◆永劫たる幸福◆




始祖たる男は、静かに聞仲に視線を向けた。
「おぬしがしていることは、だたの支配じゃ」
真更な絹を、朱に染めるように。幼い王に己の思想を植え付ける。
「その結果がこの大虐殺。殷の太師とは名ばかりよのう」
「あなたも太公望を使い、同じことをしている。そのようなことを言う筋合いは無い!!」
禁鞭が静かに宙を舞い始め、周囲の空気の色が変わった。
殷を滅ぼす使者は一人の少女。その少女を育て上げたのがこの男なのだ。
流れの源を断たない限り、水は永劫に流れ行く。
雫はやがて大河となり、それは全てを飲み込んでしまう。
「元凶であるあなたを、決して逃がすわけには行かない」
「ふん……おぬしがしているのは大義名分を借りた私利私欲。幼い王に自分の思想を
 すりこみ、己の思うがままに育て上げる」
静かに始祖を光が包み、その姿をゆっくりと変えて行く。
時間を少しだけ戻せば、彼にも同じように純粋に誰かを思える時代があったのだ。
「!!」
精悍な肉体と、凛とした瞳。雄々しき美丈夫は言葉を紡いだ。
「おぬしは純粋だ。だからこそ皆、おぬしの『支配』に気付かなかったのだ」
失って思う、この気持ちの行方。
彼女が傍にいたならば、何かが違えていただろうか?
「おぬしの指揮の下、人間は確かに幸福だろう。造られた箱庭の中で何も知らずに
 生きる。偽物の世界でな」
最後に見たあの後姿。この男がその命を奪ったのだ。
たった一つ、永劫たる幸福を与えたかった女を。
「だがわしはそれを幸福だとは思わぬ。ただ与えられるだけの生に何が幸せだろうか」
「私は殷の名の下、人間を未来永劫に幸福にできる。殷は……何度でも蘇る!!」
「交渉は決裂じゃな」
ぶわん。始祖の回りに浮かび上がる不可思議な形の球体。
「元始様……」
「心配は無用だ白鶴。わしが負けると思うか?」
その言葉に、公主は静かに手を組み合わせた。
生まれる重力場とざわつく空気。それに気付き、男は小さく微笑んだ。
(そうか……あいつの力か……)
宝貝を使わず、術を重んじた仙女。その血を彼女も受け継いでいるのだ。
「では聞仲、始めようぞ」
「潔いな、流石は太公望の師と言ったところか」
ふと、己の手の自由が聞かないことに気がつく。
まるで空気が絡みついているかのような感触。
「重いだろう。おぬしの周囲に負荷を与えたからな」
「その宝貝……重力を操るのか。十二仙にも二人重力を使うのがいたな」
その言葉に、男の眉がわずかばかり動いた。
「そうだな。一人は愛弟子。一人は……俺の女だ」
指先が印を結び、光を帯びていく。
震えだす空気と生まれる威圧感。
「その身に受けよ、我が力を……盤固旛よ、解き放て!!」
増殖と分裂を繰り返し、盤固旛から生まれる磁場。
「おぬしには余裕など持ってはおれん。おぬしはこの二つの仙界を滅ぼすほどの
 力を持っているからのう」
一歩踏み出すことさえ困難な重み。
これが、崑崙の開祖たる男の力なのだ。
重力は骨を軋ませ、その視界から光を奪おうとする。
「……っぐ……!!これが始祖の力か……っ…」
それでもあきらめることなく男は鞭を取り、一点だけを見据えていく。
「ほほう……まだ動けるか聞仲。殺すには惜しい才能じゃが……そうも言ってられんのう」
突き出した左手が、空間を歪ませる。
「本気で俺を殺しに来たのであろう?ならば、本気で返すのが礼儀だ」
「!!」
「重力千倍の重み、己の体で知るがよい!!」





膨らみすぎた重力が渦となり、空間を歪ませる。
「……中にはまだ入れぬか……状況が変わり次第の突入じゃな」
「師叔……一つだけ、聞いてほしいことがあります」
傍らの男に静かに向けられる視線と、自嘲気味な唇。
「なんじゃ?」
「父と母に逢いました……金鰲で。母は十天君の一人、姚天君と言います」
そっと触れる指先。
「母の顔は…………道行さまと同じでした」
「……なん……だと……!?」
人間として崑崙に入った道行天尊と、金鰲十天君の一人が同じ顔であることはありえない。
ましてや二人とも始祖の信頼を得て、ともに子を生している。
その二人が同じ姿だというのだ。
「ありえぬ、そのようなこと……」
「あの暖かさは間違いなく母でした。けれど……まったく同じ姿です……」
どうであれ、この戦いの指揮官は彼女。
彼の両親を殺したのは自分だと言われてもおかしくはないのだ。
「少し、時間をくれ。わしも頭がおかしくなりそうだ」
痛みを負ったのは自分だけではない。それぞれが大切な人を亡くしている。
確かなことは唯一つだけ。
自分が今何を成すかということだけなのだ。
「わしは聞仲を倒さねばならんのだ……どうしても」
「けれど、今の師叔の身体では……」
「それでもな。わしはあやつをなんとしても越えねばならんのだよ。おぬしが父を超えたようにな」
示された道は唯一つ。この結末は自分自身が選んだもの。
もう逃げることなど…………しない。




見えすぎてしまう瞳は時として邪魔になってしまう。
霊獣の背の上で男はため息を付いた。
「仙界大戦もとうとう終わってしまいますね」
「呂望は聞仲に勝てるのかなぁ?」
意味深な笑みを浮かべて、男は天を仰ぐ。
「勝てますよ。彼女には世界が味方をします」
ただの魂の保管ではなく、根源はもっと深く深く。螺旋の中に蠢く罪。
栄光無き戦いを制するために己の命を武器にする少女。
半身を奪われたような痛みを感じる暇もなく、悲しみに暮れる時間も無い。
「封神台のほうへいきますよ、黒点虎。急いでください」
優しさを知って痛みを感じることを覚えた。
日とは痛みを感じることで強くなれる。誰かの痛みを、自分の痛みを。
足りなかった何かは誰かを失うことで初めて知った。
この感情の行方を探すための最後の戦い。
「封神台で何するのさ?申公豹」
風を切りながら霊獣は上空の彼の地を目指して進み行く。
「逢いに行きます。彼女の半分に」





光が降り立ちそれは男の姿に変わる。
少しだけ早くついた、と彼は斜め上の空を見上げた。
「遅かったな、道徳」
「おー……ちょっとな。一人にはできないからさ」
玉鼎真人の手を叩いて、握り締める。自分たちにできることは全てやり遂げてきた。
次代を担うのは新しい光たち。
「普賢は?」
「今来る。ほら」
慈航の問いに道徳は一点を指差した。流星のような光がまっすぐにこちらに向かってくる。
白銀の光の中に見える少女の姿。
手を伸ばしてそのまま抱きとめた。
「お疲れさん、よく頑張ったな」
声を殺して嗚咽する恋人を、抱きしめてただ言葉を掛けるしかできなくて。
背に回された手がぎゅっと上着を掴んで語る感情に、自分たちの役目を知らされた。
「良い子だ。最後までちゃんと闘ってきたんだ。誰もお前を責めたりしないよ」
ふるふると頭を振って、一向に顔を上げようとしない。
上着に染み込む涙と震える小さな肩。
自分で出した決断に後悔など一片も無かったはずなのに、止まらない震え。
「普賢、俺はお前が悪いなんて全っっ然思ってねぇぞ」
「俺たちの中でお前を責めるやつなんか一人も居ないだろうな」
おずおずと、赤くなった瞳が見上げてくる。
「俺たちはできる限りのことをした。お前一人が責任を感じることは無いんだぞ」
押し潰されそうだった不安は消えて、残ったのは穏やかな感情。
「成長したな、普賢。一足早く来させてもらった」
「わしらも隠居じゃのう。それにしても一人足りぬな」
衢留孫の声に文殊が眼鏡を押し上げた。
「だな。道行が来てねぇ」
太乙真人を除く十一人が聞仲との一戦で命を落としこの封神台へ来るはずだった。
「あちらの十天君……一人だけ気になる女が居るってとこだな」
普賢を抱き下ろして指先をそっと絡ませる。
「消去法で行こうぜ。黄竜がたしか張天君とあたってんだよな?」
慈航道人の言葉に、黄竜真人が頷く。
「玉鼎は王天君」
「ああ」
愛弟子を守るために、彼はその命を盾にした。
「ボクは可愛い毛玉さん」
「それは袁天君だな」
次々に消えていく名前。一つ一つを確かめながらぼんやりとしている感覚を取り戻していく。
「爺さん、何か隠してんだろ?俺たちに」
衢留孫と霊宝、そして文殊と道行。この四人だけが知りうる始祖の秘密。
取引された子供と裏で張り巡らされた蜘蛛の糸。
「ボクも少しは調べたよ。昔のことやそれから……道行たちのことも」
未だなお深まるばかりのこの疑問。
無機質な空を見上げて普賢は口を噤んだ。
「その解を差し上げましょうか。普賢真人」
「!!」
男の声に道徳は普賢を自分の後ろへと。
「……久々にみるツラだなぁ、申公豹」
「これはこれは文殊広法天尊までこんなところに。お久しぶりですね」
男の傍らには霊獣の姿。しかし、本来は封神台の内部に入ることすら困難なはず。
それを苦もなく入り込んできたのだ。
最強の道士の名は飾りではないということ。
「あなた方が隠していることを私は知っているということです」
伸るか反るかの賭けならば、この男をここで逃がすわけにはいかない。
何よりも親友の恋人の一人であるならば、自分に害をなすことは無いだろう。
「その解を、くれる?」
「ええ」
すい、と伸びてくる手。
「でも、一人では移動できないんだ。これでも一応妊婦だからね」
腹部に当たる手に申公豹はふむ、と首を捻った。
太公望とは対極の位置に居る少女。命を武器にして戦い抜いてきた彼女の姿。
「に、妊婦!?何だそりゃ!?」
たじろぐ慈航に道徳はぽつりと呟いた。
「ああ、俺ら結婚したんだ。んで子供も授かったから。んなに驚くことでもないだろ?」
「普賢、離縁の際にはすぐに言ってくれ」
騒がしい外野に口元を押さえてくすくすと笑う。
「この人も一緒に連れて行ってもいいかな?」
「わかりました。呂望の親友を無下に扱うわけにも行きませんからね」





無理やりに捕まえた管理用の妖怪鳥に枷を嵌めて、その背に乗り込む。
どうやら封神台の内部はそれぞれが独立した空間になっているらしい。
「すごいね……こんな風になってるんだ……」
それぞれが自分の空間を構え、のんびりと次の光を待つ。
「あのあたりを借りましょう」
示された場所に降り立って、あたりを見回す。
それぞれに通じる小さな道の上を走る滑車。
「あれ、どうして椅子が?」
更地だった場所に現れる長椅子と揺り椅子。中央に突出する卓台。
さらに茶器と甘い菓子まで現れる。
「……望めば、どうとでもなる空間ってことか」
長椅子に普賢を座らせて、男は左手を前に突き出した。
「!!」
種は一瞬で芽吹き大木へと変化していく。彼が好んだ菩提樹へと。
勘の鋭さは誰にも引けを取らない、その度胸も。
「ええ。それがこの封神台ですからね」
同じように掛けて、申公豹は二人のほうを向きなおした。
「どこまで御存知ですか?この計画のことを」
妲己の魂魄を捕獲するための計画は、今やその構図を格段に広げている。
自分たちが最初に聞いた計画とはすでに別腿になっているとも言えるのだ。
流れは人間の世界そのものを動かし、二つの仙界は今や消滅寸前。
仙道の多くがこの封神台にその魂を収監された。
自分たちも、その中の一人。
「君は……どこまで知ってるのかな?」
何かを暴き出そうと灰白の瞳が男を見据えた。
「貴女よりは知ってますよ、普賢真人」
騙しあいの応酬で時間を潰しているほど、互いに暇は無い。
「私の師匠の話をしましょうか」
僅かに少女の眉尾が上がる。それに気づいた彼はそっとその手を握った。
死してなお自分たちには安息は無い。そういわれているかのようにさえ思える。
「三大仙人の一人、太上老君。名前だけは聞いたことがあるでしょう?」
二つの仙界の始祖ともう一人、それが件の太上老君だ。
表舞台に出ることは皆無に等しくその姿を見たものは極少数。
「老子は時折面白いことをするのですよ、あの方らしい」
「面白い?」
「文殊広法天尊を初めとする先の十二仙は……いえ、道行天尊を除くといったほうが
 正しいですね。知っているのですよ、彼女が誰を模写して作られたのか」
最後の言葉に眉を潜める。
彼は確かに「作られた」と発したのだから。
「魂魄を分離して、作られた器に移し変える。そうすれば彼女の目が完成する」
「どういうことだ?作られた器?」
考え込む普賢を傍らに男はそう呟いた。
「二つの仙界を見張るために作られた女。それが道行天尊と姚天君です。老子の姿を
 写したのは始祖二人を牽制するため……尤も、監視などとは知らずにあのような結果になりましたがね」
どちらも開祖の子を孕み、生み育てた。
こんな結末を迎えなければ、和解の末に手を取り合うことができたのかもしれない。
「偶然を装えば人はそれを運命と言う言葉で誤魔化す事もできます」
仙人骨を持つものや、妖精を仙界に引き上げないわけには行かない。
それを見越しての行動だと彼は言うのだ。
「君はそれをボクたちに教えてどうするの?ボクたちはもうやるべきことはやったよ」
「あなた方はまだここでやるべきことがあります。そのために貴女の疑問に解を与えたのです」
齢五千を超える仙道はそう多くはない。恋人ですらまだその手前だ。
「一度、姚天君に逢うことを進めますよ。もう一人の開祖、通天教主にも」
雷公鞭の先端で、ばちばちと火花が生まれる。
「君の目的は……何?」
与えられた『解』はより深くの『謎』へと導く。
「面白いことをより面白くするために。そのための手間は惜しみませんよ」
もうじき決するであろうこの仙界大戦。
生まれた疑問符は宝石のように光を帯びて心の中に沈んでいく。
導かれた結末をここで見届けることこそが、始まりになるのだから。




ゆがんだ空間から襲い来る無数の鞭。
男の身体を容赦なく打ち据えてその命を噛み砕こうとする。
「……私は……殷のためならば何だってできる。それが私の使命だからだ!!」
傷口から流れる夥しい量の血液など無いかのように、聞仲は始祖の首を狙う。
瞳に狂気にも似た色を宿しながら。
『重力場が消えたぜ。太公望』
「行ってくれスープー。時間が無い」
目の前で崩れ行く崑崙山を見ながら、少女は唇を噛んだ。
震える指先をぎゅっと握って、まっすぐ前を睨む。
「!」
その指にそっと触れる青年のそれ。
「師叔、最後までお供します。僕も貴女と一緒に闘いたいんです」
「……すまぬ」
「謝られる謂れなんてありませんよ。僕がしたいからそうしてるんですから」




命は美しきもの。
短命の百合はまだその色を失わない。




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10:58 2005/09/22

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