『急な坂飛ばして止まらないこの瞬間をボクはこれからも生きていく』
                優しい風






「おい、天化」
欠伸をしながら回廊を通り過ぎる少年に男は声を掛ける。
「何さ?コーチ」
風呂上り、裸足でぺたぺたと歩きながら天化は振り返った。
「一週間後、宝貝の習得試験な。落ちたら強制送還、運悪かったら死ぬって思っとけ。
 それと煙草は控えろ。当日へばってもたんまなしだぞ」
「あ……あーーーっ!?」
「分かったらとっとと寝ろ」
彼がここに来てから何年が過ぎただろう。
今では道士としてそこそこの強さも得てきた。
それでもまだ彼には足りないものがあると男は小さく呟く。
(対戦相手誰にするかだな……普賢じゃあれだし……慈航あたりに頼んでもいいし……)
玻璃の冷酒を飲み干して、思い出したのは恋人の弟子。
あの時は自分が判定を出し、師弟同士の一戦となった。
(やっぱ俺か……そうだよな。俺が見るのが一番だ)
眠れない夜に欲しいのは、酒よりも優しい誰か。
離れて眠る恋人を思えばここに彼女がいるように思えた。






煙の立ち込める室内でぶつかり合う杯牌の音。
じゃらら…絡んで耳に響く。
「最近、じじいがやけにわしを呼び出す」
咥え煙草の少女が黒髪をかき上げる。硝子の灰皿には潰した煙草の屍累々。
「そろそろ望ちゃんも仙人になれってことじゃない?」
差し向かいの少女も指に煙草を挟んで紫煙を燻らせた。
「師匠も師叔も、仙道からかけ離れてるっつーか……」
伸びた髪は一つに結び、少年も同じように煙草に火を点けた。
つまりは三人とももれなく喫煙中。
ここに道徳真君の愛弟子が加われば良い面子だろう。
「たまに煙草くらいいいじゃろう?わしには普賢のように口寂しいときに塞いでくれる
 男も居らんのだから」
「塞いで上げたら?モクタク」
さらりとそんなことを口にして、少女は役を決めた。
諌める者がいなければ少女は転じて妖婦となる。
「まったく。道徳師伯にしれたらなに言われ……!!」
「まったくだ。咥え煙草で麻雀に勤しむな。それから、ここ。緑一色」
男の指が頬に触れて、少女の肩が竦んだ。
「天化は?」
「今頃おびえながら作戦練ってんじゃねぇの?なんせ七日後には宝貝習得試験だ」
その対戦相手を誰にするかが問題だとつぶやく。
仕方がないと牌を片付けながら、太公望は小さく笑った。
「おぬしがあたるのが駄目ならば、いっそわしが当たるか?道徳」
教主直弟子の彼女は剣を扱う。その実力は生半可な道士では太刀打ちできない。
確かに妙案ではあるがただ一つ欠点があった。
「うっかり天化があなたの予想よりも強くて望ちゃんに何かあったら、十二仙と元始様を
 敵にまわることになるけどね」
四人分の茶と菓子を並べながら、普賢も同じように視線を男に向けた。
「んじゃ、モクタク……」
月餅に口を付けながら、少年は首を横に振った。
「自信ないのか?」
「逆。俺、確実に殺りますぜ」
先に仙界入りしたとはいえ、年はそうも変わらない二人の少年。
一方はもう宝貝を手にして実践訓練を積んでいるのだ。
モクタクと天化の決定的な違いは緊張感の有り無しが大きい。
一歩間違えば即死と隣り合わせの普賢真人の元では、強くなることが最大の自衛になるのだ。
そして、己の鍛錬なくしてはそれはなしえないこと。
「あなたが見るのが一番でしょう?まだあの子、道徳のこと甘く見てるからこの際ちゃんと
 師匠としての強さを見せておいたら?」
穏やかな声音の裏の小さな真実。
それを分かってしまえるから、太公望とモクタクは天化に同情を禁じえなかった。
「まえも……あったのう?普賢の逆鱗に触れたことが……」
「俺……天化絶対に長生きできねぇと思う……あいついろんな意味で頭悪ぃもん……」
二人が言うのは数年前の不幸な出来事。
天化が普賢の恐ろしさを身をもって知った日のことだった。
うっかりと道徳を「おっさん」呼ばわりし、その瞬間に平手打ちが放たれる。
襟首を掴んで微笑みながら普賢は静かに「口の利き方に気をつけなさい」と囁いた。
彼が彼女を愚弄するものを許さないように、彼女もまた同じ。
礼節をわきまえない道士はいずれ崑崙では外されてしまうのだから。
「あれは本当に……あいつの馬鹿さ加減がわかったっていうか……」
「聞くだけでも恐ろしい話じゃ……昔、白鶴の羽を全部毟ったのよりも恐ろしいな……」
修行に関しては熱心でも、それ以外には道徳真君は関心が少ない。
それもあって天化は無鉄砲さに磨きが掛かってしまった。
「あなたが強いことを心身で知ることも大事だと思うよ。他の誰でもなくね」
宝貝を持つことは、道士として一歩先に進むことになる。
持つものが未熟であればそれはただの飾りに過ぎず、意味を成さない。
それは他でもない彼が一番に理解している。
愛弟子は良くも悪くも自分似てしまった。
折れやすい剣士では、剣も本来の力を発揮できない。
力だけでは宝剣は扱えないのだから。




「やーっぱ、俺がやるしかねぇか」
首をこきり、と鳴らして男はため息をついた。
「判定人やろうか?モクタクの時にやってもらったし」
第三者の判定が必要ならば、彼女に頼むのが妥当だろう。
しかし、恋人は予想以上に感情が不安定なところがある。
「じゃあ、普賢に頼むか。普賢の合格判定で試験完了、ってことで」
時間的に見てもここが天化に残されたぎりぎりの地点だろう。
程なくしておそらくは件の計画が実行される。
「ボク?」
少女の膝に頭を乗せて男は瞳を閉じた。
甘えるように腰を抱いてくる腕と、くすくすと笑う少女の声。
「天化は合格しそう?」
「相手によるだろ。合否じゃなくて適正を見せて貰おうかと」
ぱちり。瞳が開いて視線が重なる。今度は手を伸ばして小さな頭を引き寄せた。
「一週間後、楽しみなんでしょう?」
「まぁな。どんだけ強く育ったか見れるし」
このどこか誇らしげで嬉しそうな唇の動きは自分には出せなかったもの。
小さな嫉妬を飲み込んで、彼の首筋を指先で撫でた。
「すごく嬉しそう」
唇が掠めるように重なって、ゆっくりと離れる。
「いや、こっからが大変だ。道士として接してかなきゃなんねーし……最初から実戦で
 鍛えていくしかないしな。時間だってそんなに残されちゃいない」
事実、自分もそうだったのだから。
宝貝を与えられてからの仙人としての修行。
それでもつらくなくなかったのはきっと彼がいてくれたからだろう。
「どした?」
「しーらない。おやすみなさい」
詰まらない事と、笑い飛ばしてしまえるように。明日も二人でいられますように。
窓の外、まるで小さな箱庭のような星空。
その一番眩しい星に、君の名前をつけるように。





修行に集中できるようにと、差し入れをつくり紫陽洞へと向かう。
目にしたのはいつもの風景とはまったく違うものだった。
通常、道徳真君の修行は対戦形式で行われる。
それが一転して天化は兵書を読み漁り、その師はのんびりと身体を動かしているのだ。
「道徳、良いの?あれで」
一心不乱に山積の書物を読み耽り、頭を抱える少年の姿。
「腕だけじゃ俺に絶対勝てないからな」
「そうだけども、急に読んでも頭に入るのかなって」
抱えてきた篠籠を置いて、天化の顔を覗き込む。
「おわっ!!普賢さん!!」
「こんにちは。お勉強の調子は捗ってる?」
書物を読むことは師弟そろって苦手の二人。
例に漏れず天化もまた、目の前の難関に頭を悩ませていた。
「モクタク、ちょっと来て」
手招きされ、荷物を降ろしながら少年が近付く。
「読み方のコツ教えてあげて。ちょっと苦戦してるみたい」
「天化、仙桃何個出す?」
「なんさ!!友達じゃなかったのか!!」
「世の中需要と供給で成り立ってんだよ。それに、俺……それは全部読んだぜ?」
指差すのはまだしっかりと積まれた書物。これを彼は読破したといったのだ。
普賢真人の修行は、文武両道を基本とするもの。
兵法の写し、経文の暗唱。作法から一般教養まで普賢の手が抜かれることは無い。
子供を母から預かったのだから、本来親が教えるべきものを自分が代わりに教えるという
彼女自信の成長にもつながる行為。
「み……三つ!!」
「五個からいーぜ。んで、二個師叔に持ってく」
「わぁった、五つ!!」
ぱちん!と互いの手を合わせて隣に座り込む。
一言二言会話を交わして、モクタクの指南の元に天化は書き取りを始めた。
「どこまで頭に詰め込めるかだな」
「そうだね。でも……何だかんだいっても年が近いほうが仲良くなれるのかな」
邪魔にならないようにと暖かな飲み物と。
軽く摘めるように兎を模した林檎を。
静かに二人、席を外して邸宅へと身を移した。






成長を見守る喜びは、おそらく自分たちにだけ許された特権。
向かい合わせで笑ってそれぞれの愛弟子の自慢話。
「うーわ、なんか俺モクタクに嫉妬しそ」
本当は。
嫉妬に焦がれているのは自分のほうなのに。
「道徳」
指先が伸びて頬に触れて。
「ん?…………あだだだだだだっっ!!」
そのまま軽く抓った。
「言おうか?ボクの方が天化に嫉妬してる。あなたが嬉しそうな顔するたびにやきもち
 焼いてる。人の気持ちも知らないでそんな顔して……」
「いや、知ってた。可愛いなーって思ってたし」
「え……ぁ……」
その手を取って、掌にちゅ…と唇を押し当てた。
「本当はもうちょっと見てたかったけどな」
舌先が掠めるように這って、中指を舐め上げる。小さな間接を甘く噛んで静かに唇が離れた。
「お前だって俺の前で散々モクタクの心配するだろ?そん時の顔見てるとやっぱなんか
 悔しいんだよな。俺は心配の対象にはならないってことなんだろうけども」
立ち上がって彼を抱きしめるまでに一呼吸あっただろうか。
ただそうしたいという衝動に駆られた。
「大好き……」
「このままこうしてたいけど、そろそろガキ共が腹減ったって言い出すからな。天化一人だけ
 我慢させるわけにもいかねぇから、俺もあいつの試験終了までは仙道らしく愛欲立つか」
背中を抱いて、ただ頬を当てることしかできなくて。
抱いているのは自分のはずなのに、抱かれているように感じた。
不安を二人で分け合って、そこに混ぜあわせる小さな幸せ。
君と百年逢えないとしてもこの思いは変わらないと信じられた。





澄み切った空は、少年の心を写し取ったような色合い。
少女は真白の道服。迷いは無いと正装で二人を待つ。
「普賢さん!!」
動きやすいようにと軽装備で、天化は剣を腰に携えた。
「頑張ってね。道徳強いよ」
「殺さないように手加減しねーと」
咥え煙草で笑う少年の唇から、すい…と少女はそれを奪った。
「?」
「こんなもの咥えてられないよ。無駄に体力を失うから、おやめ」
その瞳の光は、かつて少女が自分の師と打ち合う前と同じ色。
「ボクが教えてあげられることは一個だけ。天化、本気で殺すつもりでいきなさい。
 清虚道徳真君は腕一本だけで師表十二仙に登りつめた男だよ」
自分と年端も変わらないように見えるこの少女もまた、はるか高みの師表の一人。
言葉の重みとその声音に超えられない何かが確かにあった。
「あんまり脅すな、普賢」
紫紺の長衣に長頭布。飾り房は清々しい蒼。
いつもの彼とは別人のようなその気迫と穏やかな笑み。
「コーチ、そんな格好で動けるさ?」
「俺は弟子とやるときは昔からこうしてきた。それが礼儀だからな」
静かに莫邪を構え、男は少年に深々と礼をとった。
「はじめるぞ、黄天化!!この清虚道徳真君が相手だ!!」
陣を取る男の頭上から振り落とされる真剣を、片手で振り払う。
天化の二刀流に対して男は莫邪一本のみ。
眉一つ動かさずに天化の剣を全て弾き飛ばしていく。
大地を蹴る音も砂埃に紛れた奇襲も背後からの襲来も。
彼は瞳を閉じたままで全て見切っていた。
その目を開くことなく道徳真君は全ての動きを正確に描くことができた。
息遣い、僅かな風の音、大地の振動、そして―――自分に向かってくる生ぬるい殺気。
「天化、言っただろ?死にたくなかったら本気で来いって」
荒い息と流れ落ちる汗。それなのに彼はそこから一歩も動くことが無い。
「お前から来ないのならば……」
静かに開かれる双眸。
「俺から行くぞ」
宝剣を構えるだけで空気がびりびりと震えだす。ただそれだけの動きで生まれる気迫。
初めて知る男の強さに知る恐怖。これが、清虚道徳真君という男。
利き腕では無い右で彼は自分向かい合う。
それが彼が少年に下した実力の判定だった。
視線が重なるだけで膝ががくがくと震える。
どうにか叱咤して男に剣を向けた。
「!!」
一振り、ただ軽く宝剣が弧を描いた。
それだけで少年の頬に傷が走り、ぽたり…と血液が流れ落ちる。
(こ……怖ぇえさ……これが……これが……清虚道徳真君……)
陽気な男の姿は今更ながらに仮の物だったと知る。
本来の彼は視線一つで相手を殺せるような男なのだ。
(あ、天化が怖がってる。道徳はどうでるかな?)
静かに、静かに少女はそれを見つめる。
彼の真意は少年よりも彼女が良く理解していた。
拳で血を拭って、大地を蹴る。渾身の力で振り下ろした剣先を華麗に弾く宝剣の光。
乾いた悲鳴を上げて転がる剣を拾い上げる少女の指先。
(……っきしょ……何やっても駄目なら……)
心身ともに、これが最後の一刀だろう。
呼吸を整えて構えたのは一番最初に、彼が少年に教えた殺陣。
「正面きって……行くだけさぁああっっ!!!!」
一歩も動かずに、走り来る少年を男は見つめた。
振り下ろされる剣の位置も何もかも彼には見抜かれている。
それでも、引くことだけは許されない。
これが少年の最後の自尊心だった。
「うあああああああっっっ!!!!」
ただ一度。
そう、一度だけだった。
男は躊躇無く少年をその宝剣で斬り付けた。
「……っは……ぁ……」
左肩を押さえながら崩れ落ちる身体。
「よく、逃げ出さなかったな。黄天化」
「……っへ……あったり…ま……さ……」
無理やり笑った唇に、飽きれたように男も笑った。
「普賢!!薬の調合頼む!!」
「はーい。さきに部屋は準備してあるよ」




彼が見たかったのは少年の強さなどではなかった。
自分よりも強いもの対する恐怖心を克服すこと。
この先の封神計画に必要なのはそれなのだから。
「縫合も終わったよ。あとは薬飲ませればニ三日で痛みは引くと思うけど」
眠る少年の額に、きつく絞った巾を乗せる。
腰に手を当てて見守る男に、普賢は静かに問う。
「あなたがみたかったのは、天化が逃げ出さないかどうかだったんでしょう?」
「ああ。この先、自分よりも強い奴に当たったときに逃げずに向かえるように。それだけ
 が見たかった。相手は俺なんかよりもずっと強いのがわんさかいるしな」
丹薬を小さな袋に入れて、寝台の小脇に乗せる。
傷に優しいようにと炊かれた梵香。
「さっさと傷を治させて、今度は莫邪に慣れさせないとな」
ぼんやりとした意識の中で聞こえる二人の会話。
「良かったね。天化はあなたの待ってた子だったみたいで」
「ん……何百年も待った甲斐はあったな」
嬉しげな声と、小さな嫉妬交じりの少女のそれ。
穏やかな寝顔と、つかの間の休息。
傷が癒えればもっと過酷な日々が待っているのだから。




この空の色を忘れることは生涯無かった。
それは自分が認められた記念日の色だったから。





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22:21 2006/03/06

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