『愛を学ぶために孤独があるなら
意味の無いことなど……起こりはしない』
JUPITER
重ねた肌の甘さと、優しさはそれまでの日々を全て溶かしてしまったかのよう。
回廊で少し話し込んだだけでも、通り過ぎる道士たちの目線が突き刺さる。
互いに誰にも言った覚えもなく、親友たちもからかいはするものの口は堅いほうだ。
「誰かに言った覚えもないんだけれども……」
口元に指を当てて、小首を傾げる姿。
「俺も、言った覚えはないぞ。まぁ、広いようで狭いからなぁ」
ただ顔をあわせるだけでも、平和な崑崙では格好の話の種になる。
元々、目立つことをあまり好まない普賢にとっては針の筵のようなものだった。
若年にして仙号を会得し、更には師表の一人として名を連ねる少女。
同じく師表の一人として、その階位に座する男。
十二仙道士の色恋沙汰など、崑崙が開かれて以来初めてのことと口々に噂は広まっていく。
人の口に戸は立てられぬというのは真実で、本人たちの意とは裏腹に知らぬものなど無いほどまで。
「まぁ、そのうち誰も何も言わなくなる。大丈夫、謂れのないことからは俺が守るから」
「ん……ありがとう」
少し屈んで、唇を重ねようとするのを静かに手が制する。
「駄目。誰が見てるか分からないから」
「だってあれ以来、お前紫陽洞(うち)に来ないだろ?」
「………………………」
避けているわけではないが、噂にこれ以上尾ひれをつけるのが嫌だった。
例えそれが真実でも、好奇の目は火の無いところに大火事を出すのだから。
「だって……色々言われるの、嫌だから……」
小さな声と、俯く姿。
「でも、道徳のことが嫌とかそういうのじゃないよ」
「暇人ばっかりだからな。何やったって悔しいんだよ。高嶺の花を取られたから」
堪えきれない笑い。
誰も手折る事など出来ないと称された高嶺の花を手にしたのは意外な男だった。
他人に靡くことの無かった普賢真人の心を射止めた男に、歯軋りする道士は少なくなかったのだ。
攻撃の的は普賢ではなく、寧ろ道徳真君。
道士たちの嫌味と視線をかわしながら、不適に笑う。
「そんなこと無いのにね」
「いや、十分だろ。なぁ……俺が白鶴洞(そっち)に行っても良いか?」
女が男のところに通うよりは、まだそのほうが噂的にもいいだろうと普賢は考える。
それでも、言われることに変わりは無いのならば言わせておくしかないのだ。
関係を断ち切るということは、選択肢には入らないのだから。
「良いよ。何か美味しいもの作っておくね」
細い背中を見送って、湧き上がる笑みを必死に殺そうとする。
それだけ普賢を狙っていた輩が多いということ。
今までからかい半分に彼女を揶揄していた者の大半は、密かに普賢に好意を寄せていたもの達だった。
誰のもにもならないはずだった普賢を手にした男に対しての嫉妬。
重なる目線で、二人の関係は深いものだということは簡単に分かってしまう。
同じように笑っていても、その笑みの優しさと甘さが違うのだ。
男と女は何時も不条理で、それでも惹かれあう。
(さて……と。夕飯までなにをしましょうかねぇ……)
どうやっても、にやけてしまうのは幸せの最中では仕方の無いことで。
それが帰って道士連中の恨みを深めていることには気付かない振りを決め込んだ。
夕刻まではまだ少しある。
掛かる目線をかわしながら、道徳はにこにこと空を見上げた。
「食べれないのとか、無かった?」
食器を片付けながら、普賢は男のほうを振り返った。
「全然。美味かったよ、久々にいいもの食ったって感じがした」
料理は口に入れば良いと、味は二の次で過ごしてきた。
弟子がいるときは身の回りのことは彼らがしてくれてはいたが、ここ数十年は一人きり。
誰かの手で作られたものの美味しさと、暖かさ。
それが恋人ならば倍以上になる。
「食べれないものとか、ある?」
「いや。基本的には何でも食える。甘いものとかも結構好きだし」
冷えた果実酒を硝子の玻璃(グラス)に注いで、すっと差し出す。
桃色の液体は小さな気泡を立てて、甘い香り。
「お酒とか……嫌い?」
「好きだよ。飲むのも、飲ませるのも」
「良かった。ボクも、お酒は好きなんだ」
聞きたいことも、話したいことも山積みになったままだったから。
質問と答えを繰り返して、互いのことを少しでも知りたいと思った。
優しい時間は、あっという間に過ぎてしまう。
窓枠に月が捉えられる時刻になってようやくそれに気が付いた。
「もうこんな時間……夢中になっちゃってた」
「本当だ。まだ色々と聞きたいことも、話したいこともあるのにな」
空になった硝子の酒瓶だけが二人の話を知る小さな証人。
「ね……その……今日ね……」
少しだけ俯いた顔。
唇に当てられた指が、やけに艶かしい。
「………泊まって……いって……」
たどたどしく発せられる言葉。耳まで赤く染まったのは酒気の力ではなくて、もっと別のもの。
不安げに震える肩と指先。
道衣の裾をぎゅっと握って、窺うような上目遣いの瞳。
(うわ……反則だろ、そういう顔は……帰る気は更々無いけどさ……)
手を伸ばして、ぎゅっと抱きしめる。
額に、鼻に、優しく接吻して唇を重ねた。
縋るように背中に手が回されて、同じように抱きしめてくる。
布越しに重なる鼓動。
閉じた瞼。
(可愛い……大事にするから、ずっと……)
そのまま勢いで道衣に手を掛けて、帯を解く。
「あ、待って……ボクまだ、お風呂入って……」
「関係無い。今すぐ、普賢が欲しい」
焦る心は必死に抑えて、務めて冷静を装いながら布地の上なら身体の線を手でなぞっていく。
肩口に顔を埋めれば、鼻に掛かる甘い匂い。
(俺、こういう匂いに弱いんだよな……)
その手をそっと中に忍び込ませて、さらしの上から胸を包み込む。
「や……お願い、待って……」
制止しようとする手をやんわりと押さえて、唇を求める。
「待って!!」
がしっ!と顎を手で押さえられて、行き場の無い手。
「だから……逃げないから、ちゃんと……それにボク、汗かいてるし……」
「ん……俺はそういうの気にならないけども」
「ボクが、気になるの」
意外と気の強い恋人は、甘い媚薬のような拗ねた顔。
(あれで、ボクとか言わなきゃもっと……ああ、でも普賢も仙人だもんな。崑崙に居る限りは男として扱われるんだよな)
規律を守ることを求められる仙界で、この恋は禁忌に当るのかもしれない。
周りがどう騒ごうとも、自分たちに離れる理由は無い。
傍にいて、その笑みを得られるだけでも良かった。
それでも、一度触れてしまえば『もっと』と思ってしまうから。
欲を捨てたつもりでも、尽きない思い。
恋は、甘くて甘くて……一人で過ごしたはずの数え切れない夜を一瞬で溶かしてしまった。
互いの手首を情愛の鎖で繋いで、離れられないように。
結んだ小指と小指。
離れるのが嫌で、繋いだままにした。
湯上りの香はほんのりと夜の艶。
勢いを借りて抱かれたあの晩とは違う夜。
(どうしよう……どんな顔していけばいいの?)
意識してしまえば、耳の端まで赤くなる始末。
迷っても、悩んでもどうにもならないのならば覚悟を決めて行くしかない。
震える指をぎゅっと握って、扉に手を掛ける。
開ける前に、小さく息を吸い込んだ。
(恐くなんか無いはずなのにね……分かってるのに、意気地無し)
躊躇わずに、動揺は隠してそっと扉を開ける。
寝台に腰掛けて、にこりと笑う顔。
引き寄せられるように手を伸ばして、そっと指を絡めた。
触れた指先からじんじんと熱くなり、早まる鼓動。
目線を合わせることも出来ないくらい胸が締め付けられる。
「恐い?」
「ううん……でも、どきどきする」
頬を包み込む手の暖かさ。
さっきまで感じていたはずの小さな恐怖を一瞬で溶かしてしまう魔法の手。
促されながら、求められるままに唇を重ねた。
ちゅっ…と離れては触れ合う。
男の肩に置いていた手は、自然にその広い背に回された。
きちんと結んでいたはずの帯をぱらり、と解かれて丸い乳房がぷるんと顔を出す。
「や……」
「嫌?」
「……や……じゃない……」
背骨の線をなぞる指先。
耳元に掛かる息の熱さと甘さに蕩けそうな身体。
耳朶を噛まれて思わずこぼれる吐息に口元を押さえる。
「聞かせて。普賢の声、聞きたい」
ぶんぶんと頭を振る仕草に苦笑しながら、つ…と手を身体の線に沿って滑らせる。
しっとりとした肌の感触。
女の柔らかさは、理性を絡め取って本能を呼び覚ます媚薬。
「やぁ……ん……」
まだ、ほんの少しだけ殻に包まれた脆く柔らかい心の核。
今は触れられなくとも、いつか彼女がそれを許してくれるのならば。
自分が彼女にするように、自分を所有して欲しいと。
「……んっ……」
口唇を自分のそれで挟んで、甘く噛む。
そのまま深く重ねて、絡ませた舌先を吸い上げて。
逃げられないように頭を片手で抱いて、空いた手は腰に回す。
躊躇う小さな舌を誘い込んで、軽く噛めばびくんと肩が竦む。
微かに震える長い睫。
きゅっと閉じた瞳。その目で自分を見て欲しいと何度も願った。
今、この腕の中にある魂に囚われたのは自分なのだ。
武器も、薬も何も使わずに全てを支配することのできる唯一つのもの。
「あ!!」
首筋を経て細い鎖骨に歯を当てる。
そのままゆっくりと敷布の上に倒して覆い被さった。
上向きの乳房を掴んで唇を当てる。その先端を嬲るように吸って指でくい、と押し上げていく。
時折きゅっと摘めばその度に上がる嬌声と吐息。
甘えるような声は鼓膜に直に浸透して離れない。
ぷるんと揺れる柔らかい胸に顔を埋めて、その谷間を舐め上げる。
「あっ!!やぁ……っ……」
上がる声を抑えようとして咥えた指先。
二度目の夜は、最初の時よりもずっと淫猥な色合い。
塞ぐ手を取って、その指先を舐め上げていく。
薄く、小さな爪。
ちゅる…吸い上げて、その感触を確かめる。
重なって、絡まって、繋がって、深まりたい。
濡れた指で腰骨を擦って、そのままゆっくりと下げていく。
「や……ぅ……」
なだらかな腹部を撫で上げて、そっと入口を開かせた。
じんわりと濡れたそこは、道徳の指を濡らしながらそれを受け入れようと絡んでくる。
まだ少し、固い肉の蕾は咲き乱れる手前の状態。
指を進めれば、僅かに眉が顰められた。
(……弱点、どこだろう……早めにみつけてやらないと、辛いだろうし……)
ぬるつく体液を指に絡ませて、顔を覗かせる突起をく…と押し上げる。
「あァっ!!や…!っん!!」
くねる細腰。伸びた脚。
「……まだ、痛い?」
小さく横に振られる首。そっとその額に口付けて、肉壁を押し上げて。
「!」
ずきん、と腰に響く鈍い痛み。
唇を噛んで、声を殺す。慣れない身体は、僅かな愛撫にさえ恐怖を感じてしまう。
細い手首を掴んで、自分の肩に回させる。
舐めるような接吻を重ねて、痛みが和らぐようにと肌を合わせて抱きしめあう。
女の身体は、脆い器。力を込めれば容易く壊れてしまう柔らかい肉槐。
「……痛く……ない…から……」
強がりで寂しがり屋の魂は、誰彼にも素顔を見せるわけではない。
それでも、同じように触れたいと思ってくれる。
小さな身体を差し出して、両手を伸ばして抱きしめてくれるのだ。
「……っ…ふ……」
離れたくないと口唇を繋ぐ銀糸。
やんわりと指先を蠢かせながら、奥よりも少し手前―――――肉壁の盛り下がった部分をそっと押し上げた。
ぴくんと揺れる肩口に噛み付いて、先刻よりも力を入れる。
「んっ!!」
甘い声、誘う涙、こぼれる吐息。
(見つけた。ここだ)
慣らす様に沈めた指を二本に増やす。
「あぁ…ん!!や、やぁ……!」
身体の奥まって深い部分が熱くなる。今まで感じたことの感触に戸惑いと不安が絡みつく。
それでも、火の点いてしまった快楽に身体は従順で『もっと』と求めてしまう。
「あ!!!や、やだっ!!!止めて……っ!」
ぼろぼろとこぼれる涙。
「痛むか?無理しなくても……」
「違うの……でも……」
「?」
潤んだ瞳が見上げてくる。
「恐いよ……何か……ヘンなの……」
震えて誘う耳朶を舌先がなぞり上げる。
「恐くないから。俺にちゃんと掴まって」
手を背中に回させて、掴まるように促す。
左脚を肩にかけて、ぐっと膝を折って身体を開かせる。
「!!」
ずい、と繋がる感覚に強張る肢体。びくつく肩を抱きしめて、最奥まで隙間無く埋め込んでいく。
「あ!!あ、あ……ッ!!」
始めに身体を重ねた時よりも、ずっと道徳の動きを感じられることに戸惑う。
房事だけが全てではないが、身体を繋ぐことでしか分からないこともあるのだと。
欲しかったのは、その優しく温かい腕。
憧れはいつしか慕情に変わっていた。
「……っは……ん!!」
腰を抱いて、突き上げるたびに甘い声がこぼれだす。
「や!!やぁ……恐いよぉ……」
知り得ない快楽は、不安と隣り合わせ。
縋るように回された手に力が入る。
「恐い?」
「……ボク……何だかヘンなの……っ……」
頬に触れる唇に、恥ずかし気に目を閉じる姿。
「身体が……熱いよ……ボク……」
ぐっと腰を進めれば、二つの乳房がふるふると揺れる。
「ヘンなことじゃないよ。普賢の身体も、俺のことを好きって言ってるだけだから。最初はちょっと吃驚してた
だけで。心も、身体も、俺のことを好きって言ってる。恐いことでも、変なことでもないだろ?」
ちゅ…と重ねた唇。
「慣れないから、不安になるだけだから。ちゃんと抱いてる。絶対に離さない。だから……」
頬に包んで、目線を重ねる。
「何も恐くないんだ、普賢」
ず…と抱き寄せて、柔らかい身体を屈むように折らせる。
じゅく、じゅる…濡れて絡まる音と、互いの息遣いだけが室内に響く。
敷布に触れるのは細い肩口だけ。
「あぁ!!!あ!!あァンッ!!!」
引き抜いては、根元まで咥え込ませる。
絡みつく肉襞は男の動きを一つも逃さないように、きゅんと締め付けていく。
加速する動きと、荒い息。
目尻の涙を唇で掬って、深く深く胸を重ねた。
夢のように甘い接吻と、互いの心音。
この世界に二人きり。ただ、溺れて抱き合っていたい。
「ああッ!!!……道徳…ッ!!……」
絡めた指先。離れないようにきつく、きつく、繋ぎ合わせた。
例え、この世界に永遠など無いとしても。
今、この一瞬は『永遠』であると信じられた。
腕の中で眠る幼い恋人は、大人びているようで本当はまだまだ子供。
それを隠そうと強がる姿が愛しく思えた。
他人に素顔を露呈することを嫌い、心を開いたのは親友ただ一人だった。
(甘えたい時は、甘えたっていいんだぞ、普賢)
さわさわと頭を撫でて小さな額に優しい口付けを。
(やっぱ……可愛いよな。寝顔も、泣き顔も。お前は怒るかもしれないけど、全部)
騒動の日々は、まだ始まったばかりで彼女を悩ませる。
もっと上手にやれればいいのだろうが真っ直ぐ過ぎる男には無理な話。
敵が来るならば、追い払えば良いと恋人を腕に抱くのだ。
(ちょっと、飛ばしすぎた……ごめん……)
疲れ果てて眠る姿。上掛けを直してそっと抱きしめる。
とくん、とくん、と伝わってくる優しい音色。
「……ん……」
肌寒いのか身震いする肩。
「……どうしたの?」
「寝顔、見てた。可愛いなって思って」
すり寄せられる頬と、抱きついてくる身体。
背中を抱いて、互いの暖かさを確かめ合う。
肌で感じる温もりが、鼓動が、不安を拭い去ってくれるから。
「……流れ星、か」
「え?」
「星降る夜なのかも、しれないな」
身体を起こして、そっと窓を開ける。
広がる夜空に、いくつかの星が流れて光の粉を産み落とす。
夢のような星降る夜。生涯忘れ得ない景色。
「……綺麗……」
後ろから優しく抱かれて、その大きな手に口付ける。
「願い事でも、掛けるか?」
「……ううん。願い事は叶ったから、いいの」
きらり。夜空に流れる星たち。
そっと窓を閉めて、離れないようにもう一度肌を合わせた。
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