◆五月三十日の狂想曲◆
「よし!!完璧!!」
長い睫と澄んだ瞳の青。
陶器のような肌と形の良い濡れた唇。
長い髪にブラシを入れる女の姿。
「やっぱり、元が良いと綺麗になるのよね」
「爪もぴかぴかだし。どの色がいいのかな」
コテを手に位置を決める。
「こっから巻いたら綺麗だと思うの」
「ネイルはちょっとラメが入っててもいいよね」
「さっき、痛んでるところは全部切ったし」
三人があれこれといじくり倒してできたのは一人の美女。
しかしその表情は憮然としたままだ。
「……どういうことか説明を頼もうか、アフロディーテ」
プラチナブロンドを丁寧に巻き髪にしながら女はくすくすと笑う。
「サガ、心配しなくてもちゃんと美人になってる」
「そうそう。元が良いから安心していじれる」
「爪の形も綺麗だし、手入れすればこんなにかわるのにね」
サガを弄くり倒しているのは後ろ三宮。
敵に回したくない女三人衆だ。
「だからなぜ私がこんなことをされなければならないのだ!!」
安息日だからとのんびりとしていたところに降ってきたアトミックサンダーボルトよりも
強烈な核弾頭は三発。
手を取られて拉致された場所は宝瓶宮。
椅子に座らされたかと思えば始まった奇行の数々。
「別に、私はちょっとエクスカリバーで毛先を切って、ヘアパックしただけ」
「私も爪の手入れをしてネイルアートしただけです」
「アフロもちょっとエステしてお化粧しただけ」
さも当たり前のように三人はサガに視線を送った。
「あとはドレス着せるだけだね」
「誰が着るかーーーーーーーーーーーーー!!!!!!」
ギャラクシアンエクスプロージョンを放とうとすれば三人が取った構えはアテナエクスクラメーション。
「黄金三人相手に、勝つ自信はあるの?サガ」
「卑怯だぞ!!お前たち」
「美人にできたんだから文句言わない」
しかしながら教皇が女装しているというこの異常事態。
しかもどこから見ても文句のない美女が一人完成しているのだ。
「第一、女装させるならほかにもいるだろう!!シャカとか……」
その言葉にカミュが静かに処女宮の方を指す。
「シャカなら先に練習台にしました。もちろんムウとシオン様の許可は得てます。
雑兵たちに拝まれていい気になってましたよ」
元の見た目が星座の通りに女顔の聖闘士は一足早く毒牙に掛かったらしい。
ため息と眉間の皺が彼がまさしく双子座のサガであることを証明する。
「じゃあ、デスマスクスとかはどうなんだ?」
「サガ……あれが女装してもオカマにもなれないと思うの。マフィアにスカート履かせるような
もんだよ。見たいって言うならやるけども、女装コンテストなわけじゃないし」
確かに、デスマスクの女装姿はそれだけでも神殿の一つは破壊できそうな代物だろう。
おそらく、やったらやったで本人も気合を入れてくることは必至だ。
「ならミロ……」
「ああ見えてもミロはちょっとマッチョなところがあるんで……癖毛も結構強いし……
かわいい感じにはできないかなぁ……」
自慢のネイルキットをケースにしまいながらカミュは視線を落とす。
「アルデバランは……すまない、私の失言だ」
「後は見せるだけだね」
「夢がかなった言うのかしら、この場合……」
「まぁ、形だけでも良いんじゃない?」
三人の言葉に男は首を傾げるばかり。
こつん。時計の針がぶつかり合う音がした。
「カーノーン」
石段に座る男の隣に、女も腰を下ろす。
「シュラ」
「もうすぐ誕生日だね。何か欲しいものとかある?」
唐突な言葉に男の顔が赤くなる。
「おう、お前」
「他には?」
「いきなり却下かよ……別にこの年になるとほしいものも何も……」
そういわれてしまえば困るのは自分の方。
見上げてくる視線にカノンは目を逸らした。
「ねぇ、何かないわけ?」
「昔あったけども、絶対に叶わない願いだしなぁ……」
「何?教えて!!」
あーうー、と口篭りながらカノンはしぶしぶと告げた。
「俺、姉貴ほしかったんだよな。兄貴じゃなくて。優しい姉貴がいたら俺きっと
悪行とかやんなかったような気がする」
それは確かに成就不能な願いだった。
妹がほしいならば誰かを妹に見立てればいいだけの話だ。
しかし、姉が欲しいとなれば困難は天蠍宮を見事汚部屋脱出させるレベルになる。
最年長であるサガとカノン。
そこにさらに年長者となれば残るは前教皇シオンのみ。
「シ、シオンさまみたいな姉さまとか……?」
「シオンさまはまぁ綺麗だけども、二百うん十だろ?そこまでいけばある意味妖怪を
超越してそろそろ仙人になれんじゃないか?」
かつて、百に満たずに仙人なった少女も存在したのだからそういわれれば反論もできない。
「姉貴欲しかったなぁ……」
咥え煙草で空を仰ぐ姿。
「きっと叶うと思うよ。今年の誕生日には」
「だといーんだけどな。生き別れの姉とかなぁ……お袋からは聞いたこともないけどな」
「と、いう訳なの」
シュラの言葉に宝瓶宮に集まった女たちは一斉にため息をついた。
「サガよりも年上、それで綺麗な人でカノンのお姉さまになってくれる人なんてアフロ、
シオン様以外に知らないもん」
ロシアンティーに口を付けて焼きたてのマフィンをつまむ。
少なくとも最低ラインがサガとカノンよりも美女であること。
さらに年長者となれば思い当たるのはシオンただ一人だったのだがそれすらも封じられてしまった。
「カノンよりも年上なんて、アフロはサガしか知らないもん」
「……サガ……サガ……同じ顔の双子……」
何かにひらめいたかのようにシュラが顔を上げる。
「そうよ、サガ!!」
「え?」
「サガならちゃんとやれば綺麗なはず!!まごうことなきカノンの姉になる!!」
そして三人はそれぞれのスキルを生かしてサガをカノンの姉にすべく立ち上がったのだ。
「唸れ!!エクスカリバー!!」
思い切り間違った使い方をされたエクスカリバーだが、見事にサガの痛んだ毛先を整えていく。
しかも毛量調整とレイヤーを入れなおしたあたりは流石シュラとしか言いようがない。
「素肌に煌け!!オーロラエクスキューション!!」
これまた素晴らしく間違った使い方をされたオーロラエクスキューションが化粧水を
一気に吸い込ませ、肌の肌理を整えていった。
すでに最初に受けたアフロディーテのデモンローズで半分昏睡状態のサガはやられるまま
されるがままに身を任せるしかない。
そして出来上がったのが件の美女というわけだった。
ちなみにシャカはクリスタルウォールで仕留めてからの行動だ。
「じゃあ、私カノン連れてくるね」
シュラの背中を見送ってサガは深い深いため息をついた。
「いくら姉が欲しいといっても……私がやったら意味がないのではないか?あれは
私のことを好いてはいないぞ」
グロスで艶の出た唇が放つのは確かに男の声。
ドレスは嫌だと拒否を通してどうにかシャツとジーンズで納得させた。
「大丈夫、カノンはお兄ちゃん大好きだから」
正確には兄に嫌がらせをするのが大好きだから、が正しいとサガは頭を振った。
「カノン、お姉さま見つけてきたから」
ドアの外の声に顔を上げる。
「マジで姉貴?俺の?」
扉が開いて互いの姿が視界に飛び込んだ。
「……こんにちは……」
「ここここここここ、こんにちはって何だぁぁああああああっっっ!!!!何で俺と
同じ顔の姉貴が存在してるんだ!!」
がしがしと肩を掴んで揺らす。
「って肩幅でけぇって、サガだろーーーーーーーーーーーーーーー!!!!何やってんだ
てめぇ!!気持ち悪いんだよ!!!!」
「私だって好きでやってるわけじゃない!!!!!!」
「こんなガタイの良い姉貴なんかいるかぁぁあああああ!!!!まだ鬼嫁を兄嫁って言った方がましだ!!!!」
「貴様!!アフロディーテたちの思いを踏みにじるのか!!よかろう!!今すぐに鉄槌を下してくれる!!」
「望むところだこの変態兄貴が!!」
二人の手が同じ構えを取る。
「「ギャラクシアンエクスプロージョ……!!」」
「アテナエクスクラメーション!!」
「やっぱりあの程度じゃ駄目だったかな」
「カノンがわがまま言うから駄目なんだと思う。サガなんか入浴剤山ほどとバスグッズで
満場一致だったのに」
「サガはある意味分かりやすいからね……」
ランタンの灯のような小さな思い。
君が笑ってくれればと思うこの気持ち。
「まぁ、普通に考えて気持ち悪いわね……」
「まだサガだったからよかったけども、同じ顔なのにカノンだったらって考えると
二倍怖くなるのは気のせいなのかな」
カミュとシュラの視線がアフロディーテに集中する。
「間違ってないよ。顔も骨格も同じなのに、中身がまるで違うから」
転がる二つの死体一歩手前の物体。
「明日の業務に差しさわりがないように持って帰るね」
ずるずると引きずりながら双魚宮へと向かう姿。
「あー……あれだと目が覚めたら後頭部の痛さ爆発だわ」
「思い切り頭打ちつけてるしね……」
人差し指で円を描いて女はもう一人を持ち上げる。
「カノン抱えて帰るほど危険は犯したくないから、これ双児宮まで持って帰る」
「面倒だったら天蠍宮に置いてってもいいと思うよ」
「じゃあ、そうする」
五月最後の一つ手前の日。
願わくは二人も幸多からんことを。
目覚めたのは己の宮ではなく懐かしさのあるあの場所。
「起きたんだ、よかった。死んじゃいないと思ってはいたけども」
入れたてのコーヒーを手渡されてカノンは苦笑いを浮かべた。
「お誕生日おめでとう、カノン」
十三年間、海のそこから彼女をも思わない日はなかった。
無理やりにでも連れ去ればよかったと何度考えたことだろう。
耐えざる光をもつたった一人の存在。
女神など必要なかった。
「海底神殿から何度見上げただろうな……お前も俺のことを少しは思ってくれてたか?」
神に縋ることなどこの先もきっとないだろう。
心残りだった彼女にもう一度出会ってしまったのだから。
「思ってたよ。カノン」
天国よりも野蛮な極楽で二人で過ごそう。
見たことのない青い花を抱いて。
「毎日思って泣いて、カノンがいないことを認めて……それから、あいつと一緒に過ごすようになった」
海のそこで見た泡は彼女の涙。
「俺だってまだお前の中には入れるだろう?」
その心の中に居場所を見つけたい。
自分の存在意義を示してもう一度、今度は優しくこの腕に抱きしめたいから。
「プレゼント、来年は違うものがいいね」
「今年の分はあれで終わりか?」
「だってもうすぐ日が変わっちゃう」
手を伸ばして女の体を抱きしめる。
重なる心音に胸が痛んだ。
「やっとお前を抱けた。女神の前でお前を見たときに、俺がどんな気持ちだったか……」
仮初の命を再び散らして二人は言葉さえも交わせなかった。
全てが終わってからこうしてまた抱き合うことができるなどとどうして考えられただろう。
「おかえり、カノン」
触れるだけのキスがひどく甘くて。
「ただいま」
何度か掠めるようなキスを繰り返して背中を抱かれる。
覆い被さるように抱かれて受けたキスは今度は官能的で脳髄を直に刺激する。
舌先が絡まり合いもつれるように吸いあう。
下唇を挟むように彼の唇が重なってきつく抱きしめられた。
「これくらいもらってもバチは当たらないだろう?」
舌先を繋ぐ糸が隠微に輝く。
「昔から……キス、上手いよね……」
「イイ男はキスだけでも女を落とせるからな」
眠る星たちと踊るピカレスク。
「簡単に一緒にいられないけども……」
絡み合う指先。
十三年前に見た星の光は今も変わらないから。
「今日くらいは良いだろ?」
「……うん……」
願ったことすべてがかなう夢のような世界ではないけれども。
君が隣にいて瞳を見ているこの事実。
錆びたペダルを扱ぐようにつなぎ合わせた時間。
「お誕生日おめでとう……カノン……」
触れ合う唇と、わずかに重なり合う心の行方。
ただ星だけが綺麗で、私はあなたにはなれないと小さく呟いた青い夜。
「あ、サガ起きたんだ。良かった」
後頭部をさすりながら自分を彼女がどのように運搬してきたかを彼は瞬時に理解した。
「あのね、サガにあげたいものがあったんだけども……」
「私に?」
少しだけ戸惑いながら彼女が差し出したのは細身の腕輪。
青い宝玉を絡ませた腕輪は彼女が何度も何度も作り直して。
たった一つの存在。
「何をあげたら良いのかわからなくて。変だよね……あんなに一緒に居たのに、どうして
サガがほしいものが分からなかったんだろう……私……」
ほしい物など考えたことなどなかった。
ただ彼女と離れることなく、死してなお離れずにと。
ただそれだけが願いだった。
「次の誕生日にはサガが喜んでくれるものを……」
その唇が名前を呼ぶだけで感じられるこの心の意味を。
「サガ?」
抱きしめて得られるこの安堵を。
たとえ神でさえも引き離させはしない。
「君が……君が、私のそばにいてくれればそれで……」
二人でいよう。
離れてしまわないように。
「サガは心配性だね。アフロはどこにも行かないよ」
小指の先を赤い糸で結びつけるように。
「ケーキもあるんだけども、どうしよう?」
「君と一緒に食べよう」
「?」
「場所は選ばないってことさ。おいで」
手を引かれてもつれるようにベッドに倒れこむ。
十二時の鐘が鳴る前に星を数えたいから。
「サガ」
頬に触れる柔らかな唇。
「お誕生日おめでとう。生まれてきてくれてありがと」
広がる夜空に恋模様。
夏の手前のある夜のお話。
22:07 2007/06/19