◆ロマンスの神様たち―太陽の狂想曲―◆
「老師、お久しぶりです」
岩場に座する男に少女が声を掛ける。
「うほ、ムウか」
「お土産です。カジキマグロを捕まえました」
どさ、と落とされた魚とにこにこと笑う美少女。
「この間、師匠とあなたの若いころの念写紙を彼に見せたんです。ええ、三階が吹っ飛ぶほど
うろたえて驚いてましたよ。楽しかった」
臆面もなく恐ろしいことを言い放つのは牡羊座の聖闘士。
鎮座するのは同じく天秤座の聖闘士。
ともに黄道十二宮を守護する黄金聖闘士だ。
「またおぬしはいたずらが好きじゃのう」
「そんな、私よりもみんなのほうが激しいですよ」
滝の前に座する老人と少女の組み合わせはどこか不思議なはずなのに。
ただよう空気に鳥たちさえもそのお喋りを止めて聞き入る。
「老師、お客様ですか?」
「おお、紫龍か。遠方より来る我が友じゃ」
しかし目の前にいるのは自分よりも少しだけ年上の可愛らしい乙女。
伸びた髪を一纏めにして、うふふと笑う。
「老師、この子が新しい弟子ですか?」
「そうじゃ。紫龍や、お前もこのムウのように修行に耐えて聖衣を手にするのじゃぞ」
まだ目の前の少女が最高峰の黄金聖闘士だとは露知らず。
運命の意図するところなど何も知らない。
「確かに、餓死寸前になったりと厳しさはありましたね」
「……シオンもな、たまーに放浪とういうかのう……その、ノイローゼというかのう……」
子育てなどやったことがないと叫び教皇職もあいまって牡羊座のシオンは大脱走。
この五老峰に逃げ込むこともしばしばだった。
「あれも悪い女ではないのだが」
「ええ、知ってますよ。師匠の素敵さは存分に」
同じような眉にされても少女は何も言わない。
どこか人間臭さが残るシオンに師事したことを少女は誇りにさえ思っていた。
「とってもかわいい人だったんでしょう?」
「そうだな。はねっかえりじゃが、いい女じゃったよ」
大疾走とともに響く声。
「オリアーーーーっっっ!!!!」
庭先の向日葵を手入れする少女に声をかけたのは蠍座の守護人の少年。
金色に波打つ髪を組紐で括って手を振りながら走ってくる。
「ミロ、どうしたのさ」
「俺、さっきすげーことに気付いたんだよ!!」
ともにギリシア出身で同い年の二人は何かと話があう。
アイオリアと言う名の少女は獅子座を守護する聖闘士だ。
姉であったアイオロスとともに黄金聖闘士として座する血の持ち主。
もっとも、アイオロスは逆賊として謳われることが多いのだが。
「カミュんとっから、教皇のとこまでみーーーーんな女!!」
「お姉ちゃんが生きてたら射手座からみんなだよ」
「敵とかわーーーっときたら大変じゃん!!」
象の形の如雨露を持ち直して少女は笑う。
「大丈夫だよ。エクスカリバーでぶった切られる。運良くかわせてもオーロラエクスキュージョンで
かちんこちん。それでも逃げても最後に待ってるのがアフロだよ?死なない保証が無いよ」
そうである。
黄金聖闘士でも最後の難関の双魚宮では死にかけた者が続出した。
厄介なのは件の少女、アフロディーテが育てるデモンローズ。
通称、死での道である。
「この間、そのコースたどったやつがいるし」
「ああ……シュラの風呂覗いて宝瓶宮に逃げてきたんだけどさ。あんとき丁度俺もカミュと
セックスしてて、真っ裸のままカミュがエクスキューションぶっ放したんだ。そんで、
双魚宮に逃げ込んだら……」
「同じくいい感じにやってたアフロディーテからデモンローズ白薔薇で食らったんだよねぇ」
ため息が二つ重なる。
「蟹座のデスマスク」
細身の筋肉質の山羊座の少女を蟹座の少年は追い掛け回す。
しつこいと一喝されて挙句の果てには彼女の必殺技のエクスカリバーまで受ける始末。
加減をしてやったとばかりに重症上等で何度も運び込まれた前例がある。
「本当に馬鹿だよな……脈無いならあきらめりゃいーのに」
「ミロだったらカミュ諦める?」
「ううん、俺カミュ諦めない。今ちょっと弟子取ってるけどもちょこちょこ会いに来るし。
俺も行くし。ちょっと東シベリア寒いけども」
水瓶座の少女は燃えるような赤毛の持ち主。
フランス出身の穏やかな性格は、激情型のミロには丁度良い。
「アイザックって女の子が弟子入りしたんだ。俺のことミロ兄様って呼ぶんだぜ。カミュの
次ぐらいに可愛いよな!!」
ミロはいつでも全力投球で水瓶座の少女を愛する。
その姿勢に今や聖域では誰も何も言わなくなってしまった。
(いいな……私もいつか素敵な恋をしたいな……)
ベリーショートの似合う少女にため息は不釣合い。
育てた向日葵が獅子宮を取り囲む。
「そういえば、シャカとかは?」
少女の問いに少年は首を振る。
「最近見てないよ。この間ムウと次元を超えた喧嘩してたのは見たけども」
金色の髪が太陽を受けて古の神々のように。
蠍座の守護人はまっすぐな瞳を持つ。
まだ幼さは残るものの、太陽に背く行為は決してしないだろう。
「ミロ」
ほんのりと周りの空気の温度が下がる。
それは少女が身に纏う凍気の仕業。
「天蠍宮にいなかったからこっちだと思って」
すらりと伸びた手足と均整の取れた体躯。
括れた腰と胸の膨らみはシャツの上からでもはっきりとわかる。
癖の無い髪は鎖骨の下でふわりと揺れて。
活発な少年の隣で少女は穏やかに笑うだけ。
「アイザックは?」
「里帰りさせてきたよ。たまには実家に帰らせてあげないとね。そう遠くもないし」
彼女の一撃は波をも凍らせる。
灼熱の衝撃の異名をもつ彼のスカーレットニードルとまるで対を成すように。
御伽噺の女王のように、口付け一つで魂までも凍らせて。
「アイオリア、ご機嫌のほどは?」
「あ、うん……元気元気」
癖毛の自分とは正反対のどこか儚げにも見える細身の少女。
(カミュくらい綺麗だったらもっと自信も持てるんだろうけども)
ミロの手をとってカミュは首を傾げた。
「ミロ、爪どうしたの?割れてるよ」
「あ。昨日ちょっとシュラと岩割って遊んでたから……」
「無茶したら……フリージングコフィンって言ったよね?」
節目がちな瞳と長い睫。
薄い唇と端正な顔立ちは獅子座の少女からすれば憧れそのものだった。
「良いな、オリアはいつもきらきらしてて」
「え……?」
「お日様が似合うってうらやましい。ほら、私の場合は氷だから」
日に焼ければ皮膚が赤く爛れるからと夏場でも長袖のシャツ。
恋人も気を使って暑い場所には行かなくなった。
彼の出身地のミロス島は夏の日差しが美しい。
いつか一緒に行けたらと、願いだけをかけてみて。
「ミロ、そろそろ戻ろう?久々に聖域に帰ってこれたし」
「あ、うん。オリアまたな!!」
胸元にうっすら汗を浮かべて、黒髪を艶やかに揺らして少女は踊る。
筋肉質で余計な脂肪の無い体はその線を露にして。
飛び散る汗が光を受けてまるで宝石のよう。
「お前、フラメンコなんてできるんだな」
「スペイン人なんでね。元々踊るのは好きだし」
ドレスでも着ればさぞ華やかだろう。
無地のシャツとジーンズだけでもこれだけ美しい。
「前に宴会でもやったんだけどね」
磨喝宮の主はそう呟いてグラスの水を呷る。
「俺そんときミロと酔いつぶれて……んで、気付いたらここにいた」
「そりゃそうだよ。私がお前を運んできたんだ。みんなに押し付けられて」
蟹座の少年は山羊座の少女を追い掛け回す。
すでに聖域でも名物になったのかいまや誰も問題視はしなくなった。
緋色の絨毯とロングチェア。
テーブルの上におかれた銀の蜀台と皿の上には豊満な葡萄。
「ここじゃ誰も一緒に踊れないし」
「タンゴとジルバなら、俺もできるけど?」
形の良い額と短く切られた茶褐色の髪。健康的な肌と自信たっぷりに笑う唇。
「俺だって一応イタリアなんだけども」
「そういえば、ピザ生地から作ってたもんねぇ。あれ、美味しかった」
意志の強そうな唇。
無理は承知で挑んできた。
「俺でよかったら一緒に踊るけどさ」
「思うんだけども、そうやって卑屈になっちゃいけない。例え馬鹿の一つ覚えの冥界波だって
使いようによるでしょうが」
拳で汗を拭って、少女は息を吸い込む。
「一度、サガと踊ったことあるよ。ワルツだったけども……アフロにせがまれたけども
聖闘士しかやってないから踊りなんてしらないって。意外とすんなりと飲み込んでたけどね」
長身の青年ならばこの少女の隣に並んでも引けはとらないだろうか?
それとも年下の快活な少年ならば?
考えるだけで渦巻く嫉妬と崩れる自尊心。
「確かに俺じゃお前と身長かわんねーけどさ……」
「まぁね。もうちょっと強くなろう、デス」
魚座の少女と蟹座の少年、そしてこの山羊座の少女はなにかと共にいることが多い。
年も近いこの三人が教皇を守る主として聖域に一足早く着任した。
「そのうち一緒に踊ろうか?」
いつかこの少女の手をとって。
差し出される手ではなく、自分がそうできるように。
「あ、ん。だな」
「ちょっとここに手、当ててみて」
自分の腰に手を回させて、片足で踏み込む。
首の匂いに引き寄せられて唇が触れそうな位置に。
「!!」
「ごっそーさん」
そのまま勢いを付けて女の上に崩れ落ちる。
「どけ!!」
「誰がどくかぁぁぁああああ!!!!」
「唸れ!!エクスカリバー!!!!」
天球儀を回しながら少女は傍らの青年に視線を向けた。
「サガ、椅子壊さないでね」
黒髪を書き上げて男は視線を投げ出す。
暇をもてあまして恋人のところに来てみれば、少女は花の手入れで忙しいと。
自分には構わずに薔薇に感けている。
「せっかく人が来てみれば、花のほうが大事といわれれば機嫌も悪くなる」
「終わるころアップルパイ焼きあがるよ。サガ好きだもんね、パイ」
その言葉に青年の瞳がより一層赤く光る。
「俺は好きじゃない」
「だから椅子の上で暴れないで。そのソファはどっちのサガも好きでしょ?」
自分の中にいるほう一人の自分。
出てくるには押さえ込んでくるしかないのが実情だ。
「見て、綺麗に育ったよ。今度謁見の間に飾ろうと思って」
邪魔な法衣でも教皇として座する限りは身に纏う。
双魚宮に来るまでに怪しんだ雑兵を何人か吹き飛ばしたがそんなことは日常茶飯事だ。
「焦げるぞ」
「え?」
「俺に食わせるんだろ?あまったりぃの」
他人から見れば奇妙な関係だろう。それでも彼女は彼の中にいるもう一人の彼にも分け隔てなく
同じように接して愛する。
「食べてくれる?」
「一口でいい。俺、甘いのは好きじゃない」
「うん。こっちのサガの好きなものも憶えるね」
「こっちの、は余計だ。俺は俺だ」
焼きあがったパイを一口飲み込んで眉を寄せる。
まるで二つの魂が入れ物を奪い合うように男は変化して。
それでも彼には変わらないと彼女はもう一人の男も同じように愛した。
それしか方法もわからず、それしかできなかった。
「サガ」
「なんだ?」
「見て、こんなに綺麗に咲いてくれたよ。
光など好ましいともうことなど一度もないけれども。
「そうだな、悪い色じゃない」
彼女が愛するものは光がなければ存在を許されない。
ならば、少しだけ愛でよう。君のために。
「やっぱりここでしたか」
少女の小宇宙を追いかけて少年は彼の地に降り立つ。
「ほほ、遠方より来るか」
老師の傍に二人で座り込んで。
「師匠に似てじゃじゃ馬じゃろう。これは」
じゃじゃ馬呼ばわりされたムウは膨れ顔。
「ええ。なかなかに飼うのも乗り回すのも困難に近いです。それにしても……老師の
お若いころをみて驚きましたよ。人間だったんですね」
屈託もないこの少年を少女が選んだわけがぼんやりと見えると老人は笑う。
「シオンもな、こやつ以上のはねっかえりじゃった。なぁに、慣れればそれも良いものじゃ」
「慣れますかねぇ。老師も苦労なさったのですか?」
「それなりにの。ならば今夜、聞かせやろうぞ?聖戦のこともな」
ああ、ここに座するすべての命に光を。
やがて来る聖戦の前の休日に穏やかな風を。
「まだ幼いおぬしらに戦えというのも酷な話じゃ」
どれだけ天才的な力をもってしても、まだまだ経験不足。
それでも少年は少女を守り、少女もまた臆する事無く戦地に赴く。
「おぬしらは似ておる」
「?」
「わしとシオンに」
「それは嫌だ!!」
「それは嫌です!!」
そろった声に沈みかけた夕日もくしゃみをしそう。
彼女は見えていた筈の双子星を見ない振りをした。
その命を失うことで、その星の光が永遠なるものになればと。
(のうシオンや……おぬしにはこの星も見えておったのかのう……)
数多に輝く星たちで吉凶を占ったあの丘の上で。
君と過ごした大切な時間達。
「ええいうるさい!!まとめて滝に打たれて反省するがよい!!」
「ぎゃああああああ!!!!」
「うわぁぁぁああああ!!!!」
それでも少女の手を何とか掴んで絡まりながら落ちていったあたりは流石はシャカ。
一人で落下などさせれば後が恐ろしいと小さくつぶやいたが。
「あの辺……やはり師匠の恋人だけあります……」
なれない連座を組みながら少女は少年に視線を向ける。
「よろしいことだ。私は風をひく前に何とか許しを請いたいものだが」
それは非日常的な日常。
戦士たちの休息日。
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12:52 2007/04/04