◆星降るとき◆







消え行く命は引き金となって、彼女を走らせる。
それでも、自分が冷静さを欠いてはいけないのだ。
「黄竜……慈航……」
頭では予想していても、いざ現実を突きつけられれば条件は変わってくる。
親友の震える背中をそっと抱いて、彼女は小さく囁いた。
「望ちゃん、わかってるはずだよ?自分が何をするべきなのかは」
それは、自分自身に言い聞かせるための言葉。
躊躇ってはいけない。この目で見つめて、この足で飛びたつのだから。
「これが……殷の太師……」
李氏紂王の忠実なる臣下。道士であるよりも家臣としての道を選んだ男。
「これが……聞仲……ッ!!」
うねりを上げて禁鞭は、あたりの星を次々に破壊して行く。
そして、宝貝合金で出来てる黄巾力士でさえも簡単に。
「宝貝合金で出来ている物ですら、この有様か……」
憂い顔でため息をつく道行の傍らを、悲鳴を上げながら落下して行くのは蝉玉と土行孫。
やれやれと頭を振って、重力場を作り出して二人の衝撃を和らげる。
次々に降りて来る仲間を見て、道行は視線を普賢真人に向けた。
「これで否応無しに理解出来ただろう、太公望。人数が増えても私を倒すなど不可能だとな」
低く、耳の奥に直接響くような男の声。
「望ちゃん……」
「ご、御主人……」
今、自分のこの手に抱えきれないほどの命の行方が握られている。
失策は絶対に許されない。
「これが……聞仲の本当の強さ……」
殷に仇成す者を、忠臣として討つ。それがこの男の強さの根源。
生半可な平和主義などでは討ち砕くことの出来ない信念なのだ。
「想像を越えておる……これほどまでに力の差があるか……」
額に浮いた汗を、手の甲で拭う。
思いつく限りの策を並べて、頭の中で組みあわせていく。
彼が持つのが信念ならば、自分は極限の理想を掲げよう。
この思いに一片の迷いなど無く、共に歩む仲間がいるのだ。
「望ちゃん、聞仲が強いなんて初めからわかってたことでしょう?死者が出たくらいで揺るがないで」
それは、これから起こる壮絶なる一戦のための言葉。
どうか、どうか。その思いに曇りなど抱かないようにと。
「わかっておる!!」
行き場の無い思いと、それ以上の強い意思。
瞳に宿る光が、一層力強くなっていく。
「普賢、星降る時がわしらの最後の好機じゃ。それを逃せば仙人界は聞仲たった一人の為に滅びるであろう」
この空間に浮かぶ数多の星々。
大小多々あり、どれもみな美しい光彩を称えている。
(お星様……でも、ここはボク達のお墓だよ……)
願いを掛けて瞳を閉じたあの星降る夜とは違うけれども。
「星降る時……うん……」
沢山の願いと命を抱いて、星降る時を待とう。
君の手がここに無い事が、ほんの少しだけ寂しいけれども。
君の暖かさがあるから、きっとここから飛べるはず。
「なるほどね……望ちゃん」






(聞仲を、なんとしてでも倒さなければ……)
不安定な足場を蹴って、青年は男の傍らに位置を取った。
「道徳師弟、こうなったら全員で総攻撃です」
「ヨウゼン」
「それでも、歯が立たぬとあらばもう……仙人界の力では聞仲を止められません」
長い時間を生きて来た。いや、もしかしたら一瞬だったのかもしれない。
青年の言葉を聞きながら、まだ若かりし日の自分を思い出す。
あのころは怖いものなど何も無く、明日が来るのが当たり前だと思って生きて来た。
こんな未来など、誰が予想しただろうか?
「そうなれば……命を捨てて特攻しましょう!!」
誰かの暖かさを知って、護るべき者が出来た。
そして、死の瞬間まで最愛の者と共にいられるのはある一種の幸福なのだろう。
自分はもう、十分に生きた。
年若い彼に未来を託していくのも、悪くないと思えるほどに。
「ヨウゼン、君は下がってるんだ」
静かに莫邪を構えて、道徳真君はゆっくりと振り返った。
「君は太公望を守れ。ここは崑崙十二仙が意地に掛けても聞仲を倒してみせる」
その笑みは、彼がまだ仙人としては年若い方だということをいまさらながらに感じさせた。
この男は、こんな笑顔を彼女に見せていたのだ。
自分と同じように未来を見つめて、そこに導くための結論を出す。
違えたのは、恋人の出した選択肢だけだった。
「……十二仙……」
師表として名を連ね、全ての仙道を守る義務を持つ者達。
その中に、道徳真君も普賢真人も座しているのだ。
自分たちとは違う次元の意思と想いを抱えて。
並べば、同じような年端にも思えた。冗談を言い合って、温かな世界で生きて来た。
彼らがいつからそんな想いを抱いていたのかは彼らにしかわからない。
師表と言うものは飾りではなく大きく重いものだから。
『みんな、聞いて』
鼓膜に染み込む、少女の声。
「何じゃ?普賢の声が……」
『みんなの鼓膜に直接振動を与えてるんだ。十二仙にしか聞こえていないよ』
瞼の裏に直接姿が映るように、その声は耳の奥でこだまする。
『望ちゃんからの指示を伝えるよ。あと少しで周りの星が落下を始める。さっき動力炉が壊れたからね』
それぞれが自分の周辺と足場を確かめる。
『その混乱に乗じて全員で聞仲に仕掛けるんだ。好機をあわせて一点集中の総攻撃でね』
青年と少女の考えは、ほぼ同じだった。
全ての力を一点に注ぎ、一気に破壊する。
それが確かに現段階で考えられる最大級の攻撃であろう。
『ここまでが望ちゃんの言なんだけど……でも、もしもそれで聞仲が攻撃をかわしてしまったら
 本気でボク達に未来なんてない。だから、ここからはボクの提案を皆に伝えようと思う……』
それは残酷なものなのかもしれない。
それでも、これ以外に自分たちに残された武器は無いのだ。
「…………伝えたか?」
「うん……」
残された体力など、もう無いに等しい。
それでも、この大役は自分にしか出来無いのだ。
「おぬしはもう力が残っておるまい。休んでおれ」
「それは望ちゃんも同じでしょ?それに……ボクだってこれでも十二仙だよ」
その言葉の真意を知るにはあまりにも時間も余裕も無く。
知ったところで彼女の意思を変える事は出来なかっただろう。
「しかし……」
「一人だけ休んでるなんて出来ないよ。みんないるし、大丈夫」
左手を翳して、笑う姿。
これが、彼女が太公望に見せた最後の笑みだった。
「……普賢……」
「母は強しだから、大丈夫。ボク達は絶対に負けはしない」
近寄ってきた霊獣の鼻先を撫でる指。
立っている事がおそらくやっとであろう足元。
ふらつく身体を叱咤して、彼女は一点を見詰めた。
(お星様に抱かれて死ぬなんて、なんだか不思議……)
そっと、腹部に当てられる手。
(ごめんね、君をお父様に逢わせてあげられない……)
それでも、彼がくれた小さな命がこの心を支えてもくれるのだ。
「もうすぐだね、望ちゃん」
「うむ」
これが、この仙界大戦の最終章。
そして、終わりの始まりだった。





もう一度だけ、そっと符印に指を掛ける。
応用は簡単なもので、特定の人間の周波数に合わせれば良い事だった。
『道徳、聞こえる?』
その声に、唇が綻ぶ。
「ちゃんと聞こえてるよ」
『そう、良かった……』
目を閉じて、手を伸ばせばこの腕に君を抱くことが出来るようにさえ思えてくる。
『ごめんね。他に考えられなかった……あなたを盾にすることしか出来なかった……』
半分泣きそうな顔で、その言葉を呟いているのだろうか。
それとも、傍らの親友の為に無表情という名の笑みを浮かべているのだろうか。
「盾になれるんだ。俺にとってはまんざら悪くはないさ」
『ごめんなさい……あなたと一緒にもっと、もっと沢山の日々を過ごしたかった』
自分を責める癖はまだ、取れる事はないけれども。
「馬鹿だな、普賢は……これからだってずっと一緒だぞ」
『ごめんなさい……』
君が選んだ未来に寄り添えるならば、それで良いと思えるから。
「そんな言葉よりも、もっと違うものが聞きたいな。俺は」
『…………………』
「大丈夫だぞ、何も心配しなくていいから。愛してるぞ、普賢」
何時もと何一つ変わらない声に、涙がこぼれそうになる。
死に行く自分たちに残された最後の時間。
『ありがとう……私もあなたを愛してる』
「一人にはしないから、怖がる事も無いんだ」
そこに彼女がいるかのように、男は静かに言葉を紡ぐ。
いつかも、こうして二人で星を見上げた。
いま、ここにある星はあの星たちとはまるで違うものだけれども。
手を伸ばして光を掴もうとした横顔は、まだはっきりと思い出せる。
「いい人生だった。お前と出逢えた事は俺にとって一番の出来事だよ」
『ありがとう……ずっと、ずっと、大好き』
寂しがり屋の魂が二つ、離れないように手を繋いだ。
あの日の景色を思い出しながら。






耳に響く少女の声に、男は顔を上げる。
「じょ……冗談だろ!?何をするつもりなんだ!!」
「太乙!?何よ、急に!!」
どれだけ離れていても、耳の奥に直接染み込むその言葉。
こんな階位が無ければこんな想いをする事も無かっただろう。
「やめろ!!やめてくれっ!!」
落ちていく浮力と、先ほどから感じる妙な胸騒ぎ。例えようの無い不安と焦燥感。
青年を治療する手を止めて、女は男の背中を擦った。
「汗酷いよ。ちょっと、どうしたっていうのよ」
「……普賢からの、伝令だ……」
幹部連中が隠し続けてきた、最後の手段。おそらく、これ以外に聞仲を討つ方法は無い。
師表としての最後の勤めとばかり、十二仙は総攻撃ではなく確実に相手を仕留める方法を選択したのだ。
「聞仲に……今から総攻撃をするって……」
後方支援という名の戦線離脱を、これほど悔いた事は無い。
無理やりにでも、戦地に赴くべきだったのかもしれない。
「でも……それは、当然と言ったら当然だし……」
「雲中子……普賢が、あの普賢が半端な行動を取ると思うかい?」
太公望とはまったく違う思考を持ったもう一人の司令官。
可能性よりも、確実性を取る女。
「…………どういうことよ…………」
「……私達は、もう……みんなには会えないってことさ……」





崩れ行く物と、死に行くものは当価値に美しいと言う。
その灰白の瞳が映し出す光景は、どんなものだったのだろうか。
「どうした?十二仙よ。私を倒すのではなかったのか?」
全てを見渡せる場所に構え、普賢は静かに呼吸を整える。
「来ないのなら、私から行くぞ」
「……どうかな。ちょっくら上を見てみろよ」
一斉に落下を始める星々と同時に、男は天高く舞う。
混乱に乗じて一気に攻めるというのが太公望の策だった。
がらがらと崩れる内部と、始まる空間の圧縮。
「なるほどな……太公望め、これを待っていたのか」
いくら聞仲でもこの状態で全ての仙道に目を向ける事は出来ない。
禁鞭は多数を攻撃するよりも、括弧攻撃に適している宝貝でもあるからだ。
「よっしゃ行くぜ!!」
陰陽鏡を手に、赤精子が飛立つ。同じように次々と。
「さらばじゃ、馬鹿弟子!!達者でな!!」
衢留孫の言葉に、広成子は帽子を目深に被る。
(殷郊……私はお前に何かを残してやれたか?)
国の為に、父母の為に、民の為に、そして――――自分の為に。
誇りを持って愛弟子は歴史に飲み込まれてその人生を終えた。
(私も私の誇りを持って、この男に挑もう)
最後まであきらめることなく、後に続く者たちの残すこの道。
「道徳師弟、やはり僕も行きます!!」
青年の声に、男はそれを手渡した。
「お前は生き残って、これを天化に渡してくれ。頼んだぞ」
そうすれば、大義名分の下に彼は無謀な事は出来ない。
未来を担うものを残すための優しい言葉。
「普賢師匠!!俺もお供します!!」
「いや、モクタク……君は望ちゃんを……軍師を守って」
この光景は、壊れ行く世界そのもの。一条の光だけが未来へと繋がり道となる。
「普賢!!余計な事を言うでない!!護衛など不要だ!!」
確かに、護衛などは必要ないだろう。彼女も相当なる強さを持っているのだから。
必要なのは護衛ではなく、彼女を死なせないための壁。
「太公望師叔!!ここは十二仙に任せましょう!!」
少女の方を掴んで、青年はその動きを封じる。
それを確かめてから普賢は静かに二人に背を向けた。
「離せ!!ヨウゼン!!」
ゆっくりと前に進む。
「頼んだよ、ヨウゼン」
落下する星の影、普賢はその姿を消した。




瓦礫が空気中に舞い散り、呼吸をするだけで肺が痛むような錯覚さえ抱く。
師表たる崑崙十二仙の名に掛けても、この男に負けるわけに行かない。
「聞仲、お前を倒す!!」
星を足場にして、男は加速をつけて正面から斬りかかる。
不意打ちも小細工も、もういらない。自分らしく最後まで戦うことが剣士の誇り。
(やべーな……あの速さ……俺でどこまで持つかだな)
宝剣を両手に構え、鞭先を受け止める。
「……っち……」
腱を打ち据え、確実に命を奪うための的確なる動き。
両目を凝らしても、その速さに追いつくことが出来ない。
(悪ぃ……普賢……)
それでも引くことだけは決してしない。
これが、最後まで守りぬく自分の誇り。
「ぐしょおおおぁあっ!!!!」
全身を切り裂いて、砕け散る骨と肉。あたりには赤い霧が充満する。
鉄と肉の焼ける匂い。ばらばらになった四肢と落ちていく臓腑。
男の身体が肉塊になっていくのを、少女は瞬きすらせずに見つめていた。
(……道徳……)
次々に散って行く仲間たち。
(みんな……ごめん……!!)
気配を消すことだけに神経を集中させて、普賢はゆっくりと距離を詰めて行く。
「各個で戦っては駄目だ!!みんな、一点集中じゃ!!」
少女の金切り声と、悲鳴にも似た空気を斬る鞭の音。
「いくらがんばっても、駄目なものは駄目か……あとは任せたぞ、普賢!!」
「我が人生に、悔いは無い。崑崙の師表として誇りを持って死ねるのだからな」
「長かったのう……儂の戦いもここで仕舞いじゃ」
陰陽鏡の光が消え、番天印の押印が散乱し、重力場が砕け散る。
落魂の音は途絶え、梱仙の破邪も解け、瑠璃瓶が暴発した。
(聞仲……どこに……こんな時に目が見えなくなるなんて……ッ!!)
各個攻撃をすることによって、聞仲の意識は分散される。
他の十二仙を囮にして、普賢がギリギリまで距離を近付けていく算段だった。
(普賢)
肩に触れる手の感触に顔を上げる。
(あっちだ、俺が見えるから大丈夫だ。行くぞ!!)
まるで寄り添うように光が包み込む。
「……ありがとう、道徳」
最後までこの手を離す事はしないと、しっかりと指を絡ませる。
勢いをつけて星を蹴りあげ、普賢は聞仲の背後へと回りこんだ。
飛び交う魂魄と、瓦礫の山。
これが千載一遇、最後の好機。
「残りは……」
「ボクはここだよ、聞仲」
太極符印に宿る青白い光。打ち込まれたのは局所核融合。
「うまく行ったね。ボクは気付かれないように、あなたが攻撃をかわせないところに
 近付くことに専念したんだ。これで……あなたに一矢報いることが出来る」
至近距離での核融合を無傷でかわせる人間など、存在しない。
文字通りの自爆が、普賢の選択した答えだった。
「普賢真人!!」
手を伸ばして、男の肩を掴む。
(楽しかった。望ちゃんに出逢えて本当に幸せだったよ……ありがとう)
唇に浮かんだ小さな笑み。
「さよなら、望ちゃん!!」





消え行く一条の光。
そして生まれる新たなる道。
君と出会えた事を、誇りに思う。





               BAC




15:08 2005/08/22



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