『ほら、運命の人は傍に居る。ずっと君を見ていた』






銀色の髪を風が誘う。
親友の快挙は瞬く間に仙界へと伝わってきた。
妲己の手下の陳桐を封神台へと飛ばしなおも邁進中だと。
「綺麗に言いすぎてる気もするけども……」
「良いんじゃないか?それくらいで丁度だろ」
炉にくべた菓子の焼け具合を見ながら少女はのんびりと空を仰ぎ見る。
すぐ隣ともいえるもう一つの仙界とはまったく縁もないと呟いて。
理想は夢に描くからこそ美しいのかもしれない。
「お天気も良いし、お菓子ができたら少しお散歩に行こうよ」
少女の申し出を断る理由は無い。
二つ返事で了解して男はのんびりとその時間を待つ。
逆立ちから変形させて指先一つで己の身体を支えて。
「道徳、疲れない?」
「全然。慣れてるしな」
体制を戻して恋人を抱きしめる。親友の旅立ちを見送ってからも彼女の負担は減ることが無い。
むしろ心配事が一つ増えたといっても良いだろう。
「あ、おいしくできたかな?」
表面に仕上げの蜂蜜を刷毛で塗って、それを紙を敷いた籠に詰め込む。
甘い香りが部屋中に広がり食欲をそそる。
「どこで食べようかな」
「どうせなら、朝歌に行ってみないか?太公望の観察も兼ねて」
「でも……邪魔しちゃったら……」
いつも俯き加減。曇りがちな表情。
「だからこっそり。上空から見るぶんには問題ないだろ?」
その言葉に少女の顔が輝く。
大輪の花のような笑顔と果実のような濡れた唇。
「うん!!」
抱きついてくる体を受け止めて、その背中をぽふぽふと叩く。
「道徳大好き」
「そりゃどーも。黄巾は俺が操縦すっから」
ふにふにと柔らかな頬が触れて彼女が心底うれしいことを伝えてくれる。
念には念を入れてと男は懐に莫邪の宝剣と鑚心釘を忍ばせた。
金鰲島の仙道を封印するこの計画はすでにあちらにも知れている。
自分たち十二戦が表立って動かないのも金鰲の十天君を牽制する為。
(普賢に余計な心配はさせたくないしな……)
緋色の腰帯をひららとはためかせて少女は籠を抱え込む。
王都朝歌は妲己の根城、丸腰で行くほど彼は愚鈍ではない。
「普賢、太極符印持って行くぞ。危険なことに変わりは無い」
その手の内に飛び込むなら覚悟は必要。
微笑みと裏腹に彼はしずかに目を細めた。





人々の賑わいに飲み込まれそうな街とまばゆさに少女は歓喜の声を上げた。
「すごいねー、こんな大きな街……」
降り立ってたしかめたいところをぐっと飲み込んで普賢は視線を投げる。
仙道が人の中に混ざることは由とされない。
それは仙号を持つ彼女が誰よりもわかっていること。
「望ちゃん見つけられるかなぁ」
風が前髪を擽って形のいい額が笑うように。
快晴の空を飛ぶ二人の姿。
「申公豹、珍しい人たちがいるよ」
霊獣の頭を撫でる指先。
切りそろえられた栗色の髪と碧眼の道士の姿。
道士のまま最強の名を欲しいままにした男、申公豹。
二つの仙界どちらにも属さずに中立を保つ。
ただ一人、太上老君に師事した道士。
「仙界きっての頭脳と肉体の二人ですね、黒点虎」
雷公鞭を一撫でして男はふん、と頷いた。
普賢真人の親友太公望は今まさに妲己の妹妃王貴人を討たんと策を講じている所。
「追いかけてください。太公望がより戦いやすくあるように彼女に雑魚を処分させましょう」
「いいの?そんなことさせて」
「崑崙の現段階での戦力も見れますよ。面白いじゃないですか!!」
道徳真君はある程度の強さが実証されているが普賢真人は未知数。
齢百にも満たぬ仙女のその才気。
「何よりも普賢真人は太公望の親友……どうです?黒点虎」
どれだけの強さをもってして師表十二仙となるのか。
道士のままで仙となることを拒んだ男には興味深いものだった。
「さあ、わかったら行きますよ。黒点虎」
「はーい」
じっと親友の姿を見つめる少女に静かに近づく姿。
男の剣が一線走り、彼の紙を一筋断つ。
「これはこれは、道徳真君」
「……根無し草の申公豹、久しぶりだな」
少女を背後に守るようにして青年は男を睨み付けた。
「せっかくあなた方に面白いことを教えようと思ったのですが」
雷公鞭の先から生まれる火花。
それを消したのは男の剣光だった。
最強と歌われる道士と腕一つで師表に登りつめて仙となった男。
割り札は申し分ないと男は霊獣の頭に手を置いた。
「太公望が妲己の妹姫、王貴人を討とうとしています。まだ七十に少し毛が生えた程度の
 彼女と千を超える石琵琶の貴人……どちらが強いかは明白です」
殷王朝を何度も狂わせてきた三姉妹の末妹。
その強さは今の太公望が太刀打ちできるものではない。
「しかし、王貴人程度で死ぬようならばそこまでの器でしょう」
「そうだろうね」
符印を抱きなおして今度は普賢が静かに答えた。
妲己本人と討ち死にするならばまだしも、教主の直弟子が三下にやられるようでは話にならない。
「もし、そうならばどうしますか?普賢真人」
「簡単なことだよ。十二仙を以って妲己を討つ」
申公豹は仙となることを捨てた者。しかしながら有り余る才気を持つ。
「そのときはもちろん、君から討たせて貰うよ」
すべてが対照的で非対称。まったく異なる二つの魂。
「良いでしょう、合格です」
傍観者は代行者を見つめ、遂行者とついに出会う。
瞬き一つで歴史は変わり蠢き行く。
ただ一人を選ぶために。




石琵琶の貴人は少女を相手に華麗なる羽衣で舞う。
風の道士の力はまだ微弱。その智謀を以って望む姿は頼りない。
「いけない!!風で燐粉が!!」
空気中の分子を凍結させて普賢は毒粉をすべて凍らせて散らせて行く。
直接的な援護はできなくとも自分にできる立ち回りを二人はとる。
「おや、こんな所にも崑崙の仙道が」
二人を白煙が取り囲む。
細かく編まれた緋色の髪を頭頂部で一纏めにした美丈夫。
両手に携えた炎は赤と青。
金色の瞳は猫のように爛々と輝いて淫靡に歪んだ。
「王貴人がやられろうだから笑ってやろうと駆けつけたけれども……こっちで遊ぶ方が
 面白そうだ」
ぺろ…舌なめずりをして男の瞳が少女を捕獲する。
「君は、誰?」
「俺は噴火島の羅宣」
島を持つ仙道ならば金鰲のもの、それもそれなりに位のあるものだろう。
「珍しい。銀色の女なんてそう見たことないな。美味そうだ」
「普賢、下がってろ。こいつは俺がやる」
男の右腕にかかる指先。少女は静かに首を振った。
「待って。ボクに……ボクに、この太極符印を使わせて。実戦で使ったことはまだないから」
迫り来る炎に微塵ともせずに少女は指先を球体の上に滑らせていく。
これまでの宝貝とまったく異なる崑崙の最高傑作の一つ。
万物の根源を組み替える唯一無二なる対極の陣。
「その炎……全部消してみようか」
符印が青白く光り羅宣の炎を瞬時に凍らせてしまう。
ぱららと砂でも落ちるかのように砕け散るさまに普賢の唇が微笑んだ。
「次は右腕」
指先が数値を刻み込み羅宣の右腕が凍りつく。
その冷たさは南海をも凍りつかせられるほど。
「そうか……それは受身の宝貝か!!」
長剣を手に飛び掛かるのを避けながら少女は思案する。
太極符印の大まかな使い方はこれでわかった。
そして今度はどうやって羅宣を討ち取るかと。
(ある程度余裕がないと難しいね……けど、これはボクの宝貝。ボクだけが使えれば良いんだ)
剣先が頬を掠める。
「!!」
呉鉤剣をとるにも間合いが悪い。
「え……!?」
光、一閃。
斜めに切り裂かれた男の体が少女の目の前で静かにずれていく。
「面倒だから俺が斬った。符印の使いかたはもう大丈夫だろう?」
見れば彼の周りには何人かの仙道の躯の姿。
同じように物見有山に来た金鰲の使者を男は迷わず莫邪で一刀斬したのだ。
形あるものはすべて切り裂く莫邪の宝剣。
清虚道徳真君の剣は飾りではない。
「ありがとう」
「帰ったら始末書だ。元始さまには二人で絞られよう」
「うん」
恋人の傍に近寄ってそっと手を伸ばす。
誇りで汚れた頬を指で拭ってそっと唇を押し当てた。
「ありがとう。道徳」
「ん……当たり前だろ?好きな女守れないのは男じゃねぇ」
飛び行く魂魄に男は眉を寄せた。
封神台の作用をその目にするのは二人ともはじめてだ。
「なるほどな……ああやって収監するのか」
十二仙の二人が撃ち取ったとなれば金鰲の幹部である十天君も黙ってはいないだろう。
しかしながら何もせずに拱いていたならば遂行者である太公望が討たれたのも事実。
「どうしたらいいの?」
不安げに見つめてくる銀色の瞳。
一片風が花びらを運ぶ。
「どうもしないさ。俺たちは俺たちのやるべきことがある」
「ボクの行動は正しいの?」
少女は問う、その心を。
「俺はお前がどんなことをしたってそれが間違いだとは思わない。もしも、お前が本気で
 道をはずすことになったらそのときは俺も外れるってことだろう」
彼は答える、自分の心を。
はるか昔に見たあの光景。自分の前で次々に倒れていく人たち。
「道徳はボクを置いていかないよね?一人で死なないよね?」
そして彼女が何を不安に思うのかを知る。
まだ幼いままの魂の行く末。
「死なない。俺はずっと普賢と一緒に居るから」
「本当に?」
「嘘なんて吐かない」
真昼の月だけが知るこの恋の行方。
「泣きそうな顔してるぞ」
この腕の中に抱きしめてずっと離さずに閉じ込めてしまいたい。
片羽を折って鳥かごの中に。
それでも銀の鳥は片翼でも空を諦める事などしないだろう。
失墜するとわかっていても飛び立つ。
「泣かないもん」
「怖いか?誰かを討つ事が」
「…………うん…………」
魂を封じることと奪うことの何が違うのだろうか。
生殺与奪の権利など誰にも存在などしないのに。
「目、閉じてみろ」
「?」
「いいから、ほら」
言われるままに目を閉じればその上から彼の手がいっそう光を遮る。
気配で彼の顔が近付くことがわかって。
暖かな仙気が手のひらから体に流れ込んで来るのを感じた。
「嫌なもんは全部飛んで行け。俺の普賢に近付くな」
「道徳?」
「おまじないだ。天化がちっちぇころにこうやってたんだ」
彼の口からそんな言葉出るとはまったく思いつかずに少女は声をあげて笑った。
「素敵なおまじない」
「ほら、笑った」
「あ…………」
不安など彼が消してくれる。
当たり前すぎた彼の隣という場所に溺れていたのかもしれない。
「全部一人で抱えんな。俺もいるし、太公望だっているだろ?」
どんな小さな光でも、絶えず灯し続けて。
「うん」





始祖に先刻の非礼を詫びて己のとるべき道を問う。
老賢人は二人を咎める事はなく素知らぬ振りをするだけ。
「かまわぬ。こちらもかつて道行天尊を半死に追い込まれた。その借りを返したとしても
 まだつりが出るであろうて」
本来は師表が参戦することは許されざること。
階位剥奪も止むを得ないとされるはずだった。
「太公望一人で三百以上の仙道を封じることができるとは儂も思ってはおらぬ」
「……どういうことです?元始さま」
遂行者は確かに一人。
「ぬしらにも動いてもらおうぞ。ただし、今回のような行動は以後厳禁じゃ」
「はっ!!」
玉虚宮を出て顔を見合わせる。
歴史の流れを知るために必要な行動。
親友は妲己の末妹を封じていまや禁城に乗り込まんとしている。
「直接に手を出さずに、戦えっていうことなのかな?」
「さぁな。ばれねぇようにやっちまえってことでいんじゃないか?」
この体の内側から生まれ来る不穏なる感情。
じわじわと蝕むような感触に唇を噛む。
「ねぇ」
「ん?」
「これは殺業と何が違うの?」
その瞳に囚われて、息ができないほどに。
「ボク立ちは…………神様じゃない。命の選択なんて……」
言いかけた言葉を男の指先が唇に触れて遮った。
「ああ。死にたくないから戦う。いや……死なせないために戦うんだ」
戦の神は古来より美しいといわれてきた。
靡く髪をかき上げて天を仰ぐその姿。
それは強さだけではなく躍動と己の信じるものが確固たるものにものみ許された光。
そして、守るべきものを知ることの勇気。
「行こう、普賢」
差し伸べられた手をとってどこまでも進めるのならば。
過ちなど恐れる必要などないと信じられた。




ただひたすらにその運命を見つめて。
針を進めて瞳を閉じた。






15:57 2007/05/28











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