「浮気な街で君の足元に転がる儚い夢に……どうか躓かないように」






「望ちゃん、お花綺麗だねぇ……」
庭先に出した長椅子に腰掛けるのは少女二人。
はらはらと舞い落ちる桜にうっとりと視線を傾ける。
「美味い酒と、優美な桜。これに勝るものなど無いな」
「そうだね……宮には桜だけ、無いんだもんね……洞府構えて良かった……」
今が盛りと白鶴洞では、桜満開花吹雪。
「あ、モクタク。腹筋終ったらお茶でも飲まない?」
「なんじゃ、もう息が上がっておるぞ?」
軽やかな口調と、にこやかな表情。
その口で彼女らが少年に言いつけたのは『腹筋千回』と『素振り千回』だ。
桜花も少女も、残酷なまでに愛らしいのがその特徴。
耳元を吹き抜ける風さえも、薄紅色に感じて。
うっとりと見惚れてはため息を付くばかり。
「あ、そうだ。道行に月餅貰ったんだ。食べよ?」
「無論、頂くよ」
枝葉が囁く甘い夢。
巣足に引っ掛けた靴が、風に揺れた。







「コーチ、良いですか?」
「あー?どうした?」
珍しく書簡を開いては、筆をつける。
天化が紫陽洞に来て約一月。
ここでの生活にもようやく慣れて、基礎訓練を始めたところだ。
適応力は黄家の血も相まって、文句は無い。
一つ難を付ければ、脱走癖も歴代一位を塗り替えそうな勢いと言うこと。
「また逃げたか?今日は大丈夫だろ?紫陽洞全体に結界張ったし。たまには俺も真面目に 
 仕事しないと普賢に文句言われるしさ」
「いえ、その……おねーちゃんの所に遊びに行かなきゃ行けないって朝からずっとで……」
「……あんのエロガキ……まだそんな寝言を……」
こめかみを押さえて、頭を降る。
頭痛の種は思わぬところで生まれるのだ。
「おねーちゃんというのは……鳳凰山の公主さまですか?」
「……白鶴洞の俺のお姫さまのほうだよ。玉虚宮で逢ったらしい」
書き上げて、次の書簡を開く。
十二仙に座している以上、書類とも仲良く付き合って行かなければならない。
直接に手をかけなくとも良い期間に、片付けられるものは片付けてしまおうという考えだ。
そうこうしてる間に、聞こえてくる泣き声と叫び声。
脱出不能であることを理解した結果、下された癇癪。
「桜満開なのに、一緒に見れないんだな……」
喧騒など、耳には届かないのかぼんやりとした表情で男は桜を見上げた。
窓越しにみる満開の桜花。
一年前までは、二人寄り添って見上げていられたのに。
「お子様の相手に行きますかね……」
重い腰を上げて、ため息を一つ。
舞い散る桜に、絡ませた。






「天化」
なき止まない子供の目線に合わせて、男は屈み込む。
「ほら、泣き止みなさい」
「家に帰るさ〜〜〜〜っっ!!!こんなとこ、詰まんなくてもう嫌さ〜〜〜っっ!!」
もし、ここに恋人がいたならば的確に子供を宥めることが出来ただろう。
「何が不満なんだ?師兄……にーちゃんたちもちゃんと面倒見てくれるだろ?」
「いつまでたっても同じことばっかりやらされるさ!!」
「俺なんか、同じ事ばっかり四千年くらいやってんだぞ。それにな、毎日ちょっとずつ
 繰り返して強くなるんだ。いきなりどーんとなんて強くはなれない。天化の親父さん
 だって、毎日修行したから、強くなったのはわかるだろ?」
少年に理解できるように、言葉を選んで道徳は天化を諭していく。
彼も、毎日の鍛錬でここまで登ってきた。
「な、天化。ちょっとあの桜、見てみ?」
道徳が指したのは、一本の古桜。
枝に若さは幾ばくか足りないが、美しい花を咲かせている。
「あの桜、綺麗だろ?」
「うん…………」
「あの桜だってな、凄い長い時間かけてあそこまで大きくなったんだ。一日やそこらでじゃない。
 それは天化だってわかるだろ?俺も、にーちゃんたちも、時間をかけてここまで来た。
 簡単に強くなれるもんじゃない。親父さんを超えたいんだったら、詰まんなくても
 頑張れば強くなれる。いや、俺がお前を強くする」
同じように、幾重にも重ねてきた互いの気持ち。
少し離れたところで、揺らぐ事は無いと信じている。
それでも、人の心は誘惑に弱すぎて。
優しい誰かの手が差し伸べられれば、思わず取ってしまう。
(散らせねぇぞ……それに、誰にも負けねぇ……)
抱き締め合って、確かめられるはずの体温を忘れないうちに。
次の夜を重ねたい。
「コーチ、モクタクが来てるんですけど……」
「あ?モクタク?」
見れば何か包みを抱えて、不本意な表情のモクタク。
ぶちぶつと文句を言いながら、その包みを男の方へと差し出した。
「あいつから。弁当だって」
一足先に入山した、恋人の愛弟子はすでに宝貝を使っての実践段階に入っている。
負けず嫌いなのは、どちらも同じ。
例え恋人でも、己の弟子をより強くさせてやりたい。
「悪いなわざわざ。ついでにこいつの話し相手にでもなっていけ」
「はぁ!?」
「黄天化。俺の弟子だ。天化、こっちが李モクタク」
見た目が自分よりも幼い少年に、天化は思わず噴出す。
「……ぶっ殺す……」
「うはははは!!!俺っちチビには負けないさっっ!!」
襟首を掴んでくるモクタクの腕を下から弾き飛ばそうと、拳をいれる。
天化の計算が正しければ、ここでモクタクの重心が崩れるはずだった。
しかし、どれだけ体が小さいとはいえ、自分よりも先に入山している身。
そして、彼の師匠はあの普賢真人なのだ。
「チビとか言ってっと、後悔するぞ?脳味噌空っぽが」
少女の口癖の一つ。
『相手を見つめて、中心を探し出しなさい』と。
万物全てにある核を見出せば、倒せない相手などいない。
体の大きさが勝負を決めるのではなく、真実を見極める目が勝利を招くのだ。
「!!」
そのまま一度前に突き出して、勢いをつけて地面に叩き突ける。
「師叔来てっから、俺、帰る」
「腕上げたな、モクタク」
「……まぁな。もっと強くなってあんたをブチのめす」
まだまだ頼りない背中に、恋人の期待を背負って少年は階段をひたすら駆け上がる。
振り返るほどの余裕も無く、ただ、前だけを見つめて。
「お前、強いんだな。チビなんて言って悪かったさ。俺っち、黄天化」
「李モクタク。九功山白鶴洞、普賢真人の門下だ」
白の道衣と、後ろで一つに纏められた薄黄土の髪。
丸く大きな瞳と、小柄な身体。
「はくつ……あ!!もしかして、あのねーちゃんのっ!!」
「ねーちゃん?」
訝しげに眉を寄せて、モクタクは首を捻った。
「な、あのねーちゃんの話聞かせて欲しいさ」
「あいつ?性格、激悪いぞ。根性も」
「でも、めっちゃ綺麗さ!!」
「太公望師叔の方が、全然綺麗だな。あんな性格悪い女……」
言いかけて、モクタクは口を押さえる。
紫陽洞の主は、自分の師匠の恋人。
それも、心底惚れこんでいる状態だ。
「天化っ、あっち行こうぜ!!あっち!!」
「おう!!」
そそくさと天化の手を引いて走って行くモクタクに、道徳は苦笑した。
(俺の女に性悪だと?お前だって同じ趣味じゃねぇか)
惚れてしまったら痘痕も笑窪。
多少、気難しいところがあったとしてもそれさえも愛しくて叶わない。
(ちょっとくらい性悪の方が、可愛いってもんだ。子供にはわかねぇだろうけど)
移り香がほんのりと彼女の存在を伝えてくれる。
本当ならば、自分で持ってきたかったのだろう。
布地の結び目に挿された白百合の可憐さ。
(逢いてぇな……声だけで良いんだ……夢でも……)
夢の中でさえ、すれ違ってしまう。
疲れすぎた日常は、幻想の逢瀬さえも奪ってしまう。
その手に触れて、抱き締めたいのに。
叶わないから、焦がれて苦しくなる。
それが『恋』と言うもの。
だれかを愛するということだから。




「コーチと、あのねーちゃん、知り合いなんか?」
くすねてきた月餅を二人で齧りながら、だらりと欄干から足を投げ出す。
道行天尊自作の菓子は、仙界でも指折りの味だ。
「知り合いっつーか……」
二個目に口をつけて、モクタクはぶつぶつと言葉を繋ぐ。
「つーか?」
「……って言うか……お前のとこの師伯と、俺の師匠は恋人関係っちゅーか……」
「あのおっさん、おれっちには外出厳禁で自分ばっか遊んでたさっ!?ずっりーーっっ!!」
「いや、俺とかが来る前からずっとだから。なんつーか、白鶴洞は……疲れる……」
甘い甘い恋に満ちた洞府は、少年にとって居心地のいい物ではない。
男の話をするときの彼女は、とびきり優しい顔になるのだ。
ほんの少しだけ、頬を染めて、言葉を選びながら。
親友に切々と語る思いは、十重二十重に。
「おれっち、あのねーちゃんから遊びに来いって言われてるさ」
「今なら太公望師叔もいるしな。師叔の方が師匠よりか可愛いぜ」
子供とはいえ、男は男。
取りごろの少女に興味は捨てきれない。
「太公望師叔?」
「そ。元始天尊さまの一番弟子。道士にして師表十二仙と同格の人物。黒髪ですっげぇ
 可愛い人で、頭もすっげぇ良いんだ」
正反対の少女二人。
どちらを選べと言われても、即決は出来ないだろう。
「絶対、白鶴洞に行くさ。何がなんでもそのねーちゃんたちと会うさ」
「けどよ、お前んとこの師伯、手加減しらねぇぞ?下手に脱走して白鶴洞(うち)に
 来て見ろ。見つかった瞬間にぶっ飛ばされるな。あの男もあいつの事となると見境無いから」
曇り空に、モクタクは眉を寄せた。
「俺、帰るわ。雨降りそうだし」
「な、白鶴洞ってどっちさ?」
「あっち。けど、今のお前の足じゃ良くて七日は掛かるな。だって、まだお前仙気ねぇもん」
腰に携えた鉤型の剣。
彼もまた、少年と同じ剣士として育てられているのだ。
「んじゃあな。あの人にもよろしく」
揺れる髪と、小さくなる後姿。
その速さに自分との力の差を、まざまざと見せ付けられた気分だった。





「曇ってきたな……」
空模様とはうらはらに、男の表情は上機嫌。
丁度良く、預かった重箱も皆で空にしたところだ。
「一雨来そうだ。ちょっと、弁当返しに行ってくるわ。明日も雨だったら天化の基礎、頼んだ」
「せいぜい風邪引かないようにしてくださいね」
弟子に見送られて、道徳は紫陽洞を後にした。
この雨をどれだけ心待ちにした事か。
苛立ちを断ち切るために、舞い散る桜の花弁を、一枚残らず莫邪で斬り付けた事もあった。
遣らずの雨を祈ったのは、どちらも同じ。
「雨……桜、散っちゃうかな……」
霧雨は、甘い魔法のように降り注ぐ。
ぼんやりとした灰色と、溶け合うような薄紅の花。
(不思議な色……綺麗……)
窓越しに見つめて、卓台の上の小さな玻璃に目線を移した。
藍と紫が織り成す美しいそれは、彼が贈ってくれた物。
「一人で飲んでも、楽しくないんじゃないのか?」
「……道徳……」
「いや、途中から降り出してさ。結構つめて……」
言い終える前に、飛び込んでくる小さな身体。
そっと抱き締めて、その温かさを確かめあった。
離れれば離れるほどに、どれだけ相手を欲しているかを自覚する。
当たり前だったはずの日常のありがたさ。
そして、その笑顔がもたらす幸福。
「風邪引いちゃうよ……冷たくなってる……」
涙声と、胸に埋めたままの顔。
小さな頭を掻き抱いて、唇を重ねた。
ただそれだけの行為なのに、胸が締め付けられる。
止まらない感情と、不安定な心の行方。
震える手が背に回るのを確かめて、今度はもっと深く口付けて。
何度も何度も、言葉の代わりに貪るような接吻を重ねた。
雨音が、何もかもを隠してくれるから。
この誰もいない空間で、離れていた時間を取り戻したいと願った。
「……っは……」
舌先を繋ぐ、甘い銀糸。
うっとりした瞳が、見上げてくる。
「雨……止まないと良いね……」
「そうだな……雨の日は、ここに居られる」
男の手を取って、頬に当てる。
武骨な手の優しさと、安定感。
まだ、誰かの温かさが近くに無ければふらついてしまうような危うさ。
「太公望と、モクタクは……」
「望ちゃんと一緒にモクタクと宮に行っちゃった。白鶴と麻雀するんだって……」
小さく「だから、誰も居ないよ」と唇が囁く。
二人だけで、いられるように。
「一緒に、桜……見たかったの……」
「……ん……」
掌がほんのりと光って、何かを掴むように指先が動く。
次の瞬間、道徳の手に握られていたのは桜花の枝だった。
「桜を折るのは、馬鹿だったよな……確か……」
「……あとで、ちゃんと剪定してあげなきゃね……」
くすくすと笑って、花にそっと唇を寄せる。
「これで、お前が紫陽洞(うち)に来る理由が出来たな」
「そうだね……晴れた日に、逢えるね……」
額に触れる唇に、静かに閉じられる瞳。
夜はまだ、始まったばかり。
「今日は、一緒に居てくれる?」
「雨の中、帰れって言うのか?」
「言わない。やっと……逢えたんだもん……」
ゆっくりと、この時間を共有しよう。
「きゃあ!!」
膝抱きにされて、寝台の上に降ろされる。
何度も抱かれたはずなのに、離れていたせいか少しだけ、戸惑ってしまう。
「怖い?」
「ううん……なんか、ちょっと恥ずかしいかもしれない」
師表二人と一組の男女。
「俺も、ちょっとそうかもしれない」
「あはは。同じだね」
道衣に掛かる指と、囁く低い声。
瓶に挿された桜花だけが、二人の夜を静かに見つめる。
「一緒に、桜見れたね……次の桜も、一緒に見ようね……」
「この先も、ずっと。桜だけじゃなくて、色んな物も一緒に見ような……」





夢は夢でしかないのだから。
例え過酷でも、現実で君を抱いて居たい。
甘い嘘よりも。
酷く痛む心を抱いて、君に触れて居たいから。





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1:17 2005/04/14

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