「両手で頬を押さえても……途方に暮れる夜が嫌い』
                 恋に落ちて




「モクタク、ちゃんと課題は終らせておいてね」
白の長衣には彼女の正装。乳白と生成りの麻が同じ白でも陰影を付ける。
前垂れに施された刺繍は鳳凰。
珍しく薄紅を引かれた唇が、やけに艶めかしい。
「どーせ、美味いもん食っててきとーに会議してくるんだろ?」
「遊びに行くわけじゃないの。仕事なんだから」
そうとは言うものの、嬉しげに唇が綻ぶのは恋人に会えるから。
まだまだ乙女十七、恋のど真ん中。
「じゃ、行って来るね」
小さく手を振って、普賢はてくてくと歩き出す。
(……尾行ってみっか……あんちゃんの師匠に会えるかもしれねぇ)
止められない気持ちを無理やりに押し込めば、ためいきで空まで飛べそう。
(……!!……)
木陰に隠れて、背中だけを追う。
待ち合わせた男がその手を取れば、ほんのりと頬が染まるのが見えた。
黄巾力士に乗り込んで、目指すのは玉虚宮。
鍛え上げた脚力を見せてやると言わんばかりに、少年は駆け出した。
「道徳もそうしてると違う人みたいだね」
「毎日は絶対無理。動きにくくて敵わない」
男に寄り添って、ちらりと見上げて。
触れようとして来た唇を指先が止めた。
「駄目?」
「ダメ。ついちゃうでしょ。笑われちゃうよ」
「終ったら、倍にして貰うか」
面倒な立場でも、落ちてしまった恋はどうにも出来ない。
ならば存分に楽しんでこっちのものにしてしまおう。
君だけが居てくれれば他に何もいらないのだから。





「しっしょー、起きてますか?」
ゆさゆさと揺さぶる手をぱしん、と跳ね除けて女は枕を抱きなおす。
不機嫌そうに眉を寄せて、身体を丸める仕草。
「師匠」
「……韋護、儂は眠いのだ。邪魔だてするなら禁極殺を掛けるぞ」
敷布の上に散る撒き毛の愛らしさとは裏腹に、声は不機嫌極まりない。
寝巻きから伸びた脚と、こぼれそうな豊満な乳房。
「しっしょー!!今日はナントカ会議の日なんじゃねーんですかぃ?」
「……ぅあ?」
寝惚け眼と、より一層跳ねる後頭部。
「そうじゃった!!定例会!!」
飛起きて、ばたばたと洗面所に向かう姿に韋護は苦笑する。
道行天尊の寝起きの悪さは、半端なものではない。
不機嫌は二倍となり、壁に大穴など日常的だ。
慣れてはきたものの、それでも数回に一度は顔面に膝蹴りをはじめとして何らかの
打撃を受けるのが朝の恒例行事となりつつある。
「うあ……頭痛まで……」
「しっしょー、はい。く・す・り」
紙に包まれた粉を口に含んで一気に飲み下す。苦いと言えればどれだけ楽だろうか?と
女は首を何度も振った。
「頭ひどいことになってますぜ、櫛通っかなぁ」
「韋護!!儂は子供では無い!!」
「でも、今から着替えて化粧とかしていくんでしょう?髪梳かす時間ももったいないんじゃ
 ないんですか?だったら、俺がやったほうがいいだろうし」
鏡台の前に座りなおせば、一緒に映る男の姿。
やけに嬉しげに髪を梳く姿に、女はためいきをついた。
「師匠が笑われんの、悔しいし。折角綺麗な髪してんのに……!?」
ぱふん、と男の頬に押し当てられる白粉刷毛。
「うへ……」
「着替えるから離れろ。韋護」
深緑を基調とした更紗の長衣に袖を通す。銀の糸が織り成すのは水面と蓮。
背に走る傷と、失った四肢の一部。それさえも彼女を引き立てるものとなるこの不思議さ。
目尻に乗せた薄紅に続くように、目頭には美しい朱色を。
「簪はどうすんですか?」
「たまには下ろしていくのも悪くあるまい」
虹を閉じ込めた羽衣を腕に掛け、女は更に盛られた桃に手を伸ばした。
「食ってる時間、あんですか?」
「なぁに、ちーと遅れても婆では仕方無しと皆思うじゃろうて」
それでも、目の前で桃に齧りつく姿はどうみても二十代前半。
下手をすればそれよりも若くも見える。
(俺の方が、おっさん臭いってよく言われるもんな……)
小さな唇が果実を侵略して行く。その姿は夕べ褥の中で見たもの同じとは思えないほど。
指先を舐め上げて、見上げて来る瞳。
「飯も食った。儂を玉虚宮まで運べ」
「へいへい」
桃と茶香が笑い合って、風と共に走りぬける。
当たり前の朝はひどく優しくて、愛しいかから。





箪笥の中からあれこれと取り出しては、違う引き出しを開く。
面倒な慣習だと、男はのんびりと茶器を片付けている。
「あんたもちゃっちゃと決めなさいよ!!」
「俺はどれでもいいんだがな」
「定例会は正装でってのは通例でしょ!!あの道徳や慈航だってちゃんとしてくるんだから!!」
藍墨で染め上げた衣を投げつけて今度は帯を選んでいく。
「それ、着ててっ!!」
「俺よりもお前が十二仙になった方が良かったんじゃないか?」
その言葉に、手が止まった。
「……面倒なこと、嫌いなのよ。馬鹿な事言ってないで早く着替えて」
深紫の帯と、腰に携えた一本の長剣。
「ちょっとは見れそうか?」
「そうね」
「惚れ直したか?」
「……馬鹿言ってないで、早く行きなさいよ」
そっと触れる手が、頬を包んで掠めるような接吻を。
頭一つ分の目の高さと価値観の違いは、心意気でねじ伏せた。
「後ろ跳ねてるっ!!屈んで!!」
櫛を片手に追いかけられるのもまた日常。
雲の上の仙人界も、人の世とそうは変わる事など無いのだ。




差し込む光に、目を細めて指先を絡ませる。
「あ、望ちゃん」
指を離す事無く、恋人を引き連れたまま回廊を走る姿。
「何じゃ、二人揃って佇まいを改めて」
「定例会。望ちゃんは何も聞いてない?」
それは、親友にどこまで知らされてるかを探るための小さな一言。
通常の定例会では無い事を、彼女は知っていた。
「いや、何も聞かされてはおらんよ」
「そう……」
「遅れればどやされるぞ?特に、おぬしら二人はな」
遠ざかる姿に、こぼれるため息。不安げに上着の裾を掴む指先。
「……行こう。どっちにしても元始様から正式に聞かなきゃ始まらない」
「……うん……」
優しい人の手が、この心を自制してくれるから。
まだ自分は自分で居られるのかもしれない。
「笑われちゃうね、一緒に遅刻しちゃったら」
「そうだな」
ゆっくりと回廊を進む影が二つ。
「道徳!!普賢!!」
「慈航、ご機嫌いかが?」
その口調に拍子抜けしたのか、慈航道人はがっくりと肩を落とした。
「ご、ご機嫌って……」
「それとも、御気分のほどは?慈航師兄の方が良かった?」
くすくすと笑う少女と、壁に手を付いて笑いを堪える男の後姿。
「それよりか、お前ら!!あっちで道行が喧嘩してんだよ、喧嘩!!」
その言葉に、二人の目が泳ぐ。喧嘩を仲裁する立場では会っても自分が渦中に入る事など
無いのが道行天尊と言う女だからだ。
先代からの十二仙の一人であり、仙女としては初の幹部となる人物。
「め、珍しいな……で、相手は誰よ……」
「それがよー……」
口篭る慈航に、二人は顔を見合わせた。
「……玉鼎……」





中庭の噴水を境とし、二人の仙人は睨みを効かせ合う。
羽衣を纏い、宙に浮かぶのは道行天尊。
水台を足場にして華麗に剣を操るのは玉鼎真人。
どちらも師表十二仙に座する幹部とて、その名を並べている。
「ぬしはまだ子供よのう。斯様なことで儂に喧嘩を売るとは」
ころころと笑って、女はひらひらと剣先をかわす。
ぱらり……小気味良い音が響いて二枚の扇が開く。
「品格の無い剣は、好かぬ」
その目に小さな光が宿り、次の瞬間に生まれたのは衝撃波の刃。
波打つようにそれは玉鼎真人の上着を裂いて、壁へと身体をたたきつけた。
「こえ……俺、道行がキレてんの初めて見るぞ」
男二人の心配などよそに、普賢は口中で小さな飴を転がす。
「……何食ってんだ、お前……」
「美味しいよ、食べる?」
鼈甲色のそれを男の手に握らせて、普賢は視線を二人に向けた。
「宝貝使わないで戦うっていうの、見たこと無いし。こんな場面もう無いかもしれない」
その言葉に、道徳は背筋に何かが走るのを感じた。
今まで普賢がそんなことを口走った事など無かったからだ。
「品格の無い剣か……深い言葉だね。ボクの太極符印はどうなんだろう」
その間にも女の扇は、容赦なく男の身体を斬り付けて行く。
斬仙剣をひらりひらり。唇には余裕の笑みを浮かべて木葉でも避けるかのように。
金色に真紅で描かれた龍が、彼女の手の中で鮮やかに踊る。
「儂を騙したければ、あと千年は功夫を積むが良い。清源妙道真君よ」
仕上げだと急降下して閉じた扇でその額をぺちん、と叩く。
苦笑いを浮かべて男はその姿を解除した。
「!!」
「恐れ入りました。先代からの十二仙、まだ僕では貴女には及ばないようです」
「相手に欲しくば改めて金庭山まで来るが良い。それと……」
今度はもう少しだけ力を込めて、柄の部分でヨウゼンの頭を打ち据えた。
「手土産は忘れるな。年増の婆は甘い菓子が好きじゃ」
その声に二人を見守っていた周辺から一気に笑いがこぼれた。
外見だけならばヨウゼンよりも道行天尊のほうが余程幼い。
「悪くは無い太刀筋じゃ。玉鼎の教えとぬしの努力の賜物」
たん、と大地に下りたって道行は周囲を見まわした。
「皆、定例会じゃ。議場へ行くぞ」
背中を見送りながら道徳は神妙に呟いた。
品格の無い剣、それは今までに考えた事などなかったからだ。
戦士は己の腕が剣であり、盾となる。真っ直ぐな男は時として形振り構わず戦う傾向になる。
「品格のある剣……難しい言葉だな」
「え?」
「ある程度の力を持ったならば、品ってものを求めなきゃいけないってのはわかってたんだけど……
 まだまだ俺も功夫が足りない」
肩を抱きながら、男は先刻までこの場で舞っていた女を思い浮かべた。
重ねた長衣だけでもそれなりの重さはある。それなのに彼女は汗一つ掻かない。
扇で暑さでも凌ぐかのような動き。
(こえーな……道行でこれなんだ。文殊や元始様はどうなんだろうな……)
まだまだ彼も仙人としては若い部類。
この先の自分の成長を願わずにはいられないのだ。




円卓を囲み、十二仙全てが揃う。
議長は開祖である老人、その口を静かに開いた。
「今日、皆に集まって貰ったのは超重要計画についてじゃ」
数十年前、殷王朝に現れた一人の仙女と彼女の忠実なる僕達。
悪しき心を持つ女の魂を封じ込め、仙道を人界から排除するという目的。
一人の男を王として、朽ちかけた古き王都を駆逐するための計画。
「これを、封神計画と名付ける」
基本的に仙道は殺生行為は厳罰に処される。
しかしこの封神計画は魂を封印することによっ殺業には当たらないという。
「封神台の主要管理は太乙真人、雲中子、普賢真人。この三人に任せよう」
開発技術班に名を置いている普賢がそこに入る事はおかしくもなく至極当然だった。
しかし、それだけでは割り切れない何か。
その小さな不安を道徳はひっそりと感じていた。
彼女のことを知れば知るほど、大きくなる疑問と懸念。
「そして、この計画の実行者は、我が一番弟子太公望とする」
「!!」
その名に、介した皆がざわめいた。
太公望は入山してまだわずか数十年。仙号を得るわけでもなく道士として日々過ごしている。
確かに、その能力は仙人と引けを取らないが彼女でなければ成らないという理由も無い。
「この事に関しての意見は受け付けぬ。これは、やつにしか出来ぬことじゃ」
「………………………」
「衢留孫」
始祖の声に老人は答える。
「ぬしのところの土行孫。この計画に参戦させよ」
「……あい分かった」
視線が今度は文殊へと移る。
「文殊広法天尊。李金咤、この計画への参戦じゃ」
「ああ。しかたねーわな。貸してやらぁ」
面倒なことだと、小さく加えて。
「道行天尊。汝のところの韋護、探索隊として使わせてもらうぞ」
「韋護に何かしてみろ、儂が許さんぞ」
ひらりと扇を開いて、その口元を静かに隠した。
「清虚道徳真君。黄天化を勅命によって参戦させよ」
「は……はい!!」
それは予想だにしない大出世。まだ仙界入りして間も無い愛弟子の力の芽を認められた瞬間だった。
この計画はまだ実行に移されるまでには時間がかかる。
それでも、始祖直々の参戦命令は剣士にとってこれほど名誉な事は無い。
「普賢真人。李木咤を封神計画に参戦させよ」
「……………………」
「聞こえぬか。普賢真人」
「……嫌です。まだ、モクタクは幼すぎます」
ただ一人、愛弟子の出陣を拒む少女。
その命をむざむざと散らせる必要など無いと彼女は考えたのだ。
「どうしても戦えというならば、自分が参戦いたしましょう。太公望の盾となり、この
 命全てを掛けて」
「馬鹿者が。ぬしは師表の一人じゃ。勝手は許さぬ!!」
始祖の声を止めたのは、扇を優美に閉じる音。
「なれば、儂も可愛い弟子は手放したく無いのう」
「揃いも揃って、ぬしら女子(おなご)は感情的じゃ」
ほほほ…と笑い女は続ける。
「まあよい。今すぐに実行されるわけでもあるまいて。まだ天化も李兄弟も幼い故にのう」
「太乙真人、もう一人の李家の息子はどうなっておる」
苛立ちを噛み殺して始祖は太乙に目を向けた。
「はい。宝貝『霊珠』はもうじき完成いたします。すれば、三人目の血が現れるでしょう」
「そうか。玉鼎真人、ぬしの弟子はどうじゃ?」
「はい。我が弟子ヨウゼンの力に不足はありません。この計画に参じさせていただきたく思います」
ぎりり…噛み締める歯と握り締めた拳。
その手に触れることも出来ないほどの感情。
「……普賢……」
己の力だけではどうにも出来ないという事実に、俯いたままの顔。
何もできない傍らの無力に、男は唇を噛んだ。
「時期は新しき国が起こるその時。殷を討ち、新しき人間の国を作るそのときじゃ!!」
これが、封神計画の始まり。
そして彼と彼女の運命が決まったその瞬間だった。




「おい、待てって!!」
「知らない!!どうして貴方は天化を出せっていわれて嬉しそうにしてるの!?」
振り返って、掴みかかるように少女は叫んだ。
「まだモクタクは子供なんだよ!!そんな危ない計画になんか参加させられない!!」
「若年でその資質と才能を認められたんだ。それは誇れることだろう?」
「だからって、死なせるために育てたんじゃない!!」
この封神計画は、死すべきものは定められているらしい。
その中に、愛弟子の名が無いとは限らないのだ。
「どうして……どうしてモクタクを出さなきゃ行けないの?」
片手で顔を覆って、涙を隠す。
代わりに自分が戦って済むのならば、躊躇う事無くそうできる。
「それが……あの子たちの天命なのかもしれない」
「そんな言葉で片付けるのなんて、絶対に嫌」
「普賢」
自分一人の感情だけでは、どうにもできないとしても。
「こんなの……嫌だよ……っ……」
何もかもを受け入れるにはまだ幼すぎて、知らない振りをするには彼女は賢すぎた。
頭の良い子は絶えずその先を未来視してしまうから、悲しい。
「まだ実行に移すまでは時間がある。それまでにモクタクを鍛えれば良いさ」
「…………………」
「俺だって天化を死なせる気なんか無い。強さを与えても、無駄死になんかはごめんだ」
上着の裾を、ぎゅっと掴む指先。
その手を取って、静かに絡ませた。





この先十数年後に封神計画は発動する。
その真意は誰も知らないままに――――――――――。





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10:44 2005/09/02

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