『世界は見えぬ翼その黒影に隠された 純白の一羽射止めよ』






呉鉤剣を手にして少女は岩の上で禅を組む。
剣先に触れる光に瞳を閉じてその風の流れを読んだ。
「普賢」
男の声に静かに銀の瞳が開く。
「慈航。どうかしたの?」
同じ師表の一人慈航道人の姿。
普賢真人よりもむしろ道徳真君との間柄のほうが彼は深い。
そして、前任者の燃燈道人とも。
「モクタクも参戦しちまったんだってな」
「うん……寂しくなっちゃった……」
僅かに伏せられる睫の長さ。彼女の醸し出す色香はほんのりと誘うから性質が悪い。
道衣から覗く肌の白さ。
「道徳のところもそろそろだろうな。モクタクとそんなに時期も変わらないだろ?」
違うのはその心の持ちようだと少女は心中でつぶやく。
「まだ危なっかしくて無理って言ってた」
「一二仙で一番危なっかしいやつから出た言葉かよ、それ」
少女の指先が文字を打ち込みその瞬間に起きる小規模爆発。
転がる同胞の無残な姿を一瞥して普賢は眉を寄せた。
「修復師呼ばなきゃ。ああ、始末書も書かなきゃいけないね……」
「お前……本気でやったろ……」
「本気でやられるようなことをするからでしょ。ボク、無意味な争いはしたくないんだけども」
頭の中で繰り返されるのはこの先の未来図。
与えられた未来に満足なんてしていられる体ではない。
「ねぇ、慈航」
「ぁん?」
生成りの桃を齧りながら青年は少女を振り返る。
風に泳ぐ白銀の髪。
さながら白い支配者にも思えるように。
「ボクたちも、封神計画の遂行者になりそうだよ」
「なんだよ……それ」
「望ちゃんや天化たちだけですべての仙人なんて封神できない。だからボクたち十二仙も
 影となって出陣する。もちろん、あちらが表立って動けないようにね」




風の香りはもうじき冬を告げる。
彼の指先が切り裂く空気も少しばかり冷たくなってきた。
「よぉ」
珍しく道服を纏った親友の姿に男は困ったように笑う。
彼が尋ねてくるときは大半が面倒事を持ち込むときだからだ。
「なんだよ、珍しいな。慈航」
「酒飲まねぇか?あ、普賢とこか」
「いや。そう毎日一緒に居るわけじゃないさ。大したもんは出せないが久々に俺も
 お前と飲みたいよ」
彼女が真実をまだ彼に明かさないように、彼もまた少女にすべてを見せない。
欠けたる月の美しさを愛でるように細まる瞳。
「宵の口だけども始めるか?」
「あぁ」
肌に触れる暖かさはなくとも、古傷に隠された小さな思い出たち。
散り行く紅葉たちは命にも似ていて人の世の洛陽を思い起こさせる。
切に感じる、己が人ならざるものであることを。
そして誰よりも縛られる男としての性に。
「お前、変わったよな」
親友の言葉に彼は言葉少なめに頷いた。
この腕が誰かを守るために存在すると再び認めたあの瞬間の血流の熱さ。
「まぁ、俺も男だったんだなって……」
煙草に火を点けて紫煙を吸い込む。肺を刺すような痛さもいつしか消えてしまった。
時の流れは体だけではなく心をも成長させて。
彼女を守れるだけの力をいつの間にか与えてくれていた。
「俺、お前は雲中子みたいなの一緒になるんだと思ってた」
空になった白磁に酒を注いで道徳は目を瞬かせた。
まさか、と声を殺して笑って親友の肩に手を回す。
「馬鹿言え。命が何個あったって足りねぇよ」
「そりゃ、御宅のお姫様だってかわんねぇだろ」
「かわし方があんだよ。あとは、あれか?愛の力ってやつよ」
純白の鳥を一羽射止めた。その羽を優しく手折って。
逃げることさえも忘れさせて籠の中、静かに囀る。
ああ、しかし彼は気が付かない。
鳥はその毒を持って彼のすべてを支配するために遣わされたものだと。
その翼が羽ばたくたびに生まれる麝香。
「俺だってお前はてっきり道行師伯に特攻掛けるもんだと思ってたけどな」
「そ、それは……まぁ……太乙真人なら良いかもなってさ……俺なんてまだまだガキにしか
 見られてないだろうし……大仙の足元にも及ばねぇし」
痺れた体を開放する術を手に入れるように。
見えない糸を手繰り寄せて祈りをささげることにも似ている。
「なあ」
「あん?」
「お前、なんで普賢だったんだよ」
恋に理屈などいらない。
この腕で二人抱きしめあえたならと願っただけ。
胸の中でぐるりぐるり、渦巻いた感情を抑えることの苦しさ。
吐き出してすべて君に投げ出してさらけ出した。
「何でって……わかんね」
自嘲気味に笑う姿に親友の柔らか変貌を今更ながらに知る。
月光は彼を悲しいほどに美しく照らし、彼女の思いを告げるから。
「俺も、ちょっとは良いかなって思ったけどよ」
「何だと!?」
「昔の話だよ」
笑い話に返せるように、この恋は誰のために咲くだろう?
君に会えない夜ほど、君を感じることはないように。
「ま、俺は命のほうが大事だからな」
盃に写る月の美しさよ。
「うるせぇよ。男だったら女守って本望だ。そんで俺は男なもんでね」
ほろ酔い優しく風を届けて。
「お前たちははた迷惑な恋人たちだからな。仙界一の」
月も笑う真冬の手前。
「かまわねぇよ。俺ぁ幸せだからな!!」
一足ごとに近づく寒さを理由に君の隣に並びたいから。





浮かんでは消える数所の羅列。
緑の粉は光に変わり彼女を包み込む。
封神台の内部を管理するのは人工頭脳と話には聞いていた。
繊細な魂の管理をするにはそれ相応の技術が必要なのもわかっている。
「おかしいなぁ……ボクの見間違い?」
内部を泳ぐように進む影に目を凝らしても、その正体はまったくつかめない。
普賢真人の役割は封神台の内部管理。
直接の設計には携わっていないのだ。
「明日、太乙に聞いてみよ。何かあったらボクが怒られちゃう」
鏡が割れる直前のような妙な胸騒ぎ。
こんなときに一番傍にいて欲しい人に抱えている秘密。
画面に浮かぶ熟れた月は彼女と彼を等しく照らす。
「こんばんわ、普賢」
「雲中子」
「どうしたの?道徳の馬鹿は一緒じゃないの?」
女の言葉に少女は首を横に振る。
感情を表すかのように彼女の周りを漂う文字たち。
「こら!!消えろっ!!」
「あはははは。寂しいってのは出ちゃうからね」
ため息が夜を刻んで長い長い闇路に。
「ね、封神台の中に影があるんだけども」
止まらない秒針に触れる指先から流れ落ちる赤い体液。
「気にしないほうが良いよ。よくあることだから」
滴り落ちたそれは錆を生み、その動きを緩やかに封じていく。
純粋であるほどに人は狂気に似た何かを抱くように。
彼女の瞳に写る光がこの先も変わらぬ保障は何もないのだ。
「会いに行ったら?道徳に」
「んー…………」
「好きなんでしょ?」
輪まで赤く染め上げて、乙女十七花盛り。
「……うん……」







吐く息も白く凍えそうな夜。
月明かりを灯篭に閉じ込めて君の元へと行こう。
足に絡まる草に輝く雫の冷たさ。
ああ、世界はこんなにも優しく息衝いている。
「こんばんわ」
「んぁ?普賢?」
零れる酒気の香りに少しだけ眉を寄せても、彼の笑みにすべてが解けてしまう。
「お酒飲んでたの?」
「さっきまで慈航が居たからな……ちょうどお前のこと話してて……」
崩れるように抱きついてくる恋人を受け止めてその肩口に顔を埋めた。
暖かな体温と彼の匂いが不安など涙を海に溶かすように消してくれる。
「天化は?」
「太乙んとこ行った。道行に剣舞見させてくれって言われてさ……普賢……」
耳に触れる唇に肩が竦む。
首筋に咲く小さな赤い花。
「ね、すっごく寒いの」
「んじゃあっためてやるよ」
「そうじゃなくって、ね、一緒に来て」
大きな手を取って庭先へと駆け出す。
月の中心から生まれるように振り出す淡雪。
その光の艶やかさに零れたため息の白さ。
「……綺麗……」
後ろから抱き竦められて瞳を閉じる。
「初雪だな」
「うん……今年もあなたと一緒に見れた……」
顎を取る指先に応えるように視線を絡ませる。
重ねた唇が熱くてこの寒さなど消えてしまいそう。
「少し、寒いね……」
「あっためてやっからよ……もう少しだけこうさせてくれや……」
不安なのはおそらくは彼女よりも彼。
不安定な彼女を繋ぎ止めるだけの楔がない、と。
「道徳?」
「綺麗だな……綺麗過ぎてどうしたらいいかわかんねぇんだ……俺にも……」




指先を削って何を刻もう。
真白の羽先が文字を記す。





0:00 2007/11/23



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