◆HERETHERE&EVERYWHERE◆






あなたの傍に居られればそれでよかった。
あの日、あなたの胸を貫いたのは恐らく金の矢。
この手が引きちぎれようとも引き抜けばよかった。
罪と言う名の金の矢を。





「教皇、魚座のアフロディーテ参りました」
聖衣に身を包み女は恭しく頭を下げた。
黄道十二宮、最後を守るのがこの魚座の女だった。
「ケフェウスのダイダロスは幾たびの招集、全て不義としてきた。これは聖域に対する
 謀反そのもの」
その言葉に静かに瞳を閉じる。
「かしこまりました。アフロディーテ、これよりアンドロメダ島に参ります」
黄金色の髪を靡かせて美麗な女は静かに踵を返した。
「アフロディーテ」
耳に響く低い声。
彼は今、ピスケスではなく名前で呼んだ。
「……私に何か?教皇」
これ以上、彼が誰かを殺めてしまうならば。
血を薔薇で掻き消す事のできる自分が行けばいい。
どうせ行き着く先は二人とも地獄だろう。
「すぐに戻ります故に」
あなたのいない天国ならば必要はない。
心が清らかであることが何の救いになるのだろうか?
「アフロディーテ!!」
「……サガ、行ってきます。貴方の望むままに」
マントを翻してその姿が光に消える。
女神の名を持つ聖闘士の後姿がどこか悲しげにさえ思えた。






血塗れた手を見つめる。
いつからか誰かを殺めても心は痛まなくなった。
罪に苛まされる恋人を見つめるほうがよほど苦しく切ない。
(海……綺麗だね……)
海水に手を浸す。血液は静かに蕩けて生命の源に還って行った。
ヘッドマスクを岩場に残し、そのまま足を踏み入れる。
金色の鎧を纏った女は、純粋な如く美しく見えた。
この海に自分は還ることができるのだろうか。
故郷のあの美しい海が、いまや思い出せないのに。
「アフロディーテ!!何をしてる!!」
夕日を背に受けた黒髪の女が水面ぎりぎりに降り立つ。
「いくらお前でもそんなに長時間水中にいれば体に障る」
聖域の中でも討伐部隊として行動を多々強いられるのがこの二人の女。
「そうなったら、サガは私のことをどう思ってくれるのかなぁ……」
彼女は初めから女神に忠誠など誓わなかった。
ただ一人、彼のためだけにその膝を着いた。
「何を…………」
心臓が始めて鼓動を刻んだときのように。
この恋は絶対的支配力を持ってしまうから。
「聖域に帰ろう。教皇も我らの帰還を待って……」
「伝えて。魚は水に還りました、と」
硝子玉を一つ、水の底へ。
追いかけてもう一つは落ちてくるだろうか?
「馬鹿なことを……私も報告がある。一緒に帰ろう」
「何やってんだ?シュラ」
シュラの隣に現れたのは蟹座の青年。彼も教皇の討伐隊として動くことが多い。
夕日を受けた銀の髪が不思議な色に煌いた。
「アフロが帰らないっていうから……」
その言葉に男は視線を水面に。
「アフロ!!真水の中でしか生きられない魚は、海中じゃ死んじまうんだぞ」
「返り血は落ちたけれど、あの人に汚いって言われちゃう」
この指に髪に肌に。彼が触れるもの全てに纏わりつく血の匂い。
「あの人に嫌われるくらいなら、この海で死んだほうがいい」
ただ一人にだけ愛されれば幸せになれる。
その彼は二人分の心で彼女を愛するのだ。
それぞれが意思を持ち、違った形で。
水面に濡れたマントだけがゆらゆらら…と蠢く。
「アフロディーテ!!」
金切り声にも近い女のそれを、男が静かに制した。
彼女を連れ帰っても恐らく事態は悪化するだけ。
「戻るぞ、シュラ」
「しかし……ッ……」
「飼われれば魚だって逃げたくなるもんだ。それが例え死を意味しても」
降り出した雨に男は女の肩を抱いた。
「優しさは残酷だ。だから……いや、何でもない」
柔らかく温かな雨はゆっくり、ゆっくり。彼女を侵略していく。
佇むその姿はまるで古の女神のようでどこか悲しく美しかった。




「山羊座のシュラ、只今戻りました」
「蟹座のデスマスク、只今戻りました」
教皇に帰還の報告を済ませて二人はそれぞれの宮に戻ろうとした。
「待て。魚座のアフロディーテはどうした。すでにダイダロスの小宇宙は消えた。
 しかし未だ戻らぬ」
静かに振り返ったのは黒髪の女。
もう一度跪き、唇を開いた。
「それは教皇としてのお言葉でしょうか?」
「私は聖闘士全てを束ねる義務がある。それが誰であろうと変わらぬ」
「…………アフロディーテは忠臣の中でも一際。ならばいずれかは戻ると思われます」
響き渡る声と沈黙。
「確かにあれは我が忠臣。多少は甘やかしてしまうのかもしれん……」
「もう一度お聞きします。それは誰の言葉なのですか?教皇」
誰よりも彼女は彼を思う。
だからこそともに堕ちて狂うことを望んだ。
「私の……私の恋人はなぜ戻らない!!シュラ!!」
「わかりません。ただ、戻りたくはない、と……私も帰還を促しましたよ、サガ」
重ねあったカードから、たった一枚を彼は引いてしまった。
もしかしたらそれは彼女も同じだったのかもしれない。
「飼われた魚は海に帰ったんだろうよ。それが死ぬってことでも」
円柱に背を預けて青年は天を仰いだ。
「それぐれぇわかるだろ、サガ」
靴音だけが木魂するこの悲しい空間。
降り注ぐ雨はまるで光の糸のようにも思えた。
濡れた女神の像はまるで涙を流すかの如く。
その雫は果たして誰のためなのだろうか?





墓標の前に佇む女は、ひっそりと一輪の花を手向ける。
満月を背にしてただ静かに。
(ダイダロス先生……誰か居る!!)
駆けつけた少女はアンドロメダの聖衣を授かった者。
亜麻色の髪を静かに指で跳ねて息を殺した。
(なんて……優しい小宇宙……)
金色の鎧を纏った女はそれだけでも全ての聖闘士の頂点に立つものであることを示す。
一陣の風が頬を撫でる。
散り行く花弁が風に舞う。まるで鎮魂歌のように。
靡くマントが彼女を妖麗に飾りあげる。
「……誰だ、そこに居るのは……」
その声に少女は意を決して前に進み出る。
「青銅聖闘士、アンドロメダ瞬……その人は私の師に当たる方です」
振り返った女のその表情(かお)を、少女は生涯忘れることはなかった。
迷いの中に立ち尽くす女の姿。
「私は魚座のアフロディーテ……その男を葬った者……」
閉じた瞳と憂いの唇。
「この場で私を討つか?アンドロメダよ」
そうなれば間違いなくこの場で瞬の命は散る。それほどまでにこの女の力は強大だ。
月光の下、狂人の如く美笑みを浮かべたその姿。
その瞳の色は海を称えた美しい蒼。
けれども悲しみと優しさと、一抹の寂しさをも抱いていた。
「なぜ……なぜ、先生のお墓に花を……」
震える両膝を叱咤して、少女は女をまっすぐに見詰めた。
長い睫が伏せられる。
「さぁ……私の気まぐれかも知れぬ……」
「悪い人だったら、あなたがそうだったら花なんか……ッ!!」
零れ落ちる一粒の涙。
この世の全ての中でもっとも美しいとさえ思えた。
「これはあの人のためのもの……彼が一番苦しいから……」
その言葉の真意などまだ彼女にはわからずに。
それでもここに居るのが一人の女であることだけが確かな事実。
本当は誰も傷つけたくないと叫ぶあの人のために。
あの人が苦しまないようにこの手を伸ばそう。
「あの人の心を此花に。私はただ……ただ、その思いを届けただけ」
「………………」
「おいで。いつか私の待つ場所へ」
花霞に消えていくその姿。
残ったのはただ優しい光と甘い匂いだけ。
耳の裏で繰り返されるその言葉の意味を知るのは、少女がもっと時を重ねてから。
捧げられた薔薇は銀の矢となって少女の胸を静かに撃った。





主無き双魚宮。
(未だ戻らぬか……)
無人の宮に光る聖衣箱に、青年の指先が触れる。
女がその姿を消してから七日が過ぎた。かろうじて聖衣箱だけは戻ったものの
その主は未だにこの聖域に帰還する気配が無い。
(仕方が無い……行くか……)
法衣を翻して男は指を組み合わせる。
生まれ出た光を追うようにその姿が消えていく。
主無き宮は無用とばかりに。
(まったく我が侭を……子供でもあるまいし……)
降り立った場所は海面に近い岩場の上。
立ち上った月の美しさに見惚れそうなほどだった。
(……あそこか……)
波音に混ざる小さな水音。水面に素足を浸して、女は静かに月を見上げていた。
「そうしてるとアフロディーテではなく、アルテミスだな」
その声に女は振り返った。
「…………サガ…………」
「面倒をかけやがって。大体七日も双魚宮を空けるなんざ蟹座よりも馬鹿だ」
うつむいて、唇を閉じる。
「こっちのサガが迎えに来てくれたんだね」
「……ああ。俺があいつを封じ込めてここにきた。お前が普通に帰ってくれば何の
 問題もないんだ。まったく面倒な女め」
黒髪が月の下で鮮やかに舞う。
真紅の瞳に囚われてからこの恋は苦しいものに変わってしまった。
「サガ」
「なんだ?帰るぞ」
その言葉に女は静かに首を横に振った。
ゆっくりと水面の中に沈んでいく身体。
「……っばっかやろ……」
引き上げようとしたつもりが引き合うように身体が絡まり海中に飲み込まれる。
瞳を閉じて何も求めないと沈む女。
それを認めることができずに手を伸ばす。
『お前は何をしたいんだ?死にたいのか?』
その気になれば防護壁など簡単に作れる。
『……サガ、見て……月が綺麗だよ……』
男の黒衣に指をかけてそれを促す。
水に溶ける金色の髪。泡を絡ませてさながら女神のよう。
その背を抱いて青年は瞳を閉じた。
このまま二人で海の藻屑になるつもりなど毛頭無い。
『このまま二人で沈むのも悪くないよ。サガ』
『くだらねぇ……俺は死体を抱く趣味は無い』
この縋る様な腕が本当に求めるものを。
認めてしまえば自分の存在は消えてしまうから。





何が彼女をそうさせたのか、それはきっともう一人の自分が自分を生み出したのと同じ感情。
出会ってから過ぎた時間はどれほどだろうか。
「お前は黙って俺の言うことを聞いてれば良いんだ」
引きずられるようにして連れてこられた己の宮。
「どっちのサガの言うことを聞けばいいの?」
「俺」
蹴りだされる様にして浴室に放り出されて。
バスタブの中に沈みながら身体がゆっくりと温まっていくことを感じた。
彼はどんな思いで自分を探してくれたのだろうか。
自分が戻らなくて何を感じてくれたのだろうか。
頭の中で答えなど出ないことがぐるぐると回って。
答えなど出したくないことが幾重に重なっては崩れていく。
「少しは落ち着いたか?」
「……んー……あ……」
「何だよ」
銜え煙草の青年をこの聖域で見ることのできる人間などいるだろうか。
「自分だけ煙草吸ってる。サガ、アフロには絶対駄目って言うのに」
「あ?あいつ、んなことお前に言ってんのかよ……」
煙草の吸い方を真似て見ても彼に成れるわけでもない。
それでも少しでも近付ける気がして震える指で火を点けた。
肺を刺すような痛みと喉を掻き切る咳。
自分が子供なのだと痛感させられた。
「俺もお前の口が煙草の味になるのは好きじゃねぇな」
彼の唇は不思議な香りがする。
時に甘くて時に冷たい。
「少しは落ち着いたか?」
「うん…………ありがとう、サガ……」
差し伸べられる手は誰の意思なのだろう。
彼は二人とも彼女を確かに愛していた。
だからこそ報われない思い。
どれだけそばにいても届かないこの思い。





預言者は原色の空の下。
三人のマリアにその声を。
マグダラのマリア。継接ぎだらけのマリア。メシアを産み落としたマリア。
ワルキューレの歌声に導かれて進み行く。
追憶のカノンと繰り返し歌われる物語。
その唇が呟く名前を消し去ってしまうかのように。
「依存症って言葉知ってる?」
グラスに残っていたワインを飲み干して、女は傍らの男に視線を移した。
「ああ、何となくだけどな」
四番目の巨蟹宮にこの女が来ることはあまりない。
十番目の磨羯宮で彼女が待つことが殆どだ。
「宝瓶宮にカミュは殆ど戻らないでしょ?だと、私の隣は双魚宮って言ってもおかしくは
 ないわけで…」
ブルゴーニュの赤を飲みきって、こぼれるため息。
「そういやお前、最近ずっとこっちいるよな」
「……毎晩悲鳴が聞こえてくるから。あの子は痛みを知らないから、それが嫌だって
 こともわからないんだと思う。サガも結局あの子がいなければもっと大変なことになるし
 あの子もサガが必要なわけで……だから、依存症かな……って……」
「共存症だろうな。どっちも倒れるまで終わりやしない」
膝を抱いて顔を伏せる。
耳を塞いでも離れない声に何度も頭を振る夜。
「なぁ、シュラ」
少しだけ近付く唇。
息が掛かるよりも少しだけ手前で止まって。
「お前はいっつも誰か殺した帰りはすげぇ痛そうな顔してんだよ」
「……………………………」
黄金の鎧に飛び散る赤。
血塗れた手での帰還も珍しくはなくなった。
「けどよ、アフロはそれが無いんだよな。なんか、なんつーか……あくまで俺の推測だぞ、
 推測。確定事項じゃねぇからな」
彼の言葉に彼女は声を失った。
おそらくは死を身近に感じたことが無いから戦いはゲームと同じなのだと。
命を奪う遊びに魅了されたのは果たして彼か彼女か。
「でも、サガは極力アフロを出陣させることはないはず……」
彼は美しい薔薇を愛した。硝子細工の花弁を慈しみ、誰にも触れさせないように。
「ああ。だけどもう一人はどうだろうな」
その花を喰い千切り、唇から毀れた血が花弁に注がれる。
彼に似合うのは赤よりも白。
染め上げられた花弁を美しいと愛でるならば。
「…………怖いこと言わないで」
「ガキのまま女になっちまったんだろうな。あれは」
不安な夜に肩を抱いてくれるだけ満たされるこの思いを。
抱きすくめられて囁く声。
それを拒むことのできない己が弱さ。
「!!」
重なりそうな唇を指先で止める。
「そんな気じゃない」
「だろうな。お前はそうやってちゃんと拒否できるけども、あれはできねぇ」
「………………………………」
「サガみたいなのには本当はお前みたいなのが合ってんだろうけども、それは俺様が認めねぇ」
どれだけ強さを得ていても、眠れぬ夜があるように。
一人きりで何もかもを抱くには人間はあまりにも脆くて儚い。
ましてやそれが内なる自分を擁していたならばどうなるのだろう。
「だからって、ま、俺みたいに嬉々として人殺しってのもアフロじゃねぇしなぁ」
背中合わせで愚痴を言い合った夜。
互いの力の無さを歯痒く思いながらも同じ空を見上げた。
それは二人の視線が同じ位置を見ていたからこそできたこと。
「俺もどこで間違っちまったんだろうな……」
絵画の中で一度だけ見た聖母マリア。
自愛の笑みを浮かべて息子を胸に抱いていた。
「神なんか信じたことはねぇけどさ、聖母ってお前みたいな感じなんだろうな?」
柔らかきその体で女は棘を身に受ける。
「聖母マリアは処女懐妊……もしかしたら女神アテナに最も存在が近いのかもしれないね……」
青年を静かに抱きしめて女は瞳を閉じる。
伏せられた睫の長さと薄い唇が浮かべる三日月のような笑み。
「俺、昔一回だけ絵で見たんだ。それもこんな感じだった」
「私はマリアにはなれないよ、デス……名前も異教徒の悪魔に似た」
何を憂いて涙を流すのか。陶磁の肌を染める血の涙。
「男は女に救いを求めちまうのかもしれねぇ……けど……」
銀の髪に降る光。闇色の髪に融ける憂鬱。
「マリアがただのガキだったら救いも何もあったもんじゃねぇ」
砕け散るステンドグラスの雨の中で知った痛み。
世界を救う筈の青年はあまりにも無力だ。
罪に苦しむ男一人救うこともできない存在なのに。
それでも人は祈りという残像で何かを思わずにはいられない。
「俺みたいに地獄直行の男には、悪鬼とやらが似合うんじゃねぇの?」
唇は愛を囁くだけではなく。
「そうね……どの道、私も天国になんか行けやしない」
バラバラになったマリアの唇はそれでも笑みを浮かべる。
欠片を一枚拾い上げて少年はそっと唇を押し当てた。
硝子片は彼を傷つけ床に零れ落ちる血液の赤。
たった一度の過ちすら許せない神などいらないと叩き付けて。







寝息を立てる恋人の傍を離れてそっと小さな箱に手を伸ばす。
繰り返される音色は眠れない夜の必需品になっていた。
「御大層な趣味だな」
闇に解けそうな髪をかき上げて、錆色の瞳が女を捕らえる。
「眠れないときに聞いてるだけだよ」
「ふぅん……」
「!!」
ぐい、と手首を掴まれて抱き寄せられる。
塞がれる唇と入り込んでくる舌先に瞳を閉じた。
こんなにも簡単に自分の体は組み敷かれて意のままにされてしまう。
何が女神を守るための戦士なのだろうか?
「や……やぁだ……サガ!!」
「言っただろ?お前は俺のものだって。余計なことなんか考える必要は無い」
『やめろ!!』
「邪魔すんじゃねぇ!!お前が軟弱だから俺がいるんだ!!」
『それ以上アフロディーテに触れるな!!』
「サガ!!」
その声に止まる動き。男の手を取ってそっと口付ける。
「っは……お前だって覚えてるんだろ?こいつを始めて抱いたときの事を。
 泣きながら犯したんだよなぁ、サガよ」
『やめろ!!それ以上言うなァッ!!』
「うああああああぁっっ!!!!」
きつく自分で自分を抱きしめて、青年は唇を噛んだ。
白銀と金が織り成す美しい髪。
ギリシアの空を切り取ったような瞳の碧。
「サガ、大丈夫?」
「ああ……すまない……っ……」
苦しげに荒げられた呼吸とうなだれる姿が胸を刺す。
「よかった……君が戻らなかったらとずっと……」
後悔の夜が始まったのはおそらく彼女を初めて抱いたときから。
「サガ、あのね……」
「どれだけ詫びても私の罪は変わらない……それでも私は君を縛り付ける……」
押さえつけて無理やりに抱いたあの夜。
もう一人の自分に奪われるならばいっそ自分がと思い彼女を犯した。
細い手を縛り上げて、身動きを取れないように。
自分の下で苦痛と恐怖に喘ぐあの姿。
何度も繰り返される言葉と零れ落ちる涙。
「サガ、泣かないで……あの日から一度もアフロは嫌だなんて思ったこと無いよ」
罪という名の記憶が彼を縛り付ける。
本当はそれが違う気持ちだということを彼女は彼よりも深く理解していた。
「おやすみなさい……サガ……」
薔薇の香気を風に乗せて眠りの神を誘い出す。
せめてこの夢の中だけはあの人の影が彼を苦しめないように。
願い、祈り。それは誰に捧げるためのものか。
胸の中にある黒い命は彼だけではなかった。





草原の女神は月を背に矢を番う。
走り行くのが恋人だとは知らずに。
神話ので時代から繰り返される男と女の愛憎。
「サガはアルテミスの話、知ってる?」
月光を受けて振り返る彼女の姿は、その女神そのもの。
揺れる光の神と陶器のような肌。
「ああ……オリオンを撃ち抜いた悲恋の話だ」
「うん。でも……貴方を射抜いたのは金色の矢」
今まで見たことのない瞳の色。
それは暗く深い朝焼け前の夜の紺。
「貴方をあの日射抜いたのは金色の矢……射手座の矢を胸に受けて貴方は動けなくなった」
「何を…………」
背けられる視線とつながる言葉。
「貴方の中にいるあの人を消せない!!いつまでも私は貴方に守られるばかりの女じゃない!!」
金の矢を番えて、女は美しき林檎を撃ち抜いた。
螺旋を描いて落ちるそれは彼の中に何かを落とす。
二つの魂は一つの器を奪い合う。
この歪んだ世界で生きるには彼の理想は純粋すぎた。
「だから俺が生れ落ちた。あの瞬間に」
闇色の髪と呪われた赤い瞳。
「お前が選べ。俺かあいつか」
「どっちもサガなのにね……」
「今のお前に必要なのは……俺だ」
銀色の矢が胸を貫いて。
崩れ落ちる体を抱き起こしてくれたのは彼だった。






こっちにおいでとその小さな手を誘った。
一度引き込んでしまえば彼女はもう戻る道を失ってしまう。
分かっていたからその手を引いた。
もう逃げられないようにするために。
「サガ、どうしたの?」
額に触れる唇に少女の瞳が閉じられる。
まだ幼さの残る十四の彼女。
「ね、また苦しいの?大丈夫?」
爪先立ちで背を伸ばして男の背中を抱きしめて。
その腕の細さはまだ子供と同じなのに。
「サガ?」
「……助けてくれ、アフロディーテ……」
震える腕が少女をきつく抱きしめる。苦しいとつぶやく声に耳を塞いで。
痛いと言うまで抱きしめた。
痛くなくなるまでただ、抱きしめた。
「どうしたら助けられるの?アフロはどうしたらいいの?」
まだ甘いキスだけで満たされるほどの幼さ。
「君を愛してる……っ……だから、だから……」
布越しに伝わる鼓動。
「……私を許してくれ……」
髪に残る薔薇の香り。まだ手に掛けるには早いと何度も自戒した。
それでも内なる自分が奥から手を伸ばす。
塞がれる唇にうっとりと閉じる瞳。
そのキスがいつもと違うことに気が付くのにそう時間は掛からなかった。
絡まる舌先と弄る手。
引き裂かれるブラウスと露になる幼い柔肌。
「……サ……ガ……?」
小さな体を抱きしめてそのままベッドの上に下ろす。
組み敷いてみて改めて細さに驚く視線。
鎖骨に触れた唇で自分がこれから何をされるのかをようやく悟る。
「やだ!!サガ止めて!!」
抗う手を押さえつけて布切れになったブラウスで縛り上げた。
震える肌に舌が掠めて、小さな乳首を舐めあげる。
「ひゃ…ぅ……」
その奇妙な感覚にぎゅっと目を閉じて唇を噛んだ。
初めて味わう愛撫は想像していたよりもずっと嫌悪感が強く息が詰まる。
肌を滑るのは優しい彼の手。
「!!」
幼い秘裂を指先が撫で擦って内部にゆっくりと入り込む。
異物感にびくん、と体が跳ねる。
「……恨んでも憎んでもかまわない……」
指先を口に含む。しっかりと濡らしてから今度はゆっくりと慣らすように蠢かせる。
時間をかけてどうにかじんわりと濡れるのを確かめてもう一度その瞳を覗き込んだ。
「私を殺してもかまわない……けれども……」
膝に手をかけて脚を押し開く。
「私は君を愛してる。どうしても……あいつにだけは渡したくないんだ」
先端が膣口に触れてゆっくりと侵入していく。
「やだ!!サガ……やだぁ!!」
背中に手を回して引き寄せるようにして一息に貫く。
真っ赤に染まる視界とずきずきと痛む結合部。
ずじゅ…ぐちゅ…突き動かすたびに聞こえてくる音と痛む四肢。
「…痛った……サガ…ぁ……止めてぇ……」
ぼろぼろとこぼれる涙と懇願するか細い声。
この痛みが自分が彼に犯されていることを現実だと伝えていた。
いつか、彼とこうする日が来るとはうっすらと考えることはあった。
それでもこんな形ではなく。
「……?……」
頬に落ちる何かに静かに瞳を開く。
自分を抱きながら涙をこぼしたのは彼のほうだった。
「許してくれ……アフロディーテ……っ……」
何度も何度も縋る様に許しを請う彼の姿。
「サガ……解いて……」
結びを解けば、背中を抱きしめる細い腕。
「アフロはサガのことが大好きだよ……サガのことを嫌いになる方法が分からないよ……」
その言葉は彼の心を縛り付けるには十分だった。
「でも、痛いのはやだぁ……」
今更ながらに軋む身体と重く痛む下半身。
何度も髪を撫でる手のひらと甘いキスをくれる形の良い唇。
「君に触れる手が私以外の誰かであることも、もう一人の私であっても許せない」
二つに分かれた人格というよりも、魂が二つ一つの器を共有している。
それが正しい表現だった。
「サガ、泣かないでね……アフロも泣かないから……」
彼が手にしたのは奇跡の剣でも女神の杖でもない。
足枷を二つ互いに課してそれを離れないようにしっかりとつないだ。
まるで逃げ惑う女神が息子とはなれない様にその尾鰭を銀のリボンで結んだように。
命を落とした兄を弟が追ったように。
星を准えて結びついてしまったことが幸せで悲しさの始まり。





ひとつの星が散った。
そして双子星の一つが光を失った。
「老師様、御久しゅう御座います」
ぱしゃ…はねる水音に開かれる老人の瞳。
「ほう、金色の人魚か?」
「御冗談を。人魚はもっと妖しく美しいものとお聞きしております」
深々とひざを突いて礼をとる少女の姿。
「御知恵を授かりたく参りました」
大滝の前に座してはいるものの、聖戦を生き抜いた男の力は偽物ではない。
穏やかな波間のようなブロンドの髪を輝かせて少女は顔を上げた。
「私は女神に忠誠を誓う聖闘志で御座います。それは今も変わりません……しかし、
 同時に教皇に忠誠を誓うものでもあります……」
何もかもを知っているだろう男に少女は問うた。
自分が選ぶべき道を、彼を護る術を、彼を救う力を。
すべての結論が出ているにもかかわらず彼女はそれを今一度確信するためにここにきたのだ。
「老師様……私は……」
「悲しいのう……アフロディーテや。おぬしは子供のままに愛を覚えた。その形が歪んでいても
 おぬしは拒むことを知らぬ。拒絶というものを知らぬおぬしにあれは手を掛けた……」
幸薄き隣人に手を引かれた哀れな少女。
「それでおぬしは命を落とすやも知れぬ。まだおぬしには未来もあるのじゃぞ?」
「彼のない世界など、私にとって何が美しいのでありましょうか?」
決して叶えてはならない恋だった。
ほかの男ならばきっとこんな悲しみなど生まれなかっただろう。
「私は……どうして魚座の聖闘士として選ばれてしまったのでしょう。もしも私が
 聖闘士にならなければ彼が苦しむことなどなかったのではないのでしょうか?」
「……おぬしはわしとシオンを知ったか……ゆえにここに来た……」
静かに頷く姿。
見えていた二つの星に宿る光を強行であるシオンは見逃すはずがなかった。
あの日、彼の刃に貫かれながら最後に飛ばした思念の先。
それがこの土地、五老峰だったのだから。
「シオンはあれにさえ未来を願った。わしがおぬしに未来を願わぬ理由などない」
こぼれる涙を抑えようとする指先。
「泣くことも禁じたか……そこまでしておぬしはなぜにあれを愛する?」
「わかりません、この気持ちが愛なのかも。ただ、私にとって欲しいものは彼だけで
 あるということだけで……」
まだ護られるべき立場の少女。
戦えというほうが酷であろう、何もかもを悟りきれるほどには時間が少ない。
足枷は二人を縛り付ける。
「逃げろと言っても、おぬしは何から逃げたらいいのかを知らぬ。知ったところであれが
 おぬしを黙って逃がすわけもない。どこまでも追いかけるだろうに」
「…………ええ、どこまでも追いかけます……」
狂気は自覚無き者が一番禍々しくなる。
目を血走らせる男よりも恋に身を焦がす少女のそれのほうが遥かに上を行く。
地平線を焼き尽くすような視線と甘い唇。
「お時間をすいませんでした、非礼をお詫びいたします」
「ほっほっほ……聞くことしかできぬ。また来るがよい」





灯る明かりに世界を見つめて、男はそこに立つ。
星空で伺う世界などよりも手で抱ける暖かさと女のほうがよほど立派だと呟いて。
「アフロディーテか」
「教皇、魚座のアフロディーテただいま戻りました」
傅く女の姿に歪む唇。
どこにいても必ず男の前に帰還報告をすることが彼女には課せられた。
膝を突き深々と礼を取る姿。
「大儀であったな。それにしても随分と襲い戻りだ」
他の者にはない制限時間。それが彼女の任務には存在する。
「来い」
手を引かれて謁見の間へと引きずりこまれて。
誰もいない広大な空間と冷たい床。
「きゃぅ……っ……」
投げ出されて強かに体を打ち付ける。
足先で顎をとられて視線が絡み合った。
「言っただろう?遅れたら承知しねぇって……だったら言われた通りにしろよ」
玉座に座った男の前に膝を着く。
男の足に可憐な唇が触れて忠誠のようなキスが繰り返される。
足首に手を絡ませて指を舐め舐る舌先。
「もういい……来い」
彼が手を翳した瞬間に聖衣が次々に体から飛び散っていく。
「駄目!!」
主の声に反応して残ったのは上腕と脚部を護るパーツたち。
素肌に残ったそれらがいっそう彼女の身体を淫靡に見せる。
上向きの乳房、括れた腰。
隠すことも臆することもない、そうしてところで意味を成さないことを彼女は理解していたからだ。
下着姿に聖衣を部分的に残した姿。
「それは邪魔だな」
「!!」
柔らかな二つの乳房が露になり、反射的に両手でそこを隠す。
薄闇の中に揺れる赤い瞳。
「いつも通りにやれよ。それとも『サガ』を見殺しにするか?アフロディーテ」
「…………………」
男の法衣に手を掛けて金具を一つ一つ外して行く。
日増しに強くなる彼の支配。
それでもこの身体は愛しい恋人に代わりはない。
精悍な身体を滑り落ちる可憐な唇。
「……っふ……」
舌先が亀頭に触れて飲み込むように唇が包み込む。
彼に従うのはもう慣れきっていた。自分が屈することで彼の安全が保障されるならばと。
ぴちゃぴちゃと舐め上げる音と零れる吐息。
やんわりと扱き上げる細い指先と金属の冷たさ。
太茎を横から咥え込んでそのまま動かす。
どうすれば彼の心が満たされるかをこの数年で十分に知ることはできた。
鷲掴みにされた巻き毛と満足げに笑う唇。
「や……っ!!」
手首を捻り上げるようにして抱き寄せられる。
男を跨ぐような格好で向かい合わせで視線が重なった。
「……サガ……」
濡れた唇がちゅ…と触れる。
瞳を閉じれば瞼の裏に浮かぶのはどこか寂しげな彼の面影。
声も触れる手も同じなのに、何もかもが違うもう一人の恋人。
「お前くらい遊び甲斐のある女はそういないな」
「?」
「この間水瓶座を呼んだが……泣き喚くだけで面白味も何もない」
「カミュに何をしたの!?」
「お前に何の関係がある?」
伸びた手が女の細い首を容赦なく締め上げる。
「…っ……く……」
意志の強い瞳がきつく輝く。それは紛れも無く聖闘士である証。
「挨拶も禄にできない様なガキに二三発蹴りを入れたところで問題も無いだろう?」
「…っは…ぁ……!!……」
咳き込む女の背を強く抱いて覗き込んだ瞳が歪に笑う。
「お前はちゃんと躾が出来てるからな。多少の粗相は多めに見てたんだが……最近は
 それも過ぎてるようだな、アフロディーテ」
聖域には何人かの女性聖闘士もいる。
その中でも年長部に入る一人がアフロディーテだった。
「山羊座の女も耐えるほうを選ぶ……獅子座はあれの妹。抱く気にもならん。羊は
 呼び出しにも応じぬような女だ」
痴態を演じられるのは自分だけということ。
布地越しに入り口を撫で擦る指先。
望むように乱れて濡れれば彼は満足する。
この身体を支配するのは一人だけなのだと実感すれば。
「……違うでしょう、あなたが本当にほしいのは……」
螺旋を描く炎を番えて、ただ一人彼女は射抜こうとした。
それはもしかしたら内なる彼を知っていたのかもしれない。
「射手座のアイオロス……あなたを拒絶したただ一人の女」
腰骨の上で結ばれた紐が無造作に解かれ剥ぎ取られる。
「!!」
冷たい手が腰を掴んで無造作に肉棒を突き立てた。
十分に濡れない性交は苦痛を伴い、それでも声を殺そうときつく唇をかむ。
あの日から決めていた。
彼をすくうために、守るためだけに残りの日々をすごそうと。
女神ではなく彼女はただ一人、恋人に忠誠を誓った。
すべては出会ったときから始まっていたのかもしれない。
「あ!!やぁ……っ!……」
ぎしぎしと軋む身体と荒々しく何度も突き上げてくる熱源。
乳房に残される歯型、突き刺さるような爪。
(……サガ……)
何度も何度も繰り返した夜。
それを止めるために始めて自分から仕掛けた。
「きゃ……んんぅ!!」
「簡単に濡らす淫売が……女神の名も無用の長物だな!!」
黄金の鎧の中に隠された小さな秘密。
それは彼と二人で決めた約束。
「ああっ!!あぅ……ア!!…ぅあ!!」
しがみつく様にして絡んでくる身体を満足げに抱いてくる腕。
男の腰に足を絡ませて胸板と乳房がつぶれるくらいに密着させた。
(……サガ、サガ……)
光の中に隠されたもう一つの光。
その切っ先が男の背中に触れた。
「!!」
「どうして驚くの?見慣れたものでしょう?」
黄金の短剣を掲げた女の手。
「一緒に逝こう……サガ……」
「……お前と心中する気は俺には無いぞ……」
がくんと崩れ落ちる男の身体を抱いて唇を噛む。
闇色の髪は優しい金に変わり血の気の失せた青白い顔が項垂れる。
「サガ!!サガ!!」
「……アフロ……?」
「……サガ……逢いたかった……」
ぼろぼろと零れる涙と裸体の恋人と繋がったままの状況から己の行動を察する。
床に転がる短剣に彼女の意思を知って。
「なぜ……私を刺さなかった……」
「だって……だって……サガが死んじゃったらもう……キスだって出来ないし、
 手をつなぐことも出来ないよ……アフロはね、ただサガと一緒に居られればいいの……」
足枷は二人を結びつけた。
どちらも解くことを望まずに足を腐らせてしまおうと。
「サガのことが好きだから……どんな風になってもサガのことが好きだから……っ……」
射抜いたのは銀色の矢。
それはアルテミスでもサジタリウスでも無く。
バラを愛でる女神が番えた最後の一矢。
「もうじき私を撃つものたちが聖域(ここ)にも来る。お前は無駄に命を落とす必要は無い。
 双魚宮を捨てて、残りの人生を幸せに過ごしてくれ」
従えないと横に振れる首。
「嫌!!ずっとサガと一緒にいる!!」
「私はお前を死なせたくないんだ……もう一人の私がお前を見殺しにするのも……」
「死なないもんっ!!アフロだって聖闘士だよ!!サガを守れる!!」
「でも、君は女だ」
目尻に触れる唇の温かさ。
先刻とは違うやさしい愛撫と指先の動きに瞳を閉じる。
「…ア……ん……」
歯型を舌先がなぞってそのまま乳首を嬲るように転がす。
「こんなに柔らかい……戦いで散らす必要なんて無いんだ」
それが彼と過ごした最後の夜。
彼女が全てを決断した瞬間だった。






踊るピカレスクと飛び散るワルキューレ。
各地に同僚が遠征していく中、彼女は自宮に留まる事を命じられた。
咲き誇る薔薇の中で佇み、その中で目に留まるものを切り取る。
甘いだけではなくどこか涼しげな香り。
毀れた雫はまるで星のように煌いた。
「アフロ!!」
「あ、シュラ……おかえり。長かったね」
「ちょっと手間取っちゃった。ついでに実家にも帰ってきたんだけどね」
彼女は聖域から出ることが少なくなった。
双魚宮に一人残りこうして薔薇の手入れをする。
それが一日の主だった仕事になりつつあるほど。
「綺麗よね……この花たちが意思を持って攻撃するなんて誰が思うかしら……」
形骸化して等しい黄金の仮面を静かに外す。
教皇の勅使として赴く際には女性聖闘士は必ず礼儀として仮面をつけていた。
「んー……サガも綺麗って言ってくれた。だからこの子達も喜んで綺麗に咲いてくれる」
もしかしたら教皇はこのまま魚座の聖闘士から彼女を外すつもりなのかもしれない。
薔薇を手に俯く姿からはそんなことさえ想像させた。
「サガは……元気?」
「うん。たまに来てくれるよ」
どちらのサガが来ても彼女は拒むことはしない。
陵辱も抱擁も大差は無いと言うのだ。
「アフロ……我慢して抱かれることないんだよ……私だって代わりまでは行かないけれど……」
静かに横に触れる細い首。
「我慢なんてしてないよ。サガはサガだから」
指を染め上げるのは棘が生んだ赤い傷。
癒える間もなくまた次が。
「アフロ!!指!!」
「いいの。どっちのサガも気付いてくれる。同じように指にキスしてくれるし……
 アフロのこと気にしてくれる。それに……離れない魔法が掛かるでしょ」
その笑みに悟る。
彼に縛られているのではなく、彼が彼女に縛られているのだと。
罪悪感という鎖を無邪気という女神が携える。
「そう……あまり酷くならないようにね……」
背筋に感じる寒気は狂気に近い。
双魚宮を後にしてシュラは自宮へと向かった。
後姿を見送って切り取った薔薇を水晶の花瓶に。
「どうしたの?今日は風が強いから中に入ったほうが良いよ」
傷だらけの手を伸ばして。
「サガ」
今日も彼を抱き絡める。その細腕で支配するように。
「苦しいの?アフロが代わってあげられたらいいのにね……」
君に触れる全てが愛しくて罪のにおいがする。
海と空の混在する青。それに重なる翠の瞳。
「どこにも行かないよ、ずっとサガと一緒にいる」
「お前はずっと私のそばにいるのだろう?私から離れることはないのだろう?」
何度も何度も繰り返される言葉。
彼は一人ぼっち。彼女も一人ぼっち。
「頼むから私を一人にしないでくれ……っ……」
どこまで進んでも腕に抱けるのは一人だけ。先に気づいたのは彼女だった。
「泣かないで。誰も来ないよ」
彼は迷宮を作り上げ、彼女は誰も入ることの適わぬ花園を生み出した。
はじめから二人には誰も必要はなかったのだ。
恋という名の鎖で縛り合い、ただそれだけに殉じた。
「サガ、唇切れてる……痛いでしょ?治してあげるね」
傷があれば触れ合える口実になる。
「今日も、明日も、その次の日も……ずっと一緒に居るから」
薔薇の葬列は元々彼のために誂えた。
いまさらそこに死体が二つになったところで何の変わりがあろうか。
欠けてしまった半身を埋めるように。
彼は彼女にただ溺れて行くだけ。
「お前だけは私を裏切ることはないのだろう?」
彼が本当に欲しい物は偽りない愛情だけ。
「どんな風になってもサガのそばにいるよ。だから、サガもずっと一緒に居てね」
互いの願いをひとつに絡ませた。
砕け散る星にさえ涙をこぼす人は、たった一つの願いをかなえることもできずに。
ただそこに佇むだけ。
この恋を知ってしまったことが悲しみの始まりだった。
けれども、知らないで過ごす日々などもう考えられなかった。





グラスの中のワインはどこか炎に似ている。
「何やってんだ?」
飲み干せば喉を焼く熱さも同じだと女は呟いた。
「互いのことを縛りあうのも愛情なのかな……」
「共存症はどうやったって治んねぇよ。気にするだけ自分が疲れるから止めておけ」
「私もあんたに依存してる。多分…………」
微かに震える肩先を抱いてくる手。
繰り返す夢を終わらせてくれる暖かさ。
この手をどうして離すことなど考えられるだろうか。
この狂い行く世界でたった一つの真実を。
「不安がるなよ……お前はまともだよ。だから怖ぇんだよ……あいつらが」
笑顔で狂って行く恋人たちは何よりも儚い。
月光の下裸足で踊り続ける、その爪が割れたことなど気付かないままに。
「狂ってるやつに自覚なんてねぇんだ」
この思いは果たしてどうなのだろう。
人を殺めることにもこの手は慣れようとしている。
「……私……わたし……」
「お前はまともだよ。俺のことも止めようとするぐれぇにさ」
きつめの煙草は肺を満たして吐息を染め上げる。
「その証拠に、涙が出んだろ?」
頬を伝う思い。
胸を締め付けるのは思い出よりも彼の声。
「助けて……怖い……っ……」
しがみつく指の細さ。
「ゆっくり狂って行こうぜ……どうにもなんねぇってわかったらな……」
世界の終わりに見えるものなど必要ない。
生まれ変わったらなんて馬鹿な望みも抱かない。
ただこの今を生き抜くだけなのに。
「何も出来ねぇけど……お前の手くらい握ってられるだろ……」
残時間を数えることはもう止めよう。
そのときが来たら静かに狂って行こう。
揺らめく火時計がともる日など永遠に来なければいいと願いながら。








教皇に謀反の動きありと女神は青銅聖闘士たちを引き連れて聖域へと光臨した。
その胸を貫いたのは金色の矢。
火時計が消えるまでに十二の宮を潜り抜けてスターヒルを目指す。
「教皇、魚座のアフロディーテ……これより双魚宮の守護に入ります」
「そうか……お前に限ってないとは思うが相手を見縊るな」
「はい」
一礼して静かに踵を返す。
「教皇、お伝えくださいませ」
ゆっくりと刻まれる言葉たち。
「我が愛するところは双子座のサガだけと」
その声に男の指先が静かに冠にかかる。
憂いた瞳で静かに恋人の背中を見つめながら。
「アフロディーテ」
もう引き返せないのはわかっているから。
「心配しないで、サガ……最初から女神のためになんて戦ったことなんて無かったから」
「アフロディーテ!!」
「あの日からあなた以外に見えなかった」
伸ばした指先が触れることがかなわないように。
振り返ることなく細い背中が遠ざかる。
「さよなら……サガ……」
薔薇の道を降りながら見上げた火時計。
すでにその半分が消えうせた。自分に残された時間もあとわずか。
宮に戻り自室に置かれた天球儀に視線を移す。
無理やりに作り上げた双子座の隣に魚座を配置したそれ。
指先で星をなぞってあの日を思い出す。
(サガ……大丈夫。心配しないでね……)
教皇宮に続く最後の宮、それがこの双魚宮。
凛とした女の瞳が空を捕らえた。






「星矢、次の宮に着いたらまっすぐに教皇宮を目指して」
隣を走る亜麻色の聖闘士に少年は視線を向ける。
アンドロメダの聖衣を纏う少女は彼女に逢うためにこの聖域にやってきたのだ。
「魚座の聖闘士は私の師匠の仇……お願いだから、一人で戦わせて」
最後を守護する聖闘士の姿に少年は息を飲んだ。
今まで見た中で最も穏やかな笑みを浮かべ、風に髪を靡かせる姿の美しさ。
その瞳が二人を捕らえる。
「待っていたよ、アンドロメダ」
「あれが聖闘士……あんな女までいるのかよ……」
マントを翻し女は二人の前に立ちはだかった。
ここを抜ければ教皇宮はすぐそこなのだ。
「星矢!!早く!!」
「……瞬!!必ず来いよ!!」
小脇をすり抜ける影に視線を投げずに女は少女だけを見据えた。
「良いんですか?星矢は……必ず教皇を討ちますよ」
「あの人の下には辿り着けないよ。あの子は薔薇の葬列に送られる。マグダラのマリアの
 ようにね……安らかに眠って……」
螺旋を描くように散り始める花弁たち。
その甘い芳香と女の唇。
「私はただ……彼を守るだけ。正義も女神も知らない……私にとっては……」
一輪の薔薇を少女に向ける。
「彼が正義に他ならないから」
ただ一人のだけを愛した。
それは殉教にも似た恋だった。
ほかには何も望まずにただ二人だけで過ごせればそれでよかった。
この世界も真実も正義も光も何もかも。
必要なものは互い、それだけ。
「正義の名の下……あなたたちがしていることはただの虐殺!!許される物では……」
「それが何だっていうの?彼を苦しめることが全部……」
凛と澄んだ瞳に宿る狂気。
「私にとっての悪に変わりは無い」
揺らめく火時計が告げる最後の時。
薔薇の葬列は静かに二人を迎え入れた。
飛び散った聖衣と横たわる二人の女の身体。
黄金の女神に静かに白薔薇が降り注ぐ。
(……サガ……ごめんね……約束守れない……)
もう開くこともかなわない瞳の奥。
あの日の彼の穏やかな笑み。
初めて聖域に来た日、差し伸べられた手を取ったときから全ては始まった。
恋と言う銀の矢は抱きしめあう二人の胸を射抜いた。
「……アフロディーテ……あなたとはもっと違う形で逢いたかった……」
聞こえてくる少女の最後の言葉。
「あなたは悪い人じゃない……だって……あの日……」
二人に振る優しい花弁。
「あなたは先生のために泣いてました……」
「そうね……でも……もう……終わりみたい……」
血塗れた唇。
ほんの少しだけ少女のほうの命の火が長かった。
「……サガ……」
繰り返し聞こえてくる名前。
「……サガ……愛してる……最後まで言えなくて……ごめんね……」
彼女の遺体を見つけた神官はその穏やかな笑みに驚きを隠せなかったという。
いや、散っていった戦士たちはみな己の信条を貫き通したものばかりだった。
二人を知るものはせめてもと墓標を隣り合わせた。
もう離れることはないようにと。




どこにいても気持ちはそばにいるよ。
たとえ星が離れていても。
番えた銀の矢は螺旋を描いて。
今宵も恋人の胸を射る。










19:58 2007/04/22




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