◆魔法使いと銀のスプーン◆





教皇宮で女は少年に解く。彼らの進むべき道を。
見上げる瞳はまだ無垢なる光を抱いてこの先の未来など見えはしない気もした。




「これ、サガ、カノン!!」
執務室を走り回る双子の少年に女の声が飛ぶ。
聖域でも最も奥まった場所に属する教皇宮。
その中でもこの執務室は教皇シオン以外はほとんど立ち入らない場所でもある。
「なんでこんなにもやんちゃかのう……これ、カノン!!カーテンを引っ張るでない!!」
「やーだー。教皇様はそこでお仕事してればいいよっ!!」
兄の後ろをどたばたと追いかける弟。
双子の姿にシオンは頭を抱えるばかり。
「ふぅむ……どうやってこれらを双子座の星が導くようにすればいいのだ……」
冠の下から覗く銀色の豊かな髪は光を受けて星のようにきらめく。
白の衣を纏う女は静かに席を立った。
「教皇様?」
「どしたの?教皇様」
寸分違わぬその姿。しかし内なるものはまったく異なった二人。
それぞれの頭に手を置いてシオンは小さく笑う。
「おぬしら二人は双子座の星に選ばれた者。いずれかは双子座の聖闘士として戦わねば
 ならぬのだ。このようの騒ぎ立ててばかりではいかん」
細く澄んだ声。二百数十年を生きてきたとは誰が信じるだろうか。
前聖戦を生き抜き、聖域に教皇として君臨した一人の女。
すべての命あるものへの慈悲を持つことを定めとした女神の礎。
「教皇様も聖闘士だったのですか?」
兄の問いに静かに頷く。
深緑の瞳がそっと憂うように閉じた。
「牡羊座の聖衣を纏って戦ったのもはるか昔ゆえにのう……」
懐かしむには凄惨過ぎる記憶。鮮やか過ぎて今も忘れることはできない。
死を迎えるにはまだ早いと秒針は回り続ける。
さびた針があと何度巡れば安息はやってくるだろう?
「やっぱ相手はばけもんだったの?」
「カノン!!」
身を乗り出す弟を制する幼い腕。
まだ五つの子供に何を求めろというのだと女は笑う。
「冥界の戦士ゆえに化け物かもしれんのう。ほれほれ、お前たちはまずそこの本を全部
 頭にたたき込め。まったく、神官の血を引くならばもっとそれらしくすればいいものを……」
それでも彼女にとってこの双子の少年は愛しく掛け替えのない存在。
毎日教皇宮へと通ってくれる。
「なぁ、前の双子座の聖闘士ってどんなやつだったんだ?」
たった二人生き残ってしまった。
十人の思いと願いを両手に携えて今まで生きてきた。
「雄々しくも優しい方だった。このシオンの手には彼の人の全てが宿っている」
後任者が見つかったものには教えられる限りのことを伝えた。
それでもいまだ双子座、獅子座、射手座は空席のまま。
「どんな?どんなったんだよー?気になるよな、サガ」
「確かにどんな人だったんだろうね。カノン」
時の魔法にかけられて十八だった少女はゆっくりと老いて行った。
冠の下の素顔を知るものは今やただ一人だけ。
「ふむ。お前たちに少しやる気を出させてみるか」
指先がゆっくりと円を描くように曲げられてその間にきらめく星屑たち。
冬の星座を封じたような輝きに二人は息を飲んだ。
「憶えればあの美しき銀河さえも打つ砕くことができる……ほしくはないかおぬしら?」
左手が天に向かいそのまま叩きつけるように下がる。
「!!」
瞬時にそれは大理石の床に大穴をあけて周辺のものを消滅させた。
「ギャラクシアンエクスプロージョン……星の加護を受けるものが使えば百にも千にも
 なる。このシオンは牡羊座を背負う者。双子星の加護は持たんぬが……それでもこれ
 くらいにはできるぞ?どうじゃ?」
「すげーーーーーーーーーーーーー!!!!俺、絶対に聖闘士になる!!」
「僕も!!がんばって双子座の聖闘士になる!!」
けれども、彼らはまだ知る由もない。
聖衣は一つしかないと言う事を。
「な、な。いつ教えてくれんの?教皇様」
「早くそんな技が出せるようになりたいです!!」
両脇から抱きつく二人の肩を抱く手の優しさ。
祭壇に祈りを捧げる時の厳粛さはなく穏やかな陽だまりのような空気。
「まずはそこの本を全部読むことからだ。それから好き嫌いを無くす。サガ、いつまでたっても
 トマトが食えぬようでは聖闘士にはなれぬぞ」
その言葉に気まずい顔をする兄を弟が笑う。
「カノン、おぬしもだ。ブロッコリーも食えぬようでは聖衣はやれぬ」
司祭服を着た二人の少年。
禁忌とされる双子を女はどちらも生かす事を選んだ。
片方を噤んだ所で生まれるのは憎しみだけ。命は全てにおいて等価値であると。
「いいか?私が戻るまでおとなしく聖典を読んでいるのだぞ」
扉の閉まる音と消える姿。
銀色の髪の名残の光が部屋の中で蝶のように舞った。




回廊を歩く教皇の姿に神官たちが深々と頭を下げる。
どれだけ時間が流れてもなれないものだと女は冠の下でため息をついた。
「教皇様、どちらへ?」
「厨房に。何か菓子でも見繕うとな」
その言葉に神官たちが慌てふためく。本来、教皇が厨房に向かうなど有り得ないことだからだ。
聖域の歴史上初の女性教皇は古いしきたりを次々に撤廃していく。
その一つが射手座の黄金聖闘士の筆頭候補に上がった少女の存在。
最高位の黄道十二星座に女子が入ることはまず無い。
しかしながら自らがそうだった様に星が導くのならばそれが一番だと彼女は訂した。
「シオン様!!」
朗らかな声に振り返れば件の射手座の少女。その名をアイオロスと言う。
「アイオロスか。良いところに来たな、今から厨房に菓子など漁りに行く所じゃ」
「やったあ!!木苺のタルトが食べたい!!」
「ほう、ならばそれにするか」
小さな手を引いて絨毯の上を歩く姿はまるで母と子のようで。
「教皇様、ならば執務室にお持ちいたしますので!!」
「このシオンも『きいちごのたると』とやらを食してみたいのだ。ならば自分でとりに
 行かねばなるまいて。のう、アイオロスや」
栗金の髪はふわふわと跳ねて柔らか頬は絵画の中で見る天使のような薔薇色。
「どうか、どうかお戻りを!!教皇様が厨房に向かわれるなど!!」
神官の懇願に首を傾げて少女に視線を移す。
「シオン様、ロスが行ってくるよ。お部屋までちゃんと持っていけるから大丈夫」
少女の言葉に神官が深々と頷く。
その必死さにはさすがのシオンでも首を縦に振るしか無かった。
「そうか、ならばアイオロスに頼もうか」
「はーい」
まっすぐに厨房に向かう姿を見送ってきた道をゆっくりと戻る。
いつの間にか自分は担ぎ上げられる存在となってしまった。
夢の終わりのような午後の日差し。
「あれ?おやつは?」
「アイオロスが代わりに取りに行っておる」
聖典に書き込まれた二人の文字に女は目を細める。
たどたどしいながらもそれぞれが自分の力で書き込んだ祈りの言葉。
「アイオロスが来てるのですか?」
二人と違い、射手座の少女は近隣の村からその足で駆けてくる。
まだ親元から離すには忍びないと。
「あいつ、この間さ俺のこと思いっきり蹴りやがったんたぜ」
「それはロスのクッキーをカノンが全部食べたから」
銀のトレイを持ちながら少女はつかつかと進む。
「蹴られるくらいぼけぇーっとしてたもん」
「うるせえ!!この男女!!」
トレイを置いて静かに拳を組み合わせる。
「アトミック…………」
「待ってアイオロス!!それまだ完全にマスターしてな……」
サガが言い終える前にシオンの指先が少女の拳を封じた。
「喧嘩するならばきいちごのたるとはこのシオンがみな戴くぞ」
古代の遺産を守るように重ねられた日々。
その凛とした声は衰えを知らない。
「止めます。ロスは喧嘩しない」
「俺も!!」
「僕も」
ああ、このときが永遠ならばとどれだけ願っただろうか?
この三人に待ち受ける未来など誰が思えただろう。
残酷な弁証法は見ない振りをしてしまえばいい。
銀色のスプーンを握る幼い手には希望の光を。
その瞳に翳りなど無いようにと祈りの言葉をつむいだ。





空は燃える様な闇紫色。
雷鳴の前の静けさに天蓋を見あげては首を振る。
傷む傷口は変わることなく存在し、雨音は罪を抉り行く。
「誰だ?」
気配を感じ、念動力で重厚な扉を開く。
暗がりに浮かぶ小さな姿。
「カノン」
「………………………」
抱えた枕から察するにどうやら兄と喧嘩でもしたらしい。
頬を膨らませて女の隣に座り込む。
「どうした?」
「雷鳴ってんだもん…………!!」
いい終わるや否や鳴り響く雷鳴に少年は女にしがみ付く。
震える肩口から相当に苦手なことを察してシオンはその小さな背中を抱きしめた。
「カノンよ、雷は好かぬか?」
「好きなやつなんかいねぇ……うわっ!!」
子供をあやす様にして胸に抱く。
布越しに伝わる心音に少年の安堵のため息。
「サガはどうした?」
「あ!!途中ではぐれた!!」
二人でここまで来る途中でどうやらカノンのほうが走り出してしまったらしい。
ふむ、と首を捻って女は二度ほど銀の鈴を鳴らした。
「あ!!」
何かに抱えられるようにして現れる兄の姿。
泣き疲れて眠ったのか頬には涙の跡。
「おい、サガ!!」
「うぇ……カノン?」
そっと抱きとめた女の腕にここがどこなのかを少年は悟る。
「おぬしも雷は好かぬか、サガよ」
「はい…………」
両脇に双子を抱いて女は窓を打つ雨に耳を傾ける。
親元から引き離すには早すぎたかもしれない。
それでも星の輝きが二人の同じように降り注ぐこの不思議な導きを信じれば。
その光の色が互いに違うことさえも当たり前だと思えたのかも知れずに。
「仕方ないのう、今夜はここで休むがいい」
寝る準備に掛かろうと冠に手が掛かる。
その光景を二人は珍しそうに眺めていた。
教皇シオンの素顔を知るものはほとんどいない。
神官たちですらその姿を問われれば首を傾げるほどだ。
揺れる銀の髪が魔法のように煌く。
「ん?私の顔に何かついているか?」
闇緑の瞳を飾る長い睫。陶器でも模したかのような肌の滑らかさ。
想像していたような老婆ではなく三十も終わる頃合だろうか。
「ばーさんじゃなかった」
「うん…………」
手にしたブラシで女は二人の髪を丁寧に梳かしていく。
母親にそうされていた日々が二人を郷愁へと導いて。
先に涙をこぼしたのは弟。
そして同じように兄も。
どれだけ資質があってもまだ子供なのだと。
「どれ、二人ともこっちへおいで」
抱き寄せて静かに眠りの神を待つ。
暗がりを灯す蝋燭を吹き消して闇を甘受して。
聞こえてくる寝息に穏やかに笑みを浮かべ瞳を閉じる。
(まだ幼いのだ……あの星の光など変わるかも知れぬ……)
双子星の一つに宿る悪しき光。片方を断つことを選ばずに未来に賭けた。
聖典に落書きされた未来がこの二人に降り注ぐようにと。
『カノンと二人で双子座の聖闘士になれますように』
兄が綴った未来は皮肉にも形を変えてかなう事になる。
導かれてしまった不幸せと何も知らないままの幸福はどちらを善とすればいいのだろう。
別々の朝を迎えるように引き離したところで未来視は変わらない。
『サガと一緒に聖闘士になって一緒に戦えますように』
弟の願いは神に聞き入れられて悲劇を招く。
何もかもが見えるこの瞳を抉って彼らの未来が変わるならばいくらでも差し出せる。
ただ一つだけ。たった一つだけ。
双子座の聖衣が持つ二つの顔。
(決まったわけではない……光は絶えぬ……)
今ここにある魂はまだ何も知らない。運命など二つの手で切り裂いてしまえばいい。
自分に残せるものなどわずかしかないのだから。
「寝れぬか?カノン」
その声に少年が体をゆっくりと起こす。
額に触れる唇に頷いて女の手を握った。
「んー……うん……」
窓の外、嵐は激しさを増していく。
本質として神経が細いのはどちらかと言えば弟のほう。
「もう、かーさんたちには逢えないの?俺」
教皇宮に引き取られてから三年が過ぎた。
双子の存在は忌まれるものだったが、教皇の一言で二人はその命を繋ぐ事となったのだ。
神以外に命を選ぶことなどできない、と。
「カノンや、母親に逢いたいか?」
女の指が少年の頬に触れる。
「でも、サガも我慢してるから……」
「影で泣いておるがのう。お前と同じで」
どれだけ恋しくとも兄はそれを表に出すことはしない。
どこか大人びた翳りを見せる反面、閉じ込めた感情は涙に変わる。
「サガもいるから、いーんだけどさ……」
頭に乗る優しい手。愛しいと何度も撫で摩る。
もうぼんやりとしかない母の記憶。
「カノンや、おぬしの名前の意味を知っておるか?」
「知らない」
「歌われる願い、それがカノンの意味するところ」
望まれて生まれてきた。
愛されるために生まれてきた。
「そっか……俺、要らない子供じゃないんだ……」
「みなに愛されるために生まれてきた。カノン、お前もサガも。このシオンにとって
 同じように大事で愛しい」
不安でいっぱいの瞳に宿る小さな光。
「明日も早い、もうお休み」
「……うん……」
両方の腕に子供を抱いて。二人は同じように女の乳房に手をかけた。
この大地に人間は降り立った。
その日から繰り返される喜びと悲しみ。
時が巡ってもきっとそれは変わらない。
「お休み、いい夢を」
もしも魔法と言うものが使えるならば。
彼らのこの先の未来に銀の匙を使って光を加えるだろう。
迷いながらも己の信じる道へ進めるように。
決して神々が決めたレールの上など歩まずとも良いように。
人間は小さく儚く、裏切りを繰り返し同じ人間なのに殺しあう。
けれども。
人は誰かを愛することができる。
運命をも愛せるのならば何かが変わるのかもしれない。
「お前たち二人はどちらも愛い子じゃ。望まれて生まれてきた」
誰かに優しくなりたいから人は強さを望む。
聖典に刻まれた言葉をこの先も二人が忘れることのないようにとシオンは瞳を閉じた。





日差しに誘われるように宮を抜け出そう。
手を取って忍び足。
「なぁサガ、ちょっと待てよ」
抜け道を見つけたのは兄。振り向いて弟の顔を覗き込む。
「急がないと見つかっちゃうよ、カノン」
「教皇様も連れてこうぜ。そしたら見つかったって平気だろ?」
執務室の扉を開いて。
「何をしておるのだ、お前たち」
「教皇様も連れて行こうと思って。なんていうんだっけ、サガ。ほら、あれ」
にこり、と笑うと二人が手を差し出す。
「デート、です。教皇様」
「お前たちと?」
「早く行こうぜ。秘密の抜け道、教皇様だけに教えるからよ。ロスだってしらねぇんだから」
二人に手をとられて裏庭を抜け出す。
遥かな記憶。幼いころこうして抜け出して叱られた思い出。
緑の合間を、崩れかけた壁の隙間を。
忘れていた何かを思い出すための儀式にも似ていた。
「ほら、ここ」
聖域を一望できる丘から見たこの風景。
「僕が見つけてカノンを連れてきたんです」
「んで、教皇様にも見せたいなって言ってたんだ」
この二人に限りない未来を。
祝福と自愛に満ちた穏やかな日々を。
「サガ、カノンや」
二人を抱き寄せて頬に唇を落とす。
「良いものを……二人とも愛い子じゃ。しかし、脱走は見過ごすわけには行かぬ。帰ったら
 みっちりと鍛えなおしてやるゆえに、覚悟をするが良い」
そうは言うものの唇は笑う。
頬を撫でる五月の風。
もうすぐ二人にも一つ年輪が増える季節。
「一眠りしていくか。最近は仕事が多くてろくに寝ておらん」
冠をはずして巨木に凭れて女は瞳を閉じた。
その両脇に同じように二人の少年も。
「よく寝てよく育て」
「おう!!」
「はいっ」




絶え間なく揺れる小さな光。
その未来を照らし永遠とならんことを―――――――――。






21:57 2007/05/29

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