『あなたがくれた素敵な事 胸にしまってる光と影』
「なんか嬉しそうだね、道徳」
「そりゃ、嬉しいよ。定例会だから普賢の送り迎えが公認で出来るしな」
乾元山でたまには男二人、愚痴も混ぜながら近況報告。
「んでも、何で俺は駄目でお前は良いんだ?道行だって十二仙じゃねぇか」
同じ女仙であり十二仙に座する道行天尊。始祖は彼女に行動には一切の咎めが無い。
乾元山に来ることも、そしてここで夜を過ごすことも暗黙の何かが動いている。
「人徳ってやつ?」
「それだったら俺の方が上だろうが」
「あー、その考えが駄目だね」
笑いながら言い合う二人の間に、ふわりと落ちる影。
「何を言い合いしておるのかと思えば、あきれたものじゃ」
「道行。ゆっくり眠れた?」
ふわふわと漂う女の手を取って、引き寄せる。
まだ半分眠たげな瞳が、小さく同意の光を灯す。
「普賢はおらんのか?」
「離れ離れで暮してるもんでね。嫁に来いって言っても、まだダメ!の一点張りでして」
唇に指を当てて、道行は首を傾げた。
「そうか。ならば後日出向くか」
左右二つの瞳が異なる色合いで、空を見上げた。
この瞳に映る風景が綺麗だと思えるうちは、きっとまだ人間としての心が残っている証拠。
吹きぬける風に目を閉じて、道行は静かに微笑んだ。
「モクタク、もうちょっと距離を測って。君は近距離戦が上手だから距離さえ掴めば
勝てない戦いなんてないはずだよ?」
足元では監視するように太極符印が静かに光を放っている。
この所の訓練は、普賢の残像との斬り合いばかり。
その傍らで当の普賢真人は黙々と書類を片付けている。
「あのな!!俺だってこんな残像とばっかやりあってても……」
「誰のせいで、僕はこんなに始末書の山と仲良くしなきゃいけないのかな?」
その言葉にモクタクは顔を背けた。
紫陽洞の黄天化となにかと洞府を抜け出しては、あちらこちらで悪行三昧。
つい先日は男子禁制区の鳳凰山まで足を伸ばした。
目的はその主たる竜吉公主ではなく、弟子の一人赤雲娘々。
三人で玉虚宮で大騒ぎ、 始祖にこってりと絞られたのはその師匠の二人。
「終ったら、ちゃんと兵書も読む事。さぼったら核融合起きるように軌道させてあるからね」
筆を滑らせる手を止めて、首を捻る。
こきり、と小気味いい音と相反する慢性的な身体の疲れ。
(道徳もちゃんと始末書やってるのかな……どうせなら、一緒にやりたいな……)
ため息はどこまでも重なって、押しつぶされそうになる。
加えて封神台の管理も追い討ちをかけて、満身創痍。疲れなど取れる前に、次から
次へと雑事が襲ってくるのだ。
(逢いたいな……天化が来てからまともに逢えてないもん……)
なんだかんだの雑用は、全てモクタクが紫陽洞へと向かっている。
自分は白鶴洞から、動くことすらままならない。
「何ため息ついてんだよ……」
「うるさいなぁ、いいの!!」
簡単に見抜かれてしまうほど、苦悩する表情。
ため息は止むことを知らずに、空に溶けていった。
「モクタク、庭掃除もしておいてね」
「何で俺が!!」
「始末書、終らないんだもの。こんなに一杯書いたの初めてだよ」
襟足で跳ねる銀色の髪。
夏の日差しを浴びて、ほんのりと肌が光る。
火照った肌を沈めるための腕は、離れている事実に再度ため息がこぼれた。
竹箒を手に、命じられた庭掃除。
手を抜けばその時点で太極符印の大爆発に巻き込まれる。
「モクタク、モクタク!!」
庭木の陰から振られる手。
「遊びに来たさっ」
「天化……道徳師伯の許可もらってきたのかよ?」
身体に付いたほこりを払って、天化は頭の後ろで手を組んだ。
「もらうわけないさ。絶対ダメっていうに決まってるし」
「ばれたら、お前死ぬぞ。今日はあの女も苛々してっしさ」
それでも、箒を動かす手は止めない。
単純な作業でも終らせなければ、どうなるか彼も良く知っているからだ。
笑って全てを許してくれるほど、普賢真人は甘くはない。
「あのねーちゃんは?」
「あっち。今日は今から師叔も来るって言ってた」
「スース?」
「あの女の親友。元始天尊さまの一番弟子。とにかく、すっげぇ人だし、美人」
その一言に、天化は目の色を変えた。
先日、鳳凰山まで遠征したのは良いが肝心の赤雲娘々に会う事は叶わなかった。
崑崙は基本的に女道士が少ない。
その少ない道士も殆どが鳳凰山に集まっている。
その中でも特殊扱いになるのが、道行天尊、普賢真人、雲中子、そして太公望だった。
「俺っち幸運さね。二人一緒に会える」
「つーか、お前が脱走した事知ったらあの男、ここに直行だと思うぞ」
枯葉を纏めて、布袋に詰め込む。ここまでがモクタクに課せられた仕事だ。
課題をきちんとこなせば、ある程度の執行猶予期間は考慮される。
そのいい例が、今回の始末書の件だった。
「あいつ、足早いからすぐにここ来るぜ。ま、俺は関係ねーけど」
伸びた髪は首の上で結ばれて、何処か中性的。
師弟揃って小さな身体だと、揶揄される事も少なくはない。
「んじゃ、上手く潜れよ」
「待つさ、匿ってくんねーの?」
「俺まで爆撃対象になるのはごめんだからな」
道徳真君と敵対して、得する事など何一つない。
それでなくとも鳳凰山の一件で関係は悪化してしまったのだから。
「んじゃ、見つかったらモクタクが来いって言ったっていうさ」
「殺すぞ、テメー」
胸倉を掴んで、睨みあう。
勝気な瞳同士が、光を飛ばしあった。
「モクタクー、望ちゃん来たよー。どこー?」
「やべ、んじゃ俺行くから」
素早く身体を離すと、モクタクの姿は一瞬で消えてしまった。
先に入山している分だけ、彼の方が仙気を持っているのだ。
才能は可能な限り伸ばす。それが普賢の信念の一つなのだから。
伊達や飾りで宝貝を授与されたのではない。
(どうやって、俺っちねーちゃんに逢いに行こう)
難所困難を乗り越えてこそ、手に出来るものがある。
だからこそ、人生は面白い。
太公望の手土産の最中を食しながら、御互いの近況を報告し合う。
眼前の報告書の山に、流石の太公望も苦笑した。
「なかなかに優秀な弟子じゃのう」
「俺んとこも同じだ」
書類の束を抱えて姿を現したのは、道徳真君その人。
どことなくやつれた風貌なのが、その苦労を忍ばせた。
「普賢、俺にはこれが限界だった……真面目に死ねる……何なんだこの山は……」
座らせて、暖かい茉莉花茶ともらった最中を差し出す。
「お茶飲んで、一緒にやろ?」
「書類もそうなんだが、天化が脱走した。こっちに来てんじゃないかと思ったんだが……
おい、モクタク。お前も天化とつるんでるよな。見なかったか?」
上手な嘘がつけるのも、普賢に譲られた特技の一つ。
二個目の最中に手を付けながら、モクタクは首を横に振った。
「知らね。ずっと庭掃除してたし」
指先に付いた餡を舐め取って、茶に口を付ける。
「あいつめ……見つけたら空中飛膝蹴だな。この間といい今日といい……」
頭を抱える男を、少女が覗きこむ。心配そうに指先がその手に触れた。
「探しに行くなら、手伝うよ」
「いや、死にやしないとは思うからいいんだけどさ」
理由はともあれ、こうして間近で触れる事の出来る幸せ。
「御夕食どうする?望ちゃんは泊まってくよね?」
「爺もどっかにいっとるし、煩い鳥もちーとばかり黙らせて来たからのう」
意味深な笑みは、確信犯の罠。
「俺も泊まってくかな。どっちにしろ、ここに天化が来る可能性は高いし」
普段ならば紫陽洞に帰らせるはず。それが仙道としてあるべき姿。
「そうだね。変に動くよりも確実かもしれない」
「んじゃ、夕飯までモクタクの相手でもしますかね。タダ飯食いにならないように」
「お願いしちゃってもいい?モクタクも実戦の方が好きみたいだし」
最中を平らげて、太公望が欠伸を噛み殺す。
「普賢、腹ごなしにわしにさせてもらえんか?道徳も始末書がまだ終っておらんようじゃしのう」
姜族は剣舞を得意とする部族。血が騒がないわけではないのだ。
黒髪を封じる組紐を解いて、ばらりと風に泳がせる。
「わしが、相手じゃ。李モクタクよ」
相手の名を正確に呼ぶのは、彼女なりの礼儀。
それは即ち、本気で掛かるという意思表示でもあった。
太公望とモクタクの打ち合いを聞きながら、二人は始末書に筆を滑らせていく。
「うーあ……首、痛ぇ……」
「少し休んだほうがいいよ。もう少しで終わりだし。ボクも休憩取っちゃおうかな」
長椅子に腰掛ければ、その膝に男は頭を乗せてくる。
その重みと彼の匂いが、心を穏やかにしてくれる魔法。
「あ、そうだ。ちょっと待っててね」
席を外して普賢が手にしてきたのは、細い耳掻き。
「ついでにやっちゃおうかーって」
「んー……それ、気持ち良いから好き……」
「するほうも楽しいよ」
「ん…………」
柔らかな腿の感触と、耳を擽る竹棒の心地よさは眠り薬よりも遥かにその威力を発揮してしまう。
加えて苦手な文筆作業は、彼を心身ともに疲れさせていた。
聞こえてくる寝息に、綻ぶ唇。
どんなに離れても、引き離されても、一つだと言い切れる確かな感情。
(疲れてるんだよね、道徳も。久々の新弟子だし)
片耳の掃除を終えて、覆い被さるようにして唇を重ねた。
甘えるだけでも甘やかされるだけでもなく、彼にとって安堵できる場所でありたい。
船がとどまる事の出来る、港のように。
(寝顔、可愛いって思っちゃダメかな……)
君が愛しいと思えるこの気持ちは、ゆっくりと形を変えて行く。
人を捨てて仙となったはずなのに、人としての心が彼を思う。
「……どした?泣きそうな顔してるぞ」
「幸せだから、苦しいの。ボクだけが生き残ってしまったから」
「……俺、半端じゃなく長生きする予定なんだけどさ。ずっと一人で行きてくもんだと
思ってたんだ。でも、残りの長い時間、一緒にいてくれるんだろう?だから、俺は
絶対仙界一の果報者だ」
この手が、なくなる事の恐怖。生まれては消える嫉妬との戦い。
「あんまり、辛くなるような事は考えなくて良いんだ。俺たちって時間だけは嫌って程
あるんだからさ。この先だって、考えるだけでおかしくなりそうな時間を生きていくんだ」
「……うん……」
「笑ったほうが可愛い、普賢」
手を伸ばして、そのまま抱き寄せるようにして唇を触れ合わせた。
「ありがと……」
「普賢を甘やかすのが、俺の仕事ですから」
まだまだ懐の深さで勝つ事は出来ないけれども、いつかは対等になれる様に。
「んー……じゃあ、甘えちゃおうかなぁ……」
その瞳が曇らないように、絶えず光を得られるようにと。
この身体が楯になるのならば、傷など厭わないのです。
痛い、辛い、苦しい、悲しい、そんな感情さえも。
分け合って飲み込んで、またぶつけ合っていたいのです。
「よしよし、良い子だなー」
「……何だか、ただ子供扱いされてるような気がする……」
身体を起して、まるで子供にするような抱擁と愛撫。
それでも、肌で感じられる暖かさはそれだけで幸福をもたらしてくれる。
「御夕飯、美味しいのつくるね」
「俺、紫陽洞(うち)にいるとロクなもん食ってないような気がする」
「やだ。天化にもちゃんと食べさせなきゃ、成長期なんだし」
頭を撫でる手と、腰を抱くもう片方の手。
「痩せたか?」
「わかんない。あんまり気にした事ないし」
「心配だな。たださえ、細くてちっこいのに」
ちゅっ、と額に唇が触れて。
「ここに、して?」
細い指先が、唇を指した。
「続きは、後で?」
珍しく誘ったのは、少女の方から。
「俺はいつでも」
「逢えて……嬉しいんだ……ずっと逢いたかったから……」
もしも空までこの手が届くなら、今すぐに夜の帳を下ろしてしまいたい。
それまでの時間を埋める、序章の接吻に再度瞳を閉じた。
「道徳、庭に犬がおるぞ」
「犬?」
剣を磨きながら、太公望は視線だけをそちらに向けた。
かすかな仙気と、小さな息遣い。
「まぁ、確かに俺んとこの仔犬だな」
林檎を齧りながら、道徳は太公望に目配せをした。
「共犯者がいるな、これは」
「じゃな。疲れ果てて部屋で休んでおるがのう。まぁ、わしに任せておくがよい」
植え込みに近付いて、太公望は手を伸ばした。
「隠れずとも良いぞ、おぬしの師匠にはわしが執り成そう」
「ほんとさ?」
「嘘はつかんよ」
その声に、少年は少女を見上げた。
「…………………」
健康的な肌と、艶めくような闇色の瞳。その中に見える強い意思を秘めた光。
玉虚宮で見た少女が月ならば、彼女は光を引き連れた太陽。
「わしは太公望。ぬしは?」
「……黄天化……」
「良い名じゃ、天化」
運命的な恋は突然に降ってくるからこそ面白い。
それは後に二人が知る言葉だった。
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0:43 2005/06/17