『愛してるの響きだけで……強くなれる気がしたよ』





「道徳、モクタク。お昼だよ。そのあたりで少し休憩したら」
愛弟子の剣術の修行は、ようやく次の段階へ。
自分では本格的な稽古は出来ないからと、普賢は道徳真君にそれを依頼したのだ。
十二仙の中で攻撃力だけをとるなら、彼は最高位に位置する。
武具の扱いは見とれるほどの鮮やかさ。加えて格闘技の心得も。
「もうそんな時間か?」
「そうだよ。モクタク、お昼にしよう」
効率よく修行させるならばと、泊り込みで始まったこの騒がしい日々。
男二人の胸中は正反対だった。
正々堂々と『修行』を名目に白鶴洞での同棲生活。
誰に文句をいわれることなく普賢と過ごすことが出来るのだ。
「モクタク、そっちもちゃんと食べてね」
小皿に野菜を取り分けて、彼女はそれを愛弟子の前に。
成長期に偏食するのは、普賢の信念が許さない。
「好き嫌いしてると、背、伸びなくなるぞ」
自分よりもずっと長身の男の言葉は、一つ一つが癇に障る。
出されたものを早めに平らげて、自室に篭るのも当たり前になってきていた。
「ごっそさん」
「午後からは兵書と、経典の書き取りだからね。モクタク」
炒めた椎茸と筍を、分けとって道徳真君の前に。
意識せずとも恋人の好物を並べてしまうのだ。
「まぁ、俺の予想としてはモクタクの背はそんなに伸びないと思うが……」
「そんな気は……するけど……」
成長期の子供に、菜食主義を求めることは酷だと男は笑う。
仙道は殺戒を禁ず。それが崑崙の根幹にあるものなのだ。
「剣の筋はいい。お前の教え方が上手かったのもあるな」
「本当?あの子、最近凄くがんばってるから……」
目に見える成長の一つ一つが、普賢にとっては嬉しかった。
大分崑崙での生活にも慣れたのか、最近では史書の講義もちゃんと受けるようにもなっていた。
しかし、ここ数日はそれも少し違って。
此処に着たばかりのときのように反抗的なところも見える。
「モクタク、緊張してるのかな。なれない修行で」
「まぁ、そんなところだろうな」
本当は違うことを知っているのは彼のほうで。
彼女には男心は分からない。
(俺に対する反抗心と嫉妬だな、あれは。自覚の無い恋だ)
林檎を剥いて作り出す兎が二匹。
硝子の器の中で笑っていた。




白鶴洞には時折来訪者がある。
黒髪を風になびかせて、少女が一人降り立つ。
「普賢!!遊びに来たぞ」
「いらっしゃい望ちゃん。ちょうどお茶入れようと思ってたんだ」
差し入れられた葡萄の甘さ。昼過ぎから取りか掛かった姜小甜餅乾(ジンジャークッキー)も
加えて、ちょっとした茶会に。
「何にしようかな」
「わしも持ってきた。蘋果茶(アップルティー)なぞ、どうじゃ?」
小瓶に入った茶葉は、空気に触れて恋の香りを。
あれこれと話せば、まわりなど見えなくなってしまう。
「モクタクもつらかろうな、新婚家庭に紛れ込んだようなものじゃ」
太公望の一言で、普賢と道徳は咳き込む。
自覚なき惚気ほど、凶悪なものは無いと女道士はけらけらと笑った。
「し、新婚家庭っっ!?」
「そうだぞ、俺はモクタクのコーチとしてここに泊り込みで……」
姜小甜餅乾を一つまみ。ぱり…と小気味よい音と小さな唇がそれを侵略する。
「新婚家庭以外の何物でも無かろうて。道徳、少しは普賢の身体を労われ」
細腰は、夜毎軋みながら痛みを訴える。
それでも、その腕の中で目を閉じれることの幸福感のほうが大切で。
朝が来るのを恨めしくさえ、思ってしまう。
「まぁ、モクタクもおぬしのところに弟子入りした以上、慣れねばならんがのう」
指先についた砂糖をぺろりと舐めあげて、太公望は普賢を見据えた。
「もう……望ちゃん、そんなんじゃないよ」
「新妻はもっと初々しいほうが良いか?道徳よ」
「いや、十分初々しいぞ。特にあっちの方は……」
言い終わる前に、女の拳が男の顎を殴りあげる。
「気にしないで、望ちゃん」
「おぬし、ちーとも変わらんのう」
茶器に湯を足して、太公望は普賢の玻璃に注いだ。
ふわふわと漂う湯気の中、困り顔の親友をからかうのが楽しくて。
つい、苛めてしまうのだ。
長い時間を共に過ごして、彼女は彼女で在れる場所を見つけた。
同じようにありたいと願う心と、この先の見えぬ道を歩めと囁く声。
「望ちゃんだってそうでしょ?」
「そうだのう……いつかはわしもおぬしにとっての道徳(たからもの)のようなものを
 見つけたいものだ……」
大事なものを取られたことに対する小さな『嫉妬』は。
その笑顔を見るたびに殺してきた。
幸せを願いながら、どこかで自分だけの友であって欲しいと思うこの心の行方。
「見つかるさ、その名の通りにな。太公望」
誰かの幸せを望む少女は、自分の幸せには無頓着すぎた。
「仙となり、名を変えろと?」
「そうじゃない。俺だってこの名に見合った男だなんて思ってないしな」
「わしは、誰のために生き得るのだ?」
痛みを知らないまま、彼女はただその道を裸足で歩く。
「お前のために。誰のためでもなく自分のために生きるんだ、太公望」
その後に小さく「俺はこいつと一緒に生きるのを選んだけどな」と加えて。
「そうか。わしは……死ぬまでわしであろうからな」
「望ちゃん」
そっと重なる柔らかい手。
「どんな道を選んでも、どんなことをしても……ボクには望ちゃんが一番の友達だよ」
壊れそうなこの心は。
いつも彼女が繋ぎとめてくれた。
その暖かさはこの先もずっと、太公望を支えることとなる。
まだ、未来など想像も出来ないこの青すぎる空の下。
ただ、笑いあっていられたのだから。





モクタクの書間に修正を入れながら、こきりと肩を回す。
武道だけではなく、知識も無ければ道士として大成することは難しい。
「あとは明日……かな」
軽く腕を伸ばして、背後のモクタクに目を向ける。
「モクタク、ちゃんとお風呂入ってね」
「わーってる」
「安心しろ、普賢。俺が責任持って入れてくる」
立ち上がって、道徳はモクタクの腕を掴む。
「い、嫌だっっ!!!絶対に嫌だーーーーっっ!!!」
「そう?ちゃんと肩まで浸からせてあげてね。風邪引かないようにあったまって……」
「ガキじゃねぇ!!」
「けれど、子供だ。行くぞ、モクタク」
ずるずると引きずられて、浴室へと連行される。
そのまま衣類を剥ぎ取られ、浴槽へと投げ入れられた。
「濡鼠だな、モクタク」
「な、何しやがんだっ!!!」
「そりゃ、自分の女困らすような奴には、お仕置きしておかなきゃならないだろ?」
頭を抑えられて、ざぶん!と沈められる。
「覗き見は良くない趣味だ」
「……………………」
「まぁ、そいういう年頃なんだけどな。俺だってお前くらいの時はやっぱし興味あったし。
 綺麗な顔してるだろ?俺の女は」
いつもなら「普賢」と名前で示すはずの男が、あえて「自分の女」と言い切った。
それは少年への小さな牽制。
まだ、自覚無きその恋を自覚させてやるために。
そして、その恋が叶わないものだということを分からせる為の行為。
「あまりあれを困らせるな。此処数ヶ月で随分と痩せた」
「……んなこと言ったって、あんな女が師匠じゃ強くなれねぇ。現にアンタに剣術の指導を
 頼んでるじゃねーか」
モクタクの額をぴん、と弾く指。
「馬鹿だな、お前は」
「何でだよ」
「普賢が俺にお前のコーチを頼んだのは、より完成された技術を身に付けさせるためだ。
 武道に関しては俺のほうが上だからな。あれだけ気の強い女が前の晩には手土産持って
 頭下げに紫陽洞まで来たんだ。お前は知らないだろうけどな」
白鶴洞での、集中特訓の前日。
薄紅色の長衣に身を包み、清酒を手に普賢は紫陽洞へと降り立ったのだ。
普賢は礼儀だからと、地に額を着けて深々と礼を取った。
いくら階位の上では同格といえども、彼は兄弟子。
礼節を重んじる崑崙のしきたりを彼女は選んだ。
恋人同士であっても、礼を持たなければその関係は怠惰なものになる。
ましてや、弟子の剣術の指南となれば師である自分が本来は責任を持って執り行うのが当然なのだ。
それを、彼の時間を割いての指南。
弟子の代わりに師である自分が頭を下げるのはなんら不思議ではないのだ。
「アイツ、何にも言わねーもん……」
「そりゃそうだ。お前には修行だけに集中させたいだろうし」
湯気の中、男はモクタクを見据える。
「誰かに頭下げるなんざ、普賢の自尊心(プライド)が許さない。本来なら。例え相手が俺であっても」
同性でも見とれるような筋肉質の身体。
相対するような柔らかさで構成される女の身体。
「どの世界に子供を心配させる親が居るんだ?」
「子供?親?」
「仙人同士の間に子供が生まれる確立は、限りなく零に近い。だから俺たちは弟子を自分の子供に
 みて育てるんだ。事実、親御さんの所から預かってくるんだからな」
毛巾(タオル)でモクタクの顔をぐしぐしと拭う。
「俺の本音としちゃ、まだあいつには弟子は持たせたくなかった。自分のことで手一杯で、そのほかに
 研究班の仕事もある。それに、まだまだ普賢だって子供だ」
ため息は、湯気に紛れて。
「それに、もうちょっと二人で過ごしたかったってのもあるけどな」
「それが本心かよ」
「それを譲ってやってんだ。在り難く思え」
きゅ、と絞った毛巾を頭に乗せて、湯縁に腕を置く。
よくよく見れば彼もその外見だけを取るならばまだ二十代半ばといったところだ。
「アンタ、いくつなんだ?」
「四千のちょっと手前だ」
「…………超年下趣味かよ」
「どうだか。仙号を取っちまえば年齢は関係無いからな」
思い悩んでも恋は、自分たちを離してはくれない。だから、離れないで居ることを選んだ。
互いの暖かさが大切で、そこに在るということだけで何かが満たされた。
色彩を失ったこの瞳に、鮮やかに咲き誇る花の艶。
季節が美しいものだと気付かせてくれたのは、恋人の唇だったから。
「お前、あいつのこと好きだろ」
「全っっっ然好きじゃねぇ!!大ッ嫌いだっっ!!!」
「そうか。なら良いんだ」
牽制は、静かに、確実に、真綿で首を絞めるように。
「みっちり一ヶ月しごいてやるからな。覚悟しろ」
「冗談じゃねぇ!!」
「それくらいやらねーと、土下座までした普賢に申し訳ないからな」
にやりと笑うそんの唇。
この男が今生の恋敵と自覚するのはそう遠くない日だった。





「道徳も、お疲れ様」
寝台に腰掛けて、首を回る恋人の背中を後ろから抱きしめる。
「肩、痛い?」
「んー……久々にちゃんとした修行した感じだからなぁ……」
「この辺?痛い?」
首筋に沿って、押しながら動く指先。
「あー……気持ちいいかも……」
指先は的確に痛む場所を押し当てていく。
彼がモクタクの相手をしている間、彼女は系脈の書物を読んでいたのだ。
疲れてくるであろう恋人の身体を、少しでも癒したくて。
「膝……貸してくれ……」
ころん、と頭を乗せてうとうとと目を閉じる姿。
「ちゃんと寝台で寝なきゃダメだよ」
「ここがいい……」
ぎゅっと腰を抱いて、離れまいとする。
「なんででしょうかねぇ……俺たちの前には次ぎから次へと障害物が出てくるのは……」
子供のように抱きついてくる恋人の頭を撫でて、普賢はくすくすと笑った。
「どうしてなんだろうね?」
「負けねぇぞ……俺は……」
当面の敵は、恋人の愛弟子。
負けるわけにはいかないから。
天下無敵の恋人たちの前に、叶うものなどなにも無いとわかっていても。
己の嫉妬心を完全に封じることは出来ないのだから。
「誰に?」
「……言わない。男には男の事情があるもんでね」
「あはは。じゃあ聞かない」
さわさわと黒髪を撫でる指先は、優しい時間を紡ぎだす。
今だけは、二人きりで過ごす甘い甘い秘密の時間。
「道徳?」
聞こえてくる寝息。
「……風邪引いちゃうよ」
寝顔が、幸せそうで。
そのまま一緒に転寝を決め込むことを選んだ。
「おやすみなさい。いい夢を……」


幸せの空。
君が隣に居てくれることと。
笑ってくれること。
それだけで、強くなれる気がした―――――――――。





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0:51 2004/09/15

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