『慰めにもならない 願うは月に照らされた夜半の嘔』







「傷は大分よくなったけども、問題は……」
診断表を眺めながら雲中子は煙草に火を点けた。
「ああ、道徳の方だろう?大体、普賢だって仙人なんだからそう簡単には死なないって。
 査問やってるのに私欲で暴走してどうするんだか。それに、もう少し私ら薬師を信用したって
 いいものじゃないか?」
脚を組んだ白衣の女はのんびりと紅茶の香りに瞳を閉じた。
礼に反すると一瞬で煙草は原子に戻される。
「珍しい。妖精が庭にいるよ」
人ならざるものに呼び寄せられるのは様々ある。
終南山には月精や野兎精が多く訪れていた。
薬を運ぶは兎の姿と揶揄するような歌さえ存在するほど。
「珍しくもないだろう?太乙(おまえ)のところに何も来ないのは命の危険があるからだ。
 道徳のとこでさえ花精が来るというのに」
機械器具に埋もれて生活をする太乙真人の庭先にはあまり生気がない。
無機質を愛するか彼にとっては精霊は邪魔なもののひとつ。
しかしながら囲うは大仙の一人ならば話は違う。
「道行が居る時は来るだろうけどね。あの人は宮と自分の庭、あとはお前のとこにしか動かないだろ?」
「だと良いんだけども……文殊の所に行くよ」
煙草をくわえながら雲中子は画面を何枚も浮き出させる。
崑崙のすべてに張り巡らされた監視装置。
「ああ本当だ。お前のところのに居るよりも笑ってる」
「………………」
「冗談だ。階位も力も同等ならばおかしくない関係だろう?何よりもお前が単に肉欲を
 捨て切れてないだけで道行はあってもなくてもいい、くらいだろし」
白衣の下に隠された豊満な乳房。
彼女とて同じようにまだ人としての性を捨て切れてはいない。
「黄竜も違う女を選べばよかったのに」
薬液を混ぜ合わせれば胸騒ぎの煙が生まれだす。
その香りは甘いほどに人を狂わせる。
「私があいつを選んだんだ」
その意外な一言に振り返ってしげしげと女を見つめた。
「そうだったのかい?」
「普賢だって道徳を選んだだろ?それと一緒だ」
僅かに紫の交った瞳はそのまま心の奥底まで見透かしそう。
恐怖は感情などない方がより強くなるように。
「で、あの馬鹿は今日もまた普賢のところに居るんだろう?」
遠い空を見喘げるように消えていく紫煙。
「ま、どこも異常がないからいいけどね。ちょっと出かけてくるから後は頼んだ」
「雲中子!!」
「一人で考えたいこともあれば、独り言だって大事だろ?私も同じだ」







手にした八卦高炉は普通の仙人ならば扱うことさえも困難だろう。
しかしそれが創造主ならば話は別だ。
「黄竜」
男の傍らに降り立って、視線だけを向ける。
「あの二人ならば療養中だ」
「どの二人なんだかな」
「どっちもだ」
手にした翁面を叩き割れば生まれる空間の亀裂。
仙気でまだ天尊二人に及ばなくとも彼女にはそれを補うだけの知識があった。
崑崙のあらゆる武具をすべて解する能力。
そしてそれを生み出し蘇らせることのできる稀有な仙人。
「行くか」
反重力を使いながらの空中浮遊。
弾丸のように飛び交う岩などないかのように二人は目的の場所を目指していく。
脚場になる岩に下りて見据えたのはもう一つの仙界。
対になる月姫の面を打ち砕いて再び現世へと。
「お前はいつもこんなことをしてるのか?」
「うまく仕えるようにあればどの場所にも移動できる。まだ媒体を必要とするだけ完成には
 遠いけども実用化させれば凄いことになるよ」
隙間から這い出るようにして伸びる白い腕。
指先が空を掴んで男共々飛び出していく。
「あちらの仙界の一番近く……さすがの私でも一人じゃ心許無いし」
赤く濡れた指先が陣を敷き、それが八卦図に変わって行く。
武具を使うことのできない彼女は後方支援にしか回れない。
「約束どおりに来たぞ、四聖が一人よ」
女の声に闇夜に影が揺れた。
「まぁ……一人で来るとは思ってはなかったけども……師表の一人を連れて来るとは」
暢気に女は煙草に火を点けた。
煙が肺腑を満たして指先で煙草を弾き飛ばす。
「本気で殺しにかかるにゃこれくらい必要なんだよ」
空を掴んだ掌の中でぐちゃ、と何がか潰された。
蠱毒の使い手の青年はこの空間中に呪詛を敷き詰めたのだ。
「なるほどな。それで俺を盾にするというわけだな」
腕を一振りすれば生まれる巨大な槍を手に。
飾り布は朱色。それは彼女が織りなした彼のための防具。
「攻撃は最大の防御って言うでしょ」
掌から放たれる夥しい呪符が空間の蟲を一斉に薙ぎ払う。
毒素は朱布が全て吸収し、彼には一切触れることがない。
呼吸することすら死につながる様な空間でも生き残ることのできる秘策の一つ。
「そっちも二人できただろう?薬師高友乾」
「ばれてちゃ仕方無い。楊森!!」
二対二の図式では攻撃目に不安があるのは否めない。
しかし彼女の唇はこれ条ないほどに余裕に満ちた笑みを浮かべている。
端から雲中子は黄竜に頼り切るつもりはない。
策士はあらゆる手段を使って勝つことのみに興味と焦点を置いたのだから。





降り注ぐ呪符の嵐は青年の眼前で小刀に変貌する。
月の香気を降り注いだ銀刀は勢いよく高友乾の身体を斬りつけ血飛沫を闇に咲かせた。
前面に出ることのない女の支援を無駄にすることのない男がそのまま斬りつける。
幾重にも重なる鉤爪は肉を抉り命を削った。
「高友乾!!」
「楊森!!僕に構うな!!」
直接攻撃の出来ないことが雲中子の最大の弱点。
ならば今まさに一対一の形に持ち込めば確実にその命を奪うことができる。
伸びた手がその細い首を絞めようとした瞬間。
「!?」
掌を突き破る刃と、真っ赤な唇が歪んで笑う。
「私がいつまでも守られるだけだと思うなよ。この馬鹿が!!」
丸薬を噛み砕けば右腕がまるで違う生命のように蠢く。
「うおああああああっっ!!」
背に生えた黒羽と赤く濡れた双眸。
「起風発雷!!」
その瞬間に黄竜は後ろへと飛ぶ。
拡散した稲妻は二人の男を直撃した。
雷神の系譜を閉じ込めた特製の丸薬は肉体を改造するための物。
その最終形態を確かめるべく彼女はここに来たのだ。
「私にくだらない喧嘩を売るからだ……女狐の差し金か!?」
空気中にばちばちと生まれたままの火花。
「僕たちの主は聞仲様ただ一人!!」
「このくだらない手紙を書いたのはお前だろう?薬師」
叩きつけられる書簡に高友乾は観念したように笑った。
「ああ、そうさ。そっちの薬師がどれだけのものか確かめたかった」
「こっちの原子炉をいじったのはお前たちか?」
「いいや……十天君の一人……」
「避けろよ」
「え……?」
黄竜の小さな呟きを確かめる暇もなく、闇夜に飛ぶ槍。
まるで何もないかのように細い手がそれを苦もなく掴んだ。
「お前たち……このような勝手が知れたらいかがなものか……」
細く壊れそうな少女の声。
ひたひたと響く足音に青年二人は臣下の礼を慌てて取る。
「張奎様!!」
「聞仲様の御留守に何を勝手な行動を……」
伸びた黒髪がよく映える肌の色は、陽の光など浴びたことがないように白い。
聞仲の直属の家臣の登場は雲中子にとっても予想外だった。
その仙気の強さに思わず息をのむ。
目の前の少女は街着姿で戦う意思などみじんも見せないのに感じる寒気。
「まったく……こちらの物が無礼を。いずれきちんとした形で……」
ちらり、と見据えた瞳。
「私は張奎。聞仲様の家臣の一人」
「……そう。また会えそうね……」
「この二人は持ち帰ります故に。あなた方も今のうちにおかえりなさい。まったく……
 最近の子供は礼を知らない……」
ぶつぶつと呟いて少女は青年二人をどこかへ送り込んでしまう。
あるのは二人の残した血痕だけ。
霊獣の上でのんびりと髪を指で梳いて、月を見上げる姿。
強いものほど笑みを浮かべ、戦う意思など見せない。
それはこの少女にも当てはまることだった。
「ひとつ聞いても良いかしら」
「それが貸し借りが無くなるならば」
「紂王は……本物?」
「半分はね。これで良いかしら?」
「十分よ」






霊獣の髭を撫でながら不気味に笑むのは申公豹という道士。
「張奎」
霊獣烏煙を駆りながら彼女は自分の島へと向かう途中だった。
「何か御用?」
「いいえ。崑崙の仙人はどうですか?」
その言葉に少女は僅かに眉を寄せた。
ひらら…と揺れる袖と輝く素足。
「強い子もいるわ。でも……これから強くなる子もいる」
空の上の眠れない夜は彼にとっては遊びにすぎない。
まだ喪に服した西の国の少女に知らせてはならないことだと、わざわざここまでやってきた。
「あなたはこれを聞仲に?」
その問いに少女は首を静かに横に振った。
「聞仲様に余計な御手間など。それに……彼らも思うところがあったのでしょうし」
髪に残る白蓮の残り香。
夜を抜け出してまで彼女は始末をつけに来たのだ。
「御夫君によろしくと」
「……蘭英を知ってるの?」
怪訝な表情に彼は小さく、しかし確かに笑った。
「君の髪に」
ぱらり、と落ちる花びらが一枚。
拾い上げて少女は愛しげに眼を細めた。
「そうね。こちらだけではなくあちらの世界も大忙し。そちらこちらに門が開いて」
「死霊が這い出てきてますね。朝歌もひどい有様です」
「仕方ないでしょう?あそこにはひどいものが多すぎる。人の恨みは悪鬼を呼ぶものなのよ。
 ましてや道に腸などあれば……生臭いのは嫌だわ……」
心底滅入るような顔をして扇で口元を隠す。
「ああ嫌。妖怪がみなそうだと思われるのが……聖母様や姚天君様は麗しい御方なのに。
 あの狐のように腸など貪らずに美しいわ」
「血濡れた美女も悪くはないですが……接吻の際に生臭いのは嫌ですね」
くだらないことと呟く。
「そうそう。私はそう簡単にあなたの遊び道具になるつもりはありません」
「おや、もったいない。御夫君一人だけではその体を終わらせるなんて」
「我が夫は彼一人で十分。妖怪が皆、多淫だとは思わぬように……ふふ……」
軍師が眠る間だけ彼は西の国の空を守る。
その強さを知る者はおいそれとは近付くこともできない。
立ちふさがるは恋に狂い始めた男。
その思いが強まれば強まるほどに世界も同じように歪んでいく。
「女狐には従わぬ」
「私は彼女の客人です。決して配下でも仲間でもありません。聡い貴女ならわかるでしょう?」
雷公鞭がゆっくりと月に影を映すように掲げられる。
見下ろしてくるその瞳に宿るのはどんな色だろう。
七色、虹色、それともただの色か。
「ここで、私を討って何の得になる?」
「なりませんよ。面白そうだと思っただけです」
にこり、と笑って宝貝を収める。
「あなたが聞仲に従うことが不思議でならないのです」
「……………………」
凛と澄んだ夜の空気は灰を刺すような冷たさ。
心臓を射抜きそうな視線を重ねた少女の瞳。
「私は教主の直弟子の一人。これで十分でしょう?」
「齢千歳を超える貴女が、人間に従うわけがない」
「聞仲様は稀なる魂を持つ方。いずれは……おしゃべりが過ぎると夫に心配されますので」
烏煙の脚を捉えることはそうたやすくはない。
夜に消えていく足音を見送って彼は己の霊獣の頭を撫でた。
「どういうことさ?」
ぴん、と張った髭とふわふわの毛並み。
「張奎は純粋な妖怪です。そう簡単に人間の臣下になど入るわけがない。聞仲がどれだけつよくとも
 彼女はそれだけでは従わないのです。しかし、教主の直弟子であるならば話は別……教主の側近は
 あの十天君ですからね」
教主を守る大幹部の存在は二つの仙界に共通する。
どちらにも不穏な女がいるのもまた同じ。
「妲己ちゃんは知ってるの?」
「張奎は武人でもありますからね。皇后として当然知ってますよ」
「じゃあ、呂望は?」
「知りません」
妖怪少女は自らの意思と忠義を持っている。
人間に従うことは本来はない立場にもいるのだ。
「もう少し調べましょう。面白そうですし」




終南山では同じように思案にくれる男女の姿。
薬師は彼女に文を送っていたのだ。
「それで、高友乾だったか?あれは何でお前に手紙なんかを……」
「太公望の後ろに私らがいるからでしょ。回復役をつぶせば戦争って有利になるし」
収束された蝙蝠の羽と鉤爪。
「聞仲が動けなきゃあいつらが動くけども……あいつらよりも強いのが出てきちゃったしねぇ」
四聖を片手で封じた少女は、おそらく皇后妲己と刺し違える程度には強い。
こちらの戦力不足はどうしても否めいないという現実をまざまざと見せつけられた。
「普賢が回復したらまたどうせ道徳と飛びまわるんだろうし」
ぶつぶつと呟けば男は勝手知ったる場所だと茶器を取りだす。
手際よく花茶を淹れて女の前に差し出した。
「できればもっと強いのをおびき寄せるつもりだったんだけども」
「十天君か?」
「そう。私の空間圧縮はまだ未完成だからね。本物を見ればより面白いものが作れる」
巻き起こる大戦争、負けるわけにはいかない。
「元始様がねぇ……それぞれにいろんな指令出してんのよ。あんただってそうでしょ」
「……知ってたか」
「そんなことも解らないような関係じゃないでしょ。私たちは体の良い駒にすぎない」
花は散るから美しく、人は時間が短いからこその思い出がある。
不死となる仙人はどこにいけばいいのだろうか?
最後に笑うのは誰なのだろうか?
「老人の好き勝手にはさせない。私はあんたを殺させはしない」
重なり合う手。
「どんな身体でも良いから生き残れば、私は蘇生させられる。だから……相手の手の内が見たい」
「刈りについてくるのか?」
「戦えないわけじゃない。だから……黄竜ももう少し私を頼れ」
君に出会ったの日から始まったこの無限回廊は、今も抜けることができない。
恋の迷路に二人で入り込んだまま。
「あまり危険なことはさせたくはないもんだな」
掌にできた傷に、男の指先が触れた。
「あれくらいですぐに傷ができる。女は脆いもんだ」
「頑丈にはできてないね、確かに」
「まあいいさ。傷なんぞできないように俺が前に出ればいいだけだ」
「そういうこと。偵察班に私もこっそりと入れてくれればいい。邪魔だと思ったら見殺しで構わない」
その手が女の頬に触れた。
「馬鹿言え。惚れた女を見殺しにする男なんざいるか」
「その言葉、待ってたよ」
これから始まる大戦争は策士を何人も抱えることとなる。
その最たる少女はまだ眠ったまま。
二人の少女はまだ目覚める気配もない。
朝が来たその日が革命の始点になるのだから。





17:30 2009/02/07

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