『言葉にするのなら ろくでなし』
傾く日差しは人の世と重なり合う。
それは閉じようとする生にもまた同じだった。
「どうして道徳は執行権なんて持ってんだろう」
「もともと査問には関してるからな。真君で執行権を持ってるのはあいつくらいだ」
めずらしく訪ねてきた黄竜真人とそんなことを笑い合う。
仙人の階位だけで見れば若年の普賢の方が真人を持ち合わせている。
「もっと凄い連中も居るけどな」
「?」
師表十二仙はそれぞれが特有の権利を持つ。
道徳真君の造反者への拘束執行権もその一つだった。
先の代からの四人の大仙人、問題はそちらになる。
「道行とか?」
「ああ。あと文殊。あの二人は天尊を持ってる」
半身を宝貝合金に変えた仙女は独自の判断での生殺与奪を行う。
術での空間圧縮を自由とする彼女にのみ与えられたのは暗殺と言う名の手段にあたる。
同じように文殊広法天尊も公式に来訪した以外の物を拘束、査問する権利を持つ。
この二人が常に行動を共にするのはこの理由もあってのことだった。
「じゃあ、おじい様たちも?」
「大法師二人は文殊たちよりもひどいけどな」
懼留孫大奉仕、霊宝大法師の二人は最終査問権を有する。
階位剥奪、仙気封印を実行できる崑崙の大幹部だ。
不死に限りなく近い肉体となり人間界へと降下させられるということは、人の世では生きられない
ことを暗に示してその後の生を苦しみながらにということ。
「まあ、じーさんたちが出てくるほど酷い案件はそうそうないだろ」
「なんで道徳なんだろう」
「もともとは燃燈だったんだが、燃燈の一番信頼してたのが道徳だからだな。それだとは
思うが……そんなに心配することもないだろう?」
「うん。意外とまともなんだって思ったくらい」
「まともか……道徳は近視眼的なところがあるからな。あれが惚れたのがお前で良かったよ」
「目はいいよ。ボクの眼鏡して気持ち悪いっていうし」
野いちご茶を飲みながら男は苦笑する。
黄竜真人はその穏やかな人柄もあって仙人道士問わずに慕われていた。
「ということは、文殊と道行が管轄してるって考えればいいの?」
焼きあがった木苺の菓子を切り分けて男の前に。
「そういうことだ。この間の金鰲の使者もあの二人だったから迷わずに打ち落としたって
俺は見てるけどな。天尊が二人、男と女に与えられたのも偶然か否かってとこだ」
「でも、道行は太乙と」
「今はな。昔はどうだか」
金庭山をのんびりと歩く仙女は崑崙でもと飛びぬけた仙気を持つ。
秘められた過去もまた多い。
「人間だったころはどっかの国のお姫さんだったって話だ」
「すごいね……どうして仙人になってなったんだろ」
顎を擦りながら男は思いをはせるように目を細めた。
「元々あんなに化け物染みた仙気じゃなかっただろうけども……俺が入山したときにゃ
文殊も道行もあんな感じだったしな。それこそじーさんたちなら知ってるんじゃないか?」
「あんまりおじいさまたちと面識が無くて」
「まれに道行のところに来てるぞ。碁を打ちに」
「そのうち遊びに行ってみようかな。色々と面白いお話聞けそうだしね」
手土産にと焼いていた菓子の甘い香り。
誘われるように現れるのは三月精の異名を持つ月霊たち。
「まだできないから、こっちをどうぞ」
皿の上に取り分けた一片を少しはなれた椅子の上に。
とろとろの果汁の掛けられた焼き菓子はいかにも女子が好みそうなもの。
きょろきょろとする精霊に少女はにこり、と微笑んだ。
「いつもお庭に来てくれるでしょ。もっとちょくちょく来てね」
「珍しいな、月霊なんて」
「うちはお花が多いからかな。結構来てくれるんだ」
座りなおして話を続ける。
「太乙はどう思ってんだろ」
「本人に聞くか、道徳を使って聞くかだな。そりゃ」
太乙真人と道徳真君は親友同士。何かと行動をともにすることも多い。
彼女が聞けない話でも彼ならば聞き出せることも多いはずだ。
「そういや、西の国は眠れない夜になりそうだな」
「どうして?」
「歴史に名立たる賢君が幽冥にやってくるってので大騒ぎだ。特例措置で封神台には
行かないからって、楼閣の守人になるとか何とか。幽冥教主も代替わりしても
いいだろうしな」
その賢君は親友の住まうところの主なのは簡単に察することができた。
天命を書き換えることは誰にも許されない。
「それこそ、本来の管轄は天尊位の二人だろうに」
その言葉はのちの引鉄となる。
今はそれすらも知らないままに。
「じゃあ、文殊と道行は天命を変えられるの?」
「それが必要ならだろうが、できるだろうよ。だから滅多な事じゃ天尊と大法師の位は
とれないんだろうな。簡単に操っていいものじゃない」
死ぬことのな身体は生きてもいなこととなる。
それゆえに仙人は人の世から隔離された遥かな存在として成すことができるのだ。
壺中天を敷いて仙道を捕まえ、その生肝を食せば不老不死の薬となる。
名のある仙であればあるほどにその力は強大だ。
「別に肝じゃなくても良いんでしょ?だったらちょっとだけ血とか貰ったら……」
「へたすりゃ未完成の不老不死になるぞ。死にかけに使えば苦しいままずっと死ねないだけだ」
命数はそれだけ大切なもの。
死というものは終焉として存在するのだから。
永遠の夜の中に残れされる偽物の月のような存在。
それが仙道というものなのだから。
「じゃあ……」
「やめとけ。お前が何を考えてるかは分からんが今度こそ道徳が大暴れしそうな予感が
ひしひしとするよ」
「違和感はない?関節を少しだけだけいじってみたんだ」
頷く姿に青年の唇が綻ぶ。
伸びた巻き毛を簪でまとめて女は大きく息を吸い込んだ。
「最近は西の国に行くことが多いな、太乙」
道具をしまって彼は彼女の向かいに立つ。
中に浮かぶことの多い女は大地に足を着けることが苦手らしい。
「眠れぬ国には幽明境があるというに」
「眠れない国?どういうこと?」
「あの国の王は余命幾許。命数を変えることはだれにも認められぬが……功徳はそれなりに
高いから幽冥教主が代替わりに置きたいと申し出てきた」
今の教主はもう千年以上冥界を取り仕切ってきた。
十王と閻魔をまとめ死人への罪を決める重大なる役職。
「月に叢雲、花に風。まだ若いだろうに」
「君から見れば僕だって子供みたいなもんだろう?」
まるで母親が子供にするかのように、青年の額に触れる唇。
「子供扱いは要らないよ、道行」
「道中魔除けにじゃ。まだ夜摩天の真似ごとは出来ぬだろう?」
「君を連れていければ一番いいんだろうけれども、人の世は思ったよりも綺麗じゃないね。
昔はあそこに住んでいたはずなのに。どうしてだろう、穢れて見える」
「この間、揚羽飛美蝶の布地をくれたではないか。人の世はやはり美しいよ」
認識の差はそのまま生きてきた長さに繋がる。
彼女はこの永遠を飽きることなくいくる術を身につけた真の大仙たるもの。
人は転じて妖となり、妖は総じて魔と変わり。
十王連中と酒盛りをし閻魔と碁を打つ仙人は幽明境を分かつことはできないなが空間を
自在に圧縮させる恐るべき力を持っていた。
「あれでもうすぐ一枚作りあがる。儂はあまり縫物を早くすることは出来ぬのだ」
押印を鳳凰とする彼女はまさしく死を操る存在のひとつ。
火の鳥は死してなお灰の中から蘇る。
すなわち須臾の中に生まれるものは永遠を手にすること同じと。
「ああもう!!だから僕はいつも文殊に勝てないんだ!!大体、今回だって僕と道徳と
雲中子が下山させられるのだって文殊や大法師たちを動かすわけにはいかないってこと
なんだろう!!まったくあの狡猾な御老人にも……」
その声を封じる静かな音色。
「太乙」
たん、と降り立って女は青年に視線を重ねた。
「わかってるさ。君が動いちゃいけないことくらいわかってる!!だからって……僕じゃ
五千有余年の波は止められない」
彼の胸に手を当てて、彼女はただ少しだけ俯いた。
「結局は君を手放さないあの老人に反吐がでそうだ」
「あまり汚い言葉を紡ぐな。魂が穢れる」
「……そうだね。過去だけは僕にはどうにもできない……」
「噂に聞く賢君、一度見てみたいものだ」
ともすれば彼女の方がよほど幼い外見だろう。
西を納める男は老賢人の名に相応しい。
「太公望が思い人、老齢なる賢君は名を昌とし幽冥に於いてはその名を……」
「な、なんだって!?あの老人が太公望の本命!」
「ああ。故にあれは西の地にとどまることを選んだ」
埋められない過去を捨てることもできず、少女は愛しい男を看取らねばならない。
その魂は二度と触れることもかなわぬ幽冥に。
死すことのできない仙道は幽明境に渡ることはできない。
正真正銘、今生の別れになるのだ。
「本当に、もうすぐ死んじゃうよ。あの賢君」
「人は須臾ゆえに美しい。人など捨てて見ろ、儂のように化け物になる」
「君は化けものなんかじゃない」
「生きてもいなければ死んでもいない。存在することそのものが偽物なること」
触れていてもどこか遠い。
でも本当は自分が彼女から離れていただけだった。
「不死の?はそう良いものでもない」
死ぬことも転生もかなわない封神計画。
「早く行かねば日が暮れるよ」
「お土産を持ってくるよ。君に似合うようなものを」
夜半の月が美しいと女は天を仰いだ。
目指したのは紫陽洞、件の男の眠る場所。
「誰だ?こんな夜中に」
「すまんな。儂じゃ」
「あ?道行?」
手にしたのは自慢の清酒。傍らの少女に手渡してにこり、と笑う。
珍しく正装した彼女は改まるようにして膝を付いた。
「改まってなんだよ。道行にんなことされっと……」
彼よりもずっと年長者の彼女は、その風格に曇りはない。
「友人がな、送り花をしたいと申し出てきた。しかしながら今は人手が足りぬ。だが、
我ら十二人がすべてここを離れることも許されぬ」
特別措置のとられる西伯候の元には冥界からの使者が赴くことになる。
行く行くは次の幽冥教主となればその処遇は当然に高い。
「もうすぐ西の国は不眠の夜を過ごすこととなる。幽明境はその受け入れ準備でな。
此の度は仙界の我儘も多々ある故に」
「何をすりゃ良いんだ?」
「なに、おぬしらで葬列を作ってくれればいい。銀の蝶と鷲で仙界からのねぎらいにしてやれ」
命数を変えてまで何かを成そうとしたその思いを。
あるべき形にしてやればいいと女は位置付けたのだ。
この世界を巻き込んだ大義名分の大殺戮。
せめて彼女の思い人は綺麗に送り出してやりたい。
「おぬしも動けぬだろ?」
「うん」
「命数の書き換えは誰にも認められぬ。その咎を若いおぬしが負うこともない」
月夜に日傘とは妖怪も近寄れないと女は笑った。
「その日が来たら頼むぞ」
壺の中に閉じ込めた銀河を放てば、幽明の扉が開く。
本来は開祖の役割でもあるのが天帝ならばまだしも送り為される文王のためにそれをすることはできない。
真昼に生み出す深淵たる闇。
浮かぶ深遠の月は仮初。
人ならざるものにしかできない神事と奇跡だということは解るだろう。
その地に身を落とすこととした風の道士の力を見せるにもいいと、二人の天尊は儀式を執り行う。
人の中で人ではない者が生きるのはあまりにも辛い。
「そろそろ頃合か、文殊」
祭儀服を纏う二組の男女の姿。
陰陽と五行を祖として男は拳で壺を打ち砕いた。
広がる光は一瞬で全てを漆黒に変えてしまう。
文殊広法天尊にのみ許された秘奥義の一つ。
「どれ」
躊躇うことなく片眼を抉る指先。
義眼であるとはいえその光景はお世辞にも優しいものではない。
眼球はつぶれて深遠の月と変わる。
滅多に見ることのできない大奇跡はそれだけで彼の人の仁徳を知らしめるには十分だった。
「あとは頼んだぞ」
舞い飛ぶ蝶を導くように降下していく銀色の鷲の姿。
「八部の花よ。満たされてはならぬと満たしてもならぬとな……」
それはたった一人の少女の一枚の写し絵の如く。
咲き誇ればそれは妖となり、少女はすべてを失ってしまう。
その感情はこの計画にはあってはならないもの。
永遠に引き裂くために賢君もまた転生叶わぬ冥界へと封じられるのだ。
「弓引は誰にやらせんだ?」
「もう準備はしてある」
風もない空を一瞬で包み込む真夜中の黒。
浮かぶその月は今がまさに降りてきた夜だという証明になる。
「これは……いったい……」
慌てふためく宦官たちの中、少女は賢君の亡骸の傍に佇む。
昼夜を逆転させるなど波の仙人ではできない荒業。
はためく蝶たちが幻想を呼び覚ます。
「師叔、これって……」
「道徳と普賢の仕業じゃろうが……いや、それだけでは説明がつかぬな……」
その声を遮るように現れる異界の者たち。
静かに一礼して一輪の花を手向けた。
「我らが同胞となるべきその御方、お迎えに参りました」
「幽冥に於いては教主となるべく御方」
少女の隣で彼の息子が耳打ちする。
「おい、太公望……親父はどうなっちまうんだ?」
「破格の取り扱いになるそうだ。次代の幽冥教主となるべく器だと……」
純粋な人間がその階位につくことは滅多なことではない。
それは彼女への敬意に隠した仙界の罠だとしても。
もう二度と会うことのできない永遠の別れ。
死の存在しない仙道は冥界で裁かれることはないのだから。
落魂の儀を終えて帰る一団に少女は深く頭を下げた。
それと同時に砕け散るのは導くべき月。
完全なる青空に支配された葬列は悲しみだけを湛えるように遂行された。
ぎりり、と矢を番える青年は渾身の力でそれを放つ。
黒髪はその気迫で舞いあがり普段の彼からは見られない形相だった。
この結界は師表十二人すべてがそろってこそのもの。
「はずすなよ、太乙」
「馬鹿にするなよ。君はそこで爆風から普賢を守るんだねっ!!」
砕け飛ぶ偽物の月と飲み込まれていた青空が吐き出される。
へたへたと座り込んだ青年の傍らに女が座り込んだ。
「無理をしおって」
「やっぱり肉体労働は分野外だ……」
「おつかれさまだのう、太乙」
これは始まりのための合図。
世界を巻き込んだ大戦争に付けた一つのしるし。
それを知るのはわずかなものばかりの性質の悪さ。
「けど……僕だって役に立つだろ?道行」
恋はだから苦しい。
「虚け者が」
「何だっていいさ」
揺らめくはその思いの深さ。
掛けられた呪いはいまだに解けることはない。
14:07 2008/11/21