◆午前二時の眠れない時計◆
寂しさとせつなさをつれてどこまで行くの?
君が悲しいことを忘れてくれるまで。
「サガ、髪伸びたね」
男の髪を手にして少女は嬉しそうに笑う。
「面倒で切ってなかったな……アフロ、何をしている?」
取り出したレースのリボンで少女は青年の髪を器用に結い上げた。
金と銀を織り上げたような美しい色が光を受けて輝く。
「邪魔にはならないかと思ったの」
「しかし、見栄えが……」
ふわふわの巻き毛を結い上げたほうがよほどこのリボンも報われるだろうと青年は苦笑い。
普段は見えない彼のうなじと首筋に目が止まる。
(サガって首、綺麗……)
後ろから抱き付いて、そっと首筋に唇を当てた。
自分が普段彼にされるように軽く吸い上げてみる。
「うぉぁぁああああああっっ!!!」
その勢いに思わず体を離して聖衣箱の鎖を引く寸前まで。
「アフロ!!急に何をするっっ!!」
「だって、サガの首が綺麗だったからいっつもされてるみたいにしてみたかったんだもん!!」
思いがけない言葉に目を丸くしたのは男のほう。
体躯が美しいと言われたことはあれども首が綺麗とは初の経験だ。
「褒められるのはありがたいが、さっきのは驚いたぞ」
くしゃくしゃと少女の髪を撫でてこつん、と額をぶつけた。
覗き込んでくる銀蒼の瞳。
「サガ、目も綺麗。男の人で綺麗ってあんまりいないと思うの」
「それは……複雑な気分だな」
どうせいわれるならばもっと違う言葉で。
「え、なんで?サガ、聖闘士の中で一番綺麗だよ!!自信もって良いよ!!」
「……………………」
がっくりと肩を落とす恋人を励まそうと少女はあれこれと言葉を掛ける。
「そうじゃないんだアフロ、男である私が綺麗と言われても」
「だって、可愛いは間違ってるよ」
根本はわかっているらしい。ただ、その表現が間違っていることをどう伝えようと
サガは頭を悩ませた。
彼女の興味は美しいものに対しては鋭い。
それが他人から見ての価値観など欠片も含まれず、彼女一人で作り上げる美意識。
屍にさえ美を見つければ迷わず指を伸ばす。
「あれだ、綺麗とか言われて喜ぶのは蜥蜴座のあれとか……」
「ミス?この間、結婚しようとか訳のわかんないこと言ってた」
その言葉に青年の右眉が僅かに上がる。
それは彼の機嫌が悪くなるときの小さな合図。
「結婚?」
ぺたん、と座り込めばハーフパンツから覗く足がまぶしい。
アンクレットに光るピンクペリドット。
「うん。いきなりプロポーズされてちょっと驚いちゃった」
「そうか、それは災難だったな」
そう、天使のような笑みをサガは浮かべた。
今ならこの微笑み一つで神をも欺くこともできるだろう。
この場合災難なのはバックボーンにこの青年がいることを知らない蜥蜴座の少年だ。
魚座の少女は何も知らずに微笑むだけ。
(あのナルシスト蜥蜴は僻地に飛ばしてくれるわ!!)
そう彼の本業はすべての聖闘士を管轄する教皇というもの。
言葉一つでいくらでも操ることができるのだから。
少しだけ窮屈そうな胸が腕に触れて。
「サガ、やっぱり綺麗だよ」
「それはどうも……」
目下彼の頭の中は恋人に何かを囁く男をどうするかで一杯だ。
教皇宮から最も近い双魚宮は、彼の監視の眼が光る場所。
蟹座の少年でさえ、異次元に飛ばされては適わないと呟く。
教皇宮までの道のりは死出の旅路。
甘い芳香の中で眠るようにその命が飲み込まれていく。
「リボン、一杯あるの。今度ミロとかにもあげようかとおもって」
「あまり喜ばないと思うが、あえて止めない」
ギリシアの日差しは少しだけ彼女の肌には強くて。
ほとんどを宮の中に篭って過ごさざるを得なくなる。
「次に街に下りるときは、君を護衛にしようか」
「え、いいの?」
「その代わり、聖衣着用だ。多少目立つが身の安全は保障される」
「アフロそんなに弱くないよ。それに、聖衣だったら仮面もしなきゃいけないし……」
聖域の中にいる限りは仮面は必要ない。
しかし、アテネ市内となれば話は別になってくる。
女性聖闘士は素顔を見られたら相手を殺すか愛するかの二択。
そして、確実にこの少女は前者を選択することになるからだ。
「それもそうか。じゃあ、やっぱり他の……」
「やぁだぁ!!アフロがやるの!!」
すでに駄々を捏ねる子供の領域に突入した恋人の髪をなでる青年の手。
そのまま器用にリボンで髪を結い上げる。
(困った……自分で撒いた種だが……)
教皇の従者に女など考えたこともなかった。
聖衣を纏わないとなれば確実に彼女は周りの目に晒される。
かといって仮面無しでの連行は他の女性聖闘士に示しがつかない。
「わかったこうしよう、アフロ。従者は取り消す。代わりに二人で出かけよう」
彼の提案に少女はようやく静かになる。
「二人で?」
「そう。デートならば問題はないだろう?」
「うん!!」
教皇宮から脇道を抜けて、誰にも見つからないように二人で聖域を抜けだす。
夕日がとろけそうに綺麗だったから敢て夜を選んだ。
彼女の肌が痛まないように、そして少しでも目立たないように。
「サガ、何かどきどきするね」
二人を離れないようにと繋いだのは銀色のリボン。
まるで神話の愛の女神と同じ行為だと青年は笑った。
いくら夜でもこの二人が完全に人目を避けることは不可能。
稀代の美青年と可憐な美少女の組み合わせは人目を引かないわけがない。
「視線を集めるようなことを何かしただろうか?」
「サガが綺麗だからだと思う」
ふわふわと揺れる髪が街明かりを受けて淡く煌く。
「そうか?君が可憐だからだろう」
並べばそれだけでも絵になり花のある美しい二人。
「落ち着かないねぇ……」
「用件だけ済ませて双魚宮に戻ろうか」
たまには雑踏に紛れてただの恋人同士に戻ろう。
黄金の鎧を脱ぎ捨てて一組の男女に。
188cmと153cmの恋は、キスひとつするだけでも一苦労。
だから人込みに紛れて君を抱いてから、その小さな頭を包むよう押さえて接吻した。
爪先が僅かに石畳に触れる。
「……少しは驚いてもらえたか?」
「……うん……」
好きな服を毎日でも着て、あの人の目線を引き寄せたいと思ったり。
こっそりと煙草の吸い方を真似してみたり。
赤い糸を信じて祈るように。
「用事って何?」
「こっちだ」
手を繋いで足早に進む。
簡単に擦り抜ける事もできるのに少しでも二人でいる時間を確かめたくて。
「ね、なぁに?」
「この間見つけたんだ。君にどうしても見せたくて」
彼の髪が揺れるたびに生まれる光はまるで星のよう。
目的地に向かう途中で攫ったシャンパン。
視線を奪うピンキーリング。
「サガ、もう走れない〜〜〜っ」
「嘘を……俊足の魚座の名を知らない聖闘士はいないぞ」
劣等感も罪悪感も全部捨ててしまって息を切らせて走ろう。
「ああ、ここだ」
骨董品を扱う店内に入り込んで、青年はそれを指で示した。
「……綺麗……」
両腕で抱えるほどの大きさの水晶玉に刻まれた星達。
ダイヤモンドが星となりそれぞれの形を描く。
「天球儀。多分好きだろうと思って」
指先で星を辿って一番最初に探したのは冬の星座。
「あった……こっちがサガでこっちがカノン」
「…………………」
「シュラもいるし、デスもいる。アフロはここ。ちょっと離れてるね……」
見上げてくる瞳の色が深い海に似ているから。
君の手を離すことの恐怖を知ってしまったから。
その細い足首に枷を取り付け縛りつけることを選んでしまった。
「素敵……こんなの初めて見たよ、サガ」
「双魚宮にあってもおかしくはないか?」
何かを二人で選ぶことに意義を見つけよう。
「うん。とっても綺麗」
空に上る双子星と同じようにはいかないけれども。
失った何かを埋めるためにきっと人は恋をしてしまう。
悲しいことに飲み込まれないように。
深い闇に囚われないように。
一条の光を求めてしまう。
それは眩しすぎる物ではなくただ、目の前を照らし出せるほどの大きさ。
「サガ、重くない?」
「これでも聖闘士だ。双子座のな」
「教皇じゃないの?」
「今日は休み。せっかく君と二人で歩けるんだ、そんな時くらい双子座の聖闘士で」
当たり前の日常を紡ぐ事が一番難しい。
「サガ」
歩幅を合わせてくれるこの優しい人がどうしてこんな重い運命を背負うのだろう。
彼の苦しみが減るのならば心の痛みなど無視できた。
「どこにいても、サガと一緒ならそれで楽しいよ」
一人で落ちていくだけの強さがあればきっと何も失わなかった。
弱い自分を飲み込んでいくもう一人の自分。
「君が女神だったならば、私はこの命を捧げて守り通しただろうな」
「魚の尻尾はね、銀色のリボンで結んだんだよ」
離れないように少女はそっと彼の手首にそれをまき付ける。
そしてもう一方を自分に。
「冬の星座は綺麗な星ばっかり。だからサガも綺麗なんだね」
「余程、君のほうが綺麗だと思うが?」
「ありがと」
生涯一度の恋に囚われたのはどちらだったのだろう。
気が付けば離れることができなくなっていた。
目隠しでそっと彼の視界を遮って。
必要のない世界を奪ったのはおそらく彼女の細い指。
「アフロそんなに弱くないよ。心配しないで」
「そうだな……私の杞憂だ。けれども、あの蜥蜴は僻地に飛ばす」
「えー!!ミス、ちょっと変だけど面白いんだよ」
「所構わず全裸になるような危険な男をお前のそばになど誰が置くか!!デスクイーンか
アンドロメダ……この際シベリア辺りでも……風呂すらないような所に送り込んでやる……」
ぶつぶつと呟く青年と笑う少女。
本音はあの星だけが知ってる。
星座に標された星だけではなく誰にもいえない星の名を刻んで。
「やっぱりサガ……綺麗……」
柔らかな口唇が塞がれて入り込んでくる舌先を受け入れる。
初めて彼に抱かれたのは十四の春。あれから三年が過ぎた。
この肌の暖かさに囚われた罪が重なっていく。
「……ん…ぅ……」
首筋に、鎖骨に、降り頻る唇。
指先が乳房に掛かるだけでもこぼれてしまう吐息を飲み込む。
唇を手の甲で覆えばそれを外されてしまう。
「ぁア!」
かり…乳首を甘く噛まれて甲高い声が上がる。
「今更声を殺して何になる?」
乳房に沈む指先と傷をなぞり上げる唇。柔肌に刻まれた幾つもの跡。
小さな体に増えていく傷の分だけ彼女は変わっていく。
舌先がまだ乾ききらない傷を抉る様に舐め上げる。
「…あ、ぅ……!!……」
少しだけ冷たい指先が触れるたびに生まれる疼きと喘ぎ。
括れた腰に残される噛痕、窪んだ臍に降る甘いキス。
「!!」
足首に手が掛かり、ぐい…と膝が折られる。
指先を丹念に舐め嬲る唇と舌先。
爪を噛むように触れては離れていく。
「や……!!……っぁ…!!……」
薔薇色の爪と少しでも力を強めれば折れそうな足首。
なだらかな腹部と震える膝。
一つ一つを確かめながら愛しむ様に唇が触れる。
「……ッ!!……」
秘裂に舌先が入り込み蠢く度に少女の髪が淫靡に揺れて。
まだ未完成の体躯を侵略できることの喜びが胸の奥で生まれ出てしまう。
肉芽に舌が絡まって小突くように攻め上げれば零れだす体液。
指先に絡ませて押し上げながらきゅ…と摘み上げる。
「あァんっっ!!」
ぐちゃぐちゅと入り込んだ指先が動けば耳に響く淫音。
逃げようとする体を押さえつけてその瞳を覗き込む。
「……ん…ぅ……」
噛み付くようなキスを繰り返して呼吸すら忘れるように。
指先が青年の手に掛かり親指に絡まる小さな赤い舌。
「……何を……」
忠誠を誓うかのようなキスと半分蕩けた視線。
神に成り変ろうとする男と女神の名を持つ少女。
取り込まれたのはどちらが先だったのだろうか?
「…ふ……ああっ!!……」
突き上げられるたびに上がる悲鳴にも似た嬌声。
細い背を抱いて乳房と胸板が隙間無く重なる。
揺り動けばしがみついて来る細い腕。
目尻の涙を舐め取って首筋に刻む小さな痕跡。
「きゃ……ぅ……」
耳朶もうなじも可憐なはずなのに淫靡に思えてしまう。
熱に犯された身体と交わった汗。
ぬるつく肌さえも愛しいと耳元で囁く。
「やー……んぅ……」
おそらくは彼が手をかけなければ少女は穢れなど知らずに女神に成れたのかもしれない。
それでも咲かせられてしまった花はそれすら飲み込み色を付け行く。
正に咲き誇らんとするために。
傷一つ無い男の身体と傷に塗れた少女の身体。
「……サガ……」
喉元に触れた唇の柔らかさ。
「悲しそうな顔しないで……アフロはどこにも行かないよ」
人間の欲の中に含まれるこの感情を神さえも奪うことができないのは。
きっとこの肌の暖かさの虜になり折り重なることを知ってしまったから。
「……んンっっ!!……」
ずる…身体をずらして引き抜いて、青年の身体を押しやる。
愛液でべたべたになった肉棒を唇で挟み込むようにして上下に。
舌先が浮き出た筋を舐め上げちゅるん…と亀頭を飲み込む。
「……アフロディーテ……ッ…!!……」
己の体液ですら彼を汚すのが汚らわしいとでも言わんばかり。
「…ふぁ……ッ……ん……」
彼が彼女に求めるものが愛情ならば、少女は男に何を求めるのだろう。
それすら分からないままに彼を知ってしまった。
「……だから、それは良いと何度も……ッ……」
言葉を唇で塞いで勃ちあがったそれに手を掛ける。
濡れそぼった膣口に先端を当て、そのまま腰を沈めていく。
「ぅあアんっ!!」
軋む身体が切なげに揺れる。
開いた唇から毀れる涎と混ざり合った鉄分の匂い。
「…あ…ア!!……」
がくがくと震える小さな膝。
「だって……ッ……悲しそうな顔してる……っ…」
「…………アフロ…………」
「サガがどうやったら嬉しいのかこれしかわからないんだもん!!」
心の行方が分からないから、確かな身体の喜びを選んだ。
心の痛みが分からないから、身体の痛みを選んだ。
「……っは……」
何度目か分からなくなったキスは血の味がした。
「こんなに好きなのに、サガのことが何も分からないよ……」
崩れ落ちる少女を抱いて眠りに落ちる彼女を抱きしめて。
眠らせないと何度も何度もその体を抱いた。
ただそうすることしかできなくて。
それしか証明手段が無かったからと理由を付けた。
金色の髪をぐしゃぐしゃと撫でて零れるため息。
真夜中の空気は考え事をするには十分な温度だ。
「どうしたら良いか分からない、か…………」
汗で張り付いた前髪を指で払って。
(しかし、眉間に皺寄せるほどに……反省ものだ……)
頭を抱えてみてもどうなるわけでもない。
月光を受けた天球儀が優しく光るだけ。
「……サガ……?」
「すまない、目が覚めてしまったか」
「うん……起きたー……」
身体を起こしてちょこんと座る。
疲れた顔ながらに笑って手を伸ばす。
「今度は難しい顔してる」
「あー……これは癖だな、もう……」
「あ、見て。星が光ってる」
細い指が指すのは埋め込まれた宝石たち。
黄道十二星座はそれぞれの守護石が輝いている。
「やっぱりちょっと離れてる……もっと近くだったら良いのにね……」
巡る季節のように彼女の気持ちも同じではないのかもしれない。
手を差し伸べたのはきっと少女のほう。
「サガ?」
後ろから抱きすくめられて瞳を閉じる。
「くすぐったいよぉ……」
「可愛いと思ってな。君の名をアフロディーテにした親御さんは間違っていない」
「ちっちゃいころはよくからかわれたけどね」
「今、そんなことをする輩がいるならば美しき銀河と共に滅ぼしてくれよう。手始めに
あの忌々しい蜥蜴から……」
「サガぁ……目が本気だよ。ミスは変わってるけど悪い子じゃないよ?」
「ああ、だが悪い虫だ」
背中越しに感じる心音。
「あんまり意地悪しないであげてね。大事なお友達だから」
普通の男ならば聖闘士に手を出そうなどと考えるものはいないだろう。
しかし、それが聖闘士同士ならば話は別だ。
「だから、私は何も意地悪をしようと思っているわけではなくだな……」
滔々と説明をする恋人の首筋に視線を移す。
そして。
「うぁあああああぉあああああっっ!!」
「あはは。やっぱりおもしろーい」
「アフロディーテ!!」
逃げ惑う少女を捕まえようとする影。
「待てっ!!」
「前にアフロも目立つところにつけられたからお返しだもんっ!!」
「な、何っ!?」
俊足の魚座を捕まえることは容易ではなくて。
明日からの公務の際にどうしたものかと頭を悩ませる。
笑う星たちと回る天球儀。
仄か、香るのは春の気配。
「すごーい。もう一個来た」
ぬいぐるみにでもするように少女は球体に頬を摺り寄せる。
「サガ、何で二個?」
「いや、ここをちょっといじって……」
並んだ星座は少しだけ違って。
双子座の隣に魚座を配置した。
「あれ、どうして双子座の石は一個なの?」
「一個で十分。ついでに蜥蜴座は消してある」
世界でたった一つの星座の配置。決して叶わないと思っていた願い事。
「ミス、かわいそう」
くるくると回しながら、視線だけを青年に向ける。
「ありがとう、サガ」
近付く唇に、動きが止まって。
とっさに庇う様に抑えた手は首に。
「そんなに頻繁にいたずらしないよ?」
「あの痕……苦労したんだ……」
どうやっても法衣で隠すことは不可能と悟り、彼は首に包帯を幾重にも巻きつけることを選んだ。
従者や謁見者たちにそれを問われてもふわりとかわすのが精一杯。
「妙な遊びは憶えないでくれ……アフロ……」
「あははははは」
たった一つの魔法の星空。
偽物の星でも君が愛しい。
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22:12 2007/04/07