◆仙界大戦――飛ぶための羽根、或いは失速する翼――◆




「親父、俺っち崑崙に帰るさ」
莫邪を腰に、天化は天を仰ぐ。
「見てらんねぇし、待ってもいられねぇ」
はるか上空、彼女は一人で指揮を執る。
その傍らに、本来は自分が居て当然なのだ。
彼の地には師も、仲間も、恋敵も。
全てが彼を待っているのだ。
「太公望殿には、借りがあるからな。それに……」
金鰲島には、かつての盟友がいる。
道を二つに違えた、欠けてしまった何かを補える半身が。
「俺も、ケリをつけなきゃならねぇ」
「僕も行く!!太公望と約束したもん!!」
「約束って何さ?天祥」
末っ子はにこりと笑う。
「ちゃんと修行して、強くなったら、お嫁さんに来てくれる?って聞いたら、良いよって」
子供でも一端の男ならば。
好きな女を守りたいと立ちあがれるから。
「諦めるさ、天祥。あの人は俺っちの嫁になるって決まってんだ」
指先で煙草をもみ消して、吉凶を占うかのように天化は前を見た。
「上に行くのか?黄天化」
「雲霄」
「俺も行くんだ。付いて来るか?」
一人の女を取り巻くのは、数え切れない男。
金蛟剪を操る恋敵は、かつての敵の義兄弟。
「何で、俺っちを助けるさ?」
「そりゃ決まってんだろ」
雲霄の瞳が細まる。
「ヨウゼンを封じるには、二人掛の方が有利だからな。一時休戦だ、黄天化」
差し出された手。
握り返して、二人の目線は彼方上空を見上げた。





「ようこそ、僕ちゃんの空間へ。太公望」
けたけたと何かが擦れるような耳障りな笑い声。
「僕ちゃんは孫天君。十天君の一人だよ」
女は眉一つ動かさずに、じっと一点を見つめるばかり。
薄い唇と、ゆらぎ一つ無い瞳。
それはまるで青天のようだと、男は呟いた。
「さてと、孫天君。このふざけた空間は何ぞ?」
人形、玩具。まるで子供の部屋のようにちりばめられた装飾品。
その中でからら…と響く孫天君の声。
そして、一体の人形がふわりと中に浮かんだ。
「これ、なーんだ」
二つに結わえたお下げ髪。
「…………蝉玉に、何をした」
「何だろうねぇ?返して欲しかったら、僕ちゃんと勝負して勝つしかないよ?」
「そうか、ならばいざ参ろうか?孫天君」
「じゃあねぇ、崩し将棋」
ざららと碁盤の上に積まれたそれを指して、太公望は四不像を呼んだ。
「スープー。おぬしが行け。わしには分からん」
「了解っす」
二人のやりとりを見ながら、太公望はじっと目を凝らす。
空間に誘い込むからには、己に有利であることは確定しているからだ。
その中で気付いたこと。
実態の見えない孫天君の大まかな位置と、その姿形。
「玉鼎」
「どうした?」
男を引き寄せて、その唇に自分のそれを淡く重ねて離す。
「……何のつもりだ?」
「孫天君は恐らくあのあたりのどれかだ」
もう一度同じように重ねて、ちらりと視線を投げる。
「次はわしが行こう。なぁに、遊びでわしに勝てる奴はそうそうおらんぞ」
「……そうだな」
「わしに攻略できぬ博打はないぞ、玉鼎」
ぱちり。と片目を閉じて身体をそっと離して。
ぱらり、と頭布を解いて前に歩み出る。
「あははは。四不像も貰っちゃった」
「次はわしが相手だ。孫天君」
「待ってたよ。太公望。僕ちゃんの箱に入れてあげる」
舞い上がる札が一枚、彼女の掌に。
「神経衰弱で勝負」
「よかろう。札はわしがきるぞ?おぬしに任せたらイカサマされそうだからな」
打神鞭で起こした風が、規則正しく札を並べていく。
同じ柄を合わせ、枚数の多いほうが勝ち。
なんとも単純な勝負である。
「さて、先攻は……」
銀貨を一枚、弾いて手で蓋をする。
「僕は裏でいいよ」
「そうか」
光る銀貨は笑うように表向き。
「わしから行くか。孫天君」
鮮やかな手つきで、太公望は札を捲り上げていく。
同じ柄が一組、二組。
面白いほどに組み合わされて。
「一体何をした?太公望」
「札を撒く時に、全部憶えた。わしの脳内に全部入っておる」
その言葉に、孫天君は声を上げて笑う。
けたけたと何かが擦れるような笑い声。
「でもねー、記憶なんて曖昧で裏切るもんだよー」
裏付けるように、札が外れる。
「そんなはずは……」
「うふふふふ。こんな事だってできるよ」
全ての札の柄が、一瞬で一つだけに変わる。
「この空間は僕ちゃんの空間。何だってできるんだからさぁ」
持ちの主の意のままになる空間。
それが、十天君の真の恐ろしさだった。
自らが負けることは、決して無い。
「さぁて、太公望」
あわせた札はこれで同数。
「これで、君も僕のものだね」
そして、一組。
少女は一瞬で人形に変わる。
羌族の衣装を身に纏い、伸びた髪を一つに結わえた愛玩人形。
目を閉じたそれは、ふわりと宙に浮かぶ。
「さぁて、今度は君の番だよ?」
「好かぬな、お前のような輩は」
斬仙剣に掛かる指。
「おっと、そんな事すると太公望の首が切れちゃうよぉ?」
実証するかのように、人形の首がきり…と回り始める。
「もう、終わっているがな」
斬仙剣の主は、光速で剣を抜くことのできる男。
それを見きることなど、不可能に近い。
鈍い音と共に、人形が床に転がり落ちた。
「あらかじめ、風で無数の傷を付けていたんだ。お前の言動から大まかな位置を
 判断して。本物だけは……血がにじむからな」
「そ……な…っ……」
「太公望(あれ)は崑崙一の策士だ。接吻一つで男を殺せるほどのな」
瞬き一つで心を射止めて。
接吻一つで一国の王を操る女。
殷も西周も女に魅入られた国家。
ただ、少女はまだ少女のままであって。
羽化不完全のまま、その羽根を開こうとしているのだ。
その羽根が、広がらずに落ちていく恐怖など考えもせず。
大地に縛り付ける鎖ごと、宙に舞ってみせようと。
(本当にな。接吻一つで傾国の力を……)
「……助かったのう……」
ごそごそと四不像と蝉玉の人形を取り出す。
「太公望」
「何じゃ?」
「もう一度、私に口付けしてくれぬか?」
「可笑しなことを」
「邪魔者が、目を覚ます前に」
くすくすと、笑って首を抱く。
「息子か?それとも……悪い父君だ」
「奪えるならば、奪え。それも私が教えたことだ」






「孫天君がやられたな。王天君よ」
ふわり…揺らめく影が一つ、二つ。
「私が行くかえ?子供に任せてもおらなんだろう?聞仲」
響く女の声に、男は眉一つ動かさない。
「いや、俺が行く。あんたらは引っ込んでな」
伸びた爪を噛むのは王天君。
「なぁ聞仲。相手はあの太公望だ。あいつが絡むと大概の男が実力以上の
 力をだすよなぁ?」
過去の例を挙げても、少女はその力を存分に発揮している。
小国が王都を相手に反旗を翻し、ここまで進んでこれたのも彼女の力だろう。
軍師として、司令官として太公望は後ろを見ることをしない。
行くべき道は唯一つ。それを知っているからだ。
身体を欠いても、彼女の意思は変わらない。
「俺ならあいつに負けねぇ。アイツよりもずっと策士だからな」
「……よかろう。ただし、援護はださん」
口輪がじゃらん、と空気を裂く。
「行ってくるぜ、姚天君」
仮面の女は無言のまま、男の背を見送った。
その下に隠した表情も心も欠片も見せないままに。




浮かび上がる姿に、太公望は唇を静かに噛んだ。
「はじめまして。だな……太公望」
「名を」
「王天君ってんだ。よろしくなぁ……別嬪さんよぉ」
指先が円を描き、その中に移るのは一人の男。
「ヨウゼン……」
「返して欲しいだろ?恋人だもんなぁ」
「ああ。それはわしのものだ。返してもらおうか」
静かな殺気は、楚々として美しくさえも思えてしまう。
女は、その瞳で全ての運命を飲み込んできた。
「なら、そこに部屋に移動宝貝がある。そいつで来な」
同じように、男の運命をじっと見つめて。
「ただし、一人乗りだ。一人で来い」
意味深な笑みを残して、消える姿。
十中八九罠であることは間違いない。
それでも、その罠に掛からないわけには行かないのだ。
「わしが行くよ。あの手の男は扱いなれておる」
「いや、私が行こう」
「わしなら、何とかたらしこむことができるかも」
「私はあの子の親だ。子を助けぬ親がどこの世界に居る?」
「…………………」
「それに、あの子にだってお前に見られたくことだってあるからな」
ヨウゼンの抱える秘密は、彼女も知ってはいる。
彼が自分から皆に告げるまではと、共にそれを抱くことにしたのだから。
「心配は要らぬ。すぐに戻る」
その背中を見送りながら、感じた一抹の不安。
そんなことはないと、頭を振る。
祈るように指を組み、深く瞳を閉じた。






「ようこそ、玉鼎真人。ヨウゼンはそこだぜ、持って帰りな」
ぐったりと倒れる愛弟子を抱き上げて、玉鼎はその背を優しく摩る。
「師匠…………」
「頑張ったな……ヨウゼン……」
「……師匠……ッ…」
天才と言われても彼もまだまだ子供なのは真実で。
輪をかけて幼い太公望を守ろうとする姿は、少年が男に変わる過程の様に思えて
どこか嬉しくさえも思えた。
封神計画への抜擢。
葛藤と孤独、そして導き出した結論。
その一つ一つを見守ってきた。
「ただし、代金は貰うぜ?タダ働きが俺は一番嫌いだからな」
小刀を取り出し、人差し指に当てる。
「太公望は無事だ。安心しろ」
「……師叔……よかった……」
安堵の笑みは疲れきって。
それでも、彼の気持ちを表すのに十分だった。
「お前のおかげで崑崙は救われた。お前は私の自慢の弟子だよ」
「……ありがとう……ございます…師匠……」
ゆっくりと発せられる言葉。
「その言葉だけで……僕は救われます……」
「もう、喋らなくても良い……ヨウゼン……」
愛弟子の肩を抱いて、出口へと足を向ける。
「怖気の走る感動の再開は済んだか?」
けらけらと口輪が笑う。
「んじゃあ、代金のお支払いを願いますってなぁ……玉鼎真人さんよぉ」
ぼたり。落ちる血液。
それは霧に変化して、室内に充満し始めた。
「何だ……?」
「宝貝、紅水陣。血の雨に打たれて死ぬがいいさ、崑崙十二仙、玉鼎真人」
赤い霧は、しずくへと変わり二人に降り注ぐ。
「!!」
「俺の血は強い酸を持ってんだ。早く逃げねぇと二人とも死んじまうぜ?」
けらけらと響く声。
十天君は己の空間に相手を引きずりこむのが能力だ。
しかし、この王天君だけは違う。
通常の空間に、己の空間を作り出すことができるのだ。
「助かる方法は唯一つ、この空間から逃げ出すこったな」
「もう一つある……お前を倒すことだ!!」
切り裂いたのが残像だと気付いても、手は届かなくて。
強くなる雨は容赦なく身体を蝕んでいく。
「けけけ……間に合うといいなぁ、玉鼎真人」
愛弟子の身体を覆うようにして、一歩ずつ足を踏み出す。
雨は見る間に溜まっていき、足骨を侵食していく。
「こりゃ二人仲良く死ねるな」
それでも、光の差すほうへと彼は歩き続ける。
雨を払いながら。
「師匠!!僕を置いてってください!!一人なら助かります!!」
「……思い出すよ……ヨウゼン……お前が赤子の頃にもこうして雨の中を歩いた
 ……濡れないように、風邪を引かぬようにと……」
誰かに守られるだけでよかった幼年期の終わりはすぐそこまで来ている。
「……大きくなったな……ヨウゼン……」
何もかもを溶かしつくすように、雨は降りしきる。
止まない赤い雨から、子供を守るように彼は歩き続けた。






「太公望、なんであそこだけ曇ってるのかしらね」
星を包み込むように、赤い霧が丸く充満する空間。
「何かしら?行ってみよーーーっと」
「待て!!勝手な行動は……!」
蝉玉の動きが止まる。
「た、太公望!!太公望っっ!!」
「玉鼎!!」
蝉玉を押しやって、影に駆け寄る。
どさりと投げ出される一人の男。
「ヨウゼン……」
「……太公望……ヨウゼンを……頼む……」
目の前で飛び散る魂魄。
ヨウゼンを抱いて、ただ見送ることしかできなかった。
「けけけけ……玉鼎真人は死んで、ヨウゼンの正体もばれてやんの。こっけいすぎて
 両腹が痛ぇ……ククククク………」
少女の瞳は、目の前の男をじっと見据えた。
同じ色の目を持つ二人。
「蝉玉帰るぞ」
「だって!!」
「ヨウゼンの手当てが先じゃ。帰るぞ」
重なる視線。
動き出す影。
「この借りは必ず返すぞ、王天君」
「こっちだって二人やられてんだ。おあいこだろ?太公望」
これが全ての始まり。
絡まった糸の端と端。
二つが触れ合った瞬間だった。




「!!」
ぞくり、と走る寒気に普賢は自分で肩を抱く。
「普賢?」
太極府印を抱えて、そっと回廊へと抜け出す姿。
「どうした?気持ち悪いのか?」
肩で息をして、倒れるように男の胸に身を寄せる。
「……玉鼎の……」
「ん?」
「……生命反応が消えたの……」
「!!」
震える小さな肩を抱いて、声さえもかけられないまま。
ただ、彼女を抱きしめることしかできなかった。
一人の女を取り合って、何度もぶつかっても。
掛け替えの無い、仲間だった。
「……なのにね……ボク……あなたじゃなくて良かった…って……思った……」
泣きそうな声は、胸を締め付ける。
「……酷い女でしょ……どこかで……道徳じゃなくて良かったって……」
「……普賢……」
死は、それを前にして初めて恐怖を与える。
頭ではわかっていても、現実は過酷で残酷だ。
その鎌首が、細い首筋に静かに触れる。
「俺だって、同じこと思うだろうな……ヨウゼンがモクタクや天化だったら……」」
残酷に時間は過ぎる。
「戻ろう。太公望が帰還する」
「……うん……」
「お前が泣いてたら、心配して失策するぞ」
涙を払って、ぎゅっと抱きしめる。
「道徳」
布越しに重なる二つの鼓動。
「最後まで、一緒に居てね」
「離れないから、絶対に。一人にはしない」




闇の中ぼんやりと見つけた光。
あれは思えば蛍に似ていた。儚くて、触れれば消えてしまうその虚ろ。
この恋は、どこに置けば良いのだろうか?
手の鳴るほうへ、手の鳴るほうへ。
怖いと思いながらも、闇夜を進み行く。
ただ、一人。
ただ―――――――――……一人で。





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22:43 2004/11/26

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