◆HAPPINESSxHAPPINESS◆





星のなぞるままに君の生まれた日を探して。





オレンジの盛られた籠を抱いて白羊宮を通り抜ける。
その気になれば自分の宮までは一瞬でいけるのだが今日は十二宮を上ってみたい気分だった。
「ごきげんようムウ」
「おや、アフロディーテ。珍しいですね、十二宮を登るのですか?」
その言葉に静かに頷く。
甘い柑橘類の香りは青い風に乗って穏やかに宮に広がる。
「一番上のあなたの宮までは大変なのでは?」
シャツの裾を擽る風。
片手で押さえて天を仰いだ。
「うん、だから良いの。一番上までは行かないし」
「急ぐ用ではないならばお茶でもいかがですか?たまにはバター茶でも。ああ、シャカを
 起こせばチャイなんかもありますが」
「じゃあ、頂いちゃおうかな。ムウのバター茶が良いな」
程なくして出されたお茶に口を付けて、女は窓辺から見える風景に目を細めた。
乾いた大地と穏やかな風。
聖域は本来こうあるべきだった。
初めて足を踏み入れたときと同じあの光景。
取り戻すまでにかかった時間は数えることを止めた。
「オレンジ、要らない?」
「頂きます。我が家には育ち盛りに子供がいますからね」
その小さな影はどうやらどこかへ出かけているらしい。
「おや珍しい、客人とは」
「ごきげんよう、シャカ」
「うむ。アフロディーテか。これは」
オレンジを小さな籠に移しながらアフロディーテはシャカに視線を移した。
神に最も近いといわれる男。
自分の恋人は神を殺そうとした男。
その本質をこの青年が見抜けなかったはずはない。
まして、前教皇シオンは列記とした牡羊座の聖闘士だった。
「ねぇ、ムウもシャカも本当は知ってたんでしょう?」
彼女はすべてを知っていて彼の傍に残った。
最後までその意思と信念を曲げることはせずに。
死してなお、従うは彼一人と。
「ええ、ある程度は」
壮絶な死は十番目の宮から葬列を成した。
最後に倒れた女を見送る数多の薔薇達。
「過去を消すことは神にもできぬ。だが……過去を悔いるだけの人生も味気ないとは
 思わぬか?アフロディーテ」
オレンジの皮を念力で器用に向いて、青年は呟く。
「サガはまだ眠れぬ夜を過ごすこともあるのだろう?」
繰り返す夢に襲われては眠れない夜を一人で過ごす。
そんなときに自分にできることといえば気配を殺して眠った振りをすることくらい。
本当は手を伸ばして不安などないよと抱きしめたいのに。
そうしてしまえば彼の自尊心を傷つけてしまうようでそれさえもできない。
「サガは君の気持ちなど気付かんようだな」
「んー……どうなんだろう……」
「君の本心に、だ」
そういわれてしまえばそうなのかもしれない。
彼が懺悔の日々から開放されることなどないとしても。
「でも、私はサガと一緒に居たいんだ。あの人が苦しいって思うときに一人ぼっちじゃない
 って思えれば……」
過ちは傷となって彼を毎晩抉っていく。
「あの日、非難と罵声を浴びせられていた中で貴方だけでしたね……彼を庇ったのは」
聖域を混乱に落としいれ女神を抹殺しようとした罪は許されるものではない。
一斉に向けられた矛先を彼は甘んじて受け入れた。
ただ一人、魚座の彼女だけは彼を守るようにその隣に佇んで。
「女神の許しを得た今もなお、罪は振る」
「…………………」
「今の彼がいなければ、聖域は機能しない。無能な者達のやっかみなど気にしなければ良い」
彼はとても強くて、自分など必要ないのかもしれない。
でも、本当の彼はとても脆くて弱い。
やさしい人はいつも苦しむように世界はできている。
だから彼はもう一人の自分を生み出したのだろう。
自分を守るために。
「私がもっと早く生まれて彼に出会えたら何か変わったのかな……」
風に泳ぐふわふわの巻き毛。
憂い翠はその双眸。
「過ぎたことを考えても仕方あるまい」
「そうだね。シャカ、オレンジ好きなの?もっと置いていこうか?」
半分ほどになった籠の中身。
抱きなおして彼女は再び歩き出した。





冬の星座を彼はどんな思いで見上げたのか?






星の並びに存在する宮を抜けて今度は隣の金牛宮へ。
「アルデバラン、ごきげんよう」
「珍しいな、アフロディーテじゃないか」
気のいい青年はかげながらに聖域を支える。
庭先の花に水をやるのは獅子座の女。
十三年前、彼は彼女の最愛の姉の命を奪った。
「オリア、アフロディーテが着てるぞ」
「はーい。ちょっと待ってて」
小柄な体の女は、言われなければまだ十代にも見えるだろう。
短く切られたブロンドは太陽を浴びてまるで花のように輝く。
「アフロ、どうしたの?一番上まで行くの大変だよー」
「今日は双児宮に行きたいから」
「カノン?」
「カノンは出かけてる」
「そういえば朝から静かだったかも。あ、オレンジ。一個頂戴」
籠から一つ取り出して、女はそれを半分に。
そしてその片方を隣の青年に手渡した。
「はい。おいしそうな匂いっ」
「そろそろ庭のも収穫できそうだな」
穏やかな二人の時間を奪ったのもまた彼。
それでも何も言わずに受け入れてくれたのもこの二人。
罪は悔いるためのものではない、と。
「サガもあんまりストレスためると禿げが出来るよって言っておいて」
「……ん……」
「知ってるから。お姉ちゃんのお墓にずっと花をおいてくれたこと」
だから彼女は彼を責めなかった。
アイオロスは世界に戻ることを選ばずにいまだに冷たい眠りに付いたまま。
「オレンジありがと、アフロ」
「ううん、もっといる?」
「うんっ」
一つだけ残して籠を手渡す。
見逃してしまいそうな小さな小さな喜びの光。




不安だらけの流れ星にも祈りは通じるの?





石段を登って目的地へ。
吹き抜ける風と広がる風景。
海を遠くに覗いて彼はどんな思いでこの宮にいたのだろう。
三番目の双児宮と十二番目の双魚宮。
星の光を臨むスターヒルと女神の神殿。
「アフロディーテ、こんなところにいたのか?」
「サガ……」
オレンジを一つだけ手にして石段に座り込む恋人の姿に男は首を傾げた。
隣に座って柔らかな神をそっと撫でてくる大きな手。
(そうだ……サガの手っておっきかった……)
懐かしい光は一番近くにあるからこそ気が付かなくて。
彼の苦しみは自分がきっと一番理解できていなかったのだろう。
望んだのは平穏だけ。
彼は多くを求める人間ではなかった。
「もうじき夕暮れだ。風も冷たくなる」
ギリシアに来て何度目の季節だろう。
彼の横顔をこうして見つめるのが好きだと知ったのは何時の頃からか。
「サガ、あのね……」
法衣を纏わない数少ない彼の休息日。
せめて穏やかに過ごせるようにと考えてみるものの喜ぶことは思いつかなくて。
悪戯に過ぎる時間は少しだけ優しいからやりきれない。
「どうした?」
「ううん……あ、オレンジ好き?」
「珍しいものを持ってるな、食べないのか?」
本当に伝えたい言葉は喉の奥で消えていく。
「懐かしいな……昔、カノンとよく取り合ったものだ……」
彼はこの地で生まれ育った。
自分の知らない時間の流れの中で。
全てを知ることなど不可能だとわかっているのに、それがもどかしくて苦しい。
「今でも取り合う?」
「まさか。今だったらあいつに渡して終わらせる」
この人はどんな風に子供時代を過ごしたのだろう?
懐かしむ横顔が浮かべる昔に自分は存在しない。
「五月の空って一番好き……真っ青で綺麗……」
蕩けそうな夕日と空の境界線。
彼と過ごした大切な日々は消えることなど無いのに。
臆病な夢は繰り返し彼を死の国に連れ去ってしまう。
聞こえる寝息と温かな腕に安堵しても、朝が来るまで消えないこの不安。
「そうだな……この空は罪深き私にも同じ色を与えてくれる……」
プラチナブロンドに絡まる青の風。
ため息さえも彼を彩るから居た堪れない。
「神様は言いました。あなたが生きていることが全てで真実だと」
片翼の天使は小さく呟く。この世界に真の罪人など一人もいないと。
神々が去り預言者さえも見捨てた地上に残った天使たち。
一番最初の人は彼らを模倣して生まれたのかもしれない。
「私は神様でも天使でもないから、あなたを救えない」
人の体に残された羽根の痕跡。
飛び立とうと思えば何時だって蹴りだせる様に。
彼の背にも折れた翼の跡はあるから。
「だから、あなたの罪を少しでもいいから私に背負わせて」
一枚ずつしかない羽根を重ねて。
抱きしめあえばこの空も飛べるのだろうか。
失速する中で最後の風景が他ならぬ貴方ならば後悔などきっと無いだろう。
「アフロがもっと早く生まれらとか、もっと大人だったらとか色々考えたけど、
 駄目なものは駄目だし無理なものは無理だってわかった」
悲しみだけで埋められた人生なんてあまりにも辛過ぎる。
「一緒にお爺ちゃんとお婆ちゃんになって欲しいなって思う」
永遠なる美しさなど存在しない。
罪もいつかは砂のように崩れていくだろう。
「ずーっとそんな風に眉間に皺寄せて生きてて欲しくないな。ジェミニのマスクだった
 片方は笑ってるのに。サガは何時になったら笑ってくれるの?」
幸せは望んだときに知るものではなく。
気が付けばふいに舞い降りて隣にあるもだと知る。
争いの声に耳を塞いでも世界は変わることなど無い。
「アフロにとってサガは一人だけ。世界中探したってここにいるサガだけ」
この世界で唯一無二の貴方へと捧げる事ができるのはこの思いだけ。
「一人ぼっちじゃないよ。ずっと一緒に居る……一緒に居させて……」
冬と秋の隔たりのように離れた六歳という時間。
いつの間にか少女は大人に変わっていた。
この腕の中で守っていたはずがいつの間にか細い腕に抱かれるように。
「世界で一番好きだよ、サガ」
一つの物を分け合うことで知ることのできる気持ちがあるなら、それが罪でも良い筈だった。
「生まれてきてくれてありがとう」
「……私は君に何を以ってすれば報いることができるのだ……?」
「難しいこと言わないで。そうだ、オレンジ食べよ?最後の一個になっちゃったけど……」
世界はこんな簡単なことで光り輝く。
理屈を並べるよりも一言で心が救われるのと同じように。
「そうだな……」
「でもちょっと硬いかな」
オレンジが熟すのと同じように、時間はかかるのかもしれない。
「少し早いが、食べれないことは無いな」
一つを二つにするように。
「風が出てきたな。中に入ろう」
手を繋ぐ意味を二人で考えるならば。
「サガ、手冷たくなってる」
この世界で生きることを悪くないと考えて。
「サガ?」
ほほに触れる手の冷たさも。
「少しだけ、目を閉じててくれるか?」
重なる唇の温かさも。
君がここにいて確かに生きているという証だから。
もう少しだけこの風の冷たさの中に二人でいよう。
君が生まれてきた意味を考えて『感謝』をして。






『幸せ』と『優しさ』を足して『好き』という形に変えよう。







12:03 2007/05/11

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