◆朝焼け二時間前◆





「じゃあ、夜遊びにいってきまーす!!」
サガに手を振って女は階段を勢い良く駆け下りていく。
俊足の魚座の目指す先は心眼の山羊座の宮。
「おい、良いのか……堂々と夜遊びにいってきまぁーす、だってよ」
「しかたないだろう。私はこの通り構ってやれない……夜遊びの一つや二つや百回
 くらいは大目に見てやらねばならんだろう。それに精々シュラやデスマスクと酒、
 麻雀、賭博、煙草あたりならば目も瞑れる。世界征服なんてこともあれは考えないしな」
淡々と語る兄の隣にはげんなりとした弟。
聖域きっての美形双子は顔は同じでも中身はまるで違いすぎた。
「まぁ、良いけどよ。そういやホストクラブでアフロディーテ見たって聞いたことあるけどな。
 どう考えてもあの女じゃキャバ嬢って感じなんだが……お、こんな時間だ。俺もバイトに
 いかねぇと」
「バイト?」
カノンの言葉にサガは眉を吊り上げた。
「ああ、時給が良いんだ」
「何のバイトだ」
「ホストクラブ」
「私と同じ顔で私の評判を落とすなこの愚弟がーーーーーーーーーーーっっっ!!!!」
不意打ちのギャラクシアンエクスプロージョンを喰らって弟の体は芸術的に宙を舞った。
「それと……私のアフロディーテがなぜそんな場所に行く必要がある!!」
「そりゃ、兄貴に飽きたからだろ。もっと違う男とあーんなことやこーんなことをしてみたいっ!!なんじゃねぇの?」
埃と煤を払ってカノンは体を起こす。
もうそろそろ日も沈む頃、うっかりと手放してしまった恋人はいずこかへ行ってしまった。
「まずはアフロディーテを呼び戻して……」
意識を集中させてサガは薔薇色の小宇宙へと語りかけた。
『アフロディーテか?今どこに……』
『交信先の小宇宙は受信不能地域か、本人が寝ているために中継できません。発信音の
 後に三十秒以内でメッセージをお残しください』
「出来るかぁぁああああああああっっっ!!!!」
怒髪天を突きそうな勢いで再度カノンの体が宙を舞う。
ここ何週間か教皇宮に泊り込むことが多く何かと彼女に寂しい思いをさせていたのは重々承知のことだった。
大きめの仕事を片付けたらまとまった休暇を職権乱用でもぎ取って旅行でもと考えもした。
その間の事ならばと多少の夜遊びには目を瞑った。
「カノン、アフロがホストクラブで豪遊は本当なのか?」
「ああ、多分。同僚が言ってた」
「同僚?」
「ああ、デスマスク」
「あんの蟹がぁぁぁああああああっっっ!!!!」
暴れだす兄を黙らせるのは根気が居ることだと彼は心得ている。
気のせいか豊かなプラチナブロンドが半分黒くなっているようにも見えた。
「時に落ち着けサガ。俺はこれからバイトに行きたいんだ。だが……今回だけ貴様に
 このバイトを譲ってやってんも良いぞ」
「なぜ私がバイトなどをする必要がある!!」
「俺とお前は同じ顔だろ。だったら潜入操作なんかちょろいってことさ」




裏口から二人で入り込み、スーツに身を包む。
刺激のない人生に飽きてきたデスマスクとカノンはこうしてたまにバイトをするらしい。
鏡に映る自分の姿にため息をつく。
(まったく……猥雑な場所は苦手だ……)
軽く吹き付けた香水。
意を決して店内へと足を踏み入れた。
(アフロディーテは本当にこんなところに……居た!!)
デスマスクがメインになってシュラとアフロディーテを取り囲む。
寝息に混じるアルコールの香りはここが発生源だったのだ。
「デス、カノンはサボり?」
「くんじゃねーの?そろそろ……ほら来た。おい!!カノン!!」
演じることにかけては誰にも負けない。
十三年に渡る完全な演技は誰にも見ぬなれなかった。
彼は弟を完全に演じて席に着く。
神の如き笑み浮かべれば落とせない女など無いに等しい。
「毎晩飽きないもんだな。お前たちも」
事前に仕入れた情報を一部の漏れもなく叩き込み、視線を向ける。
「だってサガは今忙しいんだもん。それにちゃーんと夜遊びしてきますって言ってるもん」
普段は聖闘士として戦う彼女も。
鎧を脱げば年相応の女の笑みを浮かべる。
「アフロちゃん彼氏公認で遊びに来てんだよね?」
「ちゃんと夜遊びしてくるって言ってるよ」
カクテルを飲み干してくだらない話を楽しそうに。
それだけ彼女は誰かと話をしたかったのだと思えば胸が痛まないはずがない。
「んでシュラちゃんはなんで?」
「そこの男が煩いからよ……私は静かに寝たいのに。まったく」
「お前らの飲み代タダなのは俺様のおかげだろが」
銀髪を掻きあげた男が黒髪の女の隣に座り込む。
指に挿したままの煙草に火を点けるのも慣れた仕草。
「カノンも何か飲もうよ」
恋人の腕が絡みつき、柔らかな胸がふにゅんと触れた。
上目で見つめる瞳が潤んで。
ぬれた唇も本当は自分だけのものにしたいのに。
「この間シオン様が豪快に入れていったドンペリの山を片付けるかあぁ!!あん時は
 ぼろかったよなぁ。俺とお前できっかり半分。あの人はこういうとこ好きだからまた
 来るっていってたしな。大体、中国の山奥で隠居できるような女じゃねぇって」
どうやら前教皇のシオンも常連らしい。
また一つ頭痛の種が増え疲れが増していく。
「シュラとアフロの分も入ってるぜ。ピンク」
「飲もう!!シオン様大好きっっ!!」
グラスに注がれた液体は次々に消えていくこの光景。
「アフロちゃん良い飲みっぷりっ!!」
寂しさを紛らわせるために出かけるのは構わないが、場所が場所だけにあんまりだと
サガはため息を重ねた。
(今度はもっとちゃんと相手をしなければ……)
喧騒の中に居ても彼女はどこか寂しそう。
それでも一人で居るよりはずっとマシなのだろう。
「なんでお前は俺の腕を離さないんだ?」
「だって、顔と声はサガと同じだもん……」
「だったら……俺と寝てみるか?全然違うと思うぞ」
どうでるかの賭けを仕掛けて。
「知ってる。何回かしてるのにね。それともまた変な薬とか使うの?そういう時って
 いっつもサガみたいな話し方するもんね、カノン」
その言葉に静かに弟に対する殺意が湧き上がっていく。
(……カノン……貴様は再びスニオン決定だ!!死んでもなおその罪は余る!!)
ぺっとりとくっつく恋人はほろ酔い加減。
「でも、アフロはサガが本命だもんっ」
柔らかな髪を撫でてそっと指に絡ませる。
「今日のカノン良い匂いがする……アフロこの匂い好きなんだぁ……」
「そろそろ帰ったらどうだ?」
「じゃあカノン、双魚宮まで連れてってぇ」






酔った勢いもあったとしても、浮気相手が双子の弟とはあんまりな仕打ちだとつぶやく。
それでも恋人を背負ってこうして石段を登るのは久しくなかった。
頬を撫でる風と聞こえてくる寝息。
月光はオルゴールのように優しく降り注ぐ。
「アフロディーテ」
「んー……なぁに……」
「夜遊びはほどほどにしてやったほうが、あいつも心配しないと思うぞ」
首に回された細い腕。
抱きつくようにして頬を摺り寄せてくる。
「そんなの知ってるもん。だってサガはいっつもアフロのこと子供扱いするんだもん」
「子供扱いなど……」
「お仕事だって遠くには行かせてくれないし、いっつも……」
寂しげな視線が静かに絶たれて。
「黄金のお荷物っていわれてるのも知ってるもん……」
十二宮最後を守るのは細身の女。
流麗な技で進み行くものを静かに死へと誘う。
「でも、聖闘士になれなかったらサガに逢えなかったんだ……一番弱くても、サガに
 出逢えたからいいの……」
触れた唇から聞こえてくる小さな寝息。
本音をこぼすことの少ない恋人の小さな真実。
幼い少女は過酷な修行を乗り越えて黄道十二のひとつを射止めた。
腕の中で丸くなる恋人の髪を撫でて、彼はため息をこぼした。
「私は君の何を見ていたんだろうな、アフロディーテ」
滅多な事では弱音も愚痴も彼女は彼には言わない。
その分をもしかしたら同じ顔の弟が請け負っていたのだろうか?
「しかし……カノンは……同じ顔だからか?」
指先に巻き毛を絡ませて。
額に小さなキスをすればわずかに寝顔が安らぐ。
「もっと君と話をしなければならないね。少なくとも、君が寂しいと思わなくてもいいように。
 仕事ばかりではなく、もっとちゃんと……一緒に居られるように」
あの日、目の前で彼女はその命を散らした。
最後まで女神ではなく、彼女は恋人に忠誠を誓ったままで。
「おやすみ、アフロディーテ」





目覚めてその視界がいつもの見慣れたものであることに彼女は微笑む。
(サガ、いつの間に帰ってきたのかな……)
閉じたままの瞼と銀色の長い睫。
手を伸ばしてその広い背中を抱きしめる。
(あったかーい……良い匂い……)
まだ明け方までは時間があった。
空には星の名残の光。すべてが寝静まった午前三時。
「……ぅ……アフロディーテ……?」
「起こしちゃった?ごめんね、サガ」
困ったような瞳で見上げてくる視線。
「いや……まだ朝には早いみたいだ……」
軽いキスを繰り返して女の肩に顔を埋める。
「本当は君とちゃんと話をしたいんだ……けど……」
どこか甘えるようなその仕草はいままで見たことなどなかった。
彼が弱さを見せてくれた貴重な一瞬。
「今はこうして居たいんだ」
「……うん……アフロも、サガのこと抱いてたい……」
体を絡ませるだけではなく、本当に寄り添わせたかったのは心のほう。
ずいぶんと遠回りをしながら二人で歩いてきた。
重なる心音は生きているからこそ感じられるもの。
「ね、サガ」
柔らかな胸に恋人を抱いて、その髪に唇を降らせる。
「また冥界に行くことになっても、アフロはサガの隣に居たいの」
罪を花にして女は男の傍に佇んでいた。
「離れたくないの。ずっと、サガの隣にいたい」
ふわふわの巻き毛が揺れて光を生み出す。
その様はさながら女神に見紛うほど。
「……私は君が望むように君を愛していないのかもしれない。雑事に追われて顔すらまともに
 合わせていなかった……君がどんな風に思っていたのかも考えずに……」
静かに重なる視線。その中に浮かぶ贖罪の光。
「驕りだ。君の愛情に胡坐を掻いた」
「嬉しいな。驕ってくれるほど、アフロはサガの中に存在してるんだね」
清廉潔白で生きていくことなどできなくて、この手は赤く染まってしまう。
それでも、彼女はその赤の中に美しさを見出そうとした。
罪は罪として受け入れていく。
「十三年間ずっとサガだけ見てたの」
「私も、君をずっと見つめていた。君は最後まで私を守ってくれた……」
今度は二人で堂々と太陽の下で出会える。
「サガがアフロを強くしてくれた。サガにあえたことが今迄で一番うれしいよ」
どんなときも、どうなっても。
ただそこにあるという奇跡のように彼女は彼を受け入れた。
「あ、忘れてた」
「?」
「おかえり、サガ」
「……ただいま……」
星空に君への思いを描いてどうやって伝えようか。
なくしたものを嘆くよりも大事なものをもう一度考えること。
君が隣にいて瞳を見て、まだ見ぬ未来図を。
「今度はいつお休み?」
心に降る雨に濡れることを選ぶ人。
傘を差し出しても首を横に振るだけ。
世界で一番小さな二人だけの空間を作り出して。
冷たくなった指を暖めたいと願うのです。
「まだしばらくは忙殺されそうだよ」
「雨の日くらいお休みになればいいのね」
降り出した雨は静かに薔薇を濡らして、灰色と萌紅の混ざり合う幻想を生み出す。
その芳香に誘われるように勢いを増して乾いた大地を静かに潤わせる。
ため息をつきたいような青い月も。
眠れない新月の夜も。
「雨が降ったらどこにも出られないから、サガも一緒に居てくれるといいなぁ」
「夜遊びにも行けないな」
「んー……そうだね。行けないね」
「今度は私も一緒に夜遊びに行ってみようか」
その言葉にアフロディーテはくすくすと笑った。
「サガが一緒なら夜遊びしないよぉ」
寂しさに縛られた彼をこの鳥篭から連れ出したくて手を伸ばした。
星空と彼の間に降る雨の冷たさ。
「いや、たまには君と夜遊びをしたいんだ」
「そぉ?」
今度は彼が彼女を抱きしめてその額に唇を落とす。
願いはいつも簡単すぎてわからなかった。
「くすぐったい」
聖衣を脱げばそこにいるのは二十二歳と二十八歳の二人。
「アフロはね、サガが笑ってくれるなら何だってできるよ」
「……………………」
「いつまでも過去を憎まないで」
こぼれる涙が確かに今を生きていることを証明してくれるから。
「サガは泣き虫さんだね。泣かないで」
触れる指先に自分のそれを絡ませて引き寄せる。
触れるだけのキスで満たされる心の中の器。
女神が与えてくれたのは女神の名を持つ恋人。
「もう少し寝よ?サガ」
「ああ……そうだな……」
「おやすみ、サガ」
抱きしめあって感じる暖かさと、朝焼け前の冷たさ。
霞む薔薇の香りに瞳を閉じた。






執務室で彼は相も変わらずに仕事に追われる。
休みなどあってないようなものだと位置させていたのを少しだけ変えて。
「おいアフロ、今日は夜遊びこねぇの?」
蟹座の男の問いかけに魚座の女は笑って答えた。
「サガと一緒に夜遊びすることにしたの」
「なんじゃそりゃ」
顎を撫で付けながら男は銀髪を傾げるばかり。
「あ、デスとカノンの取り締まりもするっていってた。シュラの実家にでもかくまってもらったら?」
「じょ、冗談じゃねぇ!!サガなんかに来られたらバイトできねぇだろ!!」
「だったらピザ屋でもやったらどうだ?お前の料理の腕は確かだろう?」
ロザリオを鳴らして男は女の傍らに立つ。
「私用で使った金の領収書は回すなとあれほどいってるだろうが」
「そこの女の園芸費用はいいのかよ!!」
「維持費は必要経費だ」
「あーもうなんだってシオンさまもこいつを正式に教皇にしたんだかよっ!!」
前教皇はその仕事振りを認めて双子座の男を後任の教皇とした。
文句を言いながら石段を降りていく背中を見送って、アフロディーテは恋人を見上げた。
「お仕事は?」
「今日の分は終わらせた。たまには君と夜遊びに行こうかと」
吹き抜ける風が髪を巻き上げて。
「ホストクラブでも行く?カノンとデスいるよ」
「あの馬鹿二匹が……」
「サガのほうがホストは似合ってたけどね」
「!!」
いつだって世の中はめぐり回る。
幸せの星の位置を定めてもう一度この弓を引こう。





15:07 2007/07/16

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