『すべてこわすのなら黒になれ』







「もう大丈夫だよ。そんなに心配しなくても」
「いーや。いつまた何が起きるかわかんねぇからな」
欠けた爪を撫で擦り符印を抱えなおす。
少しだけ短くなった前髪とまだ頬に残る僅かな傷跡。
「心配症なんだから。そこまで弱くないから」
心なしか少しだけ伸びたように思えるその背丈。
守るべきものは自分ではなく誰かの幸福だという定義が、彼女には強かった。
舞い散る桜を見つめる銀色の瞳に迷いはなく。
この空のように澄みすぎてどこかしら妖気染みているように思えた。
思えばこのときからだったのかもしれない。彼女が自分以外を重んじるようになったのは。
大義の前に犠牲は不可欠だと。





浮かぶ深淵の月を見上げて願うはささやかなことばかり。
霧さえもとび越えればそこにあるのは不可解な空間だった。
「はじめましてというには、ご挨拶かな?」
闇夜に浮かぶ銀髪は人間には存在しない色合い。
初めから全てが仕組まれたいたならばこの色もおかしいものではなかった。
「普賢真人と申します。君は……」
まるで三日月に腰かけるようにして肘をつき、歪んだ笑みを浮かべる姿。
じゃらじゃらと煩い鎖は静寂を引き裂く。
「王天君ってんだ。お見知り置きをだな」
空間移動や浮遊を得意とする妖怪仙人に対して、人を原型とする仙道はそれが難しい。
しかしこの少女は何の苦も無く宙を舞う。
瞬き一つで空間を歪ませる存在と、接吻一つで星を撃ち落とす少女。
どちらも理由は違えど恐ろしきもの。
「そう……悪いんだけども……」
「早速だが……」
互いの手に宿る光。
「死んでもらうぜ!!」
「消えてもらうよ!!」





未だに喪服を解かない軍師の住まうは西の国。
それだけ彼女にとって彼は大きな存在だった。
ただ一人だけ誓った忠誠。彼はその魂を以てして彼女を生涯この地へと縛りつける。
その呪いは十重二十重、解けることも知らず解くことも望まない。
「師叔、束帯をそろそろ解かれてはいかがですか?」
「解らぬ。なぜあれほどの男が封神台ではなく、幽冥に封じられるのか」
彼の息子の魂は封神台へと飛び去った。
しかし、それをしのぐ逸材の彼は幽冥境へと導かれ次の教主となるという。
次とはいうものの、それは気の遠くなるような年月を数える。
赤と黒の束帯は喪中を意味し、それは彼女の左手首を静かに縛りつけていた。
「確かに、あの方は……これも仙界が絡んでいることなのでしょうか?」
降り注ぐ光はぼんやりとして夕暮れの淡さ。
しかしその中に宿る蛍火のような小さな輝きに動きが止まる。
言霊に宿る思いは誰に告げればいいのだろうか?
かすかに香る風に感じる彼の呼吸。
まだ全てを封じられたわけではないらしい。
素知らぬふりをして石段で踊るように、月は海に帰りゆく。
少女の影はそっと赤に溶けて、その赤は歴史の体液。
「……………………」
もうそろそろ夜桜も見納めらしい。
散りゆくさまが最も美しいとされる呪われた花びら。
少女の横顔に宿る翳りに気付くものはなく、その唇がそっと歪んだことにも。
命数糸を手繰る様な細い指先が選ぶ運命など風に揺れてしまう。
「盃の意味をしっておるか?」
唐突な少女の問いに青年が顔をあげた。
「いいえ」
「もともとは酒に月を映すことをいうらしい。月見酒は初めにそうするであろう?」
螺旋を描くは魂の終わり。
廻り廻るこの世界の断片をりっかりを掴まなければならない。
「どうだ?今夜の花見はさぞ綺麗だろうて」
「でしょうね」
待ち合わせた時間に訪れれば花瓶に挿された枝葉に結ばれた赤と黒の束帯。
見やれば彼女の差向いに浮かぶ薄明かりが形を成し始める。
「!!」
それはぼんやりとした形ではあったが確かに文王その人。
「わしでも反魂はできるようだな。真似ごとだが」
「師叔!!それは命数に反すること……このようなことが知れたら」
桜の枝を抜き出して少女はそれで影を撫でつけた。
砂の城でも砕くかのように飛び散る魂は蝶となり月へと向かう。
「解っておるよ。ただの真似ごと……死人を返すことなどあってはならぬ……」
されど真似ごとでも反魂ができるということはそれだえ生と死の境界が緩んできている証拠だった。
死者をかえらせてはならないということを知らしめるために葬儀は存在する。
それはいつから誰が始めたのかなどと考えることも無く。
意識に刷り込まれた無意識下の思想は思惑と言うらしい。
「死人(しびと)は所詮に死人だ」
その言葉はずっと先に意味を成すこととなる。
文字通りの思惑として。




両手に持った剣が胸を抉れば冷たい鉤爪が肉を削る。
蒼白と銀に混ざりあう赤と黒。
満身創痍は互いの状態。千切れかけた腕と片口に走る鋭利な傷。
「しぶとい女だな」
「そっちもね」
少女の銀髪が逆立ち、銀眼に僅かに宿り始める金色の光。
月を閉じ込めたこの時の止まった空間は秒針が幾重にも存在するだけ。
「これで終わりだぜ!!」
「そっくり返すよ!!」
ぶつかり合う巨大な二つの光。
絡まり合うようにして落下していく肉体を分断した幻の月。
『…………面倒なこと、してくれてるねぇ……申公豹は何をしてるんだか…………』
右と左に二人の少女。
どちらも虫の息なのは相殺だと彼は視線を落とした。
月光に巻きあがる亜麻色の美しい髪。
全ての理を飲み込む存在はいまや幻だと思われていた。
『何のための監視なのだか』
「やはり出てきたか、老子」
その声に青年は顔をあげた。
眼の前には崑崙の開祖の姿。見慣れた老人ではなく昔過ごした時に巻き戻した様子。
『どっちもお前の子だろう、原始』
「普賢はな。そっちは預けた方だ」
『まあ良い。私は関わらないだけだけどれも。たまたまでたらめな反魂儀があったから来ただけで』
掌から生まれた光が球体を織り成し、二人を飲み込んでいく。
『目覚めれば少しは忘れる。さて、思念体では疲れが増すから私もお暇するよ』
二つの流星が消えるのを見届けて、時空の隙間に入り込もうとする姿。
その手を青年が掴んだ。
『離してくれないか?用件は終わった』
「おぬしと話なぞ滅多にはできん」
『私の眼がいるだろう?十分じゃないか。それにあれは女の身体だ。お前が求めるものは
 すべて受け継がせたはずだが?』
同じ顔した二人の女はこの青年の魂を分裂させたものだった。
魂魄分離を得意とする稀有な存在。
それが太上老君という無二なるものだった。
『お前が壊してしまったものを私が直せると思ってるのかい?』
老子はいつも穏やかに笑うばかり。
その表情が憎しみに染まったのはたった一度だけ。
歴史の道標の存在を知り彼はきつく唇を噛んだ。
絶対なる支配者に対する焦燥と絶望を飲み込んだ憎しみは彼を美しく変えてしまったのだ。
永夜を織り込んだその衣は死者と生者を併せ持つ。
どちらにも傾かない存在は唯一つ、歴史の道標のみに執着した。
「おやおや、珍しい。あなたがお目覚めだとは。それに元始天尊、随分と……ふふふ……」
零れる笑みを隠そうともせずに闇の中から現れる姿。
霊獣黒点虎を駆るのは最強と謳われる道士だった。
『監視するものが目を離すから私が出る羽目になったんだ』
「おや?私の呂望の親友がまた何かしでかしましたか?」
「しでかすのはこれからじゃ」
手にした雷公鞭に結ばれた赤と黒の束帯。
「呂望も何か間違ったことしてましたからねぇ」
一瞬でそれは灰となり散り散りに消えていく。
『寝なおすよ。あとは任せた』
「しかたないですね。ゆっくりおやすみなさい」
星屑に閉じ込めた記憶を遡ってはいけない。
神の領域に踏み込んではいけない。
しかしその神がまやかしだったとしたら?
全ては本物の神のみぞ知ることとして。





言い渡された処罰は予想していたものとはまったく違っていた。
崑崙山からの外出を三か月の間禁止するという異例の処置。
「うーん……王天君って子を調べろってことなのかなぁ……」
あの冷たい指先はまるで死人のようだった。
けれどもどこか懐かしく誰かに似ているような香りがしたのもまた事実。
「おじい様たちなら何かわかるのかな……」
頬を膨らませてそんなことを呟く。
差向いに座る彼はただ笑うばかり。
「んじゃ、俺も調べるか」
「いいの。自分でやる」
「もっとちゃんと頼れって」
立ち上がって少女の手を取る。いつだって彼は隣に居てくれるのだ。
わしゃわしゃと銀髪を撫でる大きな手。
「うー」
「んな顔するなって。可愛いけどなっ」
ぎゅっと抱きしめられて胸に顔を埋める。
聞こえる心音はきっと世界でいちばん優しい音だろう。
「いろいろ考えすぎても駄目なんだろうし、正面突破で行ってみようぜ」
「んー……そうだね」
不安がらないようにいつも隣に居てくれるのならば。
こつん、と二つの拳が触れ合った。
「だからもっと俺を頼りなさい」
「うん」
しっかりと手を繋いで視線を合わせる。




真の遂行者は誰であろうか?
それは一人とは限らないと秒針が刻んだ。




18:18 2009/04/07

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