『君が大好き 甘いキスよりも こんなに大事な事はそうはないよ』
                  大好き





すれ違いばかりの日々は、不安を掻き立てる。
それが本体あるべき生活だと知っていても、受け入れることが困難なほどに恋に溺れた。
「どんな子なのか、見たいもん」
「だからと言って、この格好は何じゃ?普賢」
「……隠密な感じに……ダメ?」
黒尽くめの服装に、太公望は大きくため息をついた。
「何も、堂々と行けばいことじゃ。道徳とおぬしの仲を知らぬものなどおらん」
「新しくきた子は、知らない。それに……」
首布を口元に寄せて、目だけで笑う。
「あの人がどんな風に育てるのか……すごく興味があるんだ。どうして、あれだけの
 剣術を身に付けたのか。如何にして十二仙で最高の戦闘力を手に入れたのか。
 それがわからないままだったら……ボク、ただの女に戻っちゃう気がするから」
対等でありたいから、この目を凝らして。
彼の内側の最も核となるものを見つけたい。
「おぬしらしというか……しかし、これだけ待っても出てこぬのだ。今日は諦めよ」
「……んー……うん……」
普賢の手を取って、太公望はすたすたと歩き出す。
「今日は白鶴洞にとまらせてもらうぞ」
「本当?嬉しい。モクタクも喜ぶよ。望ちゃんの事が大好きだからね」
師匠とは対照的な少女に、モクタクは興味津々。
何かと理由をつけては、傍に寄りたがるのだ。
「どんな子なのかだけでも……見たいな……」
「顔だけでもみていくとするか」
「え…………?」
「何も、玄関から入れば良いだろうに。おぬしと道徳の間じゃぞ?」
普賢の手を引いて、ずかずかと太公望は進み行く。
「え、だって!!」
いざとなれば、勇気が出ない。
玄関先で押し問答を繰り返すうちに、扉が開く。
「何やってんだ?普賢。太公望も」
顔を見せたのは道徳真君一人だけ。
「新しい子は?」
「疲れて寝てるよ。まだなれないし、十一になったばっからな。何だ、俺に逢いに来て
 くれたんじゃないのか?」
灰白の髪を指に絡めて、寂しげな光が瞳に宿る。
「だって…………」
例え子供でも、同じ男である限り。
いつだって回りは敵だらけ。
剣を手にどれだけ切り払っても、次から次に障害は襲い来る。
「晩飯だけ、あとで食いに行こうと思ってたんだけどな」
「本当?今日は望ちゃんも泊まって行ってくれるんだ」
「ん。暫くは、俺が出る幕は無いからさ。道士連中の腕を上げるのに、新弟子は最適だ」
紫陽洞の慣習の一つに、兄弟子による新弟子の教育がある。
崑崙での生活に慣れるまで、師匠である道徳真君は直接の指導はしない。
宝貝を得て、道士として伸ばしたい人間を新弟子にあてるのだ。
兄弟子たちが合格判定を出して初めて、道徳真君との生活が始まる。
彼の修行に耐えうる精神があるかどうか。
それを見極めるための目もまた必要だと、男は笑う。
「俺も白鶴洞、泊まって行こうかなぁ」
「ダメ。新しい子が来てるんだから」
「どうしておぬしらは揃って、周りを無視する事が得意なのだ。聞いてるほうが恥ずかしいわ」
腕組みをして太公望は首を振った。
いつだって、被害を被るのは回りの人間ばかり。
傍迷惑な恋人たちは自分たちの世界をみつめるだけで精一杯。
それでも、恋はその手を離してはくれないのだ。




「師叔、なんかあの人の好物ばっかり並んでる気がすんですけど」
煮詰めた筍に箸を突き立てて、モクタクは太公望に目線を向ける。
「新婚家庭だと思え。そうすれば気にもならん。普賢、皿をもう一枚もらえるか?」
左手でそれをうけとり、猪口に口を。
小さな唇が齧るように触れるさまに、少年はうっとりと見とれてしまう。
灰白の目と髪を持つ自分の師匠と対極にある色。
黒髪と儂色の瞳。太陽の加護を受けたような健康的な身体。
笑う様は妖艶さの手前、育てば傾国の魔性をも持ち得るだろう。
「あからさま過ぎんのも、なんだかなぁ」
「鉄分不足じゃ。もっと食うが良い。モクタク」
「師叔は慣れてるんですか?」
「わしは、道徳よりも普賢の事を知っておる。それで十分じゃろう?」
椎茸に接吻して、飲み込む姿。
仙道に色恋は無い物と、他の師兄たちは口を揃える。
それでも、肝心の自分の師匠はあの甘さに取り憑かれて溺れてしまって。
すっかり少女に戻ってしまった。
「道徳、おかわりは?」
「ん。貰う」
離れれば離れるほど、愛しいと思えるように。
甲斐甲斐しく乙女らしく、少女は男の世話を焼きたがる。
「付いてるよ。そんなに焦らなくても無くならないのに」
くすくすと笑って、米粒を取る指先。
「普賢、わしにもくれ。モクタクももっと食わんと大きくなれぬぞ?」
「太公望、そいつの背はのびねぇと思うぞ。普通だったらもっと背丈とかあるしな」
「道徳」
菜箸の先が、男の眼球の寸前で止まる。
「モクタクはこれから大きくなるの。あなただって昔は小さかったんでしょう?」
例え恋人でも、愛弟子を愚弄するのは許せる事ではない。
天秤はゆらゆら。彼女の心で動いては止まる。
「飯食ったら、帰んねぇとな。流石に朝起きて俺がいないのもあれだろうし」
「そうは言うものの、帰りたくない。と、顔が言うておるぞ」
「あんたさ、仙人らしくねぇよ。仙道ってのは殺戮と愛欲を捨てるんだろ?」
蕈飯を口一杯に頬張って、もぐもぐと口を動かす。
蕪汁で飲み下して、再度炒めた筍に手を伸ばした。
「昔の決まりだ。俺にはさして関係も……」
「そう言われると、そうなんだけどね」
小皿に煮物を取り分けて、男の前に。
「古くても、しばらくは決まりを守らなきゃいけないよね」
それは互いに思っている事。
けれども、それを守るのはとても困難な事も分かっているから。
「元始様のところには行ってきたの?」
「んー。あとは正式に仙籍に入るときだな」
道士見習いとして、仙籍にはいるまではまだ『人間』として扱われる。
身支度と気構えの準備期間。
「通い夫も大変じゃのう、道徳や」
「望ちゃん!!」
「通い妻よりは、聞こえがいいだろうから俺は気にならないけど」
三人三様、どれも仙道には思えない言動。
(……なんか、こいつらみんな仙人じゃねぇよ……)
師表たるもの達と、始祖の一番弟子。
それなのに、揃いも揃って人間らしい。
全ての欲を捨て去るのが、仙道のあるべき姿だと言っても。
乙女十七、まだまだ花盛り。
このまま枯れるのは嫌だと、今が桜花、咲き乱れ。
「ま、俺のとこのが育ったらモクタクと手合わせさせられるからな」
「あはは。いいね、それ」
「なら雲中子らと、賭けでもさせてもらうかのう」
いまだ分からないのは、己の師が何ゆえこの男を選んだのか。
掃いて捨てるほど、仙人には男が多い。
(おっさんなんかの、どこかいいんだろうな。あいつも物好きだ)
目に見えない何か。
それを見極めるにはまだまだ時間が必要だった。






「帰っちゃう?」
「ん。朝帰りじゃ示し付かないだろ?まぁ、追々慣れさせて行くけどな」
さわさわと頭を撫でてくれる大きな手。
その温かさが、遠くなることの寂しさと夜の風。
「あ、これ……持って行って。お弁当」
「ありがとう」
「あとね、丹薬。具合悪くなったら飲ませてあげて」
小さな皮袋の中の丸薬たち。
「あとね…………」
「そんなに、泣きそうな顔しないでくれ……」
わがままだと分かっていても、この手を離したくない。
「泣かないもん……」
この手を離したくないのは同じことで。
君が悲しいと思うことが、どことなく嬉しくさえ思えてしまう。
「雨降んねぇかな……」
「?」
「俺の基本方針。雨の日は、師匠放棄」
「……馬鹿……」
それでも、その小さな唇が嬉しげに笑うから。
「雨降るように、祈っててくれ。おやすみ」
「おやすみなさい」
気持ちを確かめるような小さな接吻。
夜の長さを、抱き締めながら落ちる眠り。
人が夢見れば儚くなると言う。
仙道である自分が夢見れば、どうなるのだろう、と彼女は小さく呟いた。





「あの人最近来ませんね」
剣を素振りしながら、モクタクは目線を普賢に向ける。
だからといって、普賢に様子に別段変わった物は無い。
書簡を開き、開発班の研究で部屋に篭る日々。
「そうだね。雨、降らないし」
空は快晴、雲一つ無い。
咲き乱れる紫陽花に舞う、少女のため息。
「午後からちょっと玉虚宮の方に行ってくるね。兵書の書き取り、ちゃんとしておいて」
「へいへい」
「一文字でも間違えてたら、太極符印だからね?」
「が……がんばりますっ……」
普賢が笑顔で要件を告げるときほど、怖い物は無い。
その宣言通りに、先日も小規模核融合を食らったばかりだ。
沈着冷静と謳われる仙女は、よく笑いよく泣く。
街を歩く十七の娘と、何の違いがあるのだろう。
「モクタク、手、出してみて」
「?」
言われるままに手をだせば、ぴったりとあわせてくる白いそれ。
「僕と同じ位かな。今からもっと大きくなるよ」
「だったらどうしたって言うんだよ」
「その分、強くなれるってこと。文武両道のいい剣士になろうね。モクタク」
灰白の髪が光りに透けて、まるで銀糸のよう。
きらら、と甘い光は少年の心をゆっくりと絡め取る。
仙女とは、人の心を惑わすもの。
その御伽噺に、偽りは無かった。






(変な乱れも出てないし、封神台の方はちゃんと稼動してるみたい)
画面を見上げながら、普賢は首を捻った。
書庫の地下に作ったのは、いわば封神台を管轄する場所。
太乙真人、普賢真人、雲中子の三人が管理をしている。
一箇所で不良が出ても、残り二箇所で補えるという仕様だ。
(魂ごと保管……転生もできない、か……)
来るべき『封神計画』のために、抜擢された若き仙人。
十二戦の半数が、齢五千に満たない。
その最年少が、自分なのだ。
(なにも、主力の太乙のところだけでも十分だと思うんだけどなぁ……)
まだ、彼女は始祖の真意を知らない。そして、その男の過去も。
与えられた仕事を忠実にこなし、自分のことだけで精一杯なのだから。
(伏羲……誰なんだろう?皆、暗証が違うけど……)
一度も聞いたことの無い名前。
それでも、暗証に使われるほど大事な名前。
(道徳なら、分かるかな……ボクよりもずっと長く崑崙(ここ)にいるし……)
椅子の背もたれが、体重を受けて軽く悲鳴を上げる。
緑色の発光する光がただ、ばらばらと崩れていくだけの空間。
螺旋状に数字が流れ、寸分の狂いもなくそれを繰り返す。
始まりと終わりだけ。
ただ、それだけの部屋。
(誰なんだろう……分かるのは、雲中子のところが、公主だってことくらい……)
それぞれに、因縁あるものの名前が暗証番号として使われていることなど知る由も無く。
浮かんでは消える疑問符を睨むだけ。
(でも、実行者は望ちゃん……それもまだ本人には告げられてはいない……)
考えても、考えても、結論など出てこない。

うんざりとした空気が、頬を撫でていくだけだった。





謁見を済ませて、回廊を歩く。
差し込む光は、初夏のそれ。
(あれ……?迷子かな?)
見れば、きょろきょろと辺りを見回す、見知らぬ少年の姿。
(どっかに弟子入りしたのかな?)
静かに近付いて、声をかける。
「どうしたの?はぐれちゃった?」
「あ……うん。わかんなくなったさ」
「玉虚宮(ここ)は迷路みたいだからね。住んでても迷っちゃうから」
「ねーちゃん、ここに住んでるさ?」
可笑しな訛りに、普賢はくすくすと笑う。
「昔ね。今はここからずーっと、向こうの方の白鶴洞って所に住んでるの」
薄紅の長衣と、右耳の藍玉。
灰白の髪の少女になど、今まで出逢った事は無い。
まじまじと見つめれば、どこかまだあどけない様な愛らしさ。
(でも、このねーちゃんも仙人なんだろうな……)
崑崙にいると言う事は、少なくとも人間ではない。
そして、この玉虚宮に昔住んで居たと言うならばそれなりの階位のある道士だろう。
(コーチも、にーちゃんたちも、ここには偉い人が住んでるっていってたさね)
小さな手が、少年の頭を優しく撫でる。
「今度、遊びにおいで。お師匠様と一緒に」
「うん!!えーと、はく……はくつ……」
「白鶴洞。九功山って言えば、分かるから」
「遊びに行くさ!!」
「元気があって良いね。お名前は?」
大きく息を吸って、少年は胸を張る。
「黄天化さ」
「そう。ボクは普賢真人といいます。またね、天化」
小さく手を振って、消えていく姿。
ほんのりと甘い香りだけが、彼女がここに居たことを証明してくれる。
「あ!!勝手に動き回るなっていっただろうが」
同じように紫紺の長衣の正装姿。
男は少年の手を引いて、帰路に付こうとした。
「コーチ、さっき綺麗なねーちゃんに逢ったさ」
「綺麗なねーちゃん?なんだそりゃ」
天化の言葉に、道徳真君は首を捻った。
「遊びに来いっていわれたさ。今度連れてって欲しいさ、コーチ」
「連れてけっていわれても、誰だかわかんなきゃ、無理だ」
崑崙には無数の洞府がある。
言葉を信じて仙女としても、特定するには難しい。
「えーと、なんとか真人って言ってた」
「ずいぶんといい階位のおねぇちゃんと……真人!?」
仙女で『真人』の階位を持つ者ならば、かなり絞られてくる。
当然ながら彼の脳裏の筆頭にあるのは普賢真人その人。
「もしかして、そのおねぇちゃんは、綺麗な髪の色だったか?」
「うん!!銀色で白くて、めっちゃ綺麗だったさ!!遊びに行きたいさ〜〜〜!!コーチ〜〜〜!!」
せがまれても、件の白鶴洞に行きたい気持ちは自分の方が勝っている。
(お前が居るから、俺は普賢と逢えねぇんだよ……なのに、遊びにいくだぁ?絶対阻止だ!!)
ちらつくのは、甘い日々。
(それもあわせてみっちり鍛えてやっからな……天化)
「いつ連れてってくれるさ?」
「そのうちな、そのうち。まずはきちんと師兄たちの言うこと聞け」
まだ、彼が少年と向き合うには時間が必要。
どれだけの逸材かを、見極めてから男は剣を取るのだ。
(偶然でもいいから、俺も逢いたいよ……なぁ、普賢……)
二人を繋ぐ、雨はまだ来ない。
いっそ嵐でも来ればいいと、男は呟いた。




どこで眠っていても。
どんな所に居ても。
君の事を思わない日など、ありはしないから。




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0:26 2005/04/07




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