◆仙界大戦―――秘密―――◆





帰れずの思いは留まり、ひらひらと蝶に似て羽根を蝕まれる。
ぱらら…と落ちる粉は不思議と美しい。
「何処に行くんだ?」
足音も、気配も殺したつもりでも戦闘に長けた者の前では児戯に等しい。
「それも、こんな早朝に。まだ眠いんじゃないのか?」
「…………西周に、行こうと思って」
「俺に隠す必要は?」
「天化の状況を見て、あなたが天化に撤退命令を出すかもしれないから」
先の戦いで道徳真君の愛弟子の黄天化は負傷し、前線からの撤退命令を太公望に受けている。
軍師としての立場、崑崙の幹部としての立場、仲間としての立場。
そして―――――女としての立場。
誰一人失いたくないと言う信念の元に動く彼女は、敢えて天化を戦闘から外した。
「どれだけ酷いかは、会わないことには判断できないからな」
「だから、独りで行こうと思って」
「?」
「望ちゃんから言われて、あなたにも言われたら立ち直れないでしょう?」
愛用の篠籠の中には丹薬の入った小瓶と数種の漢方。
籠を抱き直して、普賢はにこにこと笑った。
「行って来ます」
「俺も行くよ。弟子の苦境は何とかしてやりたいからな」
一人で進むよりも、二人の方がいいだろうと笑って指を絡める。
君の行く道の傍らに立ち、共に見る世界があるのならば。
この茨道も悪くないと感じられるから。
「行こう。道徳」
「ああ」
この手を離さないように。離れてしまわないように。





道士と人間の混在する西周は、まるで封神計画を写し取ったかのよう。
二人で紛れてしまえば、余程目を凝らさなければ仙人には見えないであろう姿。
目を引くのはその灰白の髪。
長身の男。
それでも、二人で並べばそれが普通であるように思えてしまうのだ。
「先に、天化に?」
「他に何かあるのか?」
「武王……ううん、姫昌の息子に」
武王と呟いた言葉を打ち消して、普賢は男を見上げる。
「別に、ヘンなことはしないよ。ただ…………伝えたいことがあるだけ」
「…………………」
「だから、気にしないで」
ぎゅっと、手を握る。
流れる血の暖かさも、爪の掛かる痛みも、何もかもが今ここにあることの生存の証。
「どうしたの?」
「今、俺が天化に会うことは……あれに、余計な負荷をかけることにならないか?」
戦士は、戦ってこそのもの。
黄天化はまさにその通りの男だった。
武器は己の身体一つ。宝貝はその付属に過ぎない。
彼の師がそうであるように、彼もまたその腕一つで全てを守るのだから。
「そうだね。少し、酷かもしれない」
戦線から身を引けと言われることは、もっとも辛いことなのだ。
「でも、発とは二人だけで話がしたいんだ。駄目?」
「…………何のために?」
嫉妬ではなく、いつも真実を隠したがる彼女の心の裏を読み取るために。
目を凝らして、その真意を確かめる。
「道徳」
「……………………」
「ボク、望ちゃんが大好き。望ちゃんが居たから、ここまでこれた。だから……」
いつも、雨に濡れて歩いていた子供が二人。
恋を知って、いつの間にか立派な女になっていた。
見る世界も、進むべき道も重なっていたはずなのに。
たった一つ、掛け違えただけで何もかもが崩れていってしまう。
まるで砂の果実のように、触れてしまえばさららと砂に戻る。
「ボクにとってのあなたが、望ちゃんにとっての発にならないのかなって……」
「難しい話だな。俺にはどうすりゃいいのか分からん。弟子を外してまで他の男の背を押すのもな」
「…………うん。それでも」
半歩だけ、前を進む少女。
見守るように後につく男。
「ちょっとだけ、行ってくるね。終わったら、これで連絡する」
手にした太極府印を翳す仕草。
「後でね」
見送って、目を細める。彼女が自分の意思を通すときは余程の時だからだ。
「さて、俺は天化にばれないように、時間を潰しますかね……」


彼女の居ない数日を、ぼんやりと過ごしながら発は空を見上げていた。
遥か天空の仙界に居る彼女に、少しでも近い場所にいたいと。
「発」
自分を呼ぶ、聞きなれない声に振り返る。
「こんにちは。少し、良いかな?」
太公望と同じように欄干に腰掛けて、普賢は発の方を向く。
同じような背格好に、重なる影。
「彼氏は?」
「いつも一緒に居るわけじゃないよ」
うふふ、と笑う唇。
「そんで、俺に話って何?愛の告白?」
「ある意味、そうかもね」
同じように、空を見上げる。
住み慣れた仙界は、目にすることも出来ないほど今は遠く。
「ねえ、発。ボクは、君のお父様を見たことがあるよ。君に良く似た、賢君だった。望ちゃんが好きな人が出来たって
 言った時に見に来たの。噂に違えぬ良い男だった」
その後に小さく「それでも、ボクの趣味とはちょっと違うけどね」と彼女は笑って付け加えた。
「望ちゃんを、頼んだよ。発」
風は、彼女の前髪を撫でて少しだけ優しいその表情を覗かせる。
ゆっくりと振り向く顔。
それは、死を前にしたものの何もかもを悟った表情だった。
「何言ってんだよ、普賢ちゃん」
「この戦争だけは、人間を巻き込むわけには行かないんだ。そして、誰も傷つかずに終わるなんてありえない。
 発…………望ちゃんは君が思うほど強くないよ。望ちゃんにはまだまだ支えが必要なんだ。傍に居て、大事に
 してくれる人が…………」
散る花は木蓮。回廊を彩るその白さ。
はらはらと散るさまは命の終焉の様で胸が痛くなる。
「望ちゃんには、秘密だよ。発」
「なぁ、普賢ちゃん……」
「普賢ちゃんの彼氏は、天化の師匠だろ?なんで、俺に?」
それは、彼の置かれ立場からすれば至極当然の問いだった。
「…………秘密。君にも、道徳にも、天化にも」
ふわり。花弁が一枚彼女の頬に触れた。




「道徳真君殿!!」
手持ち無沙汰に歩いているところを、武成王に捕まる。
苦笑いを噛み殺しながら、道徳は天化の近況に耳を傾けた。
「そうですか。やはり会わずに帰りましょう。俺まであの子に撤退命令を出したら……」
「息子は、あんたのお陰で随分と成長した。自慢の息子だ」
「俺にとっても自慢の弟子ですよ。できれば、これからもずっとあの子の成長を見届けたかった……」
天化と同じくらいの年に、彼も仙界入りをした。
同じように進んできた道はどうしても自分と重なってしまう。
「あなた譲りのいい太刀筋ですよ。育てば優秀な道士になるでしょう」
「段々、俺の子供じゃなくなってくんだな……」
父親は、寂しそうに笑う。
その横顔が遥か昔に土に還ってしまった自分の両親とどこか重なって時間の流れを痛感した。
どれだけ時間が流れても老いることの無い身体。
優秀な仙道は、強ければ強いほどに人間ではなくなっていくのだ。
「いえ、天化はずっとあなたの息子です。何があっても」
「仙人ってモンになるにはまだまだ時間が掛かるのか?」
「ええ。百や二百ではなれません」
「でもよ、道徳殿の奥方は結構若くして仙人になったんだろ?」
奥方といわれて、思わず咳き込む。
たしかに、正式な婚姻は結んではいないものの事実上の夫婦には違いないのかもしれない。
「いえ、まだ婚姻は……」
「そうなのか?天化の話し振りからしててっきりしてるもんだとばかり思ってたんだが」
自分よりも若い姿の青年は、数千年を過ごしてきた大仙の一人。
「ご子息の多いあなたが羨ましいですよ」
「子供は何人いても良いもんだ。道徳殿も、親になりゃまた違った強さを得るだろう」
「そうですね。出来ればそうなりたいのですが……」
「あのほっそいねーちゃんじゃ、大変そうだけどな」
自分の父親が、存命だったならば同じような会話が出来たのかもしれない。
これは多分、死に行く自分に誰かが与えてくれた時間なのだ。
「俺が来たことは、天化には秘密にしておいて下さい」
まだ、少しだけ時間はあるから。
取るべき手を取って行きたい場所へ連れて行こうと決めた。




黄巾力士に乗って目指したのは崑崙ではなく東の小さな集落。
正確には集落があったであろう場所だった。
「こっち」
普賢の手を取って、目的の場所へと連れ出す。
「大きな樹…………」
樹齢何百年というその大木は、今も瑞々しい葉をつけ大地に根を張る。
彼女より長く生き、彼よりは若い大木。
「ここ、仙界に上がる前に俺が住んでたところなんだ」
今は、人の痕跡は僅かにしか残っていないこの地に。
「記憶違いじゃなきゃ、この木の下に親父たちが眠ってる」
時間的に考えれば、骨の欠片すら残っては居ないのだろう。
それでも、彼はこの地に両親が眠っているかのように話すのだ。
「親父、お袋……心配かけたけど、無事に仙人になれたよ。弟子にも恵まれた。わかんねぇけど、一応
 師表にもなれた。ずっと来れなくて、ごめん」
一度だけ、道士見習いの時に仙界を抜け出して逢いに来たことがあった。
両親は少しだけ窘めて、優しく送り出してくれた。
立派な道士になって、誰かのためにその力を使いなさいと。
忙しい日々の中、両親が落命したことを風の便りに聞いた。
既に骨と化していた親は、弟たちが丁寧に弔ってそのあとに小さな墓標を立てくれた。
時折、様子を見にきてはいたが弟たちは兄がここを見失わないように若い樹を植えたのだ。
遠くに在りても、兄を思って。
その木を枯らさないように、仙界の薬を使いながら彼は育ててきたのだ。
「あと、多分これも心配してたと思うけど……俺、ちゃんと嫁見つけたから」
肩を抱き寄せて、少し照れた風に彼は笑った。
「しっかりしてて、俺には勿体無いくらいだけど……他の男に譲るほど俺も余裕ないし。同じ仙人同士でさ。
 ちょっと……孫はみせられないけど、その分……二人で幸せになるから」
見えないはずの、誰かが確かにそこに居る。
「だから、心配しなくて良いよ。親父、お袋」
吹き抜ける風と、揺れる青葉。
繋いだ手は、離れないようにしっかりと絡めた。
「俺、ちゃんと生きてるから」
それでも、本当のことは言えなくて、口を噤んでしまう。
小さく息をして、一歩だけ前に進む。
「お父様、お母様、普賢と言います」
魂は、其処に残って見守ってくれるのならば。
「私にとっても、彼は大事な人です。ずっと、一緒にいたいと思ってます」
こぼれる涙。
「な、だから安心してくれ。俺は大丈夫だから」
繋いだ手が、やけに熱くて。
片手で顔を覆って、声を殺した。
指越しに、彼の思いが伝わってくるから。
離さないで、離さないで。離れてしまわないように、繋いで。
この先の未来を、生き抜くためにも。





試験管を振りながら、彼女は中で揺らめく琥珀色の液体に目を細める。
終南山の研究室は崑崙でも有数の設備だ。
無論、其処を管轄する雲中子の能力が高く評価されいるからのことなのだが。
ゆるりと纏った羽衣。切りそろえられた黒髪。
「物騒なことになってきたわね」
「そうだな。まぁ、俺はさりとてやることに変わりは無い」
黄竜の方を向き直し、雲中子はため息をついた。
崑崙山自体が今は一つの方向に動いているのは確かだ。
黄竜を含めて十二仙がなにやら暗躍しているのも。
「やるの?金螯と」
「多分な」
「………………………………」
そっと手を伸ばして、男の背にまわす。
幾度と無く抱かれたはずでも、恋しくてたまらない。
一秒でも離れるのがもどかしくて堪らないのだから。
「何を、心配してるんだ?」
低く、穏やかな声は何一つ変わらないのに。
その心の裏側を覗きたいと思う己の醜い心。
「どうした?」
胸に顔を埋める彼女の頭をそっと抱く。
「…………アタシ、片親になるの嫌よ……」
「雲中子?」
「子供が出来たの。アンタ、父親になるのよ」
唐突な告白は、あまりにも衝撃が大きすぎて一瞬思考が麻痺してしまう。
「そうか。良かった……あまり丈の短いものは着るなよ。体に悪い」
心底嬉しそうに笑う顔見れば、それ以上言葉が続かない。
言いたいことはありすぎて、どれから手をつけたら良いのか分からないのだから。
「何で?とか、聞かないの?」
「ああ、そうだな。俺たちに子供ができることの方が珍しいことを忘れてたな」
さわさわと頭を撫でてくる大きな手。
自分よりもずっと長身の男は、時折子供のように笑うのだ。
「実験体になったのよ。不妊に悩む親友のためにね。他の実験だったら雷子でもいいけれど、こればかりは
 アタシがなるしかなかったのよ。それに……」
一呼吸置いて、彼女は続けた。
「アタシも、アンタの子供が欲しかった」
「父親か……責任重大だな」
優しく細められる目。
「お願い、馬鹿なことは考えないで」
子供を盾に使うことは、本来彼女の好む考えではない。
それでも、この男の未来を変えるにはそうでもするほかに考えが浮かばなかったのだ。
才女と歌われても、天才薬師と呼ばれても。
本当は、穏やかに過ごすことを好む一人の女でしかないのだから。
「いつ産まれるんだ?」
「夏の少し手前……緑葉の綺麗な頃よ……」
「そうか……いい名前をつけらやらないとな」
たったそれだけの言葉なのに、涙がこぼれてくる。
両手で顔を覆っても、隠しきれない感情。
恋は、こんなにも自分を脆く変えてしまった。
そして、強く、強く前を見て怯まずに進めるように変えてくれた。
一つの罪を犯すのならば、二つでも同じこと。
封神台のシステムを書き換えことで自分と太乙、普賢の厳罰は避けられないものなのだから。
ならば、持てる力全てを使って禁忌と呼ばれる領域に踏み込もうと決めた。
命という名の領域は本来踏み込んでは成らない場所。
自分の体内に息衝く小さきもの。
求めて、焦がれてきた何よりも掛替えの無い宝物。
「男かな……女、かな……」
「無事に生まれてきてくれれば、それで良いよ。雲娘」
「……うん……っ……」
優しい言葉は哀しすぎて、涙が止まらない。
それでも、何とか作った笑顔。
「幸せに、なろうな」
その言葉に、一片も嘘がないのは誰よりも自分がよく分かっている。
だからこそ、心が痛いのだ。
「うん……幸せに、なろうね……」
明日の風も見えないまま、手を伸ばす。
この手に触れる暖かさが消えないようにと、祈りながら。






胸につかえた思いは、じりじりと焦がれて灰になる。
「スープー!!出かけるぞ」
四不象を呼び、その背に乗る。
「周にもどるっすか?」
「いや、申公豹のところに行く。あれから色々考えたが……なりふり構っても居られぬ。いつまた聞仲が出てくるか
 分からぬからな。行くぞ」
「その必要はありませんよ、呂望」
異国の道化師のような道衣を纏い、申公豹は雷公鞭を一振りする。
生まれては消え行く、雷華。
ぱちぱちと音を立てて空気をかき回しながら、それは風との融合を果たす。
「話があるのでしょう?さぁ」
すい、と伸ばされた手。
それを受け取って太公望は黒点虎の背に乗る。
「四不象。呂望を少し借りますよ。あなたは崑崙に残りなさい」
「申公豹様!!」
「すまぬ。スープー。ちょっと出かけてくる」
二人を乗せて黒点虎は見る間に姿を消してしまった。
風が前髪を攫おうとするのを指先で牽制して、太公望は背後で自分の腰を抱く申公豹を見る。
「よく、わしがおぬしに逢いに行くことが分かったな」
「愛の力……と言えたら良いのですが、私も崑崙に用事があったのですよ」
「おぬしが?珍しいことも」
ばっさりと切られた黒髪は、一層彼女を幼く見せる。
元々童顔の太公望を大人びて見せるのに、長い髪は一役買っていたのだ。
「用事とは?」
「……………………………」
「気になるではないか。おぬしの様な男の野暮用とやらは」
悪戯っぽく笑う瞳。
答える代わりに顎を取って、深く唇を重ねた。
噛みあって舐めあって、絡まりあう接吻。
何度も何度も息が詰まるほどに。
「……っは……」
舌先を繋いだ濡れた銀糸。
「後で、じっくりと教えてあげますよ。褥の中で」
「ならば、従うとするか」
策士二人。男と女ではまた違う目線。
「痩せましたね……ずいぶんと」
「そうか?食事はちゃん取ったつもりだが……」
「心労ですよ。あなたは自分に厳しい人ですから」
甘い言葉は、甘えさせるためだけのものではなく。
己の甘さを断ち切れるかどうかの判定試薬。
「封神計画は、順調ですか?」
「それがどうも腑に落ちぬ。おぬしにもそれを聞こうと思っていた」
「私も、崑崙に出向いた用件はそれです」
「……………………」
忘れていけない。この男は封神傍の筆頭にその名を置く道士なのだ。
本体は相対するべき存在なのだから。
気まぐれに自分を抱き、何かを語る。
「ゆっくりと、話しましょう。聞仲はまだまだ動けませんから」
「どういうことだ?」
「それも、話しましょう。ゆっくりと」




動き出した歯車。
ほんの少しずれてしまった歯車。
崩壊の音は、まだ聞こえない。





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1:36 2004/04/07

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