『いつか太陽が消えてなくなる前にもっと……あなたを好きなこと伝えなくちゃ……』






始祖に目通りするなどめったになく、少年は謁見を終えてため息をついた。
正式な勅命が下った今、彼も立派な戦士の一人。
「あ、太公望師叔」
駆け出して少女の手を少年は取る。
黒髪を結い上げた少女は静かに足を止めた。
「モクタク。普賢と一緒に玉虚宮とは珍しい」
「緊張した?モクタク」
白の長衣の端を摘んで歩きにくいと口を尖らせる。
それでも正式な場に出るにはそれが礼儀だと言われれば従うしかない。
「面倒です。けども……俺がどこまでできるのかっていうか……」
「おぬしの力じゃ。誰よりも理解してくれるものが隣に居るではないか」
最大の理解者が一番近くに居たことは、どれだけ時間が過ぎてから感じただろう。
自分が戦地に赴けば彼女は眠れない日々をきっとすごす。
この少女だけはどんなときも目を逸らさずに傍らにいてくれた。
「わしも爺の呼び出しじゃ。また文句言われるのかのう」
運命の足音はそこまできていて。
君の決断の日は遠からじと。
「そんなことないよ。怒られるまえにいったほうがいいよ、望ちゃん」
すれ違う一瞬でも少女は女に変わり行く。
この二人もまた然り。運命ごと寄り添ってきたはずなのに。
「モクタク、先に戻ってて。ボクはちょっと拠る所があるから」





「文殊はいる?」
めったに来ない少女の姿にモクタクの長兄は丁寧に礼を取る。
彼もまた同じように勅命を受けた者。
「師匠!!普賢真人さまが来てますぜ!!」
「おぅ、小娘。どうかしたか?旦那が何かやらかしたか?ん?」
色眼鏡を指で押し上げて、男は少女を見据えた。
前代からの十二仙の一人がこの文殊だ。
「何かやらかしたら符印があるから。そうじゃなくてモクタクのことなんだけどもね」
昼間にもかかわらず勧められた酒を断らずに口を付ける。
「兄のキンタクには?」
「おお。この間元始に会わせて来たぁな……ま、死なねぇように祈るだけだ」
事実、その言葉がすべてになる。
自分たちはきっとここから動くことは許されないだろう。
「今日、太公望にも勅命が出んだろう?」
だからこそ、少女はここに来た。
「おそらくは」
「お前らはたまたま体が二つになった。元々は同じ魂だったんじゃねぇかって俺ぁ
 思うけどな……」
煙管を加えて、文殊は静かに笑みを浮かべた。
「俺は太公望よりもお前が心配だ。なぁ、普賢や」
二人の考えには大きな違いがある。
犠牲は少なくと考える太公望。
目的のためには犠牲もある程度は止む無しとする普賢真人。
同じように一族を失った少女二人の運命を分かつもの。
時として銀髪の少女は冷徹になることも辞さない。
「……みんなが幸せになれればそれで良いのにね……」
白磁の猪口は男が焼いたもの。
それもどこまでやらと呟くばかり。
「今日は望ちゃんの好きなもの作って待ってようと思うんだ。きっと、会いにくると
 思うから。お酒とあと、何が良いかな……」
幼年期の終わりを告げる歴史の足音。
耳を塞いでもう少しだけ子供のままで居たいと願った。





名も無き一道士に下りた勅命。
それが封神計画というものだった。
因縁深き身の少女に、傾国の仙女を討てと。
「普賢はおるか!!」
勢い良く扉を開いて、黒髪を戦慄かせながら少女は椅子にどっかりと腰を下ろした。
朱塗りの枠飾りに持たれる伸びた髪と、苦虫でも噛み潰したかのような憮然たる表情。
「いらっしゃい、望ちゃん。来ると思ってた」
差し向かいに座って、茶道具を開ける。
少しでも気持ちを落ち着けられたらと選んだのは薄荷茶。
立ち上る香りと湯気に、少女の眉がわずかに和らぐ。
「爺が、わしに面倒なことを押し付け寄った」
「どんな?」
素知らぬ振りで少女は胸の前で指を組み合わせた。
「殷皇后である妲己を討てと。それにあわせ、この封神禄の中の仙道もすべてなぎ払えと」
封印紐を解いてぱらぱらと広げていく。
その中に躍る文字を、銀色の瞳が凝視した。
(……おかしい、どうして崑崙の道士が?)
これが始祖の言葉をそのまま受けたものならば、封じられる仙道はすべて妲己の手下となる。
封神台は一度魂を収監すれば二度と放たれることは無い。
そのために、崑崙きっての女の魂を礎にしたのだから。
「で、どうするの?」
「やらねば破門だといわれた」
逃げ場をなくせばこの少女はどこまでも強くなれる。
始祖はそれを見抜いての言葉とした。
「やるんでしょ?」
二杯目を入れて視線を重ねて。
そっと手を伸ばして親友の手に重ねた。
「ボク、望ちゃんのために仙号をもらったの。きっと、望ちゃんは戦場に行くと思ったから。
 瞳の奥底にしまったものがとっても綺麗で……鋭い……」
霧雨はやさしく窓を染め上げて、きっと明日は光に変わるだろう。
雨の日でも君がいたから平気だった。
虹の根元を追いかけてどこまでも走った。
「でも、嫌なら良いとも思う。これは望ちゃんが決めることだから」
一度決めてしまえばもう後には引けなくなる。
おそらくどちらの側にも壮大な被害は否めないだろう。
「のう、普賢……ここに来てからの数十年わしは幸せだった。おぬしと出会い、共に
 こうして育った。わしらは離れることなど一度たりとも無かった」
今、道を二つに分かつ時。君の手を離すとき。
雨上がりの空を今度は一人で見上げなければいけないのだ。
「わしらのような思いをする子はもう必要ない」
離れてしまっても、いつも心は君と共に。
「うん……世界が必要としている声が聞こえるんでしょう?」
二度どこの優しい雨の中には戻れないかもしれない。
「うむ……行くよ。ただし、この雨が止んだらな」
もう一日。
今夜一晩だけ自分たちをこのまま、離れないようにさせてください。
誰に祈るわけでもない。
誰が願いをかなえてくれるわけでもない。
雨にぬれない様にと傘をくれたのは傍らの親友だった。
その優しさを今度は自分が誰かに与えなければならない。
「霧雨……あったかそうだね」
「そうじゃのう……のう、普賢。久々に雨の中にいかぬか?」
「そうだね。いこ、望ちゃん!!」




霧雨の中で二人で踊った。
あれは幼い日に誰が教えてくれただろう?
今は霞の向こうにさえ思えるあの日々。
それでも忘れることなど一秒も無いのに。
水を掬ってぶつけ合う。
道衣を真っ黒に汚して何度酷く叱られただろう。
それすら昨日のことのようで。
雨の日でも君が傘を差し出してくれた。
どんなときでも待っていてくれた。
面倒だと二人で濡れた日もあった。
雨降りでも二人ならば平気だった。





その日の空はきっと生涯忘れ得ぬ色。
雲一つ無い澄んだ蒼はこの先の少女の行く道を指し示す。
もう引き返せない旅路を。
「元始天尊さま、太公望参りました」
「うむ」
「この勅命、お受けいたします」
運命は少女を一人選んだ。いや、正確には二人選んでしまった。
元は一つであっただろう魂の双子を。
少女はその運命を受け入れた。二人そろって。
風に乗る花びらは桜。まるで何かを祝福するような花吹雪に少女はため息をこぼした。
この宮を出ることは守られる立場ではなくなること。
「白鶴、あれを」
始祖の言葉に白い羽が舞う。
「おぬしにこれを。宝貝、打神鞭じゃ」
道士として宝貝を受け、静かに礼をとる。
「それと、四不象や」
その声に現れたのは竜の霊獣。少女の前に止まり見上げてくる。
「今日より、お前はこの太公望に仕えるのじゃ」
「はいっす!!ご主人、よろしくっす!!僕は四不象っすよ」
鼻先を撫でる優しい手と、にこやにかに微笑む瞳。
「よろしくのう、スープー」
「乗って下さいっす!!」
戸惑いがちにその背に乗り込む。
不安だらけのはずなのにどうしてだろう、気持ちがときめく。
このままどこまでも飛んでいけそうな気がしてならかくて。
その未来が不確定なのに光にあふれてるような気もした。
「ご主人、どこにいくっすか?」
「そうじゃのう……九功山まで頼めるか?スープー」
春風に乗ってどこまでいこうか?
自分の帰りを待つ親友の元へ急ごう。
一番の理解者であり、そしてもっとも相容れぬもう一人の自分。
「普賢ーーーーーーーー!!」
庭先の桜を一撫でして、少女は空を見上げた。
太陽の光を背にして親友がやってくる。
それはまるで陽の光を味方につけたかのような美しさ。
まばゆい光と風に守護された一人の少女。
「望ちゃん」
「見よ!!わしも宝貝を貰った!!そして、これがわしの霊獣の四不象じゃ」
黒髪が風に舞い、彼女を彩る。
まるで対を成すような桜はいっそう彼女を美しく彩った。
「どこに行くの?」
「まずは西を目指す。世界を見てからじゃ!!」
今、別れのとき。
舞い散る桜と柔らかな風。
これ以上に美しく悲しい風景などきっと存在はしない。
「いってくるぞ!!普賢!!」
もう一度だけ、そっと手を伸ばす。
「望ちゃん」
「?」
「いってきますっていうのは、必ず帰ってくることが前提なんだ。だから、だから……!!」
その手をしっかりと取る。
伝わる暖かさとこの先の運命の重み。
「必ず帰ってきて!!」
「うむ!!では行ってくるぞ!!」
はらはらと舞い散るこの花びらに。
未来の全てを覗く事など不可能だった。
泣かないと決めていた。誰よりも離れるのがつらかったのは彼女のほう。
「……よく泣かなかったな」
後ろから伸びた優しい手と耳に響く低い声。
そっと目を覆うその手に静かに指先を重ねた。
「今日が望ちゃんの旅立ちの日……だから、だから……泣いてなんてない……っ……」
交差する運命は今まさに動き始める。
この空一面に散り行かんこの花のように。
「こんなに綺麗な空……っ……望ちゃんのためにあるんだもの……」
小さな光と小さな翼。
それはまだこの世界において小さなものなのかもしれない。
別れがこんなにも辛いものだなんて思いもしなかった。
二度と会えないわけでもない。
死に別れたわけでもない。
それでも、今までのように離れることなくすごした時間。
胸が痛くて、痛くて。空を見上げることすらできなくて。
「一番最初の別れだな……お前にとって……」
「もう、もう泣かない……っ!!泣かないから!!」
同じ日に幼年期を終えて、二人の女が生れ落ちた。
「ああ。わかってる……俺もお前もやることがあるんだからな」
どれだけ才女と詠われてもまだ幼さの残る子供。
守られて当たり前の少女二人に与えられた宿命。
「風の道士だな……あいつは……」
いつか、彼女にもこの温かな誰かの腕が与えられるだろう。
この世界を共に駆けるための誰か。
時には枝葉になり休ませ、時には雨となりその身を濡らす。
「いってらっしゃい……望ちゃん……」





風は追い風、君の手を離れて。
どこまでもいざ行かん。





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21:27 2007/04/02

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