
「阿保な事言っとらんで、この吹雪を何とかせんか!!普賢っ!!」
道衣から覗く肩口に、降り積もる氷の飛礫。
平静は装っても、普賢もまた体温は確実に奪われている。
眉一つ動かさず、相手の心をじっとその銀の瞳で見透かすのだ。
「この猛吹雪の中で貴女の宝貝の力をもう一度見せてください。賢そうな貴女なら
 どうなるか御分かりでしょう?」
「うふふ……君の方こそ十天君だけあって賢いね。ただの、毛玉じゃないみたい」
この、凍てつく風の中に彼がさらされることがなくて良かったと、小さく呟く。
女の身体は痛みに強いように作られていると、古からの言葉のように。
この寒さも、彼に害は無いとわかるだけで和らぐのだから。
「こら!!話しこんでないでさっきみたいに、じゅーっとせんかっ!!」
黒髪に降り積もる真白の雪の鮮やかさに、くすくすと唇が笑う。
「いいの?」
冷え切った指先で悪戯に彼女の頬を突いて、その瞳をじっと見つめた。
「やれ。このままでは凍え死ぬ」
「うん、わかった」
太極符印が発動し、一瞬で氷の世界は温暖な常春に。
冷たいのは、普賢の視線のみ。
その目が、ゆっくりと細まっていく。
「やったっす!!暖かくなったっすよ!!」
「……!?水蒸気が凍って身体が氷漬けにっっ!!!」
慌てふためく親友を見ながら、普賢は首を振った。
「だから、言ったのに。望ちゃん、目先の欲に囚われちゃダメだよ?」
騒々しい外野とは裏腹に、彼女の心はただ一点のみを見据えている。
若年にして、大幹部に抜擢されたが故の素質。
それは、相手の本心を確実に見抜くという事だった。
「王天君は、我らにこういった。我が同胞が三人も封神されたのは我らの『驕り』に 
 あると……負けるはずはない、その自信ゆえに我らはどこか手を抜いて貴女達の
 相手をした。そこから学び……私は決して手を抜かないと誓った!!」
指輪にこびり付いた雪礫を丁寧に払う。
どんな寒さでも、暖めてくれる誰かがいるから人はどこまでも強くなる。
(道徳も頑張ってるんだもの……ボクだってちょっとはいい所見せなきゃ。
 お嫁さんにしてくれるって、言ってくれたんだもん……)
ちゅ…とまるで恋人にするように、愛しそうに唇がそこに接吻する。
「どうやら、貴女が氷を溶かす速さよりも、私の寒氷陣の方が勝っているようですね。
 このまま、貴女達が氷像になるのを見守ってあげましょう」
けたけたと、笑い声が響いて袁天君の姿が歪み始める。
「貴女の仲間が封神した張天君は、私の妻。これで、妻の無念も晴れる事でしょう」
それは半人半獣の赤茶の狼。伸びた鉤爪と、藍色の目玉がぎょろりと睨みつけてくる。
飛び行く彼女の魂魄を呆然と見上げて、誓った復讐。
天才道士が相手ではないが、その恋人が自分の所へと乗り込んできたのは彼にとって
千載一遇の好機だった。
「……言葉が伝わっていなかったのかな?ボクの宝貝の力が氷を水蒸気に変えるだけだなんて
 一言もいってないのに……奥さんにも、話はちゃんと聞いてって言われたことあるでしょ?」
ばちばちと雷華を飛ばして、彼女の手の中で宝貝は静かに光り出す。
「!?」
その光は次第に大きさを増して、あたり一面へと広がって行った。
消え行く凍えた世界と、広がりし澄みわたる空。
心地よい空気と、穏やかな生命を営む風。
「私の雪が……!!」
「ん……気持ちの良い風だけが残ったね……」
切り揃えられた前髪を、優しく風が撫でて行く。
灰白の髪がふわりとそよいで、普賢の表情に彩を加えた。
「ボクの宝貝は元素を操るんだ。物の根源から変える事が出来る。君の氷を水と酸素に変える事
 くらいは造作もない事、ごめんね、ここまでやったら自信無くすかなっておもってやるつもり
 は無かったんだけども……」
ゆっくりと踏み出して、普賢は袁天君との距離を詰めて行く。
「これで、君になす術は無くなったね」
一歩、また一歩。
その唇に浮かぶのは妖艶とも言える程の微笑み。
「さぁ、これが最後だよ。話し合おう」
差し出される左手。
「あ、怖がらないで。危害を加えない証拠として宝貝も使わないから」
ころころと符印は転がって、袁天君の足元で止まる。
「どうしておぬしはいつもそうなのじゃ!!決めるときはびしっと決めんか!!」
「何を怒ってるの?望ちゃん」
とろんとした甘い目線。
決してその本心は覗かせない女。
「貴女という人は…………真の愚か者なり!!我を愚弄するなかれ!!」
噴出す氷柱と、降り注ぐ氷の刃。
その中で、眉一つ動かさずに普賢真人はただ袁天君を静かに見つめた。
「……………………」
唇が小さく動く。
「ごめん。さよなら」
一筋零れた涙。
それが、袁天君が最後に見た彼女の姿だった。
「何!?ま、まさか……っ!!!!!」
空気が瞬く間に渦巻き、起こる爆発。
その爆風を浴びながら、普賢は太公望の方を振り向いた。
「符印の傍で水が発生したら、それを合図に小規模核融合を起すように自動で設定しておいたんだ」
太極符印の核融合は、九功山ではごく普通に起こりうる事。
その難関を突破して、男は彼女の心を射止めたのだから。
「道徳だったら、死ななかったんだろうけどね」
「普通は死ぬぞ。核融合なんざくらったらな」
「そうかも。でも……わかり合えないって悲しい事だね。もっと、道徳の話もちゃんと
 聞かなきゃダメだね。お嫁さん失格になっちゃう」
涙を指先で払って、ゆっくりと顔を上げた。
「彼も、奥さんの所にちゃんと行けたかな?」
「…………おぬし、もしも道徳が封神されたらどうする気じゃ?」
「そうだね…………ボクも、封神台に行くよ。その時は」
「まぁ、おぬしら二人がそこに行く事はないだろうがな」




残酷なる運命の足音に耳を塞いだ。
君に出会えたこの幸せを抱えたまま、死出の道を一人歩かん―――――。





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0:31 2005/06/10









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