◆夜は素敵に永遠に◆








「時にシオン、お前の髪は本当に多いな」
銀色の髪を一束掴んで男はそんなことを呟く。
晴れ渡る五月の空と地中海の気候は悪くはない。
司祭服に身を包んだ女は教皇としてこの地に住んでいたものだ。
「この間、カノンも同じことを言ったな。カツラが作れると」
「ほう」
「必要ならばくれてやるぞ?と言ってみた」
天秤宮の石段に座る一組の男女は先の聖戦を生き抜いてきた。
再びの命を今度は自分たちの思うように生きるために女神から賜ったと。
サンダルから覗く足先、細い指を彩る宝石たち。
「そのカノンはどうした?」
「海に沈めた。ほほほ、クラーケンの少女が迎えにきた故に」
この場合の海に沈めたは本人の意思など無視したのも良いところ。
中々海底神殿に帰りたがらないカノンを説得するためにアイザックは聖域に赴いた。
現教皇に深々と一礼をする姿は海皇ポセイドンが認めるだけの資質だった。
「シードラゴンのカノンを迎えに参りました」
その姿に逃げ出そうとしたのはカノンその人。
しっかりと薔薇の結界の中に閉じ込めて魚座の守護人は少女の前に座り込んだ。
「サガ、こんなに良い子が迎えに来てるのにどうしてカノンはこうなんだろう?」
教皇の眼前ということもあり今日のアフロディーテは聖衣姿だ。
「ここで暴れ、海で暴れ、冥界で暴れ……まったく……」
こめかみを押さえながらサガは忌々しげに呟く。
「ポセイドン様はそのことについてはもう良いと申しております」
隻眼の少女は眼帯を軽く押さえ直してにこやかに続けた。
「こちらとしは何も四六時中海底に居ろとは言いません。ただ、神事の際には海闘士が
 揃う必要があります。ソレントが最初来る予定でしたがそれではここで戦争が起きてしまいますので
 私がこうして参りました」
アイザックが相手ならばカノンも簡単に拳を出すことはない。
ポセイドンの復活にはこの二人が大きく関与したのだから。
「ほら、カノン。我がまま言わないでちょっと行ってきなよ」
胸の前で手を組んでアイザックはカノンをじっと見上げた。
ともすれば可愛らしいその仕草は彼にとっては危険信号。
アイザックがベッド以外で潤みがちな瞳になるのは戦闘開始手前の合図だ。
「お……俺は双子座の聖闘士だ!!」
「双子座の聖闘士は私だ。安心して海底に行ってこい、カノン」
実力はほぼ互角の二人の青年。
しかし兄は二度死んだことによって開き直る強さを得てしまった。
ゴールデントライアングルに逃げ込もうとする弟を同じ技で引き戻す。
「海の底はもうごめんだ!!」
高速移動で逃げ出せば柔らかな何かにぶつかってしまう。
伸びた手が背中を抱いてそれが女の身体だとわかる。
「これカノン。廊下と教皇の間は走るなと小さいころから言ったであろう?」
子供にするように抱きとめるのは前教皇のシオン。
「シオン様!!またカノンが我儘言ってて……」
「ほう。大方ポセイドンと顔を合わせるのが嫌だというところだろうに」
そのまま抱き締めれば響く鈍い音。
崩れ落ちる青年の首根っこを掴んでずるずると引きずる。
「これで良いか?」
噂には聞いていた前教皇の強さを目の当たりにしてアイザックは僅かに息をのむ。
「は、はい……っ……この御礼は必ずいたしますので……」
「そうか。うまい酒が嬉しいぞ」
同じようにカノンを引きずりながら少女は海底神殿へと向かった。
聖域でカノンとデスマスクが問題行為を起こすのはもはや日常茶飯事だった。





「そんなことしとったのか、お前」
月餅を頬張りながら男は傍らの女に視線を移した。
十八の身体でも十分に大人びているのは経験した罪と時間がそうさせるのだろう。
「ポセイドンも礼儀はわきまえておるだろうに。ハーデスもアイオロスがどうにかしておる」
冥界の管理権は実質アイオロスが握っている。
悠久の時を封印されてきた冥王よりも細やかな勤務体制と指導は流石教皇になるべく器だった。
冥闘士たちも仕事の速さに彼女を認める。
双子の神を従えて週休二日を導入したのは大きな功績だった。
「この間ワイバーンがアルラウネと訪ねてきた。アイオロスのような逸材を冥界に残して
 くれたことへの感謝だと色々と置いていったな」
射手座の守護人は冥界から帰ることがなく、時折戻ってくるばかり。
嫉妬に狂う冥王がその器を永遠に転生もかなわないように打ち砕いてしまったのだ。
「アイオロスとハーデスが喧嘩をするとジュデッカが崩壊するらしい」
「そこもお前に似たな。お前の指導はいつもそうだ。娘をみろ、素手で乙女座を殴るぞ」
「今はやりのDVだな。流行を取り入れることも大事だ」
「……それは流行りになるのか?」
心地よい風が額に貼りつく髪を撫であげる。
長い睫毛と深緑の瞳。
いつもよりも寄り添ってみる景色に目を細めて。
「肩ぐらい抱いてみろ、根性なしが」
挑発するような視線を掻い潜って。
「心外な言葉だ」
地の底で君の手をしっかりと掴んで。
「昔から意気地なしじゃろうが」
崩れ落ちる神殿を走り抜けて光を掴んだ。
「滝の前に座ってるのが仕事だったからな。さすがに弟子にやれとは言わんが。なあに、
 アイオロスが冥王になれば無駄な戦争などいらんだろ」
魂だけの少女に器が与えられるとすればおそらくその肉体は神になるだろう。
そうすれば冥王と互角どころか完全に支配下に置くほどの力を得ることになるのは目に見えていた。
「度胸があるなら攫ってみろ」
立ちふさがるすべてを払いのけて冥府のそこで手を伸ばした。
その銀色の髪は光となり何かを導くように。






螺旋の糸は紡がれて意図となり誰かの意識にもぐりこむ。
傍らで眠る女の姿にため息をついた。
こんな青い夜は本気で殺しあいたくなるか困りもので。
子供のように体を丸めて眠り、刻まれる呼吸。
(これで教皇を勤め上げた……眉唾もんだ……)
長い睫も銀色で、凍てついた星の輝きにも似ている。
柔らかな肌もたわわな乳房も、すてべては生きてこそのもの。
その背中に走る傷。
落日の生を終えて永遠の夜の中で得た不死。
月に掛かるは冥府由りの便りと。
夜鳴梟も群れを成せば人を襲い、食らえば悪鬼となる。
しかしながら彼女は人として神に最も近付いた。
(人間は神にはならずにそのままにあるがことがお前の唱えることだったな……故にサガではなく
 アイオロスを選んだ……)
二重に飛ぶは死出の導き黒き蝶は緑を纏い全てを幻に導く。
その背中で見せた生きざま、逃げないことの意味。
幻影は夜霧の中殺人鬼に変わり青年を毎晩責めあげた。
仮面の下の女が唇だけで笑う幽夢。
(サガもなあ……相手がこいつでなければもっとましな夢見だろうに……)
浮かぶ紫の霧は配布に沁み込み脳髄まで侵して。
ぐしゃぐしゃと髪を撫でればゆっくりと開く瞳。
「……なんじゃ……?……」
「寝ておれ。俺は少し考え事をしていたい」
「……隣に座ったまま寝てやる」
銀髪に指を通して軽く結んでいく。
「考える脳味噌が足らんだろうが。手伝ってやるぞ」
暗い空を見上げてものを思うには一人よりも二人が良い。
触れる手の暖かさを当たり前に受け取れるまでにはもう少し時間も必要。
「月の青すぎる晩は人間の本能は理性を抑えるらしいな」
「紅い晩ではないのか?」
彼女の瞳の色が左だけゆっくりと変わって行く。
「生きに生きて死に死んで再度の命を賜れば……私は人なのであろうかな……」
紅と藍の混在する深紫は見えざるものを見つめる力を持つ。
離れていても心は一つなどとはただの戯言。
彼女は何度かそっと宮を抜けて彼の隣に座っていた。
「人間か化けものかと言われれば、お前なんぞ出会ったときから化けものだったわ」
その言葉にぱち、と見開く瞳。
「今更に言うことでもなかろう」
「………………………」
「お前が化け物なら俺も化け物だ」
夜は素敵に永遠に、君が隣に居るのならば。
「何がおかしい?」
離れ過ぎた時間を今度は埋めようと。
「そうだな。私もトラも化け物で上等だ」
星の器を抱いて欠けた月を眺めるのも今度は二人。
「俺は考え事をしたいんだ。だから……お前は寝ろ」
「そうか。ならば私も考え事をしよう」
「今更お前は何を考える?」
「どうやったらトラが私を名前で呼ぶかだな。二百年ほど考えているがまだ答えが出ぬ」
唐突な言葉に吹き出してしまう。
「その前にトラは私の名前を覚えているかも不明だ」
「そこまで俺はボケとらんわ!!」
男のたくましい腕に女の細いそれが絡まる。
「ならば我が名は?」
「……っち……シオンだろうが……」
「ほほ。戦うとき以外に呼ばれたのは二百余年振り」
「これでお前の考え事は終わったただろうが。寝ろ」
小首を傾げて。
「お前の考え事は何なのだ?」
「どうやったら跳ねっ返りを大人しくさせられるかだ。かれこれ二百年考えとるわ!!」
「ほほほ……無駄なことだな」






行き交う雲のごとく過ごすのもまた悪くはない。
それを幸せというのならば人の一生という物は光年に似た長さと儚さだろう。
「夜は素敵に永遠に……何とも」
処女宮の屋根に座って二人で視線をその先の宮に向ければ。
石段に並んで海を見つめる二つの影。
「君はわからないことを言う」
「宴の前の言葉ですよ。これからがんがん呑む」
金色の髪を指先に絡ませて軽く引けば、閉じていた彼の瞳がゆっくりと開く。
周辺に張り巡らされた結界の力で能力を開放しても被害は少なくなった。
「シオンは大妖怪ですからね。そのらの酒蔵なぞ空にしてしまう。故に女神は酒宴を開かない」
まだ幼い女神は聖域に籠ることは少ない。
海皇や冥王の方がよほど神としての職務には忠実だろう。
「普通の女の子として過ごせばいいんだ」
「ええ。異常な青春時代は私たちだけで十分」
「異常だったか?」
「軽く殺し合いをする程度には」
春過ぎて夏の香りは季節を移ろわせる。
空に自分たち二人の星が並ぶことは無くとも。
まだ少しだけ夜風が冷たいと思えるならば、そのせいにしてもっと近付いて。
「……………袈裟ではマフラーにはなりませんよ?」
それでも嬉しそうに笑う唇と柔らかな頬。
「悪くはないですけどね」
紡ぎ紡がれし運命は糸となりいつか誰かを包み込む暖かな何かに変わるかもしれない。
希望を断ち切ってまで人は進むことなどできないように。
「殺し合いもできないような弱い男の方が良かったか?」
珍しくそんなことを呟く唇。
彼女は変わらずにじっとその眼を見つめた。
「どの口がそんなことを言うんだか」
そっと重なる唇。
「この口だが」
「死になさい。ついでにシオンも連れていきなさい。貴鬼は私が立派に育てます」
素敵な夜に罵詈雑言。
それさえも夜雀の歌のようにどこか妖しく聞こえてしまう。
まさしく、永夜は素敵な夢の中。









「あー……外見がジュリアンで中身が海皇ってマジうざい上に疲れるな……」
青年の隣を歩く少女が笑う。
「ジュリアンの時は私とそうも変わらない。ソレントはどっちでもいいって言ってるし」
「海魔女は難解な男の趣味だからな」
「私もソレントにそう言われた」
隻眼を気にして少し長くした前髪。
元は美しかった深緑の眼は片方だけ。
「世界征服が趣味でも、カノンは一人だけだし。兄上と同じ顔かもしれなけども、カノンはカノン」
自分の半分しかない年齢の少女は何かを悟っていた。
光の無い海の底でも彼女がいたから良いかと思えた。
「明日で祭事は終わりだし、聖域帰れるよ」
「お前はどうするんだよ」
「しばらこっちいるよ。落ち着くし、ソレントと話もしたいしね。ほら、ソレントって音楽系の
 学校いってるでしょ?私も学校に行こうと思って今勉強してるんだ」
まだこの先の長い長い人生を思うなら就学は必然だ。
「私、菓子職人になるんだ。そしたら、カノンにも美味しいのいっぱいつくってあげるからね」
「…………そんときゃ、俺じゃないもっといい男に作ってやれ」
ぽふ、と小さな頭に手を乗せて。
これ以上この少女を縛る理由などないと。
「ああ、ハーデスとか?私……ああいう年中無休でストーキングなのは好きじゃないんだよね。
 あ、カノンも一緒に学校行こうよ。一緒にお店やろうよ!!」
「だからな……」
「私の貴重な時間を奪った自覚をするなら、行動で示して」
「……うるせぇガキだな」
その表情がいつもの彼に戻っていたから彼女も少しだけ安心した風に笑う。
「いーんだ。私うるさい子供だもん。今日の夕飯はカノンが作ってね」
「しょーがねぇな。いっちょやってやるか」



夜は素敵に永遠に。
いつまでも素敵に永遠に。





12:04 2009/06/07

PC用眼鏡【管理人も使ってますがマジで疲れません】 解約手数料0円【あしたでんき】 Yahoo 楽天 NTT-X Store

無料ホームページ 無料のクレジットカード 海外格安航空券 ふるさと納税 海外旅行保険が無料! 海外ホテル