『行き交うは花、散るは思ひ』






「一つ聞くけど、君は君の姉上がどんな中身なのか知ってるのかい?」
女の手に包帯を巻きつけながら青年はそんなことを問う。
黒髪は陽に透けて不思議な色合い。
「妲己姉さまは優しいわ」
薬師の彼は彼女の傷を静かになぞる。
「僕たちはいつまでこうしてられるだろうね、貴人」
「友乾、あなた一人くらいならば姉さま言えば……」
「僕は聞仲様の臣下だ。君の姉上には従えない」
四聖に座する彼は主君を裏切ることはないだろう。
落命こそが忠義となるのならば従うことを由とするように。
妖怪にそぐわない澄んだ心は時として迷いを生み出す。
惑うことなどあってはならない、全てを飲み込む歴史の渦の中。
壺の中に広がる数多の銀河のようにこの世界は入り組んでいて単純だ。
「死なせるよりは死ぬ方がいいなぁ」
「何言ってんのよ。死んだら終わりじゃない」
貴人の額にそっと触れる掌。
視線をまっすぐに重ねて彼は静かに笑った。
「君を死なせるよりは君に殺されたい。きっと……そうなることの方が多いだろうから」
痛む胸の奥に閉じ込めた感情の行方。
この恋は終わりが見えるから。
「そうなったら君の手で終わらせたいな」
「……馬鹿な事言わないでよ!!」
「馬鹿な事じゃないさ。できればそんな日が来ないことを祈るけども」
この澄み渡る空に虹を掛けて、君の傍までいければいいのにと。
空回る感情は螺旋を描いてゆっくりと水面に落ちていく。
真実など探せないまま、夜の真中で立ち止まる。
誰よりも大切なのに、それすら伝えられない。
積み上げられた髑髏の上、最後に笑う女の横顔。
その足元に転がる運命でも受け入れてしまえるような空の色だった。





宝剣を手にして男は岩場を飛んで行く。
目指すはもう一つの仙界だった。
「待てよ。道徳」
拳に焔を絡ませて彼は男の前に降り立った。
紫の光を生む異形の月と、妖気を帯びた男の姿。
夜空を凍らせるように立ち上る静かな殺気は剣士たる彼の姿。
「どこに行く気だよ」
「散歩だよ」
望月を背にした彼の表情は影を生んでみることができない。
僅かに横に上がる唇が笑みを浮かべた。
「普賢の仇討なんじゃねぇの?」
師表たるものが私情に流されることは許されない。
力の強いものほど自制を強いられるのがこの世界のしきたりだ。
「だったらどうする?」
「溺れてんじゃねぇよ。不意打ちは……御法度だろ?」
慈航道人の手が弧を描き、弓と矢を生み出す。
弓弦に掛かる指先と炎を螺旋に巻きつけた真紅の矢。
「無尽蔵に生み出される矢か……さすがの俺でも無事の保障はなしってことか」
「馬鹿馬鹿しい。女一人のために単身乗り込むなんざ……」
「馬鹿で良いんだ。俺は……」
ゆらめく妖気は彼がすでに人ではないことを告げる。
永久を手にした永劫の罪人として生きるは仙となること。
「死んでねぇんだ。今からだっていくらでも好機はあるだろ!!」
深淵たる月光は彼を狂わせるには十分過ぎたのかもしれない。
青すぎる青は全てを黒に変えた。
「俺の普賢を痛めつけたやつを、同じ目に合わせるだけだ」
宝剣の光が真横に線を描く。
その色がいつもと違った銀色だということに気が付き、慈航は目を見張った。
「……お前……莫邪に何を仕込んだ……?」
莫邪の宝剣は銀色の光を生み出すことはない。
明らかな外部からの異物を巻き込まなければ生成することのない色。
彼の恋人が持つそのどこにも属さない白銀に感じる恐怖。
「……炉を入れやがったな……」
「ああ。普賢の銀瑠璃高炉を使った。急ごしらえだが相手を殺す自信だけはあるぞ」
彼を止めることのできる少女はいまだ眠りから覚めない。
彼を狂わせたのはまさしく恋。
一振りするたびに生まれる滅びの煌めき。
「俺は……これ以上友達(ダチ)を亡くしたくねぇんだよ!!」
紅蓮の矢が彼の頬を掠める。
流れ出た血を親指で拭って、道徳は静かに慈航を見据えた。
かつて存在したもう一人の男の影。
あの日、彼は皆の前でその命を絶った。
「奇遇だな。俺もだよ」
「行かせるわけにはいかねぇ!!普賢だってんなこと望んじゃいねぇ!!」
「望む望まないは関係ないんだ」
左腕に集中した仙気が彼の黒髪をざわめかせた。
「俺が相手を殺したいだけだ」
明確な殺意は久しく封じていた男の本気。
走り出した感情を止めることはできない。
捕らえることなど不可能といわれるその動きは的確に無数の矢を撃ち落していく。
「大体、誰がやったねんてわかんねぇんだろ!!」
「だったら全部殺すだけだ。簡単ことだろ?」
宝剣の光を消し去るために射ち込まれる数多の矢。
赤色と金色を封じた虚空矢に射抜けないものは存在しない。
道人の階位は飾りではなくその仙気の強さは本物だ。
互いの光を相殺しあっては再び撃ち合う。
どちらもその腕で指標の座を手にした男。
「目ぇ覚ませ!!やっちまったら遅いんだ!!」
「先に俺の普賢を殺られそうになったんだ。倍返しでもまだ足りない」
無機質な光を称えた双ぼうに見える狂いの月光。
「!!」
剣先が慈航の右肩を斬り付ける。
痛みに感けてしまえば彼は確実に先に進んでしまう。
「慈航!!道徳!!何やってるんだよ!!」
その声に二人が振り返る。
息を切らせて現れたのは太乙真人だった。
乾元山に程近いこの境界線での一戦を見逃すほど彼は愚鈍ではない。
「太乙真人!!この馬鹿止めろ!!」
「……道徳、普賢の銀瑠璃高炉を返すんだ。見つかったら君じゃなく、あの子が仙号剥奪に
 なるよ。もちろん君だって懲罰対象だ」
「………………………」
「大方、金鰲に行こうとしたんだろうけども……行ったところで君の目的は達成は
 できないよ。相手はそっちには居ないからね」
「何を知ってる?」
「知りたかったら高炉を返すんだ。慈航だってここで止めれば報告はする義務は発生しないだろ?」
その言葉に慈航道人が頷く。
「うちで話さないか?道行がいるから直接聞けばいいよ」
ため息混じりに紡がれる言葉。
彼もまた、これ以上の犠牲は望まないのだ。






硝子の器に乗せられた片方だけの眼球。
まだ血管も視神経も絡まったままのそれは無残に潰されていた。
「何だこれ?」
生臭さと消毒液の混ざった香りが不快感を増していく。
「道行の目だよ。つぶれてたから新しい義眼にしたんだ。本人は培養液の中で
 蘇生中。本当に、新しい部品に変えてたところも全部駄目になってた」
取り出して今度は銀皿の上に。
眼球に細い管をつないでそれを手元の機器に接続していく。
「この義眼は見たものすべてを記憶するんだ」
「ってことは、道行が誰にやられたかわかるってわけか」
「そういうこと。僕だって道行をこんな目に合わされて黙ってるわけないだろ?」
室内を飛び回る緑色の光。
幾何学模様と数字の羅列を描きながら画面に映し出される映像。
九尾の狐の従える死人の姿。
その手が空間を切り裂いて入り込む。
何かを引きちぎったのか亀裂が閉じればその手には金属の管。
「!!」
それは見間違うはずのない文字。
恋人の書き記した走り書き。
「……この子供が、高炉を爆発させたのか?」
その細い腕が伸びて唇が歪んだ笑みを浮かべた。
女の手が青灰の肌に触れてこめかみの辺りを吹き飛ばす。
飛び散る脳漿にも、けたけたと壊れたように笑ったまま。
同じように女に触れた手が骨を砕き、肉を切り裂いた。
瑠璃瓶の炸裂弾を扇一枚ですべて薙ぎ払う蠱惑の美女。
これが狐狸精妲己の真の姿。
吹き飛ばされる女をかばうように受け止める男もまた、深い傷を負っていた。
「これが、普賢を傷付けた奴か……」
「確定だね。すぐに行動を起こすことはあれだけど……そうそう、道徳。僕はちゃんと
 約束を守ったんだから高炉を返すんだ」
差し出された手に宝剣を渡す。
柄の飾り部分を外せば複雑な回路と配線を走る銀色の光。
星屑の爆発を封じた銀瑠璃は、宝剣の光に核を溶け込ませる。
使い手が弱いものならば一振りで己の命を消せるほどに。
「回収させてもらうよ。普賢にも通達する」
「好きにしろ」
「目が覚めたら君のお姫様は真っ赤になって怒るだろうね。場合によっちゃ、離縁
 されたっておかしくない行動だ。なにせ、この高炉はあの子の技術の集大成だから」
その言葉にぎり、と唇を噛む。
「明日の昼過ぎに僕は普賢のところに面会に行くけどね。それまでは特に行く用事も予定も
 ないよ。薬の効果はそろそろ切れて、一回目が覚めるころかな?鎮痛剤は寝台の小脇の
 棚の中だけど、あの子は知らないんだよね。おっと……道行のほうも見てこなきゃ」
ばたばたと治癒室に走っていく後姿。
残された二人が顔を見合わせた。
「どういうことだ?」
「……痛いから目が覚めるけど、薬の場所はわかんねぇって。明日の昼まで太乙はいかねぇから
 理由もつけて面会もできるし、謝るなら今だってことだろ?」
「だよな……うん……」
「行ってこいよ。太乙の親切心なんだろうし」







鈍い痛みに目を覚ませばまだ闇はすぐ隣に存在していた。
違うのは自分の手を握ってくれる暖かさがあること。
「……道徳……?」
「やっぱり痛くて目が覚めたか?」
嘘を吐いても仕方がないと少女は目を瞬かせた。
「少しね……失敗しちゃった……」
挫折なくして成長はなくとも、傷跡など必要ない。
瑕疵なき心を護りたいとこの手に抱いた力は是か非か。
「……どうして泣いてるの……?」
ぽたり。頬に落ちる彼の涙。
「……気のせいだろ?泣いてなんかいないよ」
「そうだよね……君は強いから……」
口移しで丸薬を飲み込ませる。鈍い痛みを取り去るための小さな魔法。
灯りをつけなかったのは自分の顔を見られたくなかったから。
「……そうでもないさ……」
統べる終焉、明けの明星はまだ遠く現世故の闇に浮かぶ銀瑠璃の星々。
無意識の伸びた少女の手が彼の頬に触れた。
確かに感じる温かさは彼女が生きているという証となる。
「痛くないか?」
「……ちょっと……左手が動かないみたい……」
「すぐ良くなるさ……少し休んだ方がいいんだ……」
薄闇に光る銀色の髪。
滅びの煌めきに似た光は座標軸の上に作られた偽物の星。
(折れずに砕けたか……ならば、同じ目に合わせるまで……)
呼吸を一瞬だけ止めて閉じた瞼に唇を当てた。
頬を伝う涙の意味を問いかける。
果たして自分のとる行動は彼女にとってはどうなるのかと。
砕月宵闇としてこの恋路に惑うは未だ人としての心があるからこそ。
明けぬ夜の中沈み行くこの思い。
奇想曲に巻き込まれたままに。






空間を使える物の存在はそれだけで稀有で脅威となる。
培養液の中静かに体を横たえた女と二人の男。
「道行はある意味便利っちゃ便利だよな……再生できるし……」
肉の裂け目から見える臓器と白い骨。
「そうだね、確かにある程度なら復元はできるよ」
それでも痛みを感じれば、焦りを感じることもある。
感情と感覚を失えば果たしてそれは由といえるのだろうか?
「あっちにも道行級の空間使いがいるってことさ」
こぽこぽと泡立つ水銀。
「狐狸精妲己……義妹の他にもまだ何か隠し持ってるってことかな?」
「どうなんだか」
「道行の肌は普通じゃ掠り傷もできないようにしてあるよ。開発者はこの僕だ。
 ありとあらゆる崑崙の技術は埋め込んである。ほら」
肩口に突き立てられる火尖鎗。
赤い血飛沫が霧となり傷口を取り囲んでいく。
「!!」
なぞるように蠢いて一瞬で肌はその形を復元した。
「なのに、ここまでやられて帰ってくるってのはおかしいんだ」
「……お前……道徳と同じだろ……」
「どうかな?僕はただ……彼女が自分で死なないようにしてるだけさ。何せ、五千年を
 超えるような仙女は死に対する憧憬が狂ってるからね。大事なものは亡くさなように、
 ちゃんとしなきゃいけないんだ」
彼もまた恋に魅入られた。
その形をゆっくりと歪ませながら。
「狐狸精の首、刈り取るのも悪くない」
「……………………」
「だから完成させた。誰にも負けることのないものを」





銀瑠璃の持つ滅びの煌めき。
罪人の足に絡みつき離れることを知らない。




13:56 2008/12/25




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