『あるがままの心で生きられぬ弱さを誰かのせいにして過ごしている
 知らぬ間に築いていた自分らしさの檻の中でもがいているなら
 ……僕だってそうなんだ』
               名も無き詩






自分の気持ちに気付いてしまえば、単調だった日々は一転して極彩色に彩られる。
「道徳師伯、お機嫌の方が優れないようですが……」
「コーチ、一体どうしたんですか?」
弟子たちの声など耳には届かずに、ただ、そらを見上げてはなにやら思案顔。
彼にしては物珍しく悩みを抱いていた。
それは傍からみても一目瞭然で、心配がちに門下生が声をかけてはみるものの、ただ空を見上げるばかり。
「あっれ〜、道徳はいなのかな?」
「太乙師伯、コーチの様子が変なんですよ」
「道徳が変なのは今に始まったことじゃないよ。どれどれ?」
ひらひらと目の前で手をかざしてみる。
「おや、本当に変だね」
「朝からずっとああなんですよ。なんとかなりませんかね。これでは他の弟子たちにも示しがつきません」
困り顔の徒弟たちに頼み込まれて太乙真人は道徳真君を乾元山へと引きずっていく。
ぼんやりとして、視点の定まらない友人に頭から冷水をぶっかけるとようやく彼は自分の方を見た。
「よお、太乙か……」
「……君、変だよ……いつもなら烈火で怒るのに……」
「あー……うん……」
こつん、と卓上に顔を乗せて彼は目を閉じる。
「どうかしたのかい?弟子たちがみんな心配してたよ」
「……笑うなよ」
「笑わないよ。どうしたのさ」
「……好きな子が出来た……」
あまりにも唐突なその言葉に、太乙真人は言葉を失った。
「好きな子って……君が!?」
「悪いか……俺だってこうなるとは思わなかったんだ……」
「いや、昔は結構君と玉鼎はそっち関係は派手だったからさ。ほら、十二仙に昇格してからはそいうのは
全然聞かなかったし……で、君に惚れられた不幸な子は誰よ?」
よほど面白いのか太乙はあれこれと聞いてくる。
しかも相手を「不幸な子」と称して笑いを堪えているのが分かる声だ。
答えるのも嫌気がさして口を噤む。
「教えてくれてもいいじゃない。そんな顔しないでさぁ」
ほら、と勧めてくる茶に口をつけて彼は小さく口を開いた。
「……あの子……」
す、と指したのは教主からの書物をもって歩いてくる少女の姿。
灰白の髪は日に透けて幾重にも織られた上等な銀糸の様だ。
「……またえらい高嶺の花に惚れたね、君……」
「おう……十分自覚してる……」
「だったらシャキっとしなよ。ちょっとカッコいいとこ見せてやったらいいじゃないか」
普賢はゆっくりと歩く。自分の歩幅を変えることなく。
それは彼女の進み行く道を指し示す様にも思えた。
誰に頼るでもなく、自分の力だけで前に進む。
「太乙さま、ご機嫌の程は?」
「天気もいいし、友達も来てるし悪くなる条件は無いね。普賢」
軽く頭を下げて彼女は書物を手渡す。
「では、これで……」
「折角だからゆっくりしていきなよ。丁度道徳も遊びに来てるんだ」
「道徳さまも?珍しいこともあるんですね」
「珍しい?」
「いつも、洞府で修行なさってるものだとばかり」
同格だといわれても彼女は先達のものに対する礼を欠くことは無い。
「野郎ばっかりとお茶飲んでも楽しくないから。甘い物とかもあるし」
「……じゃあ、少しだけ」
細い背中を軽く押す。
(なるほどねぇ……意外って言ったら意外だけれども、好みの範疇に入ってるんだろうねぇ)
勝手知ったる同期の姿。過去の戦歴と普賢を照らし合わせれば降って沸いた恋だというのがありありと分かる。
かつての彼は健康的な美女を好んだ。
それと並べるならば儚げで脆そうなこの少女は正反対の位置に居るのだ。
(まぁ、守備範囲が広いんだろうね……)
肩も、腕も、構築する全てがまるで細胞から小さいかのように線の細い少女。
長い睫と、大きな瞳が一際目立つ。
「こんにちは、道徳さま。この間はありがとう御座います」
「具合はもういいのか?」
「はい。おかげさまで大分」
出された杏仁豆腐に嬉しそうに口をつける。道士と言えどもまだ若年の少女。
甘いものはやはり好きらしい。
「お茶、持ってくるよ」
太乙は普賢に気付かれないように笑って席を立つ。彼なりに気を利かせての行動だった。
「好きなのか?それ」
「うん……こういうのは好き」
「そっか……」
何を話せばいいのか。意識してしまえば臆病になりすぎて言葉が出ない。
話したいことも、聞きたいことも本当は溢れて止まらないのに。
きっかけが掴めないまま、悪戯に時間だけが過ぎていく。
「そろそろ戻らなきゃ」
「もう少し、居たらどうだ?」
そんな味気ないことしかいえない自分に嫌気がさしてくる。その手を取って引き止めたいと思うのに。
片道の恋がこんなにも苦しく、胸が詰まるものだとは思わなかった。
言葉は悪いが仙女に不自由したことは無い。
多少の負けはあったが連戦連勝。それが当たり前だとも思っていた。
「玉鼎さまに呼ばれてるし。この間分からなかったところを教えてもらおうかと」
自分同様に玉鼎真人も十二仙に在籍する一人。
そして、過去に浮名を競った相手でもある。
(まさか……あいつ……)
どういうことか狙う相手は同じことが多くそのたびにぶつかりもした。
だが、お互いに仙人に昇格してからはそんな浮ついた話も多くは無くなっていた。
「今度は道徳さまの所にお邪魔しますね」
「待て……丸腰であいつの所には行くな」
「?」
(普賢だけは絶対に駄目だ!!玉鼎の手癖の悪さは仙界一なんだから!!)
とろんとした瞳が穏やかに笑う。
(やっぱ……可愛いよな……)
薄い唇も、細い指も。触れればそれだけで壊れそうで手を伸ばすことを躊躇ってしまう。
それでも、あの日に重ねた唇の感触が忘れられない。
「でも、そろそろ戻らないと原始様にも怒られちゃうから……」
「なら、送ってく。また倒れたりしたら心配だから」
口実を作って離れる時間を引き延ばしたいだけ。もう少しだけ、一緒に居たいのは本心だから。





虚玉宮までの道のりを、来た時と同じように普賢はゆっくりと歩いていく。
「ここに来てから丁度十回目の秋。時間がたつのって凄く早いなって思う」
落ちてくる赤い葉を受けながら、彼女はそんな事を言う。
崑崙での時間は穏やかで、四季を愛でることなど何時しか忘れてしまっていた。
繰り返される平穏で同じ日々。それは白と黒しかない世界。
「綺麗だと思わない?ここの樹木はみんな生命に溢れてる」
彼女の生まれた土地は一年の半分を冬に支配される北の大地。
僅かな春と、それに付随した夏。逃がさないように秋を捕らえて来るべき冬に備える。
全てが暖かい色に染まり、真白な冬を待つための季節を彼女はこよなく愛した。
「本当は紅葉なんて命の終焉なんだろうけれども……最後まで鮮やかに散れるっていうのは綺麗だと思うの。
散り際まで誰かを幸せに出来るなんて……」
自分とはまったく対極の位置に居る少女。
肩が触れるほど傍に居るのに酷く遠く感じた。
その細い肩も、何もかもこの腕の中に抱きしめたいのに出来ない臆病な自分が居るだけ。
「道徳さまはどの季節が一番好き?」
「え……」
紅葉を一つ取り、くるくると回しながら普賢はそんな問いかけをした。
「季節……か。言われるまでそんなものがあることも忘れてたよ」
「やだ、こんなに綺麗なのに?あきれた人」
足元に積もった色とりどりの葉を両手で掬い彼の方に向かう風に乗せる。
視界は鮮やかに染まり忘れていた何かを思い出せるものがあった。
「春には優しい花が咲くし、夏は翠が眩しいでしょ?秋は成熟期。冬は……」
「始まりと終わりの季節か?」
「なんだ……知ってたの」
冬が来れば春は遠くなく。疲れた身体を休めるための季節。
「青峯山にも季節はあるはずなのに」
「時間って概念が無くなるんだよな。今度からはちゃんと見るよ。窓から確か大きな樹が見れたはずだから」
駆け抜けた日々は眩しかったはずなのに、地位というものに縛られてからは何もかもが同じに見えた。
その景色の中、彼女だけが色を持ち、風景を染め上げていく。
「雪が降ったらウサギも作れるし、雪の光で本だって読める。寒いけども、あったかい季節……」
遠くを思う瞳。その目に映りたいと思うのは欺瞞だろうか。
大仙と呼ばれても、師表に名を連ねても、拒絶されることが恐くて何も出来ない。
「ウサギ?」
「こんな感じの」
指ですい、と描く。丸い身体に南天の赤い瞳。松葉の耳は長く伸びて小さな小さな雪ウサギ。
(意外と子供っぽいところもあるんだな……)
少し大きめの紅葉を取って、灰白の髪に挿す。
不思議そうな顔で彼女は彼を見つめた。
「簪でもあればいいんだが俺はそういうものを持ってないから」
「ありがとう。飾ることなんて忘れてた……」
道士である以上は女であることを捨てることを求められるこの地で、彼女は生きていく。
この先、仙人として昇格してもそれは変わらないことであり、おそらく彼女自身もその禁忌を破ろうとはしないだろう。
「本当はこれも、ダメなんだけどね」
右耳の小さな耳飾。
度胸試しに開けた穴に母は「こんなことしちゃダメよ」といいながらも自分の飾りの片割れを付けてくれた。
それは普賢が唯一、下外から持ち込んだもの。
たった一つ、家族とつながりを示すものだった。
「片方だけ?」
「兄と度胸試しに。成人の儀式の真似事」
「家族に会いたいと……思うか?」
「……一族は皇后の民族狩りに合いました。ボクだけが残ってしまって……」
赤く染まる視界。逃げ惑う友はみな衛兵たちに首を斬られた。
染み込んだ血の匂いが今も取れない気がしてならない。
父は強く、優しい男だった。厳しい面もあったが娘達には殊更優しくよく兄がぼやいていたのを憶えている。
その傍らで母はいつも微笑んでいた。時間があれば自分たちに物語を読み聞かせ、眠れない日には抱いてくれた。
この髪と眼の色は母の血を色濃く継いだことの証明。
多少、気の短いところのある兄は冒険と称して自分を連れ出すことが多かった。
長槍を手に二人して草原を走り回り、帰りが遅くなっては父にきつく叱られた。
それでも懲りずにこっそり抜け出しては知らない景色と太陽を追いかけていった。
長い長い影を作って、二人並んで歩いたあの小道。
幼い妹はどこに行くにも自分の傍を離れない。あやしながら抱き上げたその柔らかさ。
何もかもがなくしてしまった風景。
「普賢?」
はらはらとこぼれる涙。
指先で触れてそれが涙だということを認識する。
「あ……」
止めようとしても止まらない。抑えていたはずの感情は堰を切ったように溢れてしまう。
「ごめんなさい……」
それは自分だけが生き延びてしまったことへの懺悔の言葉。
父は母を庇い胸に剣を受けて息絶えた。
兄は自分と母を庇い殷兵の槍に倒れた。
短剣でかわしながら母は旅の商人に自分を引き渡した。
幼い妹は自分を逃がすのに足手まといにならぬように、母はその胸に抱いたまま。
伸ばした手は届かずに、ただ宙を掴むしかなかった。
「ごめんなさい……」
両手で顔を覆い、声を殺してなくしなかった。
それは今も変わらずに。
泣き方を忘れてしまった子供。
「……普賢……」
今度は躊躇わずに細い身体を抱きしめた。
自分に今できることはこれだけで。
必死に声を殺して嗚咽を消す彼女の痛みを少しでいいから振り払ってやりたかった。
出来上がってしまった過去は消すことが出来ない。
それでもその縛る過去を一瞬でいいから忘れさせたかった。
「泣いたっていいんだ……俺しか居ないから……」
どれだけ強がっても、大人びて見せても、まだほんの子供なのだ。
「……すまない……傷を抉った……」
膿んだまま、隠し通してきた傷口。治癒する術も知らず、ただ痛みを誤魔化してきた。
他人に頼ることも、心を許すことも無くこの十年は自分を鍛えぬくことだけに使ってきた。
からかい半分に手を掛けてくる道兄たちの手を捻り、教主の懐剣は美しく成長を遂げていく。
未完の強さと同居した脆さ。
「……どうしたら……強くなれるの……?」
この心の弱さで、もう何もなくさなくていいように。
沈み行く大きな太陽はあの日に見た光景と同じ。
夜は嫌いだ。夢は自分を掴んで離さないから。
「……どうしたら……いいの……?」
繰り返す赤い夢は溶けない呪縛。生き延びてしまったことを責めるかのように絡み付いて離さない。
ぎりぎりと縛られた心が悲鳴を上げる。
耳を塞いで、聞かない振りをしても鼓膜の奥底に直に響いて脳を侵食するのだ。
「……どうしてボクだけが……生き延びてしまったの……?」
「きっと……世界が普賢を必要としたんだ……天命……だったんだよ……」
「そんな……天命なんて要らない……っ……」
それは彼女が呟いた、たった一つの真実。
決して他人に見せることの無かった弱さ。
言葉なんて無意味で、慰めにもならないことは分かっている。
「俺は……普賢が生きててくれて良かったって思う……」
それでもその言葉さえなければ心は酷く脆弱になってしまう。
頼りないその小さな肩に運命は容赦なく降りかかるから。
払うことも知らないで、ただ、その身を晒すだけ。
泣いているのが分からないように、雨の中を一人で歩く。
君は小さく、弱い子供。
「生き残るものには理由があると思うから……それが何なのかは分からないけれども……」
心音が重なるほど傍に居ても。
「だから……自分が必要ないなんて思わないでくれ……」
その心には触れさせてくれない。
「……普賢……」
欲しいのは不特定多数を守りうる力ではなく、一人の少女を護るだけの力。
たった一つの大切なものを守れるだけの力が欲しい。
この腕の中、声を殺して泣くか細い魂を。
苦しめる全てのものから守りたいのです。
それが例え自己満足だと言われようとも、自分を守る術を知らないこの少女を。
この雨の中から救い出したいのです。




虚玉宮からの帰り道、ぼんやりと降り落ちる紅葉を見上げた。
季節を愛でる彼女はこの秋が好きだという。
彩り鮮やかに、世界を染め上げて終焉に向かうこの季節を。
(お前に降る雪を、払ってやることは出来ないのか?)
どれだけ日々を重ねても、彼女は未だその呪縛から逃れられず凍りついた檻の中に居る。
(強さが欲しいのは俺だ……たった一人を守ることも出来ないなんて……)



ただ、守りたいと思うこの気持ち。
君は弱く小さな子供。








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