『青い空は凛と澄んで 羊雲は静かに流れる
 花咲くを待つ喜びを分かち合えるのであれば……それは幸せ』
                3月9日








「なんで、あんたが居るんだよ」
「ボクが希望したの。モクタクの対戦相手に」
道士見習いの白装束で、普賢は木刀を手に少年を見据えた。
「道徳師兄、、参りました」
「前に。モクタク、お前もだ」
道徳真君に一礼して、普賢は前に踏み出す。
「判定は俺が付ける。一本取ったほうが勝ちだ。簡単でいいだろ?」
普賢が左手に持つのは細身の木刀。
対するモクタクが持つのは真剣である。
「殺したら、まずいだろ」
「構わないよ。それが出来るならね。モクタク」
ゆるりと型を取り、呼吸を整える。同じようにモクタクも。
「……後悔すんなよ!!クソ女!!」
大地を蹴って少年は宙を華麗に舞う。
剣を構えなおし、全体重をかけて普賢に振り下ろす。
過酷なトレーニングと道徳真君の手解きで、別人のようにしなやか動き。
若葉ののびやかさのような剣技に、普賢は唇に笑みを浮かべた。
「万物には全て核となるものがあるんだ。全ての中心。それを突けば……」
木刀を投げ捨てて、普賢は指を伸ばす。
丸腰の普賢に一瞬動揺したが、モクタクはそのまま躊躇なく剣を振り下ろした。
首筋をめがけて、刀身は空気を切る。
「たとえ指一本でも、刀を止めることが出来る」
言葉を紡ぎ終えて、指先は振り下ろされた剣先をぴた、と止めた。
血が流れるどころか、その表皮さえも傷つけてはいない。
それは、剣を握るモクタクがなによりも一番に感じていた。
「これでおしまいだよ、モクタク」
つつ…と指が滑り落ちて、刀身の一点をぴん!と小突く。
「!?」
びしびしとあっという間に皹が走り、剣は粉々に砕け散る。
何の仕掛けも無い、ただの白い細指。
磨かれた爪がほんのりと描く女の色香。
「核となるものを突けば」
さらら…と舞い散る銀の粉。
先刻まで剣の姿を保ってものだ。
「指でも、剣を砕く。割るでも折るでもなく、砕くんだ」
灰白の髪をかき上げて、彼女は天を仰ぐ。
「勝負あり。普賢娘々の勝ちだ」
「道徳師兄」
ぶん、と手を一振りさせて彼女が手にしたのは鉤型に変形した美しい剣。
「御手合わせ、願えますか?」
「物騒なものはしまえ、普賢」
「身体が鈍るから。ボクも貴方も」
宝剣を取り出し、同じように空を切る。
鮮やかなその太刀筋とぱらら…と零れる光の粉。
「受けて立つよ。普賢真人」
莫邪に触れるその剣は、普賢が苦心してつくりあげた宝貝。
呉鉤剣と名付けられたそれを手に、彼女は呼吸を整えた。
「何卒、お手柔らかに」
少しだけ腰を引いて、剣を持つ。
重心は前に。つめられる間合いぎりぎりまで踏み込んで。
今、大地を蹴る。
その背には、光。それを羽根に似せて、彼女は優美に舞う。
打ち込まれる剣先と、生まれる光の粉。
それは一見すれば互角に見える一戦だった。
(押されてる……あの女が……)
剣など手にしたことも無いような少女。
そして、自分の剣を砕いた少女。
仙道の中でもその技術は確かなほうだろう。
(強ぇ……これが、十二仙最高位の剣……)
砂埃を物ともせずに、普賢は道徳の懐を狙って何度も飛び込む。
それでも、男は片手で浅めに剣を握り、笑って彼女の剣を弾くのだ。
決して、自分からは攻撃しようとはしない。
木の葉を返すように、彼女の剣を弾くだけ。
「どうした?普賢。本ばっかり読んでるから、腕が落ちたんじゃないのか?」
「……まだ、勝負は決まってないっ!!」
荒げた語尾。闘争本能剥き出しで、普賢は飛びか掛かっていく。
僅かな隙も、見逃さないはずのその目。
そして、その隙さえも作らない男。
浮き出た汗と、荒い息。
「そこだっ!!」
剣を構えなおした際に生まれる、僅かな腕の空間。
そこに飛び込むように急降下して、全体重をかけて剣を振り下ろす。
(行けるか!?)
男の唇が、ゆっくりと引いていく。
「引っかかるとは思わなかったが……残念だったな、普賢真人!!」
一度だけ振られた剣。
その一撃で彼女の剣を粉砕し、柄を弾き飛ばす。
「……モクタク!!どいてっ!!」
普賢の手を離れた柄は、モクタクの顔目掛けて飛んでいく。
普段なら苦もなくよけれるはずなのだが、足がすくんで動けないのだ。
「!?」
ぼたり。
大地にこぼれ落ちる赤黒い体液。
それは彼女の道衣を染め上げながら、どくどくとこぼれ落ちていく。
深々と刺さった剣の柄。
折れた刀身の名残が、彼女の左肩を抉るように突き刺さった。
よけることが出来なければ、その身を盾にするしか方法は無く。
そして、彼女はそれを選んだだけだった。
「……怪我は……無い……?」
「馬鹿野郎……っ……アンタが怪我してんじゃねぇか……っ…」
震える声に、普賢は小さく笑う。
血の気の無い唇で。
「良かった……」
「良かねぇよ!!馬鹿師匠っっ!!」
ぼろぼろと零れる涙もそのままに、突き刺さったそれを引き抜こうと力を込める。
それでも、筋と腱に挟まれるようなそれは、彼の力ではどうすることも出来ない。
「どけ。お前は薬箱出して普賢の部屋に居ろ」
肩口を押さえて、男は躊躇無くその剣を引き抜いた。
「無茶するにも……ほどがあるだろ…っ…」
肩布を引き裂いて、止血のためにきつく結んで。
「だって……弟子は守らなくちゃ……」
「立派な師匠だ。弟子には……そうだな、そこそこ恵まれてる」
抱き上げて、扉は蹴り上げて寝台に横たえる。
止血と縫合。ただ、それを黙って見つめることしか出来ない自分。
白い肌は赤黒い血がこびり付いて、拭ってもその感触が取れない。
剣を持つことは、間違えれば誰かを傷付ける。
それが、彼女が常に少年に説いてきたことだった。
「ちょっと熱があるのは仕方ないな。モクタク、桶に水入れて巾入れて来い」
言われたままにすることしか出来ないこの不甲斐なさ。
どれだけ大口を叩いても、結局は子供なのだと痛感する。
「しばらくは、大人しくしなきゃダメだな」
「…………酷いのかよ…………」
「いい傷じゃねぇな。仕方ないだろ。お前を守るほうが先決だったんだから」
膝を抱えて、床に座り込む。
「何でだよ」
「弟子は可愛いもんだ。それが不出来であればあるほどにな」
白紙から育てるのは、とても困難で。
けれども、愛しさは倍以上になるから。
「普賢にとっては、ちゃんとした弟子はお前が初めてだ。だから、正装してお前を
 迎えにいっただろ」
「……………………」
普賢の手を、道徳はそっと取った。
「こんなちっちゃい手で、弟子育てんだもんな……まだ、守られて当然の立場でも
 おかしくない年なのになぁ……」
手元において守りたくとも、小鳥は空を飛びたがる。
死と隣り合わせの自由でも何物にも代え難い力で引き寄せてしまう。
その姿は見れば優美なものなのかもしれない。
それでも、小鳥の飢えも恐怖も、見るものには伝わらないのだ。
「女相手だったら……手加減くらいしてやれよ……」
「手加減?そんな非礼、同格の仙人に出来るわけ無いだろ?ましてや自分の女に」
小さな呼吸が、規則的になっていく。
「本気で来るものには、本気で返す。それが礼儀だ。普賢がお前にしたようにな」
背中合わせ、声だけが響く。
「お前の師匠は立派な仙人だ。俺が保障する」
「んなこと、俺が一番知ってる」
認めたのは力の差ではなく。
彼女の、心の深さだった。






「うん。療養も兼ねてしばらく紫陽洞の方にいようと思って」
尋ねてきた雲中子に、普賢は答える。
「そう。ここも改装しなきゃいけないしね。まぁ、ゆっくりしてきなよ。道徳も
 弟子は普賢の怪我が治るまでは延期でいいって元始様に言われてたしね」
始祖公認の中になったと、普賢は苦笑した。
それもいいと、雲中子は薬を手渡す。
「おチビは?」
「文殊にみてもらってる。兄さまもいるしね」
傷口は大分癒えたものの、まだ夜毎痛みは繰り返す。
「傷、残らないようにしなきゃね」
「残ってもいいんだ。だって、やっとモクタクと向き合えたんだもの」
空は澄み切って、悲しいほどの青。
「ねぇ……ボクたちはとっても怖いことをしてるよね」
邸宅の改装はただの、名目。その真の意味はただ数人が知るのみ。
「道徳にも、内緒にしてる。余計な心配かけたくないし」
「そう……私は、黄竜にだけは言ってある。何かあった時の為にね」
帽子から垂れる総を撫でて、その手を泳がせる。
「封神計画って、何のためにあるのかな。誰のために、必要も、何もわからないのに」
「そうだね。ただ…………」
柔らかな風が、二人の頬を撫でていく。
「このまま黙って言いなりにはならない。私も、太乙も」
安心したように、細まる灰白の瞳。
「うん、ボクもだよ」
風は新しい時代方を目指す。
まだ、その運命の尻尾も見せないままに。





荷物は先に、彼が運びその身一つで紫陽洞へ。
「久々かも、この風景」
「あんまり腕、動かすなよ。傷が開く」
「はーい」
悪戯気に笑う唇は、甘い甘い桜色。
抱き寄せて、そっとその柔らかい唇に自分のそれを重ねた。
「ごめんね」
「どうした?」
「心配かけちゃって……」
少しだけかがんで、目線を合わせる。
「心配くらいさせてくれ。俺の特権だろ?」
抱きしめられて、その腕の中で目を閉じる。
(神様……私はこの人に言えない秘密を抱えています……)
祈りも届かないような場所。
(それでも、私をこの人は許しますか?愛してくれますか?)
見えているはずの答えが、見えない。
ただ、その背を抱くことしか出来なくて。
「どうした?」
「怖いの……今が幸せすぎて」
その言葉の真意を彼は知らない。
「もっと、幸せになったら怖くないだろ?」
「そうだね……そんな風になったら死んじゃいそう……」




悲鳴を上げる心は、無理やりに押さえつけた。
罪は、一人が背負うだけで―――――いい。





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0:43 2004/10/06

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