◆tea for two――月齢十四、水瓶座の彼女と蠍座の彼――◆
緋色の髪を結い上げて、少女は荷物を持ち上げる。
此度、弟子を取ることとなり東シベリアへ引越しを敢行するというのだ。
「だってさ、いくら水瓶座だからって氷の国に行けなんて短絡的過ぎる」
金髪の少年は手を伸ばして少女の髪の先を掴んだ。
まるで尻尾のようにゆれるそれ。
「ミロ、私は遊んでる余裕はないの。暇なら手伝って」
「だってさ、カミュは聖域が本拠地だ。荷物っていったって」
「まだ八つの子が来る。薬だ何だと必要だと思わない?」
フランスから来た儚げな少女は、その外見とは裏腹に一本通った芯を持つ。
間違ったことには異を唱え、堂々と自分の意見もぶつける。
「ミロもそのうち弟子を取ることになるかもしれないよ」
恋人はほんのりとやさしい笑みを浮かべてくれる。
「要らない。俺は弟子を取るよりもカミュと一緒に居たい」
まっすぐに感情をぶつけてくる彼に、彼女はいつも手を引かれて。
それでも彼は彼女の嫌がることはしない。
二人でいるために作った小さな約束が数個。
恋は努力無くして持続など不可能なのだから。
「そうだ、俺も荷造りしよう!!」
思い立ったが吉日。少年の手を少女が取る。
「どうして?」
「俺もシベリアに遊びに行く。だから俺の荷物もちょっとはいる。それに、普通だったら
宝瓶宮で荷造りするんだろ?でも、カミュが天蠍宮で荷造りするってことはやっぱり
俺と一緒に居たいってこと。俺もカミュと一緒に居たいから、暮らすのに困らないものだけ
持ってく。引越しの手伝いもするし」
少し癖のある髪は、面倒だからとそのまま伸ばした。
少女の髪と対になる美しい黄金色。
「そうだね。ミロがいなくてもいいくらいクールにはなれないみたい」
ギリシアの暑さは彼女には少し厳しくて。
毎晩苦しげに息を荒げる。
「暑いの駄目だもんな、カミュ」
彼女の指先はいつも凍気を帯びて心地良い冷たさを与えてくれる。
「少し苦手……けど、ミロがいるからまだ何とか過ごせるのかもね」
「シベリアって氷ばっかりなんだろ?そんなとこに女の子二人なんてさー」
並んだ聖衣箱が二人きらら…と輝く。
黄道十二星座の少年と少女。
「カミュ」
触れるだけのキスと乾いた音。
聖域に来てからどれくらい彼とこうして口付けただろう。
「なんでカミュってこうやって触ってるだけで気持ちいいんだろ」
「そんなことを私に言われても……」
「もっと違うことしたらもっと気持ちいいんだろうなぁ……」
その言葉にどき、とするものの。
頭では理解しても行動が伴わない。
歩き始めた月齢十四。
まだ足取りは覚束ないまま。
それは数年前のある日のこと。
(この暑さ……ギリシアはこんな所なの……?)
ふらつく足元を叱咤して、水瓶座の聖衣箱を背負った少女は石段をゆっくりと登りだす。
照りつける太陽と落ちる汗。
(もう……こうなったらあれをやるしか……)
呼吸を整えて少女は静かに手を組み合わせた。
きらめく氷の欠片が細い体を包み込む。
「……ふぅ……まだまだアテナ神殿は先みたい……」
緋色の髪を揺らして進み行く。
「あれ?お前も聖闘士なのか?」
中間地点の少し先。天蠍宮を通り過ぎようとした少女の足が止まった。
「誰?」
「俺、ミロ。ここを守る蠍座の聖闘士」
金色の髪は肩で跳ねて、頬の傷は彼の負けん気の強さを。
人懐こそうな笑顔はまだどこかあどけなくて子供のようにも思えた。
「私は水瓶座の聖闘士、カミュ。さっき聖域にはきたばっかりで」
「じゃあ、シュラとアフロの間だな。宝瓶宮がカミュの家になるんだし」
道行と話せば年も同じ。
少女の聖衣箱を代わりに背負って、その手を取る。
「さっさと教皇に挨拶して、どっかいこうぜ……あ……」
「?」
「カミュの手、すっげぇ冷たい」
凍気を纏う少女の手はいつも冬の冷たさを携える。
ここに来る途中の街でどれだけをそれを不気味がられただろう。
「…………………」
「冷たくて、気持ちいいな。ずっと触っていたい」
「気持ち悪いの間違いじゃないの?」
「なんで?冷たくて気持ちいい」
小さな恋の始まりは唐突のようで運命的。
この繋いだ手から生まれた暖かさを忘れたことは無かった。
「みんな不気味だって言うよ。ミロだってそう思うでしょ?」
眉の上で切られた短い前髪が乾いた風に踊る。
幼くして聖闘士としての力を得たことによって、彼女はいつも一人ぼっち。
それでも涙だけはこぼさなかった。
それがカミュという少女の最後の砦。
「全然思わないっ!!カミュのどこがおかしいんだよ!!そんなこというやつのほうが
おかしいんだよ。どんな馬鹿だか顔見たいぜ」
風に揺れるシャツの裾をぎゅっと掴んで。
いつものようにきつく唇を噛んで瞳を閉じた。
「カミュ、何で泣いてるの?俺なんか悪いこと言った?」
「泣いてなんてないっ!!」
「ええっと……ハンカチとかないし、えーと……」
おろおろしても彼女の涙はぽりぽろと零れ落ちて。
「!!」
唇が目尻に触れて涙を舐め取る。
「ごめん!!俺、ハンカチとか持ってなくて」
「ううん……ありがとう……」
「聖衣箱もってやるよ。まだ結構登るから」
頭上の太陽を追いかけるような真昼の月の白さ。
夏の日差しよりももっともっと眩しい物を見つけた日だった。
人馬宮から教皇の居るアテナ神殿まで、守護する聖闘士は全て女性。
本来、女性聖闘士は仮面をつけることが義務とされる。
しかし、黄金聖闘士は滅多に一堂に会することも誰かに会うことも無い。
それ故にその顔さえしないものもこの聖域には多いのだ。
黄金同士の打ち合いほど無意味なものは無いのも事実。
それ故に、教皇は黄金聖闘士にのみ仮面をつけることを免除させたのだ。
「な、カミュも仮面とか持ってんのか?」
「うん」
差し出されたのは水瓶座の仮面。金色の光を放ち、穏やかな笑みを浮かべている。
「すっげー!!俺もこういうの欲しい!!」
「ミロ、女の子しかもらえないんだけど……仮面は……」
悪戯に仮面をつけてはしゃぐ少年にカミュはくすくすと笑う。
「両隣が女の人で安心できるし、ミロも遊びに来てくれるし」
「カミュいるー?」
その声にミロも思わず振り返る。
「きゃあああああ!!!ななななななな、何なの!!!!????」
落下する林檎にミロは首を傾げた。
「あ!!俺、カミュの仮面かぶったままだった!!」
「こら!!蠍座のミロ!!」
少年の頭をぐりぐりと拳で突いたのは山羊座のシュラ。
ちょうど取れたての林檎で作ったパイをカミュへと届けにきたところだった。
「痛っっ!!シュラ、ごめんって!!」
「私の仮面をかぶって遊んでただけなの、シュラ」
「びっくりしたけどねぇ。ミロらしいっていうか……それは玩具じゃないんだからね」
何かと面倒見の良い山羊座の少女は二人の間の宮に住まう。
同い年の二人をまるで弟と妹のように可愛がる日々だ。
「シュラも持ってんのか?」
「あるよ、ここきったばっかりのときに私の仮面を同じようにデスが被ってね……サガに
ギャラクシアンエクスプロージョン食らわされてたけどね。アフロのも被って遊んでたし」
牡羊座、牡牛座、獅子座、蠍座、そして水瓶座。
蟹座、山羊座、魚座。
双子座、射手座。それぞれが同じ年という並びの今期の黄金聖闘士。
半分が女性というのは歴史上初めてだという。
「さめないうちに食べな、二人とも」
「うん!!」
女神を守る戦士たちにも休息はある。
まだこの地が穏やかで優しい風が吹く場所であった時代。
金色の光がまぶしく大地を照らしていた。
荷造りを粗方終えて休憩にと入れた紅茶に口をつける。
「どんな子が来るんだ?」
「女の子だよ。アイザックって名前なんだ」
「カミュの弟子になれるなんて幸せだよな。飯はうまいし、聖域で一番綺麗だし」
その言葉にカミュの頬が赤く染まる。
「そんなことも無いと思うけど」
「俺、カミュが一番綺麗だと思う。最初にあったときからずっと」
君が笑ってくれるから空は綺麗だと思えて。君がいないならばきっとただの空間に過ぎないだろう。
「だから、ずーっと一緒に居ような」
「そうだね」
これを普通の恋といわずして何を言おう。
この聖域で生れ落ちた恋はどれも掛け外れたものばかり。
他が咎められてもこの二人にはそれがない。
公務を投げ出すわけでもなければ街で悪さをするわけでもない。
聖域に対して牙を剥く訳でも無し。
これでは教皇も文句を付けように付けられないという現状だ。
「明日あたりから引越し開始?」
「うん。準備できたらアイザックを迎えに行ってあげなきゃ」
背中合わせの恋人たちは、二人でゆっくりと成長してきた。
指先が触れるだけで得られる安堵。
「カミュ」
「?」
「キスしてもいい?」
「駄目って言ったらどうするの?」
少女の指先が頬に触れて僅かに首を傾げる仕草。
穏やかに笑う目尻と薄く開く唇。
息が掛かるほどに近付いて呼吸を止めて。
「そんなの嫌だ」
「じゃあ、聞かないで」
甘いキスは彼女のほうから。
ちゅ…と離れて視線を重ねる。
「試されるのは好きじゃない……それとも、ミロは私とキスするのにも聞かなきゃ出来ないの?」
錆色の瞳。形の良い鼻筋。小さな顎。
その中で柔らかくて少しだけ冷たい唇の甘さ。
「試してなんてない。カミュ、いっつもそういうこと言うよな」
一年弱離れた年齢差。僅かなはずなのに少女は急速に女に変わる。
踊場で足を止めてガラスの靴を探しながら。
指先が触れてもひらりとかわされてしまう様な物悲しさ。
知らない間に遠くなるこの距離が苦しくて。
「いーよ、カミュなんかしらねぇ!!」
「ミロ!!」
詰まらない事で言い争って喧嘩をしてしまうことも。
人生においては必要なことなのかもしれない。
けれども、それを理解するにはまだ二人には時間が必要で。
歩き始めたばかりの十四歳という不安定な月齢が恋を試してしまう。
キスは何度も繰り返した。
時折大人のキスを真似てみて。
「……またやっちゃった……」
主無き天蠍宮に積もるため息の数は。
「どこ行っちゃったんだろ……ミロ……」
水面に浮かぶ月よりも移ろい易くて。
指先が掠めるだけで崩れてしまうその姿。
接吻するなど怖くて出来ないように。
着飾ることなどしたこともなく、どうしたらいいかわからない。
だから自分にとって一番相応しい格好を選んだ。
彼に会うのならばこれが一番良いだろう。
早まる鼓動を鎮めるように呼吸を整える。
「……カミュ?」
ふいに感じた小宇宙に少年は顔を上げる。
体感温度が少しだけ下がることが彼女の来訪を告げた。
「!!」
月光を背に壮麗なる姿。
揺れるマントと黄金の鎧。
対を成すように緋色の髪がふわりと揺れて。
普段付けない仮面を鮮やかに彩った。
「ど、どっか今から行くのか?急に仕事入ったとか……」
静かに横に振られる首。
仮面越しにじっと見つめてくる視線が今までで一番胸を締め付けた。
「ミロに逢いに来たの」
眼差し一つで空気の色が変わる。
「…………俺に?なんでだよ……」
逃げるように顔を叛けて。
「逢いたかったから。どうしても逢いたかったから」
ゆっくりと近付く影と響く足音。
静かに仮面に指が掛かる。
「なんで…………仮面付けてんだよ…………」
「この仮面の意味、知ってる?」
古い風習だと黄金聖闘士の女性で仮面を聖域内で付けるものは居ない。
「………………………」
「素顔を見られたら、殺すか…………愛するかのどちらかを選ぶ…………」
からら…と乾いた音を立てて石畳の上に転がる金の仮面。
赤い月を写し取ったような瞳が少年を静かに捕えた。
少し震える手で彼のそれを取り、自分の首に掛ける。
「だから…………」
僅かでも力を入れれば彼女は息絶えてしまう。
「…………選んで…………」
「……ばっかやろ……んなの決まってんだろ!!なんで、なんでそんなこと……っ!!」
泣きそうなのを堪える瞳ときつく噛んだ唇。
「だって……ミロのこと……」
一番近くに来て。
「好きだから」
君の名を呼ぶために。
素肌に触れる空気の冷たさに瞳を閉じて。
額に触れる彼の唇の熱さが心地よかった。
「……カミュ……」
たどたどしく体の線を撫で上げる掌。
ただそれだけなのに生まれてくる不思議な震えに少女は戸惑う。
「俺で良いの?」
「どうして……聞くの?」
舐めるようなキスと壊れるような抱擁。頬に触れる柔らかな緋色の髪。
指に絡ませてそれにもそっと唇を当てた。
「カミュ、髪も良い匂い……」
誰かと肌を重ねることは本当はとても簡単なことなのかもしれない。
そこに心が付随しないのならば。
「……ぁ……ん……」
ちゅく…首筋に触れた唇がそこを甘く噛む。
自分の口から零れた声に慌てて手でそこを覆う。
(やだ……なんて声……)
夢中になっている少年に悟られないように唇を噛んで。
指先が弄る度に生まれそうな声を必死に殺した。
「……やーらか……カミュ……」
ふるん、と上を向く乳房に指が掛かってその先端が口中に。
舌先で転がすようにして時折吸い上げる。
「……ッ!!……ぅ……!…」
かりり…乳首を噛まれてびくんと細い肩が大きく震えた。
左右をねっとりと舐め嬲る舌と唇。
甘い匂いと柔らか質感は理性を簡単に奪っていく。
乳房に刻まれる赤い痣。一つ、二つ、ゆっくりと増えて。
「血、出てる……」
唇の端から零れ落ちる血液を舌先で舐めとられる。
何度目かわからないキスは鉄と錆に似た味がした。
「嫌?カミュが嫌なこと……俺、しないよ」
彼の声はこんなにも優しかっただろうか?
ずっと聴いてきたはずの少年の声はいつの間にか男に変わっていた。
「違う……でも、何か…………恥ずかしいから……」
ふにゅふにゅと柔らかい乳房を揉みながら丹念に先端を舐め嬲る、
ちろちろと舌先が這い回るたびに小刻みに体が震えた。
何度も確かめるようにキスを繰り返す。
ゆっくりと唇が下がっていく。
「!!」
まだ未成熟な秘裂に唇が触れて。
「ひゃ……ぅ!!……」
その上の小さな突起を小突くように口中で嬲りあげる動き。
その度に体を走るびりびりとした感覚に飲み込まれそうで何度も首を振った。
あふれてくる愛液を指先に絡ませて、ひくつくクリトリスを擦り上げる。
「カミュ……気持ち良い?」
「……わかんな…い……」
たどたどしい愛撫でもこの手が彼のならば少しだけ嫌悪感も恐怖も拭える。
「……続けて……ミロ……」
中指がゆっくりと膣口に触れて沈む。
くちゅくちゅと響く音とべとべとになった指先。
指を増やすたびに苦しげに寄せられる眉と荒くなる呼吸。
「…っは……ァ……ぅ……」
「カミュ、ごめん……ッ……」
小さな膝を割って体を入り込ませる。
これから自分がどうされるのかなんてわかり切っているはずなのに。
そこまで子供では無いと言い聞かせても。
自分の体を征服するのは、紛れもなく彼なのに。
「や……っ……」
どうして怖いと思ってしまうのだろう。
「!」
肉棒の先端が膣口に触れる。
ぐちゅ、と亀頭が飲み込まれて肉壁を押し広げるようにして注入が始まった。
「ア!!や、イヤ……ァ!!」
抵抗しようと胸を押す細い腕を少女の頭上で片手で押さえ込む。
「ミロ……?」
自由の利かない両手と金色の光。
「ごめん……俺……ここで止められない……」
リストリクションの光の輪が氷の美少女を静かに拘束する。
「あああっっ!!」
悲鳴にも似た甲高い声が室内に響く。
逆流する血液と真っ赤に染まる視界。
ぐちゅ、ずちゅ…生まれてくる互いの体液が絡まりあう水音。
内腿に滲む様に流れた処女喪失の証明。
少年が腰を進める度に広がる痛みとこぼれる涙。
「……カミュ……ごめん……ごめん……」
「違っ……あ!…ッ……!!…」
痛みと痺れで回らない呂律。
彼を否定する気持ちなど欠片もないのに。
こうなることを望んで覚悟を決めて天蠍宮に来たのは自分なのに。
「痛った……ぁ!!……」
「…っは……カ…ミュ……」
噛み付くようなキスを繰り返して。
何度も何度もきつく背中を抱いてくるこの腕が愛しいのに。
喉の奥で言葉が詰まって声にならない。
「解いて……ッ!!こんなの……嫌だ……」
自由になる手が求めたもの。
自分と同じくらいまだ細くて頼りない彼の背中を抱きしめた。
「カミュ?」
「ミロの大馬鹿者…ッ!!自分勝手に突っ走るなっ!!」
「へ……?」
「私は痛くてそれどころじゃないんだ!!何度も謝るな!!謝るくらいなら最初から
こんなことするなぁっ!!私だって覚悟を決めてここに来たんだっ!!」
ぼろぼろと涙をこぼしながら彼女の口唇が告げてくれた本当の気持ち。
涙と汗でべたべたの素顔。
常に穏やかに笑ってどこか冷徹ささえ感じさせる普段の表情(かお)はそこにはない。
十四歳のまだ大人にあこがれ始めたばかりの少女がいるだけ。
「お、俺だってちょっと痛い……」
「早く終わらせて!!もうヤダぁ!!」
簡単に何もかもが変われるほど世界は優しくはない。
でも。
君の肌が優しいことはたった一つの真実だから。
「…ぁ……カミュ……」
何度も何度もその体を突き上げて。
落ちてくる汗に瞳を閉じて重なる鼓動に胸がときめく。
思い描いた初体験とは掛け離れた初めての夜。
それでも、これがきっと自分にとって最良のものなのだろうと朧気に感じた。
「……ぅ…ア!!…ミロ……ぁ!……」
繋がった箇所がじんじんと痛んで熱い。
慢性的な痺れと生まれ来る愛しさ。
「んぅ……あ……っふ……」
耳に触れる唇が囁く言葉。
それだけで満たされていくのは冷たくなっていた心。
月齢十四、知るには早い恋。
「……っは…!!…カミュ……ッ!!」
同じように涙を浮かべた彼が崩れるのを受け止めて。
この体が女なのだということを今更ながらに神に感謝した。
くたくたになった体を寄せ合って、視線を重ねる。
「何で怒ってんだよ」
「自分の胸に聞いてみろ。最低男」
「な……っ!!言いたい放題だろ、それ!!」
喧嘩がしたいわけでもない。こんなときくらい甘える女になってみたいのに。
(あ……でも、カミュこんな顔するんだ……)
勝気な瞳とまっすぐに重ねてくる視線。
「そ、そのうち多分、俺もカミュも一緒に気持ちよくなれると思う」
臆病な手を伸ばして。
細い背中を抱き寄せて世界で一番甘いキスを交わした。
「泣き顔でもカミュ綺麗なんだなーって」
「………………………」
「まだ俺じゃ頼りないかもしれないけども」
両手を組み合わせて作り上げる小さな光。
「……綺麗……」
幾重にも織り上げた美しい花のような優しい光の輪。
「もっと俺が大人になったら、俺……カミュのこと嫁さんにもらうんだ」
その輪を今度はひとつに変えて。
彼女の左手の薬指に移動させた。
「朝になったら消えちゃうけど、次のカミュの誕生日には消えないようにするから」
いつか、という言葉を好まない恋人。
それを知ることができたのは今までの時間を重ねたから。
確約できる未来などないとわかっていても。
「だから、俺とずっと一緒に居よう。カミュ」
正々堂々と正面きってのプロポーズ。
逃げも隠れもせずに君に一厘の花を。
「……うん……」
あせって駆け上ることもあるだろうけども、必ず立ち止まって。
二人で一緒に同じ高さで世界を見つめよう。
「ね、ミロ……」
「何?」
「あの、ね……こうやって……」
まだ薄い胸板に少女の柔らかな乳房が重なる。
「ちょっとだけ憧れてた……素敵な人とこんな風にするの……」
抱きしめてくる腕の中で瞳を閉じる。
「俺って素敵な人?」
「んー……もうちょっとしたらそうなると思うけども……」
「何だよ、それ」
胸に刺さった氷の棘を溶かしてくれたのは王子さまではないけれども。
オリオンを一撃で倒した金色の蠍。
「有望株。ミロはかっこよくなると思うよ」
話すだけではなくて、キスをするために唇は存在する。
気持ちを伝えて何かを感じあうために。
「今だってかっこいいはずなんだけど……まだ背だって止まってねぇもん」
草原を、大地を、神殿を。十四歳は歩き続ける。
少年と少女、男と女。
その間で揺らめくこの淡く甘い恋。
素足で踊るように軽やかに通り過ぎていく大切な時間。
「カミュの肌、すべすべしてて気持ちいい……」
「冷たくない?」
「最初に会ったときも言ってた。俺が何て言ったか覚えてる?」
あの時、彼は自分が欲しくて欲しくて焦がれていた言葉をくれた。
きっとこの恋はそのときに生まれたのだろう。
「気持ちいい、ずっと触ってたい」
この夜と朝の間に埋もれてしまおう。
少しだけ冷たい空気とまだほんのりと熱い体を抱きながら。
「今も同じだよ。カミュのことずっと触ってたい……」
緋色の髪をなでる手の幼さも、じきに変わってしまうだろう。
体躯は立派になりこの細い腕も逞しく変わる。
「ミロ」
少年の胸に顔を埋めて。
「私もミロとこうしていたい……」
「俺も。だったら一緒に居れば良いだけだろ?カミュ」
同じ黄道に座する星に、彼が居たことはきっと与えられた運命だった。
この場所は間違いなく二人だけの聖域だったから。
日差しの照りつける宮で、少年は空を見上げた。
雲はまるで蒼に解けていくよう。
「ミロ、カミュが居なくてなんか気が抜けちゃったかい?」
「シュラ」
石段から飛び降りて少女に駆け寄る。
三つ年上の細身の美少女は二人の間の宮に住む。
「んー、あっちにも俺の荷物あるし。すぐにも逢いにいけるし……」
「今までがずっと一緒だったからね。ちょっと離れても不安なのかとも思ったけども
そうでもないみたいだね。安心したよ」
面倒見の良さもあいまって彼女は多くの聖闘士に慕われている。
「だって俺、男だもん。ちょっと我慢しないとさ」
「ふぅん……なるほどね。先に体だけ男になったか、ミロ」
「いっ!?」
意味深な笑みでシュラは片目だけを悪戯気に閉じた。
「このシュラさまに隠し事は無理だぞ、ミロ」
「へへへ……そんとーり。だから俺もちょっと我慢する」
「しょーがない。祝い酒に秘蔵のワイン開けてあげる。おいで」
並んで歩けばまるで姉と弟のよう。
あれこれと突っ込まれては顔を真っ赤にする少年にこぼれる笑み。
「シュラ、ガキ付か?」
銀色の髪の少年は、赤い瞳で綺麗な碧を少女の瞳に捕らえる。
「もうガキじゃねぇもん」
「何だそりゃ?」
どこか誇らしげに光る金色の髪と凛とした空気。
「あ!!さてはお前……カミュとやったな!?」
「あんた……もうちょっと言葉選びなさいよ……下品な男ね……」
「あん?どうだった?緊張したかぁ?よかったな、脱童貞!!」
ごつん、と小気味良い音を立ててシュラの拳がデスマスクの頭を打つ。
「とことん下品な男ね、あんた」
「んなこと言ったって事実だろ。野郎だって緊張すんだよ。な、ミロ」
真似事でも何でも少年は男になろうと懸命に背伸びする。
「デスも緊張した?」
「それなりにな。そうやってみんな男になんだからよ」
空に掛かるオーロラを綺麗と言ったのはどちらが先だっただろう。
窓枠に指を当てて一人で見上げる。
「カミュ先生?」
「ごめん、起きちゃった?アイザック」
栗金の髪の少女の肩に手を置いてカミュは小さく笑う。
「明日も大変だから早く寝ようね」
テーブルの上の写真をそっと伏せて。
少しだけ冷めた紅茶の香りが彼の地を思い出させる。
二人で分けた茶葉もきっと彼の分はまだ手付かずだろう。
(一緒にお茶飲みたいな……それとも誰かと楽しくお茶飲んでるかな……)
茶器の扱いなど以ての外。もしかしたら揃えたカップも割ってしまったかもしれない。
部屋の片隅に置かれた水瓶座の聖衣箱。
「カミュ先生」
ひょこりと顔を出した愛弟子ともう一つの影。
「カーミュ」
ミロの手を引いてアイザックはにこにこと笑う。
「ミロ!!」
「ムウに貰ったんだけども、俺じゃ美味しく作れないからさ」
小さな瓶に鎮座する茶葉。きつく巻かれた麻の蓋紙。
二人きりじゃなくても、たとえ毎日あえなくても。
「確かに私のほうが上手だけどね」
「アイザックも一緒にな。酒じゃないからいいよな?カミュ」
「早寝させようと思ったのに。今日は夜更かしになりそうだね」
肌を刺す寒さも消し去る暖かさ。
「ロシアンティーばっかりだったから、有難いよね。アイザック」
「はいっ」
ゆっくりと流れる時間。
この幸せを一枚だけ切り取った。
草原を雪原を銀河を。
月齢十四、歩き続ける。
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17:01 2007/04/13