◆茨の涙◆




その小さな身体を戒めるように、頭上に茨の冠を。
こぼれる涙が分からないように、その唇に紅を。



「まさか道徳殿もここにいるたぁな」
小瓶に挿された一輪の花。うな垂れないと叫ぶように上を見ては咲き誇る。
「天化が来なければそれでいいと思ってます。犠牲はもう必要ないでしょう」
「ああ。息子は役にたってたか?」
出された花茶に口をつけて、飛虎は話を切り出した。
「二人そろって同じ面してるな。俺は何をすれば良いんだ?」
青年の隣に座って、少女はにこりと笑う。
「聞仲に逢いたいんだ。彼なら封神台(ここ)の仕組みを知ってるはず。だからこそ
 金鰲を動かせたんだろうし。ボクも管理はやってきたから、準備さえできればここで
 封神台を改造できるんじゃないかな……って」
西周にいる太乙真人や雲中子と連絡をとるには封神台の核を手近におく必要があった。
まだ完全に把握し切れない部分を、聞仲ならば掴んでいるだろうという予想。
「でも、ボクが行ったら聞仲は嫌でしょう?」
近距離核融合に持ち込み、太公望が勝利するきっかけを作ったのは紛れもなくこの少女。
太公望と隣り合わせ、陰と陽に分かれた二人。
「でも、あなたなら聞仲と話ができる。それに……太子二人もね」
「王子二人を巻き込むのは賛成しかねるな。いずれ紂王陛下が来たときのためにも」
金鰲の総司令官だった男。
十二仙を纏め上げ、特攻を決行し少女。
どちらも自分の信念を持っての行動だった。
「聞仲に会うなら俺も行くぜ。道徳殿には息子を育ててもらったからな」
「できれば……ちゃんと最後まで面倒を見たかったんですが……」
彼の言葉に、胸が痛くなる。
自分も半端なままで弟子との別れを選択してしまった。
「気にするこたぁねぇ。いずれあいつも来るだろうしな。そん時はまた鍛えてやってくれや」
今生の別れではないとしても、せめて天化にだけではその生を全うして欲しいという気持ち。
それは二人とも何一つ変わらないものだった。
「明朝にでも、お願いできますか?」
少女は静かに頭を下げた。
今できることと、自分たちに課せられたこと。そして実行者可能者が自分であるもの。
無駄な動きは少なければ少ないほどにいい。
強かなるは老人の策略よりも少女の思惑。
ため息ひとつでさえも甘い桜色なのだから。




「今日はお客さんの途絶えない日だね、にぎやかでいいけれども」
月桂果を更に盛り付け、霊獣の前にことんと差し出す。
「ありがとう。太公望の友達は僕にも優しいんだね」
「ここまで来るのに疲れたでしょう?僕も霊獣ほしかったな」
鼻先を撫でれば黒点虎はうっとりと瞳を閉じる。
「申公豹が死んだら、普賢真人のお世話になろうかな」
「吝かではない話ですね。黒点虎」
仙界最強の名を持つ道士は、穏やかにつぶやく。彼はこの封神台と現世を行き来できる
貴重な人間でもあった。
「どうですか?準備は整いましたか?それと、物騒な宝貝はしまったほうが賢明ですよ、
 清虚道徳真君。もっとも……あなた程度では私には勝てませんが」
「後頭部に禿でも作ってやろうか、道化師」
「その前にあなたが死にます。ああ、もう亡くなってるから魂魄さえも消し飛ぶんでしょうかね」
男二人の会話などよそに、少女は林檎に刃物を入れる。
兎を作ってのんびりと小皿の上で寄り添わせて。
窓の外の風の色はもうすぐ夕暮れ。花も散ってしまいそうなその風に普賢は眉を寄せた。
「それで、どうなりましたか?」
霊獣の頭に手を置いて申公豹は少女を見据えた。
「明日……聞仲と話をしにいくよ。武成王も一緒に」
「正しい選択ですね。聞仲に封神のきっかけを作ったあなたがたが向かうのは得策ではありません」
おそらく、正式な外交を持っていたならば聞仲ともっとも意見を交換できたのがこの少女。
太公望が彼女を補佐官として傍らに置いたのは間違いではない選択だった。
「ねぇ、申公豹」
「なんですか」
「君も…………本当のことを知ってるよね。この封神計画のことを」
同じように仙界に入り、同じように歩んできた二人の少女。
それでも彼が彼女に愛しさという感情を持ち得なかった理由。
それが、この瞳の光だった。
「君が話してくれなくても、ボクはすぐに答えに辿り着くよ」
「そうでしょうね。普賢真人ならば簡単に答えなど引き出せる……解の欠片をあげますよ。
 あなたが聞仲と対話をするために」
不貞腐れた表情の青年に、少女は静かに目配せをする。
「あなたが知りたい存在の名前。それが女禍です」
その言葉に唇が震えた。
「……女……禍……」
ただそれだけなのに、鼓動が早くなる。
身体の中に刻まれた何かが蠢く様な感覚と血液の逆流。
「この世界の始まりで終わりのことを示します。あなたもしるところの歴史の道標」
もしも、彼女があの戦いで司令官として動いていたならば。
この歴史は変わっていたかもしれない。
そうならないように動かしたのは誰なのかを普賢も考えてはいたのだ。
「お願いがあるんだ」
駆け引きはぎりぎりの線でさりげなく。
少女は転じて悪女になれる。
「太乙真人と連絡が取れるようにしてほしいんだ。ここじゃ自由が少ないからね」
「話をしておきましょう。面白いことはもっと面白くしておきたいですからね」
好ましく思えないのはおそらく。
彼女は迷いを持たないからなのだろう。
命の選択を迷わない一種の冷酷さ。それが太公望には欠けているものなのだ。
「望ちゃんは?」
「まだ夢の中ですよ。あなたとそう変わりもない」
「そう。また逢えるようになるといいな……」
自分たちは亡者だと、唇がつむぐ。
しかしながら彼女は肉体を失った程度では意思を揺らがせない。
だからこそ。きっと。
歴史の道標は彼女を選んだのであろう。





人ごみの中、少女は小さくため息をついた。
(今度はここか……懐かしいのう、王都朝歌……)
ここで待つのは石琵琶の美女。妲己の妹の王貴人。
「道士さま、占っていただけますか?」
黒髪に端正な顔立ち。長身とくびれた腰の美しい女。
「これは小姐。恋占いかのう?」
「ええ」
やわらかく肌理の細やかな肌ときらめく爪。
女の手をとりながら少女は静かに唇を開いた。
「わしに何ぞ用か?王貴人」
「!?」
ばっと身体を離し、女はその身を半妖態に変える。
紫綬羽衣を纏い自信に満ちた瞳で少女を見つめ返した。
「よくわかったわね。妲己姉さまのために死んでもらうわ!!」
霊獣を背にやって、打神鞭を構える。あの時の失策は転じて福となった。
しかし今この夢は自分に何を告げようとしているのか。
ためされている自分だけが感じるこの自然な不自然さ。
「おぬしではわしには勝てぬよ」
幾重もの風の刃が貴人の身体を包みこむ。
そのまま火竜を発動させて少女は女の羽衣を焼き討った。
「琵琶に戻るがいい。王貴人!!」
悲鳴をあげて落下する琵琶を拾い上げて、太公望は軽く爪弾いた。
人の心さえも惑わせるようなその音色。
千年以上の香気に育てられた石琵琶の美しさはたとえようがない。
「ご主人!!この琵琶がさっきの美人さんっすか!?」
「そうじゃ。妖怪仙人は原型に戻るからのう」
手に感じる確かな脈。
石琵琶の貴人はまだ生きている。
「だったら、壊すっすよ!!」
あの時は生かしたまま禁城へと単身乗り込んだ。
そしてその結果、一族を目の前で虐殺されたのだ。
「……そうじゃのう。スープーノ言うとおりだ。こんなものは……」
振り上げて岩場に勢い良く叩き付ける。
「壊してしまうのが一番だ」
砕け散る琵琶と飛び去る魂魄。
これがあのときに選ばなかった道なのだ。
少女は静かに時期を待つ。蛹が羽化をするように。
宿を借り静かに静かに日々を過ごして。
「呂望」
魔除けの呪いにと焚き詰めた香。白樺と蓮は彼女のお気に入りだった。
「申公豹……何用だ?」
「王貴人を封神しましたね?妲己がたいそうご立腹のようですよ」
羽根付の扇子で口元を覆って、くすりくすりと笑う声。
「封神傍に名があった。これもわしの役目じゃ」
重なる視線。瞳の中に生まれる妖艶な光。
「それで、どうするのですか?」
ひらら…はためく扇と伏せられる瞼。
「紂王の側室になり、妲己の首でも狙おうぞ」
力を持たない少女は己の肉体を武器にすることを覚えてしまった。
皇后が傾国の美女ならば、転じて妖婦になれるのがこの太公望という少女。
躊躇なく石琵琶を打ち砕き、命の選択をする。
「それとも……おぬしがわしの力になってくれるのか?」
「妲己の首程度なら簡単に取れますよ」
本質は己の手を汚さぬ少女は、皇后と同じ匂いがした。
欠けていた何かを補えば彼女ほど慈悲深く冷酷な者はいない。
舞い散る花のようなため息。
色は生命の赤だった。






目覚めればそこははるかな故郷。
草原の上に一人佇み、天を仰いだ。
(今度はどこだ……太極図はわしに何を求めておるのだ)
姜の衣装に身を包み、剣を手に戦う姿。
つまりは自分が成し得るはずで成し得なかった過去の未来を太極図は選んでいるのだ。
「望様、西伯侯にはいつお会いになりますか?」
それは夢にまで見た小さな希望だった。
「西……伯侯……」
「はい。統領である望様が来るならば話をするとのことでした」
これが太極図が与えた甘い甘い夢。そして、もっとも抜け出すことが困難な罠。
「明日にでも。西に向かおう……」
それでも引くことはできない。逃げることなどできないのだから。
(何が待っていようとも…………もう誰も憎むことなど……)
この思いをあの人に伝えることができるのならば、この夢を憎むことなどできない。
ただ一言、伝えたかった。






編み上げたひざ掛けを見つめながら、少女はため息をついた。
「早くおっきくなるといいのにね」
「俺、あーいう男なんか苦手なんだよな……なんつーか……」
隣に座る青年の頭を愛しげに抱き寄る。
「でもこれでわかった。ボクのところにあった『伏羲』の意味が」
封神台を管理している三人には、それぞれ別の記号が当てられていた。
普賢真人の管轄する封神台の暗号は伏羲。ほかの二人とは異なるものだった。
崑崙にも金鰲にも存在することのないその名前。
「多分……女禍は聞仲のしるところ、伏羲はボクの知るところなんだと思う」
答えはひとつしかないはずなのに、幾多も準備されてきた。
核を守る膜が、何重にもなっているように。
「頭痛くなってきちゃう……」
ちゅ…と男の唇が少女のそれに触れた。
「そういうときは何も考えないで寝る。お前だけじゃなくて腹の中のチビにも不安は
 移るだろ?」
それでも彼がいてくれるからどうにがぎりぎりのところで逃げずに戦えるのだ。
「一緒に寝てくれるの?」
「そんな不安な顔してんのに、一人にはできないだろ?」
「ありがと……大好き……」
恋は互いをしばりつける鎖となる。
その思いが足枷となり、やがて人は動くことをあきらめてしまうように。
この重い足を引きずりながら遠く離れた親友は、たったひとりで今も戦っている。
「聞仲に苛められそうになったら、守ってくれる?」
小さな頭を何度も何度も愛しげに撫でる大きな手。
「言ったろ?俺はお前の盾になるって」
女の心は海よりも深い闇色。
逃げ出す月をも誘い出す。
二つの魂は確かに一つだった。
その鼓動だけを手掛かりとしてこの世界を旅するように。





流れる涙。
その色は暖かな赤だった。




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