◆背中合わせの理想郷◆



この世のどこかにあるという話しにだけ聞く青色の桃。
その甘さと瑞々しさは一口だけで心までとろかして。
西王母や竜女たちが修行の際に口にしては五つの苦行に耐える忍ぶ。
人を狂わせる魔性の果実。
またの名を『女禍の桃』という。






「赤雲、大丈夫さ?」
階段に座るのは公主の弟子の一人、赤雲。
公主を警護する仙女の筆頭の少女。
「天化……」
「隣良いさ?」
並んで座るのは何年ぶりだろう。昔はこうして二人でよく抜け出して手を繋いで走っていた。
彼の師と彼女の思い人は同じ師表として名を置いていた。
道徳真君と慈航道人、先の大戦で共に散った十二仙だ。
「慈航様、どんなこと考えてたのかなー……って……」
「……………………」
「公主様だって仲間が消えて悲しいのに、あたしだけ落ち込んでるわけにも行かないしね。
 天化だって、モクタクだって、ヨウゼンさまだって悲しいのに……」
それでも、恋人を失った悲しみはまたそれとは違った色合い。
涙さえこぼさずにただうつむく姿は、違う少女を思わせた。
「師叔も普賢さんとか亡くしてるのに、泣いたりしないさ……」
「太公望師叔は強いわよね……あたしが師叔だったらあんな風に気丈にはしてられない」
彼女のことを知らなければ、気丈な女で終わってしまう。
それが本当のことなのだ。
ましてやそれが同性からならば失笑を買って仕方が無いと、太公望は呟くだけ。
いっそ罵声を浴びせられたほうが楽なのだと。
「師叔、気丈じゃないさ。あの人だって普賢さんを……」
「強くなかったらあんな行動できない」
十二仙の特攻は彼女の策の一つ。
そして仙界大戦を終結させるための大きな鍵だった。
「天化だってそうでしょう?道徳様や普賢様が……」
「それはあの人だって同じさね」
「…………天化は男だから、あたしの気持ちなんて分からないよね……」
その言葉に、煙草を指先で揉み消す。
「だったらいえばいいさ。あんたが慈航さんを殺したって。誰も責めないから師叔は余計に
 苦しんでる。誰も詰らないから師叔は毎晩自分の爪を剥がしてるさ」
始めはほんの少しだけ短くなっていたその爪は、夜毎その深さが増していく。
からり、と親指のそれが床に血液と共に転げ落ちた。
「あの人の身体、見たことあるか?傷のない場所なんて無かったさ……昔はもっと柔らかかったのに
 いつの間にか傷だらけで、あちこち硬くなってて……女の体抱いてるって感覚が少し
 薄くなってる……」
凛とした瞳と、甘い頬。
うなじに掛かる黒髪の艶やかさは柔らかな肌を想像させるには十分だ。
「そんでも、俺っちは今のあの人のほうがずっと好きさ。やっと、あの人のいってる事が
 分かるようになってきた。コーチや普賢さんが言ってたことも」
足を止めることは許されない。
まだ自分にはやることがあるのだから。
「死ねたら楽だったって……そんなこと考えなくたっていいのにさ……いっつも他人のことばっか
 考えて……」
二本目の煙草に火を点けて、吸い込む。
立ち上っては消える煙をただ見つめていた。
「あたしだって別に師叔を責めたいわけじゃない。けど……じゃあ、誰を責めれば良いの!!
 泣いたって叫んだって慈航様は帰ってこない!!もう逢えない!!」
堪えていた涙がぼろぼろと零れ落ちる。
鳳凰山を警護する道士の先頭として今まで感情は押し殺してきた。
回廊ですれ違う太公望からは悲しみの欠片すら感じられない。
「慈航様に逢いたいの……ただ、それだけなの……っ……」
肩を抱くことも、手を握ることも出来なかった。
この手は彼女が必要としている手ではないのだから。







「なぁ、赤雲……お前は俺を殺す気か?」
皿に盛られた炒飯を口にして、男はそう呟いた。
「慈航様のお好きな辛口にしましたよ?」
「だからって、飯が変色するくらい入れる馬鹿がどこにいるんだよ」
のろのろと立ち上がって、厨房へと向かう。
手早く葱と韮を刻んで、火に掛ける。
軽く香辛料と醤油を振り混ぜ、そこに三人分の白米を。
そのまま炒めて、ぱらら…と米が飛ぶようになったのを確かめて皿に移した。
「ほれ、とりあえず食ってみろ」
匙を握らせて少女に促す。
「どうだ?」
「美味しい……」
「このくらいだったら俺でもできっからよ、これよりも美味いもん作ってくれや」
面倒見の良いこの男に少女が思いを抱いたのは、いつのころからだろうか。
気が付けばその姿を目で追うようになっていた。
決めた限りは果敢に攻めるのが赤雲のやり方。
あれこれ理由をつけては落下洞へと足を運んできた。
鳳凰山は男子禁制、時折師表十二仙が顔を見せるがそれもめったなことではない。
崑崙で堂々と腕を組むのはまだ数が少ない。
仙女はそれだけ数が少なく、色恋も表に出すことは好まれていないのだ。
「慈航様は、お料理が上手なほうが良いですか……?」
「まぁ……下手よりは美味いほうがありがてぇよな。男所帯だし」
無精髭に焼けた肌。人懐こいこの仙人を慕う道士は多い。
赤雲もその一人として彼には認識されていた。
「わたし、慈航様のためにがんばります!!お料理の修業をつんできますっ!!」
勢いよく飛び出していく背中をただ見送るしかできずに、男は視線を泳がせた。
駆け出した赤雲が向かった先は九功山白鶴洞。
たまには時間を掛けて夕食を作ろうと普賢は材料を畑で物色していた。
「普賢様〜〜〜〜〜〜〜〜っっ!!!!」
「赤雲、どうかしたの?」
籠いっぱいに入った栗と、取れたての青菜の瑞々しさ。
「栗ご飯にするけど、食べていかない?公主にももっていってもらえると嬉しいな」
「はい!!いただきま……じゃなくて、あたしにお料理を教えてくださいっっ!!」
のんびりと首をかしげて、普賢は赤雲を見つめた。
「普賢、椎茸と榎木が豊作でこんなに……って、赤雲じゃないか。どうしたんだ?」
「……道徳さま……」
出来ることならばこの二人のように、指を絡ませて二人で並んで歩きたい。
師表同士の恋は厳禁のはずなのに、彼は古い仕来りはいらないとそれを粉砕した。
周りの揶揄非難から恋人を守り、近寄る男には報復攻撃。
「実は…………」
赤雲の話を聞きながら、男は引きつりそうなわき腹を押さえて笑いを堪えるのが精一杯。
慈航道人の恋人の基準値は昔から『料理の腕』に絞られている。
「慈航なんかよりももっといい男はいっぱい居るのにな」
「道徳よりも慈航のほうが将来性はありそうだけどね。浮気しそうにないし」
耳に痛いという顔をする男に、少女が噴出す。
「あははははっっ道徳さま、怒られてるー」
「俺だって浮気しないけどなぁ……」
「一緒に栗ご飯作ろう、赤雲。慈航をびっくりさせてやればいいんだから」
慣れない作業に四苦八苦しながらも、赤雲は果敢に挑んでいく。
恋する少女に敵うものなどこの世界には居ないのだから。
桃色の布巾の上に小さな重箱を載せる。
中に詰まった栗御飯と茸の炒め物。牛蒡は掻揚げにして茹でた里芋は練り団子。
甘酢餡をたっぷりと絡ませて、紅葉を模倣させた人参を泳がせる。
(喜んでくれるかな……食べてくれるかな……)
逸る心を抑えて落下洞へと向かう足取り。
扉を開けて、男の前に包みを差し出した。
「私が作りましたっ!!食べてくださいっっ!!」
「お、おう…………」
今までの全霊からして無事で居られる保障は無い。
恐る恐る包みを開けて、重箱の蓋を外した。
「……美味そうじゃねぇか……」
「食べて……くれますか……?」
見上げてるくる大きな瞳と、竦む肩。
襟足で跳ねる愛らしい黒髪。
「おう、食わせてもらうぜ」
箸をつけて、租借する。喉仏が上下するのを祈るような気持ちで赤雲は見つめていた。
「うめぇ……なんか普賢の味に似てっけども違うし……うん、これなら全部食える」
「本当ですか?」
「俺の予想としちゃ、普賢でも習ってきたんだろうけども……やれば出来るってことだろ?赤雲」
本心を言えば、どんなものが出てきても美味しいと言うつもりで居た。
彼女が自分のために、少ない自由時間を使ってくれているのは分かっていたのだから。
「俺、道徳とか黄竜みたいに優しくねぇぞ」
その言葉に赤雲は首を大きく横に振った。
「そんなことありませんっ!!」
「あんな風にべたべたすんのも好きじゃねぇぞ…………人前でとかな…………」
そっと手を伸ばして上着の裾を握る。
「あたし……ずっと一緒に居られなくたって……ッ……」
頬に掛かる無骨な指先。
ごつごつとした感触でさえ心地よいと思えるほどなのに。
「慈航様が……好きなんです……」
「顔上げろよ、赤雲」
重なる目線の優しさに、心臓が止まりそうな気持ち。
「俺の好きなもんは、正直なやつ。嫌いなもんは無茶するやつ。これだけ憶えててくれや」
「……はい……」
「結構短気だって言われっし、酒癖悪いっても言われるぞ」
「はい……聞いてます……」
両手で頬を包まれて、びくんと肩が竦んだ。
「寝起きとか悪ぃし、鳳凰山になんか滅多なことじゃ入れねぇ」
「はい」
こつん、と触れ合う額。
「そんでもいいか?俺は崑崙一の筋肉馬鹿って言われてんだぞ?」
「はい!!」
触れるだけの口付けに、心まで甘く蕩けてしまう。
秋色の景色の中、この気持ちは暖かく柔らかな春爛漫。
「あんま無理しねぇで飯のことは憶えてくれや。俺も出来る限り手伝うし」
「がんばりますぅ……」
「無理ねぇ程度に此処に来てくれりゃそんでいいから」
世界で一番甘い時間。
彼に二度目の恋をした。一度目も二度目も彼だけに。






「慈航様、痛かったかな……苦しかったかな……」
あの日から恋はしないと決めた。遊びで覚えた煙草はやけに苦く感じるのに。
それでもそれを吸わずには居られない。
その一瞬だけは彼が居ない寂しさを忘れられるから。
悲しさを苦さでごまかすことが出来るから。
「俺っちも考えたさ。コーチはどんな思いをして逝ったんだろうって。普賢さんは
 最後に何を見たんだろう、って……でも……」
「?」
「師叔はそれを全部見てきたんだ。全部見て、聞太師と戦った。今度は妲己とやりあうんだ」
運命はその肩に重く圧し掛かる。
「師叔も泣かないんさ……泣いたって誰も怒んないのに……」
煙草を一本取り出して、赤雲の手のひらに載せる。
火を分け合って煙を肺腑に満たした。
「あたし、泣けるだけ幸せなのかなぁ……泣いてもいいだけいいのかなぁ……」
「かもしれねぇさ……師叔は、泣くってことを知らない……」
悲しみの行方をどこに向けるか分からないまま、彼女は茨の道を進む。
棘の冠と足首に絡まる鎖と枷。
傷だらけでも悲鳴を上げる術が分からない。
「慈航様が好きなの……逢いたいのぉ……っ……」
ぐすぐすと泣きながら目を擦る姿。
「いつか逢えるさ、封神台(あそこ)で」
「それまで待てないよ……」
「逢いに行ったらいいさ、師叔が言ってた。封神台には入ることが出来るって」
逢いに行こう、あの大切な人に。
とびきりの笑顔になれるようになったら、もう一度手をつなぐために。





男の腕の中で少女は静かに目を閉じている。
胸に顔を埋めるようにして、青年の背中を抱く腕。
「老子とやらをこちらに付ければ……戦況はわしらに有利になるやもしれぬ」
黒髪を撫でる指先と、耳元に触れる唇。
「師叔のお好きなように。僕は貴女の剣となるだけです」
窓辺に咲く月光花。清楚な香が部屋に漂う。
身体をずらして少女は男の喉元にそっと接吻する。
「のう……ヨウゼン……わしを憎いとは思わぬのか……」
「憎しみを抱く理由がありませんよ、師叔」
長い髪を指に絡ませて軽く引く。
誰かの肌の暖かさは麻薬に似た優しさをもつ。
悲しみの形はそれぞれで、それを癒す方法もまた同じ。
「もう少しだけ、がんばりましょう。妲己を討ち、周を建国したら僕たちは引退です」
「そうじゃのう…………」
「そうしたら今度は何をしましょうか?女禍の桃でも探しますか?」
どこかに存在するという青い桃。
それゆえに幻とも言われている。
「それも良いかも知れんのう……」
眠たげに頬を寄せてくる彼女を抱き寄せて、そっと唇を重ねた。
肌に残る噛跡と汗の匂いが先ほどまでの情事を思い出させた。
「もう少しだけ……わしの我侭をきいてくれ……」
「出来るればずっと、我侭を言われたいんですよ……師叔……」
聞こえてくる小さな寝息に、上掛けを引き寄せる。
まだ夜鳴き鳥が羽ばたく時間、朝は遠く。
蜜蝋の明かりも消えて月光だけが静かに彼女の肌を照らした。
不安であればあるほどに、太公望は身体を求める癖がある。
今宵もそうして彼女は眠りに落ちた。
(でも……本当はあまりがんばらないで欲しいんですよ……あなたは無理しかしないから)
その小さな背に理想郷を負って、大地を蹴る姿。
どこまで追いかけてその傍に居たいから。





目覚めて見たのは一枚の手紙。
少女の文字で認められたそれには、あれこれと自分への要望が書かれていた。
「これは……」
窓を叩く音に、振り返る。
「師叔!!」
「わしはちょっくら太上老君を探してくる。あとは頼んだぞ、ヨウゼン!!」
霊獣を飼って少女は空へと消えていく。
晴天霹靂、天気は良好。
旅立つにはもってこいの朝だった。
「仕方ないなぁ……恋文(ラブレター)も貰っちゃったし、がんばるか」
最後に書かれた小さな文字。
『その腕の温かさは忘れない』と。





目指すのは雲の彼方。
誰も見たことの無い理想郷――――――。




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23:51 2005/10/23






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