◆仙界大戦――手を伸ばして――◆





「金鰲へ、行こうと思う。ヨウゼンを救出するために」
時間からして、帰還できないのはそれなりの理由があるからだと彼女は言葉を止めた。
「ヨウゼンほどの男が戻れぬわけが無いからな」
「望ちゃん、ボクも行くよ。一人よりいいでしょ?」
太公望の隣、普賢が位置を取る。
「いや、普賢。私が行こう。お前と太公望の二人が此処を空けるのには同意しかねる」
玉鼎真人の声に、道徳真君が頷く。
「それに、私はヨウゼンの親のようなものだ。親が子を助けずに誰が助ける?」
「…………そう」
伸びた手が、外套の裾を掴む。
「普賢?」
「……………………」
それは、言葉には出来ない奇妙な感覚だった。
今。
ここで、この手を離してしまったら、彼には二度と会えないような気がしたのだ。
「……気をつけて、玉鼎」
「ああ、すぐ戻るよ。そう、心配顔はしなくてもいい」
頭に乗せられる手に目を閉じる。
「本当に?」
「ああ。ヨウゼンと、太公望と。心配は要らない」
灰白の瞳がゆっくりと細まる。
「分かった。気をつけて」
この手を、離すべきではなかった。
これが、最後になるとも知らずに。
「太公望、金鰲に行くなら蝉玉ちゃんを連れて行ったら?彼女は元々金鰲出身だし」
土行孫を腕に抱いて、蝉玉は太公望を見る。
「あたし?」
「そうだのう。道案内があれば助かる」
心配なのは、金鰲島に行くことよりも。
この男が他の仙女に現を抜かしてしまうこと。
現に、ここには普賢真人、雲中子、道行天尊の三人の仙女が居る。
そろいも揃った仙女三人なのだから。
「蝉玉、大丈夫。土行孫ならボクが見ておくよ」
「ハニーに色目使ったら承知しないわよ、普賢真人」
「安心しろ、蝉玉。普賢にこいつが何かしたら……俺がこいつを封神台に送り込んでやる」
普賢の肩を抱いて、男は少女にそう笑った。
「殺されちゃかなわないわ。ハニー、行って来るね!!」
太公望の隣にある男の姿。
最後に見たのはその、背中。
(……玉鼎、ちゃんと……帰ってきてね……)
見えない何かが囁く『彼を行かせてはいけない』と。
伸ばした指は届かないままに。
普賢はそれを静かに下ろした。
「……道徳、どうしてだろう……凄く、怖いよ……」
「普賢?」
「もしね、あなたが金鰲に行くって言ったら……ボクも一緒に行く。絶対に」
訝しげな顔をしながら、男は少女の頬に手を伸ばした。
感じるこの温かさ。
自分たちが生きていることの証明。
あと、もう少しだけしか自分たちに時間は残されていないのだ。






金鰲島の内部は、一つの核を基盤としている。
それを中心に球体の空間に仙道が住まうのだ。
「しかし、これほどまでに金鰲が発展しているとは……」
きょろきょろと辺りを見回し、太公望は息を飲んだ。
崑崙側とはまるで違う文明。
自然との融和を重んじる崑崙とはまるで反対だ。
「あったりまえでしょう?金鰲だって文明は進んでるんだから」
「そうじゃのう……まぁ、いい。ヨウゼンを探さねば」
不安げな瞳は、翳りがち。
「あたし、あっちのほう見てくるね」
「僕もいくっすよ。蝉玉さん」
一人では危険だと、四不像が後ろを付いていく。
二人を見送って、太公望は玉鼎真人のほうを見やった。
「玉鼎。ヨウゼンは無事だと思うか?」
見上げてくる、漆黒の瞳。
それは司令官ではなく、十七の少女の目線だった。
「無事ではないだろうが、生きてはいるだろう。あの子もお前が思う以上に、
 強いからな」
「……そうか。そうじゃのう。ヨウゼンがそう簡単にやられるわけは無い……」
震える手に、触れる指。
そっと絡ませて、その体温を確かめ合う。
「……わしが、ヨウゼンを守ると決めたのだ。これ以上、悲しませないと」
帰れない、帰れずに、この想いを。
憎しみも、悲しさも、分かち合うと誓ったのだから。
「……玉鼎?」
後ろから抱きしめてくる腕。
その手に自分の手を当てて、目を閉じる。
「随分と、私の息子も男に育ったものだ。淑女を射止めるほどにな」
「……山猿じゃ。一人だけでは飽き足らぬ。男は何人居てもいいものだ。
 おぬしたちの好みにはそぐわぬ小童じゃよ」
振り返る目線の妖艶さ。
濡れたように輝く唇と、ほっそりとした首。
人形のような少女は、男の魂を吸い取る妖しの器。
「悪女か?妖女か?」
「女じゃ。ただのな」
頬に手を掛けて、その唇に吸い付く。
重ねて、舌を絡ませあって、呼吸を貪った。
ちゅ、ぴちゃ…意識を蕩かす様な接吻が、力を奪っていく。
「……っは……」
「弟子と、同じ女を取り合うことだけは避けたいものだ」
布地越し、少しだけ張った乳房に手が触れる。
「悪い父君だ。あれは息子同然なのであろう?」
「色恋に、良いも悪いも無かろう?太公望」
惜しむように、もう一度だけ口唇を重ねる。
これが、最後になるとも知らずに。







「ちょっとだけいいか?」
雲中子の手を引いて、男は彼女を回廊へと連れ出す。
「どうかしたのかい?」
「どうかしてるのはお前だ。そんな青い顔して操舵室に入るな」
太乙真人の補佐として、雲中子は崑崙の中枢で指示を出す。
通常の身体ならばいいが、彼女の胎にはもう一つの命がある。
「身体が冷える服と、踵の高い靴も止めろと言ったはずだ」
「……だったら、ちゃんと帰ってきなさい。私が無茶なことをしないように。
 監視役がいなければ、何処かで浮気をするかもしれないよ?」
気丈な声と、震える瞳。
「片親になるよりは、浮気相手やらと幸せな家庭を築いたほうがいいかも知れんな」
「馬鹿言わないで!!」
赤い口紅も、緋色の爪も止めた。
麝香も消えて、煌く宝玉も箱の中に閉まった。
「どうして……そんなことばっかり考えるのよ……」
生きて、幸せになりたい。
それがこんなにも困難なことだとはあのころは思いもしなかった。
死は、目前に来て初めてその恐怖を知らしめる。
「お願いだから……死なないで……どんな形でもいいから生きて帰ってきて」
震える肩を、そっと抱く手。
こんなにも細い身体なのだと、改めて痛感した。
目の前に構える運命が、どれだけ難攻不落のものでも。
彼女は、そこから目線を決して離そうとはしない。
「喧嘩して、一緒に居よう。黄竜」
それぞれの背中に、鮮やかな羽根があるように。
彼女も懸命に羽ばたこうとしているのだ。
「いろんなこと一緒に、乗り越えて……ざまあみろって笑おう」
この大地を蹴り上げて、いざ行こう。
ただ一つの、真実のために。






「ねぇ、道徳。これ見て」
虚玉宮の庭先、普賢は一輪の花を指した。
真っ白な花は、風に揺れてともすれば散りそうにも見える。
けれども。
大地に根を張って、凛とした姿でその生命を謳歌する姿。
それは、こんな戦況の中、小さな希望だった。
「ボクたちも、この花のようにありたい。そう思う」
石段に二人で座って、そっと指を絡める。
「できることなら、誰も傷つかないようにって思ってきたけれど……」
凛と澄んだ空。何度も見上げたこの空。
「傷付かずに、憎まれずに、悲しませずに、そんなことはできないんだね。道徳……」
「……ああ……」
この小さな指は、もう……震えない。
確かな力でその意思を伝えてくるのだから。
「ね……ボク、あなたにあえてよかった」
「俺もだよ」
「あなたに恋をして、あなたを知って、誰かを守りたい!って気持ちになったの。
 こんなに大事にしてもらって……素敵な贈物までもらえた」
腹部に当てられる右手。
「君のお父様は、世界で一番素敵な人だよ。焦らないで大きくなってね……」
「媽媽(ママ)」
「やだ……まだ、おっきくなってないもん……」
「お前の媽媽は、世界で一番可愛いぞ。俺の自慢の嫁さんだ」
これから、飛び込むのは転生すら不可能な魂の監獄。
それでも、一緒に居られるのならば。
後悔は無い。
「ちっちゃくて、気が強くて、我儘で……愛しいんだ。お前になんかゆずらねぇぞ。
 期間限定で貸し出すだけだ」
「ヤキモチ?」
「そうです。自分の子供でも普賢は渡しません」
くすくすと笑う顔。
そっと、頬に触れる唇。
「大好き……生まれ変わっても、あなたに会いたい……あなたの隣にいたい」
散り行くならば、この花のように。
凛として、前を向いて行こう。
「離さないから。どこにも行けない様に」



君は小さいから、手を離したらどこかに行ってしまいそうで。
目を離すことも、できない。
流れる季節に、色を与えて。
凍っていた心を溶かし、光の中に連れ出してくれたその小さな手を。
愛しくて、守りたいと思うのです。
それが、ただの欺瞞でも自己満足でも。
この心も、体も全て差し出して、君を守りたいと思うのです。




軽快な足音とは裏腹なこの気持ち。
飲み込んで、いつもの顔を作る。
「太公望、聞太師のいる核は移動してるみたい」
「やはり、そうか」
「でもねー……!!」
一瞬にして、蝉玉が足元の模様に飲み込まれていく。
「……さっそく、おいでなさったか。いくぞ、玉鼎」
「そうだな」
掠めるように、玉鼎の唇が太公望のそれに重なる。
「軍師の腕、みせてもらおうか」
「……意地の悪い男だ」
もう一度だけ、唇を重ねる。
不安を取り去る、誰かの温かさ。
そして、運命はゆっくりとその手を広げる。
逃げられぬように、絡め取るように。




手の鳴るほうへ、手の鳴るほうへ。
行きは楽し、帰りは怖し。
帰れないのは―――――――――誰?





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23:33 2004/11/03

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