◆みちしるべ◆






何もかもを許すにはまだまだ時間が足りないのかもしれない。
それでも、これ以上待つことはできなかった。




少女の手をとって、青年は岩場を蹴って行く。
目指すはかつての総大将の待つ場所。
「なんか不思議だね……」
「そうだな。こんな風になるなんて誰も思っちゃなかっただろうし」
この空間がどこまで広がっているかは、作ったはずの自分たちですらわからない。
仲間たちの姿を横目で見ながら目的地へと急ぐ。
「しっかり掴まってろよ」
風を追い抜いても不安にならないように。
古い星の光を追うように、自分たちが辿って来た軌跡。
誰かがそれを受け継いでくれれば役目は終わる。
「禁鞭はないし、聞仲が俺らを攻撃する理由だってない。王子さんたちや武成王が話を
 つけてくれてっから心配は要らないだろ?」
「うん、なにかあったら符印でどーんって……」
目がくらむ様な光の中でやっと見つけた本物の希望(ひかり)を。
潰さない様に、消さないように。
「ここが、聞仲の居る場所……」
そこにあったのはかつての執務室に似た小さな邸宅。
これが彼の大部分を占めていることなのだろう。
「どうやって行けばいいかな、どーんっと」
「そんな必要ないさ。向こうさんがお招きしてくれてる」
道徳が指し示すほうを見やれば、開く重厚な扉。
まるで彼の意思を汲み取ったかのようにさえ思えた。
「改めまして、だな。聞仲」
「何のようだ。清虚道徳真君、普賢真人」
宝貝は失っても、その威厳には何の変わりも無く。
それでも少女も引くことなく男に静かに微笑んだ。
「こんにちは、聞仲。今日はあなたと話をしに来たんだ」
恋人の命を奪ったのは紛れも無くこの男。
その身体が砕け散る様を少女は目を逸らさずに見つめていた。
「何を話すというのだ?お前たちが私と話す理由など無かろう」
「聞きたいことがあるんだ。あなたなら知ってるから」
呼吸を整えて、準備していた言葉を放つ。
「あなたはこの戦いの本当の黒幕をしってるはず」
「なぜ、そうだと思う?私が何を知っていると?」
少女はちら、と恋人に視線を移して目を伏せた。
組まれた指と静かに開く唇。
この空間には三人の魂が静かに存在しているだけ。
「あなたはボクたちが戦っている間、ずっと操舵室から出てこなかった。ボクたちを
 本気で殺すつもりならば十天君を餌にしてあなたが出てきたほうが簡単だったはず。
 けれども……あなたの目的はボクたちの殲滅ではなかった。確かに崑崙と金鰲二つを
 消すのもあったかもしれないけれども、それじゃ根本を絶つことには成らないからね」
砂の中に隠した小さな石を探すように、この計画の中に隠された真実。
ある男はその欠片を拾い集めた。
そして少女は、欠片になることを拒み散った。
「あなたの目的はあくまで殷の正常かだった。そのために邪魔なものは妲己……昔、
 何度かあなたは妲己を殷から駆逐することに成功している。どれだけ修行を積んでも
 妲己はあなたに本質的な強さでは勝てないことも知っていただろうからね」
同じ過ちを何度も繰り返すほど女は愚かではない。
傷付いた姉妹の姿を見て己の非力さを憎むような性質だ。
「その妲己がいきなり強くなった。加えて教主の弱体化。王天君の存在……考えれば
 疑問が浮かぶのは当たり前だと思うんだ。僕があなたでもおかしいと思うもの」
たった一人の仙女を討つにしてはあまりに遠回りで大それた計画。
それによっての被害は莫大なものになることは分かりきっていたのに。
「けれども、妲己の後見人がいたとすればおかしい話じゃない。急激な変化はそれなりの
 強さがなければ本人への負担も大きいからね。一仙女が教主を篭絡できるほどの強さを
 得る……壊死寸前までいったあなたならそれがどれだけのことはよく知っているはず」
疎らに散らばる複数の点。
それを繋ぐための存在の証明。
「それからあなたは金鰲に戻りながら殷の政務に就く。もちろんその間に起きた紂王の変化に
 ついても。全てを繋ぐのは『妲己』という女だからね」
そして起こるべくして起こった仙界大戦。
自軍を餌にして男は西に航路を取る。
おそらくこの大戦こそが自分が自由に動ける唯一の機会と知ってのこと。
その行為に気付いていたのは指揮官である太公望、そして補佐として隣にいた普賢真人。
「あなたはどこに行こうとしてたの?」
「そこまでわかっていたのか。お前たちとはもっと早くに出会っておきたかったな……」
決して交わるはずのなかった道が交差していく。
「答えて、全てに通じる言葉を」
「妲己の後ろに居るのはおそらく…………」






「あら、老子。お目覚めとは珍しい」
少女の声に青年は首をこきり、と鳴らす。
「ああ、邑姜かい……また少し大きくなったかな?」
羊の頭に手を載せて、背念は遥かな西を思う。
先刻までここで眠りについていた少女は、戦士となって飛び立ってしまった。
この歴史を傍観することなく、自分の足で歩きたい、と。
「太公望さんは?」
「もう行ってしまったよ。夢の続きを望むことなく、夢を終わらせるために」
風に靡く髪と、流れていく誰かの歌声。
「そういえば、貴女はまだ行かなくても良いのかい?邑姜」
穏やかに笑みを浮かべる老子に、邑姜はくすくすと笑う。
「まだ時期じゃないでしょう?それに……いずれ世界は私を必要とする」
「そうだね。君は最後の血を持つ。それを知ったらあの子も喜ぶだろうに」
数十年前に奇跡の手助けをしたのは紛れも無くこの男。
この血を絶やさぬように。
そして、歴史に惑わされないようにそっと手を貸した。
「そう、兄様がいらっしゃいました」
「申公豹が?黒ちゃんは元気だったかい?」
欠伸をかみ殺して、青年は少女と向かい合う。
「とても。老子がお目覚めにならないことを悔やんでましたが」
「悔しがってた、の間違いじゃないかな?あれは私の夢の邪魔をするのが趣味だからねぇ。
 それでも、あれほどに歴史に愛された男もいないと思うけれども……ああ、でも、良いのか。
 あれも私も大いなる暇人だ」
少女の手が青年のそれに触れて。
「……お父様、もうじき私も旅立ちです」
「邑姜、何を嘆く必要があるのかな?君は……誰よりも気高い戦士のはず。私はそう思って
 貴女にその名をつけた。彼女が君を思えるように」
奇跡の欠片の名前を、青年は少女に記した。
最後の一人になろうとも、決して忘れえぬようにと。
「娘を戦に出すのはいつだって苦しいもの。気をつけて」
「私は何のために生まれてきたのですか?」
「君は君として生きるために。歴史から逃げるのも一つの人生。戦うのもまた、人生」
この穏やかな草原に立っていられるのも後もう少し。
少女もまた戦場へと借り出される。
それは彼女自らが望んだこと。そして、世界が望んだこと。
歴史に愛された少女が二人、その影を擦れ違えた。






包帯を染め上げる血液に、少年は唇を噛んだ。
「天化はおるか?」
たん、と大地に降り立つのは道行天尊。
風に揺れる緋色の巻き毛と、栗色の瞳。
「薬を持ってきた。太乙真人からじゃ」
慣れた手つきで少年の包帯を換えて、傷口に丹薬を指先が塗りつけていく。
膿むわけでも乾くわけでもなく、ただ止まることを知らない血液。
日々、ゆっくりと少年の命を削っていく。
「……道行さんは前に、死に掛けたことがあったって聞いたさ。そのときはどんな感じだったさ?
 俺っちもいっそ潔く死ねたほうがどんなにいいか……」
珍しく弱気な言葉に、女は苦笑する。
体の半分以上を失い、醜い接合部をさらしても彼女は『生』を望んだ。
「天化、死ぬことは簡単じゃ。討ち死にすることもな」
それは仲間を失った彼女の重い言葉。
自分だけが生き残ってしまったことへの懺悔。
少年の頬に、指先が触れて。
「死を選ぶならば止めぬ。それが己の誇りを持ったものなのか良くと考えることじゃ」
彼の師匠は最後まで自分の信念を貫いた。
その恋人だった少女も逃げることなく全てを見つめて飛び立った。
「生きることは辛いな。そして力なきことも」
どれだけ悔やんでも、少女の力になるには何もかもが不足している。
事実、最前線で戦うにはこの傷が邪魔をするのだ。
「太公望を愛しておるか?」
「ああ…………」
「ならば、最後までしかと生きよ。それから死を選べ」
この瞳の色が揺らぐことが無いように。
「道行さん…………」
「どんなに生きたくとも、できなかった者も居る。その分を生きて、生きて……それから
 死するが良い……戦士として最後まで剣を持って」
優しい言葉はもういらない。
あの人の力になりたいだけだから。
「進軍と共に行け。儂もすぐに行く」
「そうさね。俺っちが行かなかったら望が困るさ」
少年の元に届く風。
この先の終わりへ導くための優しい光だった。





宮廷で琴を爪弾く女の首を刎ねて、けらけらと笑う陰。
「王天ちゃん、床が汚れちゃうわぁん」
転がる首を足蹴にして、王天君は笑いをかみ殺す。
「いよいよ始まるのかよ。この大戦争」
「そうよぉん。面白いでしょう?」
五火七禽扇をふらり。ふわり。はためかせては女は妖艶に笑うだけ。
二つの命を失って、少女は一つの確信を得た。
自分の失われたものを持つ魂の存在を。
「確かに面白いですね、妲己。それと……王奕、とでも呼びましょうか」
男の声に振り返る。
雷公鞭の先端に雷華を絡ませて、男は王天君を静かに見つめた。
「私のしってる王奕とはまた違いますが……妲己、つくづく恐ろしい人ですね」
「あらぁん……わらわよりもあなたのほうが怖いわぁん。申公豹ちゃん」
「気のせいですよ。貴女ほど恐ろしい女は見たことが無い」
ざわめく空気は殺意を孕んで。
「もしも……呂望に何かしたら貴女でもただではおきませんよ、妲己」
「……いやぁん、申公豹ちゃんったらぁ……」
傾世元禳と雷公鞭。
二つの相反する宝貝が激突すれば互いに無事である保証は無い。
「恐ろしい女は太公望だろうが。何人の男狂わせてんだ」
「あなたもその一人ですか?いや……あなたはどちらでも無い存在か」
その言葉に血液が沸騰するような感覚。
「ふざけんなよ!!道化師ガァアアッッ!!」
「品の無い女は愛せませんからね」
その瞳は何もかもをも見透かせそうな光を持つ。
「いずれあなたとも話す機会があるでしょう、王奕」
傍観者になるためには強さが必要だ。
彼はそれだけの資質を十分に持ち、歴史に認められた。
この終焉の終わりと傀儡の結末を見届けるための存在。





五千年の間に、人間(ひと)は目まぐるしい歴史を描いた。
それは華やかで鮮やかで儚く悲しいことの繰り返し。
男と女が存在する限り、戦いは終わらぬまま繰り返されていく。
厭世と呟いて、男は人間であることを捨てた。
「妲己ちゃんも、急に変わったもんねぇ」
霊獣の髭を一撫でして、青年はため息を。
「何時の世も男は女に勝てないんでしょうね。それは最初の人も同じだった。だから
 哀れな一人の女が葬られたんでしょう。優しさと小さな悲しみ包まれて」
この大地にも風にも緑も。
全てに降り注ぐ光のような存在がこの世に生息していた。
繰り返す悲しみは海を渡る風のよう。
幾重にも重なってやがては崩れていく。
「果たして彼女は誰を愛しているのでしょうか?」
「妲己ちゃん?」
「いいえ、もう一人の哀れな女ですよ。妲己はまだ傀儡でしかありません。まだ、ね……」





暗い道を裸足で歩いた。
真っ赤に染まったこの両足。
どこまでどこまでいきましょう。
まだ明けぬ宵闇小路。




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