『幾千の眼差し浴びながら、我侭に気侭に恋して
 愛を知る女は華になる』
     yes,SUMMERDAYS




小皿の上できらら…と笑うのは氷砂糖。
指先で砕いて赤い果実の上に静かに降り立たせる。
「道徳、おやつできたよ」
「あー……食いたいけども余裕がねぇ……」
目の前に積まれた書簡にため息すらもでないほど。
どうにかこうにか恋人の手伝いもあって半分まではこなせたが、まだまだ終わらぬこの
現実に彼は疲れきってしまった。
「手伝いたいけども、これ以上は道徳にしかできないし……」
愛弟子である天化の近況とその成果の報告。
それは師匠である彼にしかできないものなのだ。
「だーーーっっ!!もうやってられっかっ!!こんな山のような紙切れなんざ捨ててやるっ!!」
宥めて賺して口付けて。
窓を穿つのは遣らずの雨。そんな季節に二人だけで留まりたいというだけなのに。
触れ合う肩先から感じるこの暖かさ。
「道徳、少しだけでも休んだほうがいいよ。組紐はボクがやるから」
卓上でうつ伏せる恋人の唇に、そっと指先を。
「お前は俺を甘やかす達人だよな……俺も甘やかされる達人だけどよ」
ほんのりと薄紫に輝く爪。
紫陽花を閉じ込めたようなその色に、こぼれるため息。
雨音のやさしさと、空気に溺れたいと男は呟いた。
君が居てくれるだけで不思議と消えるこの不安。
「望ちゃんも忙しいみたい。やっぱり、あの計画かな……」
忘れがちになってしまっても、自分たちに課せられた大きな課題。
「殷国皇后か……何時の世も女は男を狂わせるからなぁ……」
ちら、と向けられる視線に少女はほんの少しだけ頬を染めた。
自分も彼を狂わせる小さな因子であるということの誇らしさ。
女を捨てることを美とする崑崙において自分のことを女として扱う恋人。
「お前が傾世元禳を持ったらとんでもないことになりそうだな」
「傾世元禳?」
聴きなれない言葉に少女は首を傾げた。
唇にほんのりと置かれた指先の細さ。
儚げでありながら漂う妖しさと色香。
「皇后の持つ宝貝さ。始まりの人が作ったって聞いたな……俺らの持ってるのはそれを
 模倣した亜流だって話。元始様のはその始まりの宝貝だしな」
自分の持つこの太極符印も、元は亜流だと言う。
それでもこの宝貝を手にするためにどれだけの苦しい思いをしただろう。
「力を持つものが道を誤れば、それだけ世界が悲鳴を上げる。だからきっと男と女の
 二つの性が存在するんだろうな」
自分を導いてくれるこの手。
彼がもしも、自分にとっての『悪』となるものに加担するならば。
自分は彼を躊躇なく殺すことができるだろうか?
こうして同じ未来を見つめていられる保障など、どこにもないのに。
「普賢?」
無意識に伸ばした指先が、彼の上着のすそを掴んで。
「ボク……あなたがどんな風になってもずっと、ずっと一緒にいる」
不安を打ち消すように胸に頭を埋めた。
彼女の小さな恐怖心を見逃すことなく感じられるようになった事。
震える指先を取って唇に押し当てた。
「俺とお前が、道を違えることがあったらの話だな。ま、無いけども」
こうして手を重なり合えることが何よりもいとしいから。
悲しい未来などきっとないと信じていられた。




君と出会ってたくさんの日々を積み重ねた。
きっとそれに名前をつけるならば『奇跡』というのだろう。




「こうやって二人だけで過ごせるってのは良いよな。うるさいガキは宮に行ってるし」
床に座り込んで書物に目を通す少女を、青年は後ろから抱きしめる。
耳の後ろにそっと接吻して、愛しげに手を重ねた。
「そんな事言わないの。モクタクも天化も今頃疲れ果てて寝ちゃってると思うよ」
こうして二人で触れ合っていられることの幸せを、壊れるほどに抱きしめたいだけ。
落葉のように折り重なって朽ちる生き方ではなく、精一杯咲き誇って散り行くように。
仙となり出会ってしまったけれども、君のいない一秒は永遠と同じ。
本当の気持ちはいつだってひとつだけ。
『もっと愛されたい、必要とされたい』ということ。
行き過ぎればそれは嫉妬と束縛には変わるけれども。
それでも、一番そばにいる恋人が全ての師に成ることは確かだった。
「俺は器用じゃないから、弟子とかと同一にお前を大事にするってのはできねぇ」
重ねあった手の暖かさ。
「だから、お前一人だけを大切にすれば良いんだって思うんだ」
「だぁめ。天化も大事にしてあげなきゃ」
それでも、自分の事を選んでくれた彼のこの手をどうして離すことができるだろうか?
渦巻く嫉妬を噛み殺して、感情を飲み下して。
知らない顔で見つめて少女は女に変わり行く。
「お前にとって俺は何番目なんだ?モクタクの下か?」
摺り寄せられる頬に同じようにして、普賢はくすくすと笑う。
「道徳はね、一番上の上。だから、誰の上でも下でもないの。ボクにとって大事すぎる人
 だから。多分…………望ちゃんよりも…………」
この世界は君を与えてくれた。
出会ってしまったその日からたくさんの時間を重ねてきた。
「……大好き……こうして一緒に居られるのが嬉しい……」



君が痛いというまで抱きしめた。
痛くなくなるまで接吻した。
この恋が永遠となって愛に変わる様にと二人で祈った。
寂しいと寄り添った魂が二つ。
不安色の夜に揺れていた。




宝剣を手にして、普賢は小さなため息を一つ。
この宝貝を自分が持つ可能性もあったはずだと加えて。
「どうやって使うの?」
細身の裸体を後ろから抱くようにして、男は少女の手に自分のそれを重ねた。
「こうやってしっかり持って、精神を集中させる」
言われるままに宝剣の光を思い描いて、指先に力を僅かに掛ける。
ぼんやりと浮かんできたのは青白い光。
「あ……出た」
「俺とは違う色だな。同じ宝貝でも持つものの精神力(こころ)でその力を変えるってことか……」
静かに宝剣を恋人に手渡して、少女は瞳を閉じた。
「こうしてると、道徳の心臓の音が聞こえて……安心できるの」
背中越しでもわかるくらいに。離れていても平気なように。
「でも……」
手を取って、そっと乳房へと。
重ねた唇の優しさは、どうして忘れることが出来ようか。
「少しでも離れると…………寂しいの……ううん……多分……」
呼吸を少しだけ止めて、この瞬間を重ねて、君と運命を絡ませて。
「悲しい……って、こういう気持ちを言うんだ……きっと……」
操り人形になどならないように。君がこの手を引いて寄り添ってくれる限り。
「封神計画ってのは、一体何のためなんだ?元始様は不明確なことしか……」
青白い月光を背に受けて、少女の肌が妖しく誘う。
まるでその背から翼でも生えたかのように。
「知りたい?真実を」
導かれるままに、惹かれあうままに。
この運命を共に抱こう。




仕組まれた罠に自ら嵌る事は、どこか自虐的で悦楽的だ。
誰かのせいにするのはもうやめて、この手で鍵を開けよう。




「発端は……望ちゃんが入山したことだと思う」
偶然など一つも無く、すべてが必然の重ね合わせ。
必要悪として姜族の滅亡は静かに黙殺されたのだ。
少女が立ち上がり、生涯をかけてもかまわない理由を外部に明確化するために。
憎しみにその身を焦がし、名を捨てて彼女は『太公望』となる。
「そりゃ、発端っていったら発端だろうけどな」
言葉はどう発すれば彼に真実を伝えてくれるのだろう?
「白鶴洞(うち)に連れて行って。そのほうがきっと理解してもらえる」
その言葉に頷いて、男は少女の手を取った。
月に翳る二つの影はこの先の二人を暗示しているよう。
自ら作り出した牢獄に、神として祭られることを――――――――。
「こっち」
男の手を引いて、普賢は静かに扉に手をかけた。
それは、普段ならば気にしたことも無い書庫の奥。
きりり…と小さな悲鳴を上げて扉が開く。
「なんだこりゃ……いつの間に……」
「ここを改装したときに。太乙と道行のところにも同じようなものがあるよ」
螺旋階段を下りながら、肩に降り積もる欠片を払う。
緑色の光の欠片は塵と成って儚く消える。
終点に広がる無限にも見えるような空間。
暗闇の中に何枚もの画面が浮かび上がっている。
手元に基盤を引き寄せて、少女はそれを起動させた。
「すげぇな……こんなんあったのかよ……」
「三人で封神台の内部を監視できるようにしてるの。どこかが壊れても他がそれを
 補えるように」
指先が踊るように基盤を走り、画面に映し出される胎児に似た映像。
まるで血管のように絡みつく管が守護するように彼女を包み込む。
「んだよ……これ……」
「あなたも知ってる人だよ」
手元の起動装置を軽く押して、さらに画像を拡大していく。
閉じた瞼と長い睫。幼さは残るもののそこに在るのは師表の一人の姿。
「道行天尊。始祖が愛したただ一人の女」
言葉すらないままに、彼は画面を凝視した。
封神台の建設に道徳真君は紛れも無く参加しているのだ。
内部構造をある程度は理解している心算ではあった。
「いや……だから……」
「ボクたちもいずれは同じように封神台に収監される。ここはお墓だから……」
魂を捕獲する為に最初の封神となった者。
それが魂魄分離のできる道行天尊だったのだ。
「そして、彼女もまた……始祖を愛してた。だからこそ、その思いを永遠に断ち切るために
 その欠片を封神台へと封じたの……」
「まあ……道行には太乙がいるしな……だからって……」
「ボクたちが参加する計画は、本当にこの世界を救ってくれるの?」
運命は誰かに踊られるためのものではなく。
「この世界を救えるかはわからないけれども」
自分たちで決めるために、あえて踊るのならば。
「俺は……お前をこの厄介事から助けたい」
君が差し出してくれるこの手を。
「助けてくれるの?」
しっかりと受け止めて離さない。
「約束する」





この光無き世界で見つけた希望(ひかり)。
消えないようにそっと抱きしめた。




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22:51 2007/01/03


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