◆双子座の彼氏◆
(すばらしい眠りっぷりだよな…………)
幸せそうに寝息を立てる少女を、青年はじっと見詰める。
ここはスターヒルから程近い双魚宮。
眠っているのは魚座の守護人のアフロディーテという少女。
(まあ、聖域も最近は平和だし、アフロに聖衣纏って戦えって言うのも酷だしな)
青年の名前はサガ。本来は双児宮を守護する双子座の守護人。
曰くありで現在、聖闘士を統括する教皇という立場に着く。
柔らか頬も乳白色の肌も、穏やかな金の髪も。
(親御さんもアフロなんて適任な名前付けちゃって)
多少扱いにくいところも含めて、青年は少女を愛しいと思う。
それは彼女が聖域に来たときにはおそらく持ち得ない感情だった。
教皇の間に通されたのは、どう考えても聖闘士には不釣合いな少女。
それでもしっかりと魚座の黄金聖衣をもっているのだからそれはそれとして認めなければならない。
「お前が魚座の聖闘士か?」
表面上は冷静を装っても、サガも人間。
こんな子供が聖闘士ですといっても、俄かに信じがたい。
「はい。アフロディーテっていいます。おじ様」
長い睫と濡れた様な唇。
(お、おじ様って……俺まだ一応、十代なんだけど……)
サガの困惑などいざ知らず。
仮面の下の素顔を知らない少女にすれば、教皇などという大言壮語な職務は立派に年配の人間を想像させた。
「きょ……今日からはアテナの聖闘士として、その命が尽きるまで忠誠を誓えるか?」
「はい。お師匠様からいただいたこの魚座の聖衣に恥じないように」
双魚宮を少女に割り当てて、現時点での黄金聖闘士を考えてサガは頭を抱えた。
山羊座を守護するのも少女。蟹座を守護するのは若干行動に問題のある少年。
今この状態で万が一にでも聖域が攻められたら成す術は無い。
(ま……そのときは俺がアザナーディメンションを決めればいっか……)
このとき双子座のサガ十八歳、魚座のアフロディーテ十二歳。
後に、サガの反乱と呼ばれる教皇暗殺より四年が過ぎていた。
慣れない生活の中で、まだ守護人不在の宝瓶宮をはさんで少女二人は親密になる。
「アフロ、パエリヤ作ったんだけど食べる?」
「食べる〜〜〜シュラってお料理上手だよね。すご〜い」
彼女にとって、山羊座の守護人は姉のような存在でもあり良き相談相手。
なんだかんだと理由をつけては二人は一緒に居ることが多かった。
「午後からどうするの?」
「うん、アフロ呼び出されてるの。教皇に。だから行ってくる」
「大変だね。双魚宮って一番近いから何かと雑用言われるかも。何かあったら、私が
エクスカリバーでやっちゃってあげるからね!」
その言葉に違わず、シュラは先日蟹座の守護人を一刀両断の寸前まで追い込んだ。
少年が泣きながら五老峰を訪れ、老師に渇を入れられたのは有名な話だ。
身支度を整えるために鏡台に向かう。
髪にはブラシを入れて、唇には淡い色を。
聖闘士とはいえ、少女は少女。
(聖衣……着てかなきゃいけないのかな……)
必要時以外は聖衣箱は空けてはならない。
(呼び出しは必要時だよね。空けちゃお)
スターヒルに続く階段は、木々も無く殺風景。
自分の宮からここまでが、花々に埋もれていたらどんなに素敵だろう。
(今度ここ、お花で埋めちゃおう。そのほうがきれいだし、教皇だって喜ぶよね)
小宇宙を集中させて、何本かの薔薇に具現化させる。
棘はすべて排除し、持つものと傷つけることが無いように、と。
長い階段を上りきって辿り着く教皇の住まう場所。
「教皇〜〜、アフロディーテ参りました。いないのかなぁ……」
きょろきょろと辺りを見回すも、その姿は見当たらない。
「どこですかぁ〜、来ましたよ〜〜」
裏庭、回廊、アテナ神殿。大まかに探しても見当たらない。
「どっかで倒れてるのかな、おじいちゃんっぽいし……」
かつん、かつん、を鳴り響く靴の音。
「どこですか〜〜〜〜〜っ?」
そして、辿り着いたのは小さな丘。
そこに立てられた十字架の前で、男は祈るように立ち尽くしていた。
「教皇、こんなところに」
「ああ、魚座の……そうだったな。呼んでいて忘れていたよ」
何度季節が過ぎ行こうとも、拭うぬ罪。
そこに眠るものは無くとも、青年は祈らずに入られずに虚構の墓標を立てた。
「お墓…………」
「ここには私の親友が眠る。今日はその命日だ」
その言葉に少女はそっと一輪の花を手向ける。
「一緒に祈ります。その方が幸せに眠れるように」
それから教皇は何かと魚座の少女を宮に呼ぶようになる。
そして彼女が聖域に来てから二度目の春が来た。
「教皇はどうしていつも、仮面をかぶられているのですか?」
「人々を救うに表の顔は必要が無いからな」
「蒸れませんか?なんか暑そう。アフロ……私はヘッドギアがあまり好きじゃなくって」
その言葉に男は笑いをかみ殺す。
「あ、笑った」
「いや、黄金聖闘士にもヘッドギアをつけることを好まないのは何人かいるからな。それを
気にすることも無いかと思ってな……」
教皇として座するようになってから、青年は感情が希薄になっていた。
それでもこの少女は何かと自分の感情を揺る動かしてくれる貴重な存在。
「見たいか?私の顔を」
「はい。あー、でも……見られたくないからかぶって……」
それはほんの悪戯だった。
男の指が仮面に掛かり、静かにそれをはずしていく。
「これが私の顔だ。面白みはなんだろう?」
「……おじ様でもおじいさまでもなかったんですね。びっくりしました」
誰かにすべてを打ち明けて、誰かにすべてを受け入れられたい。
仮面は偽りの自分そのものだった。
青年の中に眠るもう一つの人格。
「そんなにカッコイイなら、仮面なんてかぶらないほうが素敵だと思います」
「カ、カッコイイ?私が?」
「はい。私はそっちの教皇のほうがずっと好きです」
寄せられる無償の好意。世界はまだ光を持ち合わせて。
「……俺の本当の名は……双子座の守護人のサガ……お前と同じ黄金聖闘士だ……」
からら、と音を立てて転がる仮面。
「数年前に教皇を暗殺し……っ……それを知り女神を……っこの、聖……域から…ッ!!
逃そうとした……っっ……」
青年の銀の髪が見る間に漆黒に染まっていく。
「邪魔者だったアイオロスを殺させたのもこの俺だ。いずれはこの世界を俺が掌握する!!」
少女の首に手が掛かり、締め上げていく。
「邪魔者はこうして始末してしまえばいい」
「……アフロは、要らない子……ですか……?」
何かもを捨てて修行に励み、残りの生涯全てを聖闘士と生きることを義務付けられた。
ぽろり、ぽろり。こぼれ落ちる涙。
「本当に悪い人なら……お墓にお祈りなんてしないよ……」
「………………」
ふい、と呼吸が楽になり少女は青年を見上げた。
「帰れ。ここには来るな」
「目が真っ赤。泣いてるの?サガ」
「誰が泣くか!!これは元々だ!!」
青年の手をとって、そっと握る。
「サガは悪い人じゃないよ。アフロはサガのこと好きだよ」
「……ガキに好かれても嬉しくもなんともねぇ……。それに普通は怖がるだろうが!!
実の弟にさえ、怖がられたんだぞ!!」
「教皇ってお仕事は大変だから、イライラするんだと思うよ。アフロも薔薇がうまく育たないと
ちょっと嫌な気分になるもん」
「お前、自分が殺されそうになってんだぞ!!」
「聖衣もらうときに、何度も死に掛けたよ。だからここに来たんだもん」
玉座にどっかりと座って、サガはため息をついた。
そして、もう一人の自分が持て余していた感情を知る。
(ふん……確かに甘っちょろい奴にはいいかもな……)
じっと見上げてくる視線。
「何だよ」
「これ、あげる」
手にしたのは一輪の白薔薇。
殺風景なこの宮に、色を加えたいと生み出したもの。
「……ちょっとこっち来い!!」
少女の手をつかんで抱き寄せる。
小さく軽い体は簡単に男の意のままになった。
「お前、さっき俺のこと好きだって言ったよな?」
真紅の瞳が、少女のそれを見つめ返す。
「じゃあ、俺がここでお前を抱いたって文句はいわねぇよな?」
「えええええええええっっ!?」
「だってお前俺のこと……っ!!……邪魔すんなって言ってんだろ!!」
一つの体に宿る二つの人格。
心のよりどころをどうにか守ろうと二人のサガが鬩ぎ合う。
「……っ、ああああっっ!!」
「サ、サガ…………?」
「……無事、みたいだな……良かった……」
大きく息をすいなおして、青年はどさりと体を椅子に投げ出す。
「サガ、二人いるの?」
「そういう風に思ってもらえるなら、私が楽になれる……」
青年の唇に、少女のそれが触れるように重なる。
「さっきのサガが怒らないように。それだけ」
掠めるようなキス。
それでけなのに胸が高鳴る。
「……それは、私から改めてさせてもらってもいいものか?」
言葉を返す前に重なる唇。
何度も何度も、その小さな身体を抱きしめながら。
「とりあえず、手付け代わりに」
「……教皇さまもサガも……」
「サガで構わない。誰も俺の名を呼んではくれないからな……」
罪、それは人間について回るもの。
「できればあれよりも、俺をちゃんと認めてほしいんだが」
それは、二つの人格が初めて一つの目的を持ったのかもしれない。
「続きは追々させてもらえれば……」
「変な人」
「まだ健康な二十歳なもんでね、これでも」
スパイスと肉の焼ける匂いで目が覚める。
「んーー……サガ?」
「ちょっと待っててくださいねぇ。もうじきできるから」
ラムの臭みを消すために、青年はあれこれと香辛料を混ぜ合わせていく。
あげたポテトと焼きあがったラム。
「まぁ、俺の作れるもんなんてこんなもんですが」
「ピタ、好き。スタッフドトマトもある」
「軽く食べる分にはちょうどいいくらいだろ?」
元々は世話好きで慕われていた青年は、料理もそつなくこなしてしまう。
男だから女だからではなく、そうしたいからが基本理念らしい。
「サガ」
「ん?」
柔らかな胸が腕に当たって。
「まぁ、外に出ないなら良いんだが……下着とかはつけたほうが……」
「違うサガが無いほうが好きって」
その言葉に崩壊しかける感情を一気に飲み込む。
(あ……あいつめ!!俺だってそんなこと言ってないってのに!!)
「型崩れするとわるいから、ちゃんとつけような」
「うん」
成長期の身体は日に日にその姿を変えていく。
柔らかな線はそのままに、細やかな筋肉で構成される小さな身体。
「爪、綺麗な色だね」
「本当?ありがとう」
何もかもが色を失っていた景色の中で、女神を守るために生まれた彼女だけが色を持っていた。
「明日のことはわからないし、昨日のことは忘れていいと思う」
巡り来る季節が美しいと感じられるように。
「泣かないで。サガは一人じゃない」
涙が流れるのは、自分が人間である証。
誰かの暖かさが必要なように、この世には善も悪も結局は必要なものなのだ。
紙を殺そうとした青年の元にやってきたのは、女神の名を持つ少女。
ともにこの世界を守るための戦士。
「どんなことがっても、アフロはサガの傍にいるよ」
その言葉に偽りはなく、双魚宮の主は最後まで青年と共にいる事となる。
「ね?」
「そうだな……」
「お昼にしよ?サガのご飯おいしいからすき」
どんな罪も罰も、この身に受け入れよう。
それまでの日々を、彼女と過ごせるのならばどんな厳罰でも。
この枯れた大地に落ちた一滴の雫。
芽吹かせた感情を『恋』と呼ぶ。
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20:45 2007/02/25