『二人、抱きしめた恋を離せずに永遠の祈りを 
 あの日あなたに出逢わなければ……愛しさも知らないままに』
                ずっと二人で






眠れない夜を数えれば、砂時計の中の一粒が落ちるのさえも遅く感じてしまう。
(どうしよう……どきどきする……)
目を閉じても中々寝付けずに、ただ時計の秒針が響くだけ。
夢見のために甘い匂いの香を焚いても、眠りの気配すら見えない。
そっと指先で唇に触れてみる。
まだ、ほんのりと熱い錯覚。
(やだ……どうしよう……)
思い出すのは先刻の接吻の甘さと優しさ。
(眠れないよぉ……望ちゃん、助けて……)
離れて眠る友は、今はおそらく夢の中。
自分ひとりだけが取り残されような世界で、眠れないまま自分を抱きしめる。
そんな夜が幾日も続き、寝不足ともうまくやっていけそうな気にもなってきた。
(明日……元始さまのところに行くんだから……寝ておかなきゃ……)
教祖の前に寝不足の顔は下げられない。
着慣れた道衣でも白衣でもなく、仙人としての正装をして向かわなければならないのだ。
こんな時に限って夜はとても長いから。
祈るようにな気持ちで、夢に堕ちたいと思うのに。
(誰かとあんなことするなんて……思っても無かった……)
不思議と嫌だとは思わなかった。
拒絶しようとも、振り払おうとも。
(……苦しい……どうして……?)
振り払うように、頭を振る。
朝の足音を感じながら、普賢は静かに目を閉じた。






「昇格?」
唐突な始祖の言葉に普賢は一瞬声を失う。
確かに望まなかったといえば嘘になるが、自分がその地位に付くことになろうとは考えても無かった。
師表十二仙は空席が一つだけある。
その理由は誰に聞いても硬く口を閉ざされたままだったが、噂では聞いていた。
「おぬしの才気ならば、若年で十二仙に上がったとしても文句は出まい」
「しかし、自分よりも雲中師母の方が適任では?」
崑崙きっての才女は、師表と言う枠が余程嫌いらしく始祖の誘い出を何度も撥ね付けている。
「普賢」
「はい」
「いずれ崑崙全体で取り組まねばならぬ重要計画があるのは知っておろう?」
彼女は始祖を見上げた。自分が担当している研究もその計画の一環だ。
「適任者が決まったのだ。わしの一番弟子……いや、おぬしの親友と言おうか」
「……太公望を?」
「おぬしが十二仙に上がれば、何かとあれも助かるだろうて」
足元を見られている感は拭えないが、乗らない手はない。
親友の傍でその手を取ることが出来るならば。
「分かりました。このお話、受けさせていただきます」
深々と頭を下げて普賢は謁見の間を後にする。
その胸中は複雑だが、この立場を使えば今まで出来なかったことも出来るのだから。
始祖の周りを固める師表たるもの。
その中に齢百にも満たぬ仙女が在位することになろうとは先代も思わなかっただろう。
(望ちゃん、これでずっと一緒に……)
緋色の外套を風に絡ませ、彼女は天を仰ぐ。
何かが起こりそうなくいに、雲は燃える様な紫に見えた。
(一体何のための計画……?でも……)
歩き出した道は、長く遠いもの。
(ボクは、君のためになら……なんだって出来るから)
振り返ることもせずに、ただ、進み行くことを選んだ。
その手に小さな光を灯して。






普賢の異例の昇格は瞬く間に崑崙中に知れ渡ることとなる。
齢百にも満たぬ仙人の誕生もそうだったが、あまつさえも仙女が十二仙に座するというのだ。
騒がしい日々は、さらに騒音に塗れる。
聞きたくないことも耳に入り込み、塞ぎたくとも次から次へと生まれてくる凶暴な言葉に彼女は頭を振る。
「相当参ってるよ、あの子」
雲中子が他人事のように苺に口をつける。
「そうだね。大分痩せちゃって見てるのが辛いね」
香り立つ華茶を飲みながら太乙真人はちらりと親友を見やった。
「だから、何とかしろ鈍感男。それとも筋肉馬鹿って言ったほうがいいか?」
「誰が筋肉馬鹿だ。この狐目女が」
「一人身の寂しさにしか聞こえないね。同じ筋肉馬鹿でも黄竜のほうがまだ気が利く」
にやりと笑われて道徳は息詰まるしかない。
「同じ仙女でも道行とは訳が違う。いまやあの子は崑崙中から注目されてるよ?それに、やっかみもあるだろうしね。
 謂れのない誹謗、中傷。繊細な子には辛いだろうねぇ」
淡々した声が室内に響く。
「十二仙二人も首を並べて。何とかしたらどうだい?太乙だって、今の道徳と逆の立場だろう?」
「まぁね。試練を乗り越えた愛はいいよ〜〜〜」
菓子に手をつけながら二人はケラケラと笑うばかり。
(俺だって何とかしてやりたいけど……普賢の自意識傷つけるのは嫌なんだよ……)
強く脆い少女は、他人の手を取ることを由としない性分だ。
甘えるだけの器用さが無い。
「とにかく、頑張って落とせ。それだけだ」
「そうそう。一人よりも人生楽しいよ?そろそろ不特定多数から一人に絞りなよ」
浮名を流してきたこの男にも腰を落ち着けろと親友二人は口を揃える。
いわれずとも彼がそのつもりなのは二人とも十分に分かってはいる。
「言われなくても、そのつもりだっ!」
「ならいい。玉鼎あたりに攫われないようにがんばんだね」
雲中子の指先が頬を突く。
同じ女でもこうも違うかと、彼はため息をついた。






それからの数日、すれ違うたびに普賢は疲れた顔だが笑みを向けてくれるようにはなっていた。
細かった手首は更に痩せて、痛々しい姿に。
話しかけられない臆病さ。
あの日の様に抱きしめて、その耳に入る言葉を払拭してやりたいのに。
「普賢」
「望ちゃん」
「ようやく会えた。十二仙に入ってからは会えなかったからのう」
太公望はそっと親友の手を取る。
「随分と痩せて……いらぬ雑音が多いな。普賢」
「大丈夫だよ。望ちゃんとこれで一緒にいられるんだもの」
「?」
師表の一人としての位は彼女には重く、その背に容赦なく降りかかる。
それでも彼女の瞳が曇ることなく輝くのは実力でその階位を手にしたという自負からだった。
誰にも負けたくないと、満身創痍になりながら普賢は修行を続けてきた。
それは寝食を共にた太公望が一番に知っている。
雑音は耳には入り込むが、彼女の誇りを傷つけることなど出来はしない。
雨に打たれても微笑むしなやかな華のようなこの少女を。
「あのね、望ちゃん……」
「どうかしたのか?」
「その……少し、時間ある?」
白鶴洞に場所を移して、二人は緩やかな時間を甘受する。
九巧山は普賢の手によって、荒野から新緑の溢れる美しい姿に変わった。
同じように、崑崙の古き体勢を変えるために。
そして、ある計画を進めるために彼女は抜擢されたのだ。
いや、彼女たちはといったほうが正しかったのかもしれない。
「して、何かあったのか?顔色も良くない……」
「ううん。ちゃんと食べてるし、具合も悪くないよ」
ぷわん、と甘い香りが室内に漂う。
花の香りと果実の混ざったような暖かく、柔らかな匂い。
「焚香……ではないのう……?」
「香油だよ。良く眠れるように、おまじない」
出された茶に口をつけながら太公望は普賢を見つめた。
「ボクね、自分でも自分の気持ちが分からないんだ」
「?」
「好きだって言われた。ボクも、多分その人のことが好きなんだと思う。でも、即答で好き!って言うのじゃないような
 気がするんだ……嫌なわけじゃないの。でも……」
一度、息を深く吸い込む。
「どうしたらいいか分からないんだ……」
揺らめく気持ちは、水に映した月の様で触れれば壊れてしまいそう。
その月の美しさはおそらく、脆さとの表裏一体。
「おぬしらしくないのう、普賢」
太公望はそっと普賢の手を取る。
小さいその手は剣を持ち、戦う道を選んだ。
自分がいつか戦火に身を投じるならば、傍で共に戦うと。
「おぬしは何でも自分で決めてきたではないか。迷いながらも、自分自身で。わしができるのはおぬしの背を押すこと
 くらいじゃ……普賢」
「望ちゃん」
「どんな相手かは知らぬが、何……意にそぐわぬ様な男ならば呉鉤剣で雁首刎ねれば良いだけじゃ」
破顔一笑。
「おぬしの気持ちは、おぬしにしか分からぬ。それでも、少なからず相手のことを思うならば……飛び込んで
 みるのもよいのではないか?大丈夫じゃ、おぬしは強いからのう」
「あははははっ!そうだね。うん……」
笑い声が二人分、九巧山で花咲く。
「ありがとう、望ちゃん……」
「結果報告、待っておるよ」
仙人でも、道士でもなく、ただの少女二人に戻って恋の話をしよう。
何時の世も、女を変えるのは恋という魔法なのだから。






月が頭上に掛かる時刻。
普賢は夜露の絡む夏草を分けながら青峯山への道を歩いていた。
(とりあえず、あって話をしてみなきゃ……)
手土産には、庭で取れた果実を。
生暖かい風が頬を撫でて、その感触に身震いする。
(起きてるかな?)
こつこつと扉を叩く手。
「んぁ……!?ふ、普賢!?」
「こんばんは」
「ど、どうしたんだ?あ、えっと……中、入らないか?」
「じゃあ、お邪魔します」
久しぶりに訪れた紫陽洞は、以前と変わりなく時間が止まった様にも思えた。
促されて席につくと、持参した籠を普賢は道徳の前に静かに置く。
「お土産。手ぶらで来るのもあれだったから」
「ありがとう。あ、それと……おめでとう。昇格」
「ありがと。まさか本当になれるなんて思ってもなかったけれども……」
す…と伸びた手が優しく頭を撫でる。
「それだけ頑張ったんだ。誰にも文句は言わせない」
「………………」
それだけの行為なのに、心の一番柔らかい部分が暖かくなるのはなぜだろう?
ただ、その手が触れるだけで。
「あのね、今日来たのは……」
「俺も、お前に逢いたかった。九巧山に行こうと思ってたんだけども……」
目線が重なり、逸らせなくなる。
「度胸がなかった。肝心な時に何も出来ないなんてな」
「あのね……ボク……」
紡ごうとしても、言葉は溶けて消えてしまう。
声を出すことがこんなにも苦しいなんて、思いもしなかった。
「焦らないって決めてたのに、お前を前にすると……どうしても……」
「……どうしたらいいの?」
伏目がちだった瞳は、自分をまっすぐに見つめてくる。
「今夜一晩、一緒に居て欲しい」
その言葉の意味は、この先に何があるかを容易に想像させた。
知識の上では分かっているつもりでも、直面してしまえば躊躇いがちになってしまう。
帰りたいという気持ちと、帰りたくないという気持ちがせめぎ合う。
「帰したくないんだ」
「……うん……」
ぎゅっと抱きしめられて、触れてくる唇を受け入れる。
同じように男の首に手を伸ばして。
「……どきどきするのは、どうして?」
「俺も、同じだよ。もし……普賢が俺と同じ気持ちなら……」
ちゅ…と額に接吻される。
「凄く、嬉しい」
腕の中の暖かさは、長かった時間を全て溶かしてしまう。
「帰らないで、ここに居てくれないか?」
耳に沈む、低く優しい声。
返す言葉は一つしか見つからなかった。
「……はい……」
甘い、甘い接吻は夢のような感覚。
手にした幸せは、偽りでないものだから。
祈るように、縋るように、触れ合った魂が二つ。
夜の甘い闇の中、ゆらゆらと揺れていた。







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