『生まれ変わる気持ちが 今……分る
愛し始めた日から『永遠』を信じた……』
生まれ変わる気持ち
妖艶たる剣舞、それをして彼女の名は崑崙に知れ渡る。
「望ちゃん」
伸びた黒髪を一纏めにて、太公望は剣を取る。
誰かと合わせるわけではなくあくまで遊びの剣舞としてのつもりだった。
「原始様の園遊会で剣舞やるんだよね?」
「成り行きでそうなってしまったよ。まぁ、本意ではないが教主命令では仕方あるまい」
首をこきこきと回して大公望は剣を手にした。
銀の刃はまるで鏡のように姿を映し出し、光を跳ね返す。
当日まで大公望は数種の剣舞を復習しながら、準備に当たっていた。
「太公望師叔、普賢師叔、ご機嫌の程は?」
「白鶴は?ボクたちはいつもどおりだよ」
普賢はにこにこと手にした槍を軽く直す。太公望は白鶴の口先にその剣先を。
「白鶴、園遊会には酒はあるのか?」
「ええ、ございますよ。ただし、師叔は剣舞のあとに御座います」
軽く頬を膨らまして、太公望は普賢を見る。
園遊会で剣舞を行うのは自分ひとり。普賢は一足先に相伴に与るというわけだ。
同期というだけではなく、似たような境遇に同性同士。
年も近く、教主直弟子のこの二人は付かず離れずにいた。
「望ちゃん、先にご馳走になってるね」
「一汗流せというわけだな。原始様も意地の悪いことを……」
笑う声、三人。ただ、空は青く。
黒髪を揺らして羽衣と長剣を華麗に操るその姿にはただ、ため息だけがこぼれる。
目尻には赤の化粧。さながら妖艶な仙女たる姿。
人だかりの後ろの方、普賢は遠巻きに太公望の姿を目で追っていた。
(あれは……この間の子。たしか、普賢とか言った子だ)
武術に対する興味は人一倍でも剣舞に関してはまるで無し。
声を掛ける掛けまいか、少しだけ躊躇して道徳真君は普賢に声を掛けるほうを選んだ。
「普賢」
「……道徳真君さま。ご機嫌の程は?」
先日とは打って変わって殺気の欠片も無い。普段はきっとこのような物腰なのだろう。
「形式ばった挨拶は苦手なんだ。それに教主直弟子なら同位。俺のことは道徳でいいよ」
「何用で?」
とろんとした大き目の瞳。手合わせの時には落ち着いてみることも出来なかった。
思った以上に童顔で、まるで子供だと感じた。
「いや、用は特にはないんだ」
「あそこで踊ってる子、友達なんです」
目線の先には艶やかな童女。
二人の同士を見比べても彼にとってはどちらかといえば目の前の少女の方が心に在る。
「綺麗だと思いませんか?」
「あんまり興味ないんだ。剣舞とかはさっぱりわからん」
「そう……残念ですね」
目線を前に戻して普賢は太公望の動きを追いかける。
まるで妹を見守るようなその姿。
「普賢も剣舞をするのか?」
「いいえ。ボクは剣よりも槍のほうが。望ちゃんは姜族の出なので剣舞を」
「仲良いんだな。望……?」
名前を聞き取れなかったのか、道徳は少し困った顔をした。
その顔が妙に子供のようで普賢は笑って答える。
「太公望。だから……望ちゃん」
「俺はどっちかっていえば普賢のことを聞きたい。中々いい腕だったしな」
人込みの中、少しだけ苦しそうな姿。
そっと連れ出して壁際の椅子に並んで座った。
「久々にきちんとした手合わせが出来て嬉しかった。男でも普賢みたいに討ち込める道士はそうそう
居ないぞ。指導さえきちんと受ければもっと強くなれる。いっそ俺が育てたいくらいだ」
「そんなに褒めてもらっても……」
伏せた目。少しだけ悲しそうな顔。
「強くなりたいとは思わないのか?」
「今はまだ……でも」
「?」
「望ちゃんが戦うことを選ぶなら、ボクも望ちゃんの傍に居れる様に強くなりたいと思います」
話しに聞く太公望という少女。
殷の皇后である仙女に一族を滅ぼされ、その敵討ちのために仙界入りしたという。
その少女が戦いに身を投じるならば己もその道に。
彼女はそう答えたのだ。
「普賢の意思は無いのか?」
「できれば……恐いことが起きないようにとは……」
自分のことは話そうとはしない。やんわりと他人を拒絶する姿。
「まだ日も浅いこの身です。大仙の方の足元にも」
「いいよ。俺は形式が嫌いだって言っただろ。あの時みたいに面と向かっての物言いの方がいい」
「あれは……」
咄嗟にでたのは本当の言葉。プライドを傷付けられた時のやっきになった顔が忘れられなかった。
「結構気は強い方だよな。俺に向かってれる位だから」
「酷い。そんな言い方」
ふいとそっぽを向かれて、おろおろとする。
見ようによってはいい大人が少女に上手くあしらわれているようにも取れる姿。
「そんなに気が強い?」
大きな瞳が笑う。澄んだ硝子。綺麗な綺麗な銀色の目。
色素が薄い北の民の遺伝子。
「俺は気が強い方がいいと思うよ。その方が強くなれる。負けたくないって気持ちがあるからな」
「今度は……負けない。あなたの槍を折ってみせる」
「そう簡単に俺は倒せないよ?」
にこにこと返す。骨のある道士。何よりも面白く興味のある相手に数百年ぶりに出会うことが出来た。
「なら、功夫を積むまで。負けっぱなしは嫌だから」
「そうだな。俺はそういうやつが好きだ。普賢はいい腕をしてるよ。本気で俺のところに来ないか?」
久々に育てて見たいと思える相手。
ただ、それがたまたま少女であっただけで。
(でも、俺……女の子なんて弟子に取ったことはないんだよな……)
仙道であるならば女であることを捨てることを崑崙では義務頭蹴られている。
一人称が男性形態になるのもその現われの一端。
「俺の洞府は青峯山の紫陽洞。いつでも待ってるから」
「ボクが行かなかったらどうするの?」
「あー……じゃあ、来るまで待ってるよ。仙人になると気は長くなるんだ」
時間の感覚の無い世界。全てが止まった空間。
「今度は負けない。空欄のままの十二仙は貰うつもりだから」
崑崙の仙道の師表に当たる十二仙にはたった一つだけ空席がある。
その位をこの少女は自分が受けると言うのだ。
「勇ましいな。ますます気に入った」
「そうすれば、望ちゃんとずっと一緒に居られるから……」
胸の前で祈るように組み合わされる指。
強くなるのは自分のためではなく、大事な友の為。
太公望は因縁を背負って仙界入りしてきた。いつかは戦火の中に身を投じていくことだろう。
共に在りたいと願い、そのために必要ならば強さを得たい。
「太公望が大事なんだな」
「望ちゃんは……妹ににてるから。でも……あのこはもういない……」
殷王逝去の際、皇后は姜族だけではなく様々な民族を一緒に埋葬した。
従者は今までの倍以上。殷族以外は人ではない。その言葉を残して高笑い。
おそらく普賢も同じように人狩りにあったのだろう。
それは聞いてはならないようなことのように思えて、彼は口を噤んだ。
「ほっとけないの。望ちゃん悪戯大好きだから。この間も原始様に一服盛ったし」
「教祖に仕掛けるとは大した道士だ。でも、普賢も一枚咬んでるんじゃないのか?」
「分っちゃった?」
笑った顔は悪戯に成功した時の子供と同じ。一筋縄ではいかないことを読み取らせるよう。
「おかしい。大仙の人でもそんなこと考えるんだ」
笑ってこぼれた涙を払う指先。
(やっぱ……可愛い……よな……)
多面的なこの少女に関心があった。真っ直ぐな瞳と負けん気の強さ。
持ち得る武芸の才覚を伸ばしてやりたいと思った。
自分のためではなく、誰かのために強くなりたいと言う。
本心は誰も傷付けたくないと。
「ボク、望ちゃんを迎えに行かなきゃ。今度、遊びに行きます」
立ち上がった普賢の手を思わず取る。
それは意識したわけでもなく、無意識に『離したくない』と心が思ったからだった。
「手を……離してもらいたいんだけど……」
「あ……すまない……」
小さな手。すっぽりと自分の手の中に納まってしまう。
柔らかい感触は久しく忘れていたものだった。
小さな背中を見送って、道徳真君はしげしげと自分の手を見つめた。
咄嗟に右手を左手で掴んでいた。
(なんで……だろう……)
少し困ったような顔で普賢は笑う。まるで笑い方を忘れたかのように。
一つ一つがまるで違う。どれが本当の姿なのかをまるで眩ますかのようで。
(でも、ほっとけない子だ)
細い指に、薄い爪。あの手が自分と向き合って槍を操った手。
(こんな気持ち、久しぶりだ……)
考えればそれだけで笑みがこぼれてしまう。
(俺、あーゆー子……好きなんだよな……)
心の中に生まれたのは仙人になってからは忘れてしまっていた感情。
(って、今、俺……なんて思った!?)
仙道にとって最も必要でないものが『慕情』とされている。
一切の欲を断つことで精神的強さと無我を得ることを美徳とし、義務付けられてきた。
(まいったなぁ……もしかして惚れた!?)
一度意識してしまえば簡単に打ち消すことは出来なくなる。
強く、どこか儚げなあの目が忘れられない。
触れたいと、心が呟いた。
捨てた筈の感情。ある日突然に運命は思わぬ気持ちを蘇らせた。
空は快晴。雲ひとつ無い。
やたらめったら澄み渡り、彼は少女に恋をした。
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