『古い星の光 僕たちを照らします
 世界中何も無かった……それ以外は  幸せは途切れならも続くのです』








「モクタク、もう少し力抜いて」
真剣を手に、形を取らせる。
細い指が少年の手にかかり、それを促して。
「そう、上手だね。そのまま少しだけ腰を引いて」
まるで姉と弟のような師弟は、剣術の稽古中。
「型は大体そんな感じでいいよ。あとは、間合いを覚える」
「また今日もあんたの残像とやりあうのかよ」
ここ数日、モクタクは普賢の幻像と斬り合いをしていた。
幻に一太刀入れれば、晴れて普賢との実践が待っている。
宝貝を持ちたいならば、普賢と一戦交えて何処かに刀を入れなければならない。
伸びた髪は一括り。真剣を持った少年は彼女の幻像に斬りかかる。
(最近、がんばってるな……モクタク)
その姿を見れば、師匠としてはやはり嬉しい。
「死ねや!!このアマァッ!!!」
(……掛け声が、ちょっと……凄く気になるけども……いいか……)
愛弟子の成長は、我が子の様に嬉しい。
時折聞こえる声に耳を傾けながら、中途のままにしていた報告書に筆を入れて。
冷やした薄荷茶(ミント)に口を付けて、小さな休憩。
(晩御飯、何にしよう。成長期だから栄養のあるもの食べさせなくちゃ)
夕食の準備をしながら、ぼんやりと離れたままの恋人のことを思いだす。
筍、椎茸、比敷、どれも彼の好きなものばかり。
(道徳のところにも……もって行きたいな。ちゃんとご飯食べてるかなぁ……)
甘いものが好きな恋人に、得意の杏仁豆腐と入れたての桂華茶。
モクタクが九功山に着てからもうじき半年。
ようやく師弟関係が少しだけだが構築され始めていた。
(お風呂の準備もしなきゃ)
あれこれと仕度を始めれば、時間はあっという間に過ぎてしまう。
(一緒に入ったら、もっと打ち解けられるよね)
一人、くすくすと笑う姿。
(そうしよう、一緒に入ろうっと)





食事も終えていつものように自室に立てこもろうとしたときだった。
「モクタク、お風呂ちゃんと入ってね」
「わーってるよ」
「あ、今日はボクも一緒に入るから」
「はいっ!!??」
モクタクの動揺を他所に、普賢はのんびりと仕度を始める。
「ちょ、ちょっと待てよ!!おれ、男だぞ!!」
「うん、知ってるよ。じゃあ、いこっか」
モクタクの手を引いて、普賢はつかつかと浴室へと向かう。
「だ・か・ら!!!あんた何考えてんだ!!」
「?お風呂くらい一緒に入っても、何も」
小首をかしげて、彼女は困ったような顔。
「大丈夫、ボクたち師弟なんだし」
「あんた女だろ!!」
「ボク、七十越してるから。気にしないでいいよ」
そうはいうものの、垣間見る肉体は柔らかい肉で構成されている。
房中の顔と声。
頭から離れない『女』の部分。
「さ、行くよ」
「止めろ〜〜〜〜〜〜〜っっっ!!!!」





半ば強制的に衣類を剥ぎ取られて、浴槽の中へと沈められる。
程なくして隣に並ぶのは美少女。
それでも、七十を越した婆だと言うのだからたまったものではない。
「ちゃんと肩まで浸かって」
「触んな!!」
湯気越しに見る普賢の肌は、どこか艶かしくて。
鼓動が早まっていくのを悟られないように顔を背けた。
「背中洗ってあげる。ほら、出て」
「いい!!!自分でやれるっっ!!!」
「ちゃんと洗えないでしょう?」
近付いて、不意に柔らかい胸が腕に触れる。
「!!!!俺、もう出るっっ!!」
「まって、ちゃんとあったまって身体洗ってから……」
伸ばした手が触れる前に逃げようと決めて浴槽から飛び出す。
ばたばたと部屋に走り去る足音を聞きながら普賢は首をかしげた。
(背中洗われるの……嫌いなのかな……)
腕を伸ばして、とぷんと身体を沈めて。
(明日も誘ってみよう。こーいうことから師弟関係を作るのも大事だよね)
緊張しているのはお互い様で、ゆらゆら揺れながら過ごす夜。
自然の摂理に抱かれながら、この仙界での生活を日々抱きしめて。
道士となり、行く行くは仙となることを彼女は願っていた。






虫さえも寝静まって、物音一つしない黒の時間。
その中を足音を殺して、そっと抜け出す。
篠籠に入れた果実の色は鮮やかで。
まるで、それを持つ少女の恋心の様な艶やかさ。
足に絡む夜露もそのままに、目指すのは恋人の住む場所。
「おかえり」
扉を開けて、抱きしめてくれる腕の暖かさ。
まだ、悟りきるには彼女は幼く、彼も若い。
「ただいま……っ……」
「頬、冷たいな……急いできたのか?」
たった一秒でも、離れていることが不安で、不安で、動けなくなってしまう。
なれない他人との生活は、例えそれが弟子という関係であっても。
彼女にとっては恐怖に似た感情を感じさせた。
それでも。
師匠として彼を導き、やがては仙となるように育成する。
それが、普賢に与えられた事なのだ。
「うん…………」
まだ、誰かに守られて当然の子供が弟子を育成する。
どれだけ才女と歌われても、彼女の心はまだ柔らかすぎるのだ。
「まだ朝までは遠いだろ?おいで」
それが例え仙道としてあるまじき失態だとしても。
誰かの暖かさに甘えたいという人間の感情がもがくから。
言葉を交わすことよりも、その体温を確かめたくて。
何かを分け合うよりも、ただ、二人で抱き合っていたくて。
「モクタクとはうまくやっていけそうか?」
「うん。いい子だよ。もう少ししたら、剣術を教えてあげて」
細かった指は、剣を指南しているためかところどころに節が出て。
どこか、痛々しく見えて胸を締め付ける。
「作り笑いが上手くなるほど、俺はお前と離れてたんだな……」
「?」
「泣きたいときに、泣ける場所になれる位、度量のある男になんないとな」
二人、肩を寄せ合って月の無き星空を見上げた。
ただ、そうしているだけで溶けて行く何か。
永遠に続く夜が欲しいと願ってしまうこの心の行方。
「泣かないよ。ボク、モクタクの師匠だもん」
「そうだな」
ころん、と膝に乗る頭。
目を閉じている男の髪をそっと撫でる細い指。
「俺が泣きそうだ」
「どうして?」
「寂しくて」
長いと感じていたはずの夜は、二人で居れば一瞬で過ぎ去ってしまう。
小指の先ほどだけでもいいから、この時間を延ばして欲しいのに。
朝の足音が聞こえてきても、この手を離したくない。
幸せは、少し途切れがちでも続いてくれる。
「俺のこと……好きか?」
「うん…………」
言葉に出して聞ける様な愛情に飢えてしまうから。
性質の悪い恋だと自嘲しても、堕ちてしまったものはどうにもならない。
その声が、手が、暖かさが鎖となって心を縛りつける。
『嫉妬』を押さえ込むために、どれだけ爪を噛むことか。
離れ落ちた爪の数は、誰にも言えない。
「また……一緒に居られるようになるといいのにね……」
朝が来るまでこうしていよう。
この熟れた石榴のような時間を感受しながら。





残像に切りかかる剣先の動きも、大分形になってきたと彼女は満足気に笑みを浮かべる。
「普賢は居るか?」
「望ちゃん。いらっしゃい」
「良い桃が手に入った。モクタクと三人で輪になって食えばさぞかし旨かろうと思ってな」
色好い桃の入った籠を置いて、太公望は普賢の隣に座る。
目線の先にはモクタクの姿。
「普賢、わしの相手をしてもらえぬか?」
「剣の?」
「おぬしは槍の方が良かろう?」
「ううん、剣でいいよ」
互いに一振りずつ剣を持って、静かに前に進み出る。
型も利き手も正反対の少女二人。道士娘々と揶揄されながらも進んできたこの道。
剣を構えて、その線を相手へと向ける。
「破ッ!!」
大地を蹴って、宙を舞う一対の影の美しさ。
剣先が生み出す鋼の擦れる音と時折上がる悲鳴のような金属音。
守備を取り払った攻撃だけの剣術は、見るものの目を奪う。
「…………何なんだよ、アイツ…………」
噂は聞いてはいたものの、普賢の剣舞を見るのは初めてのモクタクにとってこの光景は
衝撃的だった。
しかも、相手はあの太公望。始祖の愛弟子二人の一戦である。
「まぁお前の師匠は中々出来る女だからなぁ」
「も、文殊師伯っ!!」
「悪いが俺だけじゃねぇけどな。こいつも連れてきた」
「久しぶりだな、モクタク」
「…………道徳師伯…………」
男二人は、女二人の斬り合いに目を細める。
一切の手抜きは許さない。それが普賢真人と太公望の関係だった。
「おお、やりあってんなぁ」
「槍じゃなくて剣か。まぁあいつに型を教えたのは俺だけども」
がきん!と切り付けあう音は、耳を覆いたくなるようなもので思わず目を瞑ってしまう。
「滅多に見れねぇな。儲けモンだ」
「確かに。しかも相手が太公望か……百年に一度位か?」
師表二人は笑いながら少女二人を見つめている。
「文殊師伯!!太公望師叔相手じゃアイツ死んじまう!!」
無精髭を摩りながら文殊はモクタクを見た。
「お前、普賢がおとなしい女だと思ってんな?あんなはねっかえりで、肝の据わった女なんざ
 そうはいねぇぞ?何せこの道徳に勝負をかけたくらいだからな」
自分と同じ様に、仙界入りして間もないころに勝負を挑んだ。
結果はさておき、逃げずに飛び掛る気性とその眼。
「気の強さも半端じゃねぇよな?道徳」
「そりゃあもう」
「まぁ、そういう女が夜は可愛いんだろ?」
「そりゃあ……もう」
げらげらと笑いながらモクタクなど意に介さずに男二人は宙の二人を見守る。
「死んでもいいけどさ、俺、どこに弟子入りしたら良いんだよ……」
ぶつくさと文句を言うモクタクの頭に、ぽふ、と文殊の手が置かれた。
「ちゃんとみろ、モクタク。あいつら笑いながら斬り合ってんだろ?どれだけ長引かせて
 遊べるかを見てるだけだ。ま、遊びも悪戯も本気でやる悪童二匹だからな」
「普賢が弱いと思ってるようじゃ、お前もまだまだだな。あれは――――強いぞ」
言葉の意味は、目の前で裏付けられていく。
崑崙十二仙が一人、普賢真人。
その階位に恥じない強さを持つ女。
(俺……生きてここから出られんのかなぁ……)
「モクタクの剣術はお前がやるのか?」
「ああ、多分。普賢が得意なのは槍だから。俺のほうが武道系は適任だろうし」
その声にモクタクは思わず道徳の顔を見上げる。
(じょ……冗談じゃねぇ!!何であの女の男に剣習わなきゃなんねーんだよ!!)
「まだ先の話だろうけどな。格闘技とかも出来る範囲で習得させて……」
「今度キンタクも頼むか。どうにもあいつは長閑過ぎる」
「ああ、俺でいいなら引き受けるよ。文殊」
運命は在らぬ方向に転がりだす。





「え?剣術の修行をもっときっちりしたい?」
汗を拭きながら普賢は振り返る。
「そ、そう。アンタだって結構良い線行ってるみたいだしさ」
「普賢は文武の均衡が取れているからのう。師事して損はないぞ」
少女二人は上がった呼吸を整えながら、冷やした薄荷(ミント)茶を口にした。
「運動の後はお茶がおいしいね、望ちゃん」
「初摘みか?味が良いな」
一杯飲み干して、同じように薄荷茶を飲まされている男二人のところに普賢は向きを変えた。
「モクタクもこう言ってる事だし、お願いしても良い?ボクじゃ半端に育てて終わりに
 なっちゃうと思うんだ」
「ああ、みっちり鍛えてやっから任せろ」
「ありがとう。あ、お代わり持って来るね」
「いや……それは遠慮しておく。口の中香草(ハーブ)で大変なことになりそうだ」
男と女では嗜好が違うと文殊も口添えする。
「美味しいよね、望ちゃん」
「このよさが分からぬとは、もったいないことじゃ」
自分の思う方向とはまったく違う方向へと進んでしまったコマを。
元の位置に戻すのは非常に困難なこと。
(これで白鶴洞に来る口実は出来た。さて……覗き見するようなやつはみっちりきっちりと
 鍛えてやるからな。モクタク)



薄荷茶と透き通った空の色。
まったく反対の心を抱えた性根の苦労。
玻璃の中に、零れて消えた。





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23:46 2004/09/08

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