◆風の起源、命の根幹たる導◆



羊と牧草の懐かしい匂い。
「ここは……羌族の村……?」
少女は何もかもを知ったような口ぶりで淡々と語る。
「殷の羌族狩りから逃げた人たちの村です。義父もその一人です」
数十年前の凄惨な民族狩り。今もこの瞼に焼き付いて離れることは無い。
あの日に誓った復讐の中で自分はまだこの命を生きながらえているのだ。
「そうか……」
僅かに綻ぶ唇に、邑姜は眉を寄せた。
「何か、可笑しいことでも?」
「いや……同じ血を持つものがいるということはうれしいこと。わしは一人ではないの
 だなと思ったのだよ」
親友は二つの仙界と共にその命を沈めた。
自分が関わった者はすべてその魂を散らせてしまったのに。
こうして生き延びてくれているということが嬉しくて、嬉しくて。
「あそこだけ羊が……」
「あなたの探す人……俗世では太上老君と呼ばれております」
この眠れる賢君が自分の捜し求めていた男。
その顔を見ようと覗き込む。
「!!」
波打つ巻き毛と伏せた睫。流麗なる仙人の顔は、見知った仲間と寸分違わぬ者だった。
「……男、じゃよな……」
「ええ、一応は」
「わしの友人によく似ておる……瓜二つといおうか」
先代からの十二仙として師表の座に着く女。
始祖の仙名を受けたと笑っていたあの唇。
「道行天尊。崑崙の開祖と同じ仙名を持つ女だ」
「そんな人が?」
「ああ。そして……老子は申公豹の師であろう?」
「兄さまをご存知で?」
邑姜の言葉に太公望はほんの僅か眉を寄せた。
おそらくそれは誰にもわからない様な微細な動き。
「申公豹と知り合いか?おぬしも」
兄と称された男は自分と浅からぬ関係を持つ。
「ええ。老子の一番最初にして最後の弟子と聞きました」
「そうか。わしはあやつの過去は何も知らぬからのう」
眠る老子に目線を移し、そっと手を掛ける。
頑丈な防護服に覆われたその身体はいくら揺さぶっても睫一本揺らがない。
「兄さまの昔に興味はないのですか?」
少女ならば誰でも他人の過去、それも恋人のことならば知りたいと思うだろう。
「知って何かが変わるのか?何も変わらぬのならば現在(いま)だけで十分じゃ」
つぶやかれる言葉に、邑姜は静かに頷いた。
おそらく、彼女がここに来たのは彼女足る由縁ありき。
「老子とはどうやって話せばいいのだ?」
「今が浅眠ならば交信が可能です。普段は滅多なことでは起きません、言い伝えでは
 三年に一度起きると聞いてますが」
その言葉に霊獣が首をかしげた。
「じゃあ、この人はどうやって邑姜ちゃんを育てたっすか?」
鼻先をなでる傷の無い指先。
「正確には老子の立体映像が私を育てました。あとは過去の残像たち」
覚めない夢の中で、彼はどんな風景を見つめるのか。
誰とも関わらないというこの男が世界の鍵を持っているのかもしれない。
「交信してみますね。運がよければ会話もできるはず」
腕を飾る花の輪をぽちり、と押す。
雑音と光の渦が生まれ、その中から男が眠たげに姿を現した。
「なんだい邑姜?脳を動かすのも楽じゃないんだよ」
欠伸をしながら男は二人の少女をちら…と見やる。
「おぬしが太上老君……」
「君たちの事はしってるよ。道士太公望と霊獣四不象」
耳ではなく意識下に響くその流麗たる声。
これが残像だとは思えいほどの凛とした眼差し。
『でも、面倒だなぁ……』
今度は羊がそんなことをつぶやく。
「!?」
『自分で話すのは面倒だから、彼らの口を借りることにしたよ』
ものぐさとたとえるには余りにもその差がありすぎる。
しかしながら、老子はその声にすらすべてを知るものの気品があるのだ。
『用件を言うがいい。太公望よ』
「なんでわしが羊と会話せねばならんのだ……まぁ、いいか。羊も妖怪も人間もそうは
 変わりあるまいて」
幸せのあの日によく似たこの光景の中で聞くのは。
もっともそこから遠い場所に行くための言葉。
「ならば、問う。おぬしは妲己よりも強いか?」
少女はあの日、復讐を誓った。この世界で最も美しく残酷な女に。
「彼女には決して負けない」
誓いを現実にするために。大切な友を失ってもここまで来た。
頬を撫でる優しい風と脚に絡まる思い出たち。
「老子さん、僕らは妲己を倒して平和ないい感じの世界をつくりたいっすよ」
進むべき道に両足を着こう。
『封神計画、それは何か』
今一度自分自身に問う。この計画を本当に遂行するべきなのか。
自分の復讐劇ではなくこの計画は複雑に世界に絡まっている。
『それは道標に導くもの』
万物に流れが存在してそれが何なのか。それがどこヘ導くためのものなのか。
朗々と流れる水のようにこの大地に命を恵むものたち。
『桃源郷とは何か?』
夢のようなあの空間は、どこか懐かしくそれでいて恐怖を感じた。
微笑みの中にある小さな殺意。
それは子供が躊躇うことなく無視を握りつぶすのにも似ていて。
『それは仮初の楽園。個が無い仮面に覆われた幸せ』
個人が存在しないから争いも存在しない。しかし、それは存在し得ないこと。
誰かを思うだけでは生きていけない。
憎しみも嘘も傷つけあう言葉もあるからこその人間。
『申公豹との関係は?』
その言葉にどきり、としてしまう。
平静さを装ったところで彼の前では意味を成さない。
『老子の初めての話し相手。同じ視線をもてる者』
そう、心を読むものの前では何を隠しても無駄になる。
過去も現在もすべてがその掌の上で踊るのだから。
「流れに身を委ねよ。そうすれば負けは無く、勝ちも無い」
すべてを超越した精神性。それが太上老君という存在。
妲己と対極の位置にある者。
「老子…………わしの力になってくれぬか?わしにはまだまだ力が必要じゃ」
「……………………」
「たとえ勝ち負けが無くとも、もう退く訳にはゆかぬのだ」
終わり無きこの道をここまで来た。呪われた王宮はすぐそこ。
この手にもった短剣でその喉を切り裂くために。
「なんだか眠くなってきちゃった……」
残像が歪んで消えていく。
「おやすみーー」
「こら!!待たんかーーーーっっっ!!!!」
いくら叫んでも老子には届かない。
傍らの邑姜が静かに首を振った。
「あと三年は残像すら出てこないでしょうね」
「さ、三年……そんなに待てぬ!!」
夢の国の住人は、一筋縄では行かないらしい。
あの申公豹の師匠であることからそれは察するべきだった。
「どうすれば……この男と……」
すべてに流れがあり、それに身を任せろと彼は言った。
ならば同じように流れにこの身を置くしかないのだろう。
「スープー、後は頼んだぞ」
「ご、ご主人何をするっすか!?」
にやりと笑って少女は羊の上で瞳を閉じた。
「わしも寝る。さすれば老子とも逢えようて」




「君も物好きだね、ここまで来るなんて」
ふわりと揺れる巻き毛に澄んだ瞳が笑う。
「聞きたいことが山積だからのう」
指先を動かせばすべてが具現化するこの夢の世界。
「おぬし、なぜ道行と同じ顔なのだ?」
「そんな名前になったんだねぇ。私のかけらは」
「かけら?」
二つの仙界を見つめるために彼はその魂を分割する。
もともと性を持たない彼のかけらは教主たちが望んだ女としてその傍らに立つこととなった。
始祖の子を生み、育て上げていく間にも彼はずっとその夢を見ていた。
何かを探しながら、ただ一人で。
「二つの仙界はおぬしの思うままに動かされていたというのか?」
「まさか。この世界ははじめから決まった流れに乗って動いているだけだよ」
「ならば、わしの行動も無意味か?」
老子の指先が動いて一つの映像を浮かばせた。
人間はこの先も争いをやめることはできない。それは身体の中に刻まれてしまった仕組みだから、と。
どれだけ年月が流れて進化を遂げてもその最終点に待っているのは無。
すべては灰になり、土に還る。
「終わりはすべてが無になるんだ。私はずっとそれを見てきた」
ここで自分が手を貸しても貸さなくても結果は同じこと。
人間に希望も失望も持たない仙人はそうつ呟く。
「貴女がどんなに頑張ったって、人間はそんな生き物なんだよ」
憂い色の瞳が小さく笑う。
「何がおかしいんだい?」
それは老子の初めての問いだった。
「わしとてそんな高尚な生き物ではないよ。いつかは死ぬだろうし、この先ずっと
 未来視をするわけでもない。精々男にだまされてそのあたりの草むらに転がって骸に
 なるのが関の山だろうしな」
自分の最後はどうせそんなものだと彼女は答える。
「わしらができるのは少しだけいい世界を作って、次の世界に繋げること。その先の未来は
 ほかの誰かが見つめればいい」
あの人が自分に託してくれたこの思いを。
今度は新しい国王が担ってくれる。その成長が嬉しくて、そして寂しい。
彼の成長はそれだけ自分たちの別れが近づいていることを示すのだから。
「最後が無であっても、そこまできっと人間は足掻くであろう。それが人間じゃ」
終わりが見えても手を伸ばす。一条の光を求めて人間は進むから。
「おぬしの夢はせつないのう……咲き乱れる花も無いのか?」
「変わった人間だね……貴女は。ここにこれたのがわかるような気がするよ」
世界の悲鳴を聞きながら進む少女。
たった一人の冒険の始まりも、いまや周りをたくさんの仲間が固めている。
一人ではなく、皆で。それが太公望という道士の根底。
だからこそここまでこれたのだから。




欄干に感じる気配に青年は視線を移す。
「はじめまして、私の名は申公豹といいます」
「これは珍しいお客さんだ。師叔ならここには居ませんよ」
「ええ。呂望は我が師の所に居ますからね」
霊獣を引き連れて申公豹はしずかに降り立つ。
仙界最強の道士として封神榜の筆頭にその名を置く男。
そして仙号を得ても己の鍛錬のために道士に甘んじる青年。
「僕に何か用でも?」
「ええ、喧嘩を売りに」
「それは……吝かではないですね。ずいぶんと物々しい」
仙界大戦を見つめながら彼はその先にある導を探してきた。
そしてようやく恋人の指先がそこに触れようとしている。
「あなたでは彼女を守れる力がありません」
その言葉に唇を噛む。
最終章に幕を引いたのは他ならない彼女。
あの大戦は彼女なくしては終わることも無かったのだから。
「無力な天才。面白いものです」
「一介の道士に言われる由縁はありませんよ」
「ならば試してみますか?私は……あなたよりも強いですよ」
男の瞳の色がいっそう強くなり、室内にその気迫が走る。
空気の緊張と裏腹に微笑む薄い唇。
「あなたをここで潰すのも面白い」
「……あなたも封神榜に名前がありましたね。師叔の代わりに討ちましょうか」
仙界最強の名は伊達や酔狂で得られるものではない。
確かな裏づけがあってこそのもの。
事実、彼は自らでそう名乗ることは一度も無かった。
「いいでしょう。相手になりますよ」
その声に霊獣が欠伸を噛み殺す。
「やめなよ申公豹。お城壊したら呂望に怒られるよ」
「それもそうですね。たまには雷公鞭の調子を整えるためにいいかと思ったのですが」
「それに、そんなことしてる暇なんて無いよー」
「三秒も在れば終わりますよ」
この男が唯一の好敵手と認めたのがあの少女。
「呂望が悲しむことはしたくないですしね。まぁ、いいでしょう。西に行かなければいけませんし」
黒点虎に跨り、申公豹は宝貝を青年に向ける。
「あなたが思うほどあなたは強くはありませんよ」
「…………………」
「不甲斐ない天才ぶり、楽しませていただきますから」





始まったばかりのこの終わり。
あけない夜はないはずなのに。
その真ん中の夢の中。
動くことを捨ててそっと瞳を閉じた。




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